ニゲロ。私たちはオワル。

ありよりのアリス

ニゲロ。私たちはオワル。

「いぃち、にぃい、さぁん、よぉん、


 嗜虐的に数えるその声から僕たちは逃げる。しかし、僕たちがどこまで逃げたところで安心できることはない。なぜならばそれは、悲劇までのカウントダウンでしかないからだ。

 それでも人々は僅かな希望にすがりついてどこまでも逃げるのだ。

 目の前に大きな鉄門が現れる。そこから外へ出たい気持ちが心の底でうずき、僕は門扉に手をかけた。


「だめだよ、ケイ君」


 うしろから声がかかった。僕はびくりと身体を震わせたが、冷静を装って答える。


「わかってる。外に出るのがまずいことはね」


 彼女は頷く。


「じゃあ、どこににげるの?」


 この状況が起こったのは今回が初めてでは無いのだ。むしろ百回以上経験しているかもしれない。しかし、だからこそ慣れが命取りとなる。定石は愚策になり得るのだ。


「広場にもどろう」


 広場には僕たちを脅かす存在が今も数を数えているに違いが無いのだ。


「?!じょ……冗談でしょ。捕まっちゃうよ!」


「裏が突けるかもしれないだろ」


 まかせろって――そう言って僕は彼女の頭に手を乗せる。僕だって怖くないわけではないのだ。だが、彼女を前にして僕は怯えた様子を見せるわけにはいかないのだ。これが最後かもしれないのだから。

 僕は思いきって彼女の手を引いて元来た道を歩きはじめた。

 彼女が顔を伏せる。僕も恥ずかしくなってくる

 ずいぶんと広場に近い所にまで来た。僕たちは二人とも息が切れている。

 数えるあのおぞましい声は聞こえない。数えるのをやめたのだろうか。だとしたら、動き始めるはずだ――奴が。


きゃああああああああ!!!!!


 広場とは別の場所で悲鳴が聞こえた。僕は思わず耳を塞いだ。

 今、悲鳴の主の悲劇に思いをはせている場合ではない。僕の……僕たちだけは生き残らなくてはならない。


「よし、今がチャンスだ」


 広場の方向へ走り出す。広場の隅にはコンクリートで出来た簡素な倉庫がある。その上に登ってしまえば、見つかることは無いだろう。

 倉庫にまで奴に見つからずに僕らは来れた。

 周りには人の気配はない。奴のことを人と行ってしまっていいのかはわからないのだが。

 僕は彼女を先に登らせた後に、はしごに足をかける。もうここまで来たら安心だ。

 

 カラン。


 空きカンの転がるような音が聞こえた。

 僕は足を止めてゆっくりと振り返る。

 空き缶が転がってはいるが誰もいないようだ。

 再びはしごを登ろうとしたその刹那――。


 空き缶の転がっていたのとは別の方向から猛烈な足音が聞こえた。迫る巨体。


――奴だ!


 僕は彼とは反対方向に反射的に駆けだしていた。 彼女が気がかりだが、今は逃げなくては。

 彼はその大きさとは裏腹にすさまじい速度で僕に迫る。

 だが、僕は所々にある建造物を使って巧みに彼の攻撃をかわし、隠れることに成功する。

 奴の足音が遠ざかる……。

 

 はあ。


 一息ついて僕は奴が去った方向を伺った。

 機嫌が悪いのか肩を怒らせながら彼は去って行く。

 僕は安心した。ひとまず僕と彼女は助かったのだから。

 しばらく彼の動向を見守る。チラリと、別の人影が視線をよぎった。奴もそれを認識したのか、またしても猛然とその人影を追いかけ始めた。


 だが、奴は急に方向転換をする。

 奴は笑っている。


 彼が転換した方向は……倉庫の方向だ!


「しまった!」


 最初からそのつもりだったのだ……。僕と、彼女をだましていたのだ。

 獰猛な身体にそこまでの知性があったことに僕は驚嘆した。そして、怒りに身体を震わせた。

 僕も彼の後を追う。

 彼女を助けなくては!これが、本当に最後かもしれないのだ!


 奴ははしごを登ろうとしている。それを彼女も認識したのか倉庫の上に彼女の背中が見て取れる。僕は彼女に向かって叫ぶ。


「飛び降りるんだ!」


「はっ――む、むりよ!」


 彼女は振り返って僕の方向に叫び返した。

 倉庫の高さは三メートル強。

 飛び降りられない高さでは無い。だが、当事者からすればとてつもない高さに見えることもあるのだ。

 僕は両手を広げて彼女を受け止める体勢を作る。


「大丈夫だから」


 そういった瞬間に僕の姿勢がぐらついた。

 視線は空を通って、後ろへと反り返る。

 ――そこには逆さまになった奴が映っていた!!

 足をかけられたのだ。

 絶望が僕の心をむしばむ。


「残念――こうたいだよ」

 

 どす黒い声で奴はそういった。

 だが、そこで鐘の音が広場中に鳴り響いた。

 どさり。僕の身体は地面に打ち付けられる。

 奴は呆然としていた。


キーンコーンカーンコーン。


 終了を知らせる鐘だった。

 

「あっぶねー!」


 僕は奴の肩を借りて立ち上がった。

 奴――僕の親友、田中はふっくらとした顔をほころばして言った。


「今回は上手くいくと思ったんだけどな」


「いやあ、やられるかと思ったぜ」


 田中はこんな顔をしていながら、なかなかの策士だ。

 僕たちは握手を交わす。

 そして二人で視線を上げる。


「きょうでお別れなんだぜ。あいつとも」

「そうだね。お別れだ」


 視線の先には彼女。数ヶ月後には別の中学校に通うことになってしまう彼女。

 僕は悲しかったけれども、で終わるのも僕たちらしいと言えばそうなのかもしれない。


――告白ぐらいしとけばよかったかな。


 僅かに後悔の念が渦巻いたが、僕はランドセルを倉庫の隅から拾い上げ、再び集まりつつある仲間と共に最後の下校をしたのだった。


卒業式後の、夕方のことだった。





























 

 


 

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