第4話 ヒーローズ

(前編)


世界は今、劇的な節目を迎えていた。人類史は、おそらくその前後で、明確に区分けすることができるであろう。つまり、人類が火星人と接近遭遇する以前と以後である。

 最悪の未来は、この地球が火星人の星になってしまうことだ。あるいは人類の滅亡もありうる。しかも、その未来は火星人側の思いのままだった。彼らは、地球人の知的レベルでは、到底理解できないような高度な技術を自由自在に操っていた。彼我の科学力があまりにも違いすぎるのだ。

 はたして、地球生物の頂点にいる人類の立場は、これからどうなるのか?

人類のストレスは、最初から相当のものだった。ところが、そのもっとも危惧すべき問題は、あっさりと払しょくされたのである。

 火星人は、驚くほど地球人に対して友好的だったのだ。

 彼らは、地球人を太陽系において唯一無二の兄弟と認め、永遠の共存を宣誓した。ほどなく、地球人に利益になることばかりの片務的な友好条約が結ばれ、火星人の科学技術は、一切代償を伴わず人類に与えられることになった。その代わりに火星人の得たものは、地球圏外宇宙の通行許可権ぐらいのものだった。

 火星人が地球に持ち込んできたものは、進化した科学文明だけではない。火星ファッションともいうべき奇抜な風俗がある(補足だが、火星人は外観上、人間となんら変わらない姿をしている)。つまり、横頭部の髪を束ねて三つ編みにし、頭の上で結ぶという髪型。まるで、頭の上にワッカを乗せたような格好だが、、これがあっという間に世界中に普及したのである。地球人は、尊敬と親しみをこめて、我先に火星人風俗の物マネをしたのだ。

 しかし、それはすべて罠であった。


 このとき、日本の地球物理学者、田所雄三博士は、ただひとり、火星人との友好関係に異を唱え続けていた。近年より増加している地球上の異常気象と自然災害が、その根拠である。博士はそれを「ガバイ理論」と呼んだ。

 ここにひとりの学生が、田所博士の研究室を訪ねてきた。ガバイ理論についての質疑のためである。

 いまや異端の研究者となった田所は、その青年を失意の中で迎えた。

「ガバイ理論とは、数年前に提唱されたガイヤ理論よりも、もっと『すごい』という意味ですね」

「その通り」

 どうやら、博士は佐賀の出身らしい……と、そんなことはどうでもいい。

 青年は、「首藤伸太といいます」と名乗り、さっそく本題らしきところを切り出した。

「つまり、地球は一個の意識体であり、歴史から気候現象、生態系に至るまで、すべてが連鎖関係にあると……」

「そういうことだ」と、田所博士は暗い表情で答えた。

「地球意識、すなわち、神……ってことでしょうか?」

「そこまではいっていないよ。これは科学だからね。ただ、ユングがかつて包括的意識と呼んだもの、無意識のまだ先に、個人の意識を超越した集合的無意識というべきものが確実に存在しているということだ。ここでは、それを地球意識といっている。残念ながら昨今、その無意識が悲鳴をあげておるのだ。地球環境の激変を思ってみたまえ」

「それはわかります。ただ、そのことと火星人に対する危機感が、どう関連しているのですか?」

 首藤は執拗に尋ねた。

「火星は地球とはまったく別個の宇宙意識だよ。彼らが接近してきたことで、地球の無意識が軋んでいるとしたら、それを排除したいと考えているからだ。火星人たちは明らかに悪意を持って地球に来たんだよ。騙されてはいけない」

「なるほど」と青年は、大いにうなずいた。

「ところで、自然に起こることはすべてひとつの意思に基づいている、という博士の理論によると、自然現象はすべて必然であり、説明可能ということになります」

「ふむ」

「実は僕……」

 首藤は一瞬口ごもった。それから神妙な顔で、おもむろに話し出した。

「生まれたときから、ある超能力を持っていました。そのおかげで、周囲から、化け物と呼ばれることもあり、ずっとつらい思いをしてきたのです。逃げるようにして住所を替えたことも一度や二度ではありません」

「超能力?」

「そうです。しかし、この超能力も、地球意識によって与えられたものではないか、とそう思うのです。僕の存在が、今、火星人の侵略から地球を守るためにあるのだとしたら……地球意識がそこにあるのだとしたら……と」

「ううむ……ありえない話ではないな」

「しかし、この能力がどのように役にたつのかは、さっぱりわからないのです」

 田所博士は、身を乗り出した。

「いったい君の超能力とは、どんな能力なのだ……?」

「お見せしましょう」

 首藤は立ち上がった。



(後編)


青年は、自分の存在価値がよくわからなくなってしまった。

 唯一の理解者に違いないと信じていた田所博士は、首藤の能力を評して、こういった。

「残念ながら、それは地球を救う能力だとはいいがたい。超能力というよりは、バケ……いや、これ以上はいうまい。もしここに地球意思があったとしても、その意思もまた、大いなる気まぐれに支配されることがある、ということかもしれない」

 首藤はその言葉の意味を考えた。しかし、結論はでない。結局、絶望のどん底の中で苦しみ続ける毎日が続いた。

 が、彼を開放する日がついに来た。

 それはまた、人類にとって未曾有の災難の始まりだった。衝撃のその日、火星人が、その本性をついに現したのである。

 大都会の空を縦横無尽に飛び回る空飛ぶ円盤群。それは最近では、誰もが見慣れた景色でもあった。だが、いつもと違うことがひとつある。その円盤たちが、奇妙な触手をぶら下げていたことである。触手の先端には、かぎ爪のようなフックがついていた。

 田所博士は、大学に辞表を提出したその帰路、街の路上で円盤のひとつに遭遇した。

 あっ、という声に振り向いた博士は、さっきすれ違った若い女性の体が、重力をなくしたようにふわりと浮かびあがったのを見た。悲鳴が空に吸い込まれるように消えていく。

 円盤は、ダンスでもするようにジグザグに舞っていた。それは彼らの悦楽の感情を表現していた。博士は、一瞬のうちに状況を理解した。慌ててその場から逃げた。

 思わず頭に手をあてて、少し安堵した。博士は、あのクソ喰らえの火星ファッションに、ずっと抵抗してきた。それが彼をとりあえず救ったのだ。

 頭の上のワッカのような髪型は、なんと、人間を釣り上げるためのものだった。すべて火星人が仕組んだ、悪意の罠だったのである。

 それは、ヨーヨー釣りや金魚すくいと同じレベルのゲームだった。騙された人類は、火星人のおもちゃにすぎない。阿鼻叫喚の中で、逃げまどうしかない人間たちは、次々と円盤に釣り上げられていった。

 何もかもが、手遅れだった。田所博士は、どうしようもない悔しさで、血が出るほどにコブシを握りしめていた。やっとの思いで飛び込んだビルの中で、周りに二三人しかいないことに気付いた。走り出したときは、数十人が一団となっていたはずである。

 なんという悪夢だろう。

 博士は身をかがめて息を整えた。恐怖と怒りと、そして絶望感が彼の心臓を、耐えきれないほど強く締め付けていた。しばらくして顔を上げた時、彼はそこに例の青年が凝然として立ちつくしているのを見た。

 首藤伸太だ。

 偶然が、再びふたりを結びつけたのである。これも、地球意思なのか……まさか。

 首藤は、コンビニ帰りの路上で円盤に遭遇し、この惨事をまざまざと目撃した。最近の若者らしく、火星ファッションの髪型であることは、彼とて例外ではない。とにかく身を隠す場所を求めて、無我夢中でここまでたどり着いたのだ。

 首藤は、しかしいつか、この恐怖に打ち勝たなければならないと思った。それが自分の役割だと。はたして、彼の能力で、人類は救われるのか?

「博士!」

 首藤は、その奇遇に金きり声をあげた。やはり、偶然ではない。必然だ、と彼は信じた。

「首藤くん、助けてくれ」

 田所は、思わず首藤に向かって叫んでいた。助けてくれ?しかし、彼の能力は……。が、いまや、他にすがるものがあるだろうか?

 と、突然、彼らの頭上が、抜けるような青空に反転した。

いかなるマジックなのか、火星人の科学力は地球人にとってはどこまでも計り知れない。理解できるのは、身を隠していたビルの屋根が、瞬時に消えてなくなってしまったという事実だけである。

 もうこれで死角はない。どこに隠れても、青空と、それを自在に飛ぶ円盤群が迫ってくる。悪魔の掴み手のような、フックを吊り下げて……。



 首藤伸太は、泣き喚く人々をその背に負い、守るようにして一歩前にでた。

「吊れるものなら、やってみろ!」

 大声で叫んだ。

 次の瞬間、その声が間延びするように小さく響きながら、天空に消えていった。必然、ワッカの髪にフックをかけられて、円盤に引き挙げられたのだ。それは、抗うことのできない現実だった。

 いや、現実はそうではなかった。

 想像をはるかに超えた出来事に、人々は茫然として声も出なかった。首藤伸太の胴体は、なんと地上にそのまま残っていたのである。

「ろくろ首」

 青年の持つ異能の正体は、それだった。さすがの火星人も、いくらでも伸びる首の持ち主を円盤の中に吊り上げることはできない。結局、あきらめて首藤の首を離した。

 あきれた……のかもしれない。

 さらにその横で、円盤から伸びた触手が真っ二つに裂けて砕け落ちるのが見えた。まさに引き上げられようとした、ひとりの少年が救われ、地上に落ちた。

 急速に縮みつつ、首藤はその一部始終を、上から目撃した。

 少年を抱きかかえて立ち上がった男が、首藤に向かって叫ぶ声が聞こえる。

「俺はカマイタチ。どうやら君は仲間のようだな!」

 そのまた近くでは、別の触手にかじりつく女がいた。耳まで裂けた口からむき出したノコギリのような歯で、触手を噛み切ろうとしていた。

「初めて見た。あれが口裂け女か!」

 田所博士は、そのすべてを目の当たりにし、自らの理論の正当性を確信していた。

「すべて必然、すべてが地球意思だ。その意思は、火星意思に大いに対抗している」

 同時に、異能の青年、首藤伸太は、円盤を見上げて呟くようにいった。

「僕は火星から地球を救うヒーローだ。そうですよね、田所博士」

 その横に並んだ田所は、黙って頷いた。はっきりと理解したのである。彼ら異能者は、地球意思が送った使者なのだと。

 彼らの戦いは、今、始まったばかりである。その名は、いつかヒーローとして人類の心の中に、刻まれることだろう。

 しかし現在、その名は、妖怪図鑑、都市伝説本にしか載っていない。

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