終章 『ヒューマ〇〇〇』

 怖くなった。


 冗談だったのは分かっている。同級生の間なのだし冗談ぐらい普通にある。


 それなのに、その軽い嘘が、僕を怖がらせた。


 同級生との会話中、僕が怖さを隠そうとしながらその会話を聞いていて、

 その時にふと嘘をつかれたとき⋯⋯


(⋯⋯人は、嘘しかつかないのだ)

(人の声だなんて上っ面)

(あなたもそうでしょう?)


 周りのみんながそう言っている、語り掛けているような、そんな錯覚を覚えた。


 ⋯⋯僕自身も嘘つき。

 相手さえも、ましてや僕さえも、信じられなくなった。

 そのどちらも、さらに言えば『ヒト』の全てが嘘に見え、また、


 ⋯⋯怖くなる。


 みんな、僕も、会話相手も、そこに参加している人も、周りで別の人と話している人も⋯⋯


 その全てが、僕に対して嫌悪を抱いているような⋯⋯


 ⋯⋯存在を拒む感情さえもを感じてしまった。



 突然、足が動く。


 いつも息を切らす階段を、これでもかと言うほど速く駆け上がる。


 僕を止める声は聞こえない。


 とにかく速く走った。


 僕という穢れたものから、離れようとどんどん速く走った。



 そのまま駆け上り、屋上から身を乗り出す。


 周りには誰もいない。


 その誰もいない空間さえ怖い。


 人だけではない、人がいる場所も、いない場所も、この空気さえも、




 ⋯⋯全てが、僕を拒んでいるようだった。




 転がり込むように、空中に体が飛んだ。


 自らの意思もなく、その『怖い』という感情一つのまま、飛んだ。


 ⋯⋯このまま体だけ落ちて、どこかに当てもなく飛んでいけたら⋯⋯


 ⋯⋯どれほど楽だろう。


 そう考えた。



 自由落下で速度を上げる。


 僕は逆さまになる。


 上下も分からぬまま。


 速く体も落ち、命さえ早く落ちるよう願った。



ところが、



 1階と2階をつなぐ階段の窓に、

 後ろの席に座っている、吹部女子の彼女が見えたとき、

 その慌てた、何かを願った目を見たとき、


 初めて我に返った。


 ⋯⋯マズイ⋯⋯!


 初めてそう思った。



    僕の中では、人の真意は、非常時に出てくるものだと思っていた。

    非常時と深刻に言っても、その内容や重さは其々。

    だから、⋯⋯あんな行動をするとは思っていなかった。



 慌てて体を起こそうとする。


 逆さの体を最小限の被害にしようと思った。



 人を怖がるあの震えは、⋯⋯特に起こらなかった。




 強打。

























 彼女こそ、僕を、必要としてくれた。

 僕はそれに、答えられるだろうか。


 意識は途絶えながらで、考えていたような感覚だった。

























 ⋯⋯真白色の天井。


 が、最初の方に見えたのだが。


 彼女、吹部女子の同級生である、彼女の声で、

 顔で、そのくしゃくしゃな顔で、遮られた。


「⋯⋯良かった」


 そう言って、『ヒューマディザイヤ』の彼女は笑った。

 彼女は僕の手を握っていた。

 それなのに震えているのは、僕の手ではなく、彼女の方だった。



 診断。

 左足、複雑骨折。左手、閉鎖骨折。

 緊急手術を執り行い、左足は最終的に普通に使えるようになるとのこと。

 命に別状はなし。


「⋯⋯みたい」

 彼女は以上の説明をし終え、僕の右手を握る。


「ほんとによかった⋯⋯」

 彼女の声が室内にこだまする。部活中のソロの音のように、心地よい響き。

 何故こうも、安心できてしまうのか⋯⋯震えずに手を預けることができるのか。


 ⋯⋯わからない。


「僕は⋯⋯」

 勝手に口が開いていた。

「ん?」

 彼女はそう反応する、まだその頬に水色絵の具の跡を残していた。

「⋯⋯僕は、人を見るときに⋯⋯怖いと思うんだ」

 その言葉はすんなりと出てきた。止まりそうにない。

「⋯⋯『ヒューマロスト』」

 僕がその単語を口にする前に彼女の方から声が聞こえた。

「⋯⋯あなたは、『ヒューマロスト』、人を、自分を怖がる、不治の病⋯⋯」

 彼女も、僕の方は向かずに、何気ないような口調で言った。


「⋯⋯君は、⋯⋯」

 僕がそれを遮るように、または繋げるように、言葉をつづけた。

「⋯⋯君は、『ヒューマディザイヤ』」

 その単語に、彼女は過敏に反応する。心当たりがないはずがない。

「⋯⋯『ヒューマディザイヤ』、孤独を恐れ、孤の自分を恐れる、不治の病」

「そうなの?」

 彼女は少し驚くように、でも、疑わないような口調で訊いた。

「僕も調べたんだ。僕のことと、それの反対のこと」

 そう、僕が自分で調べたのだ。『ヒューマロスト』と、

「⋯⋯後に知った、『ヒューマディザイヤ』の病に侵された人」

「⋯⋯やっぱり」

 いたずらっぽく、彼女は笑った。


「僕はもともとからそうだったのかもな」

 僕はそう続けた。彼女はそれを知りたげにきく。


「僕の性格上、人と接するとき、『人は僕が嫌いだ』という断定を持って接するようにしていたんだ」


 誰にも話さないように、そのために思考にさえ出さないように、していた。

 それなのにプログラムの大前提のように突き動かされていた。

「その延長線上に、『ヒューマロスト』が存在するような気がするんだ」

 彼女はそれを、黙って聞いた。決して退屈そうにはしていなかった。

「今診てもらった医者、看護師、同級生に、親まで⋯⋯全てが、僕を嫌いなんだと思っていた。そうして生きてきた」

 その先に、⋯⋯

「⋯⋯その先に、恐怖があった」


「⋯⋯私も分かるけど⋯⋯」

 彼女がおもむろに口を開いた。

「【彼】君がどれだけ人を怖がっているかは、私には分からない」

 彼女は、僕の方を見た。水色絵の具が広がりそうになっていた。

「【彼】君がどう思うのか、人の言葉なんて薄っぺらいと思うかもだけど⋯⋯」

 彼女は目を見た、僕の目をみて、彼女の瞳の奥に見える黒。

「私が、信じてほしいという訳ではないけど⋯⋯」

 その黒は、僕を隠して、みんなから守ってくれそうだった。それにすがってはだめだけど⋯⋯それでも、


「うん」

 僕は素直に言った。

「君なら、信じていい、⋯⋯」

 数時間前の僕にはなかった⋯⋯

「君だけは、信じていい気がするんだ。根拠はないが、」

 信頼が、芽生えた。


「よかった」

 彼女はそう言って、

「⋯⋯でもやっぱり、ちゃんと言おうかな、」

 少しうつむき、思案して、またこちらを見た。その瞳は、暖かい色。

 その右手を包んでくれている、その彼女の両手の温かさに似た色。

「⋯⋯【彼】君が信じなくてもいい、でも、これだけは誓う」


「あなたには、【彼】君には、絶対に、嘘をつかない」


 力強く、強固で、それ以上に優しかった。



 ⋯⋯水色絵の具に彩られたのは、両方だった。





 ⋯⋯この信頼は、消えないだろう。


 僕の隣には、必ず彼女がいる。

 人に対する震えはまだ完全には癒えないけど、

「彼女は大丈夫だよ」

 彼女のその言葉だけで、安心できるものがある。

「わかった」

 その言葉に、しっかり返答できる僕がいる。


 そうそう、彼女の病。

 周りのルールに縛られない時には、彼女の手は僕が握ることにした。

 僕が骨折していない、右の方の手で。

「⋯⋯ありがとう」

 恥ずかしそうに、それでも暖かと、語り掛けてくれた。


 頼られるという、僕の存在を認めてくれている安心感と、

 それに返答して、僕を見守ってくれる安心感と、

 それが、何より、嬉しいものだった。


「付き合っているの?」

 何度もそう聞かれた、僕もそう思った。

 でも、それ以上に強固な、すごい力なのだと、僕は思う。


 いつも握っていよう、彼女の左手を、僕の右手で。

 それが、お互いの抑止に、支えになる。



 ――『ヒューマ〇〇〇』、人を〇〇病。

 今はもう、思い出せない。




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『ヒューマロスト』 波ノ音流斗 @ainekraine

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