第3話


 シゲに連れられて行くと、小綺麗なマンションに着いた。


「適当に座ってて」


 玄関を開けたシゲはそう言って私を中に入れた。


 一歩玄関に入っただけで、シゲが普段使っている柔軟剤の匂いが私を包む。


 なんだろう。ベタな展開だけど、急に緊張してきた。


「……どうした?」


 玄関で足を止めたままの私を、シゲが不思議そうに振り返る。


「あっ、いや、なんかシゲって感じだなって思って」


「そういえば、来んの初めてだっけ?」


 「初めて」という単語が余計に私から平常心を奪おうとする。


「そうそう!来たことなかった!他に女の子とかたくさん来てるかもしれないけど!ではお邪魔しまーす!」


 無駄に明るく(余計なことも)言って、私は部屋に足を踏み入れた。


「いや、別に誰か来たりとかあまりないから」


 律儀な返事。こういう場合、本当ならちょっと嬉しいかもとか深く考えてはいけない。


 部屋のレイアウトは黒を基調にこざっぱりしていて、無駄がない。


 私は促されるまま、部屋の片隅に置かれたビーズクッションに腰掛けた。想像以上に沈み込むクッションにすら動揺しながら、冷静になろうと努める。


 言わなきゃいけないことをきちんと言おう。

 友達として。そう、友達として!!


「今日はありがとう。本当に助かった」


 クローゼットの前で荷物を用意するシゲの背中に声を掛ける。


「別にいいよ、あんなんで助けになったのなら」


 淡々と作業をしながら、シゲは返事をする。


「顔面偏差値の圧倒的な差で充分過ぎだったよ」


「顔面偏差値ってなんだよ」


 シゲは少し笑ったらしい。小さく肩が揺れている。私は少し緊張がほぐれた。


「あ、そうだ。なんかお礼させて」


「いや別に大したことしてないし、お礼なんて」


「いいから。お礼させて」


 しつこく言うと、シゲが苦笑しながら振り返る。


「こういう時、大概引かないよな」


「よくわかってるじゃん」


「変なとこ義理堅い」


「変なとこって一言は要らないよ?」


 付き合いが長いと話が早くて助かる。

 貸しを作ったままというのはどうしても性に合わない。


「うーん……。じゃあ、今度飲みにいく。これで」


「……それお礼でもなんでもないよね?あっ、ご馳走するってこと?あまり高いところじゃないなら」


 そこまで言ったところで、シゲがため息をついた。


「そういうことじゃなくて」


 鞄に服を詰めていた手を止めて、何を思ったのか私の前に座る。


 顔が整っている男友達って、近くに来るだけでこんなにドキドキしたもんだっけ。


 離れようにもビーズクッションに沈んで身動きがすぐにとれそうにない。

 私のバカ、なんでこんな時に限ってクッションに沈んで……って、こんなに動きにくいのは太ったとか?


 よし、冷静になってきた。


 そう思ったところで、シゲは今まで見た事のない表情をした。

 苦しそうな、どこか辛そうな顔。


「シゲ?」


「奢らせたいとかじゃない」


「あ、うん。……なんかごめん」


 怒った顔だったのか……。

 そ、そんなに奢らせたいって思われたことが嫌だったとは。


「……」


 シゲは何か考え始めたのか、黙ってしまった。


 ダメだ。アイドル好きがイケメンと2人きりとか、うっかり好きになりかねない。

 大事にしたい男友達なのに。


「……」


 しばらくしてようやく考えがまとまったらしい。

 シゲは私をまっすぐ見た後、少し言い辛そうに口を開いた。


「……お礼は、2人で出掛けたい」


 え。


「そう言った方が伝わる?」


 何を言ったら良いかわからなくなって、視線を落としたところで携帯の画面が光った。


「俺らずっと友達だったけど、でも本当は」


「ちょ、ちょっと待って!6、いや5分待って!」


「5分?」


「新曲が4分23秒で。今日はフルで初公開なの」


 キョトンとしたシゲに、私は携帯の画面を見せる。


【つぶやいったー】

『ハルハル:サムライ☆ナイン出番キター!今日飲み会の姉貴見れてるかなwww#MPN』


 MPNとはミュージックパーティーナイトという歌番組の略称(ヲタ用語)だ。

 つぶやいったーで私の推しのサムライ☆ナインについて妹が呟いているということは、今テレビに出ているということだ。つまり、歌うのがもうすぐ。


「つまり今、テレビを見たいと」


「うん。ごめんなさい、これだけ見させて下さい……」


 シゲには申し訳ないけど、もちろん見たいだけじゃない。

 冷静になる為でもある。冷静になれ、私。

 シゲもきっと私のヲタクっぷりに冷静になるはず。

 お互いにこの絶妙なタイミングでサムライ☆ナインのパフォーマンスを見れば、きっと冷静になれるはず。

 彼らよりドキドキする現実があるわけがない。

 私に変な意識をするフラグを立てる現実もあるわけがない。


 『意識したところから始まる』って誰か言ってた気がするけど。言った奴殴りたい。

 何呑気に言ってんだよ他人事だと思って……。

 って言ったの私か……。


 そんなことも考えながら深々と頭を下げ続ける私に、シゲは優しくリモコンを差し出した。


 ヲタクに理解あるのポイント高いんだよな……。


「ありがと」


 伸ばした手にシゲの手が軽く触れた。

 思わず息を呑む私の反応を面白がるように、シゲは微笑う。


 テレビ画面の中ではサムライ☆イエローが司会者の無茶振りに応えてだだ滑りをする。


「俺、サムライ☆イエロー結構好き」


 サムライ☆ナインに理解があることに感動するよりも、どうしても『好き』という単語に心臓が跳ねてしまう。


 こんな単純な女が愛される訳がないってずっと諦めてたのに。


【サムライ☆ナイン!新曲参る!】


 三味線とギターの前奏が始まった。曲が終わるまであと4分20秒くらい。


 あぁ、5分後の私よ。どうか冷静であってくれ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

速報:サムライナイン新曲フル(4分23秒)今夜MPNで初公開 ちぃこ @PonPonChii

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ