三章

もうなにも驚かない。

驚いていたってこの世界では、埒があかないということを身をもって体験している。


(そう、あたしはなにも驚かない驚かない驚かない驚かない驚かない驚かない驚かない……)


[どうかしら?私の愛馬は。可愛いでしょう?]


(馬っ⁉︎馬なのっ⁉︎はたしてそれは馬なのっ⁉︎)


瞬間移動したかと思えば、屋根なしの馬車に乗っていて、かと思えば空の上を走っているし、馬車を引いているのは到底馬には見えない生物である。

上半身はどう見ても馬ではなく鳥、でもその辺の可愛いらしい鳥ではなく、鷹とか鷲とかその類の厳つい鳥であり、下半身は確かに馬の蹄の脚と馬の尻尾が揺れていた。

けれどそれを馬というのかどうかは、華子にとっては別問題だ。

返事に困っていると、2匹のうち1匹が振り返った。

そしてその鋭く尖ったくちばしを開く。


「ヒヒィイイイインっ!」


「………」


華子はなにかの間違いかと一瞬、無言になった。けれど再び鳴いてくれたその生物は、やはり馬の鳴き声しか出さない。

まさかのその顔で、まさかの切り返しである。

確かに馬とは言われたけれど、ギャップがありすぎではなかろうか。


[あらあらあら、シーナったら嬉しそう]


隣に座る華子を連れ去った人は、微笑ましそうにしている。


(…名前はえらく可愛いのね……)


この世界にとってはこれが普通に違いない。

華子は静かに受け入れた。


「……ところで、どこへ向かっているんでしょうか」


瞬間移動に空中遊泳に衝撃的生物、お次はなんだと身構える。

するとその風を受けてなびく黄金の髪を横にかき上げながら、アルセネス小首を傾げた。


[あら、言ってなかったかしら?今から天界、すなわち神々の都に行くのよ]


私も一応神様なのよ〜、と頬に手をあてて恥ずかしそうに笑う。


[月の女神、アルセネスというの。よろしくね]


そう言った彼女ーーアルセネスに応えるように、上に登る満月の光が増したような気がした。


「ーー…女神」


驚いたわけではない。

女神だと言ったアルセネスには、すんなりと納得せざるおえない神秘さがあった。

肌はどもまでも陶器のように白く滑らかで、光のベールを纏っている。


[あら、意外と驚かないのね]


「驚くことが多すぎて、もう多少のことでは動じませんよ」


[あらあらあら、残念だわ]


軽やかに笑うアルセネスの声も、人の声とはどこか違う。何が違うかと言われても、上手く説明は難しいが、声は華子の耳に直接的に響いているような、そんな感覚である。


(魔王がいるんだ。神様がいたって不思議じゃあないわ)


超絶美形の幼なじみを思い出し、華子はどうしようもない諦めのため息を吐き出す。


[大きなため息。幸せが逃げてしまうわよ]


「幸せは太郎君に出会ってから全部逃げて行ってるんで、お構いなく」


こんなことになっているのもそもそもが彼が何も華子に話をしていないからだ。

何も知らされず、今までずっと振り回されてきたのだから、憤りはとうに通り越してしまっていた。


[んー、全面的にターロイドが悪いのだけど、そうねぇ…。ちょっとだけフォローしてあげるなら、出会った10年前にあの子は貴女を連れ帰ることが出来たのよ]


「ーー…え?」


どういうことだ。

目を丸くして華子は隣に立つアルセネスを見上げると、彼女は優しげに微笑んで片目をパチリと閉じた。

連れ帰る、帰らないと言っている時点で、身勝手な話だと思う。

けれど、なぜ自分はこの世界に連れて来られなければならなかったのだろうか。

10年は短いようで長い。

それこそ、高校を卒業するまで待っていてくれていたのではと、勘ぐってしまうほどには。

いやいやと、首を振って否定した。


ーーもしそうだとしたら何になる?


知らない場所に連れてこられたことに間違いはないのだ。

一度首を振る。


「ーー…とにかく、もし何か理由があったとしても、何も知らされず、今までもこれからも迷惑かけようとしているわけですよね?もちろん、理由を知らされたからって、納得なんてできません」


華子が言い切ると、アルセネスも頷いた。


[そのとうりだわ。ーーけれど、良く考えてみて?貴女という存在を何にも想っていない人が、10年という時を待ってくれるかしら?]


青色の瞳がじっと華子を見つめる。

その視線から逃れたくて、華子はさっと目を逸らした。

華子の反応に満足したのか、月の女神はクスリと微笑んだ。


[ーーあらあら。それはまた2人で話し合いなさいな。…まあ、ターロイドが無事ここへ来れたらの話だけれどね]

「…え?」

[いいえ。なんでもないのよ]


最後の言葉が聞こえずに華子が聞き返せば、首を振ってはぐらかされた。


[さあ。そろそろ神々の国よ。衝撃が強いからどこか掴んで耐えてちょうだいね]

「え、あの、どうっ⁉︎」


言葉は最後まで言わせて貰えなかった。

雲を突っ切っていく瞬間から、ぎしぎしと骨の軋む音、何かに踏みつけられるような圧力を身体中に感じたからだ。


(…っ、痛いっ!)


声にすることも叶わずに、華子は最後に目も眩むような眩い光に包まれながら、意識を手放した。



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太郎君はすでに100歳を越えている。 九原 みわ @akanenosora

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