開いた開いた

その箱開いた

目覚めた禍、かかとを鳴らす


眠る眠る

希望は起きない

もがれた翼、飛び立てない


目覚めた禍

飛べない翼




ぞわり、急激な悪寒に熱が一気に冷えていく。


(…なに、この感覚っ…)


目の前で寝台ベッドに腰掛けていた太郎も、急な華子の変化に訝しげに眉をひそめる。


「……どうした?」


「っ、わかんない…!でも、なんか」


『クスクスクスクスクスクス』


「っ!?」


外にもれ聞こえていてもおかしくないくらいに心臓の音がひときわ大きくなった。


『アハハハハハハハハハハハ!!』


意味のないことだと分かりながらも、華子は両耳を手のひらで押さえつけた。

だってそれは頭の中に直接響くのだ。


先程まで太郎に怒って上っていた血は、逆流するように下がって行く。

気分が悪くなった華子は膝をつくように崩れ落ち、そのまま倒れそうになった。それを、太郎がその腕に受け止めてくれる。


「ごめっ、太郎くんっ…」


思わず謝ったが、その間にも笑い声はずっと頭の中で響いて、苦しげに顔を歪めた。


「っ、何が起きてるっ!」


怒っているのか、心配しているのか、わからないほどの声音に、いつもなら言い返せる華子もこの時ばかりは、そんな気力もない。


「っ、…声が、っ笑い声…聞こえ、てっ」


しかも、この笑い声にはつい最近覚えがある。


(っ、…夢の中で聞こえた声だっ!!)


ただの夢のはずなのに、なぜこんなにも酷似こくじしているのだ。


「…声?……まさか…っ」


太郎が、呟く。それはそれは苦虫を噛み潰したような顔で。

抱えられた腕に力が込められた。


頭の中で響き続ける笑い声に、このままでは頭がおかしくなるのではと思った時だ。

第三者の声が響きわたったのは。


[あらあらあら、こんばんは]


それは今聞くにはどこか場違いな、声だった。


「ーー…アルセネス」


(っ、誰?)


彼の視線の先をたどる。


[あらあらあら、呼び捨てするのなんてイケナイ子]


薄紅色のぽってりとした唇が、にこりと微笑んだ。

黄金の滑らかな髪が床に垂れ、その真ん中で分けられた額には真珠の連なった三日月の額飾りがつけられている。その瞳は空を思わすような鮮やかな青色をして、垂れた目尻に長い金のまつげが影を作った。

純白のクロスホルターネックのマーメイドドレスは、美しい細かなレースが裾に広がって流れている。


[貴方へのお仕置きはとりあえず後回しね。…その子がそろそろ限界だもの]


レースカーテンの向こうはいつのまにか、夜も更けていた。

月の光が優しく部屋へと届いていて、彼女を余計に神々しく見せている。気のせいか、彼女自身が淡い光に包まれているように見え、音もなく近づいて来る彼女を、力なく華子は見ることしかできなかった。


「……どうにかできるのか」


[何もできないクソガキは黙っておいでなさいな。私を誰だと思っているの?安らぎを与えるのは私の役目の1つなのよ]


太郎をクソガキと罵る人を華子は初めて見た。

驚いているが、それが表現できたかと言えば、もう声も出せないほど弱っていた華子にはよくわからない。

言い返せず悔しそうな顔をして黙った太郎を見て、彼女は華子を覗き込む。


[まだ貴女には耐えられないでしょう。私は安らぎを与えることはできるけれど、それが根本的な解決にはならないのはわかっておいて欲しい]


白い指先が華子の額へトンと置かれた。

瞬間、光の渦が華子の身体からだを駆け巡る。

身がすくみそうになる華子を、それでもしっかりと太郎が支えてくれていた。

再び、トンと額を叩く。


[ーー…さあ、もう何も聞こえないでしょう?]


言われて初めて気がついた。


(ーー……あ、本当だ…)


瞬きして華子は驚く。

先程まで、恐ろしいほど聞こえていた笑い声が聞こえない。身体に力も入るし、悪寒も走らない。


「…もう、大丈夫なのか」


「うん、びっくりするぐらい元気に、な、た…」


太郎に聞かれて、見上げながら答えていた華子は、そこでピタリと動きを止めた。


(…っ、なんて体勢なの…!)


それまでは華子も必死だったからか、気にもならなかったが、太郎の腕にすっぽりと抱えられているのだ。しかも華子の手は、彼の胸元の服をしっかり掴んでいる。

もちろん無意識であろう。倒れまいとしたそうした思いからの行動だ。

気づけば迅速に太郎から距離をとっていた。

羞恥心ももちろんあるが、それより何より後でそれをネタに遊ばれる方が華子にとっては恐ろしかった。

それを知ってか知らずか、太郎はその綺麗な顔を歪めて意地悪く笑う。


(あ、オワッタ)


それは確信だ。


「なんだよ、つれねぇな?ピンクの下着見た仲だろう」

「ぎゃあああああああああああ?!!!」


太郎の爆弾投下と同時に叫べば、金髪美女は驚いたように目を丸くしていた。

そんなものですむのなら、いくらでも華子は痴態を晒せる。


「変な言い方しないでっ!あたしは見せてないしっ!勝手に太郎くんが見ただけだしっ!このセクハラ魔王っ!変態鬼畜俺様魔王っ!」


噛み付く勢いで、華子は全力で否定しながらののしる。

それなのに心底面白そうに笑う太郎に、心底呆れる。これだけ罵倒しているのに、なぜ笑えるのか。なぜそんなに楽しそうなのだ。


「…ホント、飽きねぇーな。うさぎ」


喉を鳴らして笑う太郎を頬を引きつらせながら睨みつければ、さらに笑みを深くして余裕の笑みを見せた。


(何なのよっ…!)


きりきりと痛み出した胃をおさえる。

本当に理解不能な男だと、早々に諦めるのも1つの手だろうが、華子に諦めの三文字は存在しないのだ。

負けると分かっていても、性格上引くことはできない。


[あらあらあら、驚いたわ]


その声音の中のどこに驚いた要素があるのかわからないが、頬に手を当てながら小首を傾げるその人に、華子はハッとして頭を下げた。


「助けてもらったのに、すいません!あの、ありがとうございますっ!」


[あらあら、素直ね。そういうところは何も変わっていないのね]


「はい?」


なぜか嬉しそうに微笑んだ美しい人に、まるで会ったことがあるような言い回しをされ、華子は意味がわからなくて怪訝な顔を向けた。


(確かに、最近会った人に似たような人いた気がするけど)


それは誰だっただろうと考えていれば、その美しい人は不思議そうな顔をした。


[あらあらあら?もしかしてもしかしなくても何も教えられていないのかしら?]


彼女のその優しげな瞳が、スッと細められると太郎を見る。


で呼び合う仲なのに、何も伝えずに違う世界に連れてきたの?]


不機嫌そうに舌打ちして、太郎は反抗的な視線で挑んだ。

それを見て、美しい人は頭を抱える。


[ターロイド…貴方の性格は理解しているつもりだったけれど、本当に困ったものねぇ。の自分勝手な性格がこんなところで仇になるなんて……]


嘆く彼女に何故だか同情の念を送る。

今まで散々振り回されて来た華子だから、太郎の自分勝手な性格に頭を抱える彼女の気持ちがよくわかったのだ。


(まったくもってその通り…!なんにも伝えないで異世界連れて来て、嫁だなんだと言われても、はいそうですかで頷けるもんですかっ!だいたい、愛称ってなんなの愛称って………ん?)


腕組みまでして頷いていた華子は、首をひねる。


(…愛、称…?)


カッと目を見開いて、偉そうに立っているであろう太郎を勢い良く見た。


「あああああああっ、愛称ってなにっ⁉︎」


「そのままの意味だろ」


「どこに愛称なるものがあるのよっ⁉︎」


「………」


「なぜ黙るっ‼︎」


愛称なんてそんな親愛のこもった特別な呼び方はしていないはずだ。

しかも肝心の本人が澄ました顔で押し黙る。

ひくりと頬が引きつったのは言わずもがな。


[まさかそれも伝えずに呼ばせていたなんて…]


彼女の諦めきったような長いため息が聞こえて、華子は自覚した。


(ーー…あたし本当になんにも知らないのね)


なぜだか無性に悲しくなって来た。


(いや、別にいいんだけど。だって嫌いなんだし…)


8年間という月日はなんだったのか。


(ていうか、迷惑してただけだし…)


あれだけ振り回されていたのだからどうってことない。

今さらなにも伝えられずにいたと知ったところで。


「…何やってんだ、お前」


「うっさい馬鹿。かゆいのよ!」


ツーンとそっぽを向いて右頬をつねる。

足りないとばかりに左頬もつねった。


(うん…痛い)


鼻の奥がツンとしたのは気のせいである。

これは頬をつねった痛みに泣きたくなっただけなのだと、華子は思うことにした。

まだ訝しげな視線をよこす隣の男は無視をして、いろいろ知らなければならない。

つねって痛む頬をさすって、目の前の美しい人に向き直る。

きっと全部答えてくれるだろう。

自分でもびっくりするくらい真剣な顔を向けると、彼女は一度瞬いてにこりと微笑んだ。


[あらあらあら、いいわ。なにも教えてくれないお馬鹿さんは置いておいて、私が教えてあげるわ]


「あ''っ?」


[貴方はそこで反省していなさいな]


言うがはやいが、彼女が華子の手をとった。

お馬鹿さん扱いされて不機嫌な太郎も、驚いてその綺麗な紅い宝石を見開いているが、一番驚いているのは華子である。


「うぇえっ⁉︎」


[さあ行きましょう]


「っ、待て‼︎」


愉快そうに微笑む彼女の腕の中に絡め取られながら、その綺麗な顔を歪めて腕を伸ばす太郎の姿が見えた。

そしてそれは一瞬で見えなくなった。

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