XⅦ. ほめるのも気を遣う
お久しぶりです。
2021年になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
私の今年の目標は、
「死なない」
です。特に書き手としてアンピシャスなことは考えておりません。考えたって無駄ですから……。
さて、今回は、読み手としてコメントをつけた際に時おり遭遇する、ちくっと嫌なことを愚痴ります。
――めんどくさいからほめたくない
この気持ちがわかる方は多いのではないでしょうか?
ご存じのとおり、カクヨムのみならず、さまざまな創作を発表できるプラットフォームでは、ある程度自由にコメントをつけることができます。そこで生まれる交流が投稿サイトの醍醐味でもあります。
コメントでほめて、そして作者からの謝辞の返信ももらって和やかな場……なんと美しいことでしょう。ところが、和やか気分のまま作者のtwitterアカウントを見たときに背筋が凍ることがあります。
その場では穏やかだった作者が、ほめられ方にTwitterの空リプで文句つけてたりするの、意外とあるんですよ。
例えば
「村上春樹を彷彿とさせる」
「ガレのガラス工芸を想起させる」
などと作品を評したとき、ご機嫌斜めになるクリエイターさんたちがいます。
他人の名前を出されてほめられるのが嫌いな人たちって意外と多いようです。ビッグネームで嫉妬の入り込む余地のない相手であってもですよ? うーん? 真似ていると思われたくないのでしょうか。
そういう人たちは、
「そんな人知らんけど!」
「名前は知ってるけど読んだことない!」
「その人の作品見たことないけど!」
とよく仰います。
知ってても知らなくても、どうでもいいと思います。
もちろんそれだけじゃありません。
まだまだいろんな人がいます。
野性的で息遣いを感じるような、と評されると、悪い意味でプリミティブで洗練されていないと言われたと思い込んで、プンスコする人。
短くほめられると、「自分の作品はもっと延々とほめられて然るべき」とTwitterで荒れる人。
しっかり読み込んで長文でほめられると、「こんな長文寄越されたら、返信も長くないといけない気がして負担だしキモい」という人。
作品の内容的に知っているであろう語彙を使ってほめられると、あいつのコメント意味わからん、と文句を言う人。
ほらね、ほめるのもなかなかめんどくさいでしょう?
だから嫌なんですよ、コメントつけるの。
それでもやっぱり支持表明したくて、つけたりしますけど。
ともあれ、いろいろ複雑な思いをしたりされたりして得た教訓がこちら。
もめたくなければ、ほめるときはさらっとさくっと当たり障りなく、平易な言葉で。
しっかりと感想を交えてほめたいなら、書き手の性格をある程度見てからの方がいいようです。
ほめたいならば、ほめるほめられるの諸相を観察し、他山の石で自分のほめ・ほめられを研磨していきましょう。
それから、最後に一番重要なこと。
書き手のTwitterは見に行かない方がよいです。
探してまで見に行くのは愚者の行為。
そして私は愚か者。
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