XⅥ. きっと無からは生まれない

 オリジナルと言いつつ、たいていの物語には基本となる形があるように私は思っています。完全にオリジナルな、どの作品の影響も受けていない作品は存在しないのではないでしょうか。

 一切の書籍・映像作品に触れなかった人は、日々どれほどドラマティックに暮らしていてもおそらく作品は書けません。何かしら、文章に触れ表現を学んで初めて、人間の心情や起こった事象を描写し、それを物語にできるのです。

 読書経験の中で好みの文体・筋運びなどを獲得し、無意識にプールして、その混沌から時々ぬらぬらと胞衣を被ったものがよじ登ってきて、美しく、あるいはへなちょこに育つ。

 それが作品なのです。

 プールが広大で滋味豊かであればあるほど、すごい作品が生まれる率が高まります。

 最近は、A I に古今東西の作家の小説を大量にインプットし、小説のルールやジャンルなども学習させて、新しい小説をアウトプットさせると素晴らしい作品を書いてくれるそうです。

 そりゃあそうですよね。

 人間が一生かかっても読みこなせない、もし読んだとしてもすべては覚えられない量のストーリーパターンと文体、表現を蓄え、類型化して、ユーザーの要望に最も合致したものを作り上げるのですから。


 ここまで申し上げたことで、

「じゃあ、生まれてこの方読書とかしなかったし、これからもするつもりのないアテクシには、傑作を書ける可能性がないってわけ?」

と思われる向きもあるでしょう。

 9割がたその通りだと思います。

 よほどの天才でなければ無理です。

 これから頑張って本を読んでみて巻き返しを図ってください。


 さらに、

「でも勉強もリサーチもなくたって、アテクシは天性の創造力を持っているわ! 新しい物語をアテクシが生み出してやる!」

と思う人もいるでしょう。その意気やよし。

 本物の天才も、その中においでかもしれません。

 しかし、同じ天才でも、勉強した天才と勉強しなかった天才、方法を知っている天才と全く無知な天才では大きく水を開けられているものです。

 学んで、創作におけることわりを熟知しているすごい人たちはすでにいます。

 そんな人たちと競合して勝てますか?

 勝てたら、本買います……たぶん……好きなジャンルであれば。


 個人的な偏見をポエティックに表現すると、特に幼児期から青年初期に読んだものが守護霊のように書き手に死ぬまで寄り添い、守り励まし、武器を与えているように思います。

 それ以降読んだものについては、脳の経年劣化で読んでも忘れてしまうし、感動するための気力も体力も実生活の荒波に削がれていることが多いですね。そうでない精力的な人ももちろんいます。正直そういう人が羨ましいです。


 とにかく。

 遅い気付き、周回遅れのスタートは、能力的なハンデがきっついものです。

 だから。

 文筆で立身を目指す若人よ、本を読め。

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