父上のお説教
「僕はね、かつて父上からこのようなお𠮟りを受けたことがあるんだ」
これはまだ、僕が五つか六つくらいのときのお話。そう言った月影は、どこか遠くを眺めるような表情で、ゆったりと語りだした。
「…………屋敷の中でちょっと気に入らないことがあったその後に屋敷の外へ出たとき、いつも親しく遊んでいた平民の子どもたちからもらった手作りのおもちゃを…………もらったそばから壊した。今考えてみても情けない話だけど、まだ幼かった僕は、物に当ってしまったんだ。そうしたらね…………」
ここまで言うと、月影はへな、と情けない顔をして軽く笑った。しかし、そのフニャフニャした表情とは裏腹に、語る口調はしっかりとしたものであった。
「きっと僕より先に屋敷に帰った護衛から、事の経緯をお聞きになったみたいでね。いつも、ニコニコと笑って僕の頭を撫でて下さる父上が、静かな怒りを湛えて屋敷の門の前で僕の帰りを待っていらっしゃったんだ。それから、半刻も門前で正座したまま、父上のお叱りを受けたよ。思い切り怒鳴られた方がいっそましだと思うほど、懇々と諭された」
そう。あの時の父上のお説教を思い出すと今でも、苦い、苦い気持ちがする。
滅多に声を荒げることのない月影の父は、珀本家の次期当主としてはいささか頼りない印象を余人に与える。しかし、その穏やかな物腰の中には、どんなことがあっても真っ直ぐと地に根をはり続ける柳のような芯の強さを持っていた。
「その時、言われたんだ。『いいかい、月影。厳しいことを言うが、“ありがとう”や“ごめんなさい”を言えない人間は、珀家には要らないのだよ。自分の気分が、虫の居所が少しばかり悪いからといって、すぐに物や人に当たるような人間になってはいけないのだ。常に周りの人に感謝の気持ちを持ち、それを言葉や行動で示さないと、傲慢な人間になってしまう……それが、父にとって何よりも辛い』、とね」
柳桂は、思った。四神宗家の筆頭分家の珀の本家は、本当に人を育てているのだ。たとえ、子ども相手であっても、人と真摯に向き合っているのだ。
貴族だから、と決して驕り高ぶることなく。
「それから…………。『そなたが壊したおもちゃをくれた子どもたちに謝ってきなさい。そなたにおもちゃをくれた子どもたちやおもちゃには、何の罪もない。月影が貴族の子どもだから、こんなおもちゃを差し上げたことが悪かったのかな、と彼らはあげたおもちゃを目の前で壊された怒りよりも、月影に喜んでもらえなかった悲しみの方が大きいと思うよ。いいかい、月影。ここまで父が言えば、わかるね。何が悪かったのかしっかり反省し、子どもたちに正直に伝えて謝っておいで。それができるまで、屋敷には入れないよ』ってね」
一人、二人であろうか。驚きではっと目を見開いた者がいたような気がした柳桂である。ここで、わずかな動揺が広がった。
今まで年長の者から𠮟られたことは多々あれど、月影のように人の道を諭されたことはなかったようだ。
そんな周囲の様子など気にもかけない月影の語りは続く。
「僕は、自分を恥じたよ。何てことをしてしまったのだと。皆の模範となるべき貴族令息である以前に、人の気持ちを、踏みにじるような真似は絶対にしてはいけないのだと。人としてやってはいけないことをしてしまったのだって」
ここで、月影は軽く身をすくめる。それから、ふっと自嘲の笑みを口の端に浮かべた。
「そして…………気付いたんだ。生まれてから当たり前として与えられていた貴族としての贅沢な環境は、本当に当たり前なんかじゃない。屋敷の外で一緒に遊び、僕におもちゃをくれた平民の子どもたちも、仕事として僕たち一家に仕えてくれる使用人たちも、本当は僕と同じ人間だ。だから身分や階級差なんて、そんな些末な違いに惑わされてはいけない。人間同士なら、お互いに敬意を払うことが必要なんだ」
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