エピローグ

「センドさ――――――んっ!」

 天国の扉へと続く真っ白の空間の中で、誰かがわたくしの名前を叫びながら走ってきます。いかんせん目が悪いので、その人物を認識するまでに、少し時間がかかってしまいました。

「マイくん」

 彼がわたくしの前に来たところで、ようやく名前を呼びました。わたくしの前で呼吸を整える彼は、マイくんといって、わたくしと同様に天の使いをしています。現世で言う、会社の同僚みたいなものです。

「わたくしがいない間は迷惑をかけました。マイくんに仕事を全部押しつける形になってしまい申し訳ありません」

「いいんですよ、そんなことは」

「でもマイくんはまだ新人ですし……かなりの負担だったと思います」

 マイくんは二十歳を超えた頃に亡くなり、天の使いとしては、まだ経験が浅い新人さんです。

 わたくしが現世で生き返らせた人の監視をしている間、彼がわたくしの仕事を全てカバーしてくれました。

「ありがとうございました、本当に」

 わたくしがそう言うと、マイくんは満足そうに笑います。彼は『すいません』よりも『ありがとう』の方が良かったみたいです。

 つと、マイくんがわたくしの隣に三角座りをします。いくら彼が成人しているとはいえ、わたくしにはその姿が小さな子供にしか見えません。

 二人で前方をジッと見つめます。自然のない真っ白の空間で、ゆっくりと目を瞑ります。

 現世の風の音が、たまらなく恋しいです。

「神様の審判のこと、聞きましたよ」

 マイくんが拗ねたように口を尖らせて言いました。

「情報が早いんですね」

 と、わたくしは他人事のように言いますが、マイくんは見逃しません。

「なんでそんななんでもないように言えるんですか! てかそもそも、生き返りのこともそうですよ! なんであんなヤツのために――」

 その言葉を聞いて、わたくしは静かにマイくんを見つめました。その視線がかなり冷たいものだったようで、マイくんがすぐに「すみません」と謝ります。

「でも、あの人を生き返らせたせいで、センドさんの定年が伸びちゃったんじゃないですか、五年も……。本当はあと一年で定年を迎えて、センドさんが生まれ変われるはずだったのに」

 自分のことではないのに、マイくんが悔しそうにそう言います。

 そうなのです。天の使いが他の方と同じように生まれ変わるには、神様に与えられた仕事を全うし、定年を迎えなければなりません。

 人を生き返らせることには、それ相応のをともないます。リスクというのは、神様が審判を行って決めるもので、わたくしの場合は、それが定年の引き延ばしだったのです。

「神様もひどいですよ。僕たちに他人を生き返らせるための力を授けといて、いざそれを使うと罰を与えるなんて、意味がわからない。それだったら、最初から僕らにこんな力を与えなければいいのに。僕らだって本当はすんなり生まれ変わりたいのに」

 駄々をこねるようにそういうマイくんを見て、まだ若いなと思います。それと同時に、自分もそう思ったことがあるな、と懐かしくも感じました。

「マイくんにはまだわからないかもしれませんが、長くこの仕事をしていると、そのうちどうしても生き返らせたいと思う人が出てきます。それがたまたま、わたくしにとってこのタイミングで、今回の方だったというだけです。それにわたくしは、彼を生き返らせたことを微塵も後悔していません。彼が今、幸せだったら、定年の延長なんて全然問題のないことなのですよ」

「たった五年ですしね」と言うと、マイくんが「たったじゃないですよ!」と言ってきます。

 いつの間にかマイくんが、わたくしの前に立って言います。

「ここでの一年は、十年くらいに感じるって先輩達言ってましたもん……。それでいうと、五年は五十年に感じるってことでしょ? そんなのつらいじゃないですか」

 彼の言葉に、何も言えませんでした。

 ここは真っ白の空間で、昼と夜の区別もありません。どこを見てもずっと同じ色で、時間がどれくらい過ぎているかもわかりません。

 そんな空間での一年は本当に長いです。実際、わたくしがこの歳になるまでも本当に長く感じました。これからさらに五年追加されると思うと、正直気が重くなります。

 でも、わたくしには後悔はありません。

「いいんですよ。自分が望んでそれを選択したんですから」

 そう言って、その場を離れます。

「ちょっとセンドさん! ――もう! 知りませんからね」

 背後でマイくんが叫びました。それを聞いて、思わず笑ってしまったことは、彼には内緒です。

 自分の持ち場に戻る途中、ふと、思いっきり地面をけりました。こうすると、太陽の裏側から少しだけ現世が見えるのです。

 もちろん、わたくしが見たかったのは、自分が生き返らせた彼の姿でした。

 昨日まで自分も着ていた制服をまとって、彼は大垣さまと歩いています。

「鼻の下なんて伸ばして……だらしない」

 何を話しているのかはわかりませんが、彼がとても楽しそうにしているので、思わずそう呟きました。でも、幸せそうでなによりです。

 ささやかな置き土産として、大垣さまの記憶が消えないようにしておきました。これからは心おきなく二人の思い出を積み重ねてほしいものです。

 幸せそうな姿を見届けて、その場を離れようとした時でした。

 偶然かもしれませんが、彼がこちらをジッと見つめてきたのです。わたくしからは彼が見えているので、不思議と目の前にいるような感覚でした。

 そして、彼の唇がゆっくりと動きます。

「ありが、とう……?」

 彼の口の動きを声にしたら、ひんやりと冷たいものがわたくしの頬をつたいました。

 あちらから見えているはずはないのに、彼の口は、たしかにそう動いたのです。

 カケラの記憶も残さないようにしたのに、不思議なこともあるのだなと感じました。

 涙を拭いて、ギュっと目を瞑ります。

 再び目を開けると、彼がまたこちらを見つめて言いました。


『長生きするよ』


 ――ああ、もうだめだ。

 そうだよ。そのとおりだよ、わたるっち。

 長生きしろよ、ほんとにさ。

 おじいちゃんになった時、顔に刻まれるシワが全部笑いジワになるくらい、毎日を楽しめよな。

 オレの分も――。


 涙はしばらく止まりませんでした。

 無意識の彼の言葉に、わたくしは心から思います。

「貴方を生き返らせて……本当に、本当によかったです」



 天国の扉へと続くこの空間は、真っ白です。

 ここには、植物も建物もなにもありません。

 空もないので、朝なのか夜なのかもわかりません。

 そんな白しかない空間で、わたくしは毎日、死者を迎えます。

 天の使いとして、ここから天国の扉まで死者を案内する――それがわたくしの長年の仕事です。

 自分が生まれ変われるまで、あと数年。


 わたくしはその間、貴方や貴方の大切な人がここに来ないことを願います。

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幸せにすること 宮瀬直 @kmyasenao

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