コトワリヲムシバムコトワリヲ(4)


「現在、ここで隠れ過ごす生者は幼子おさなごばかりが六名。われとカイナうじだけでは、正直なところ手に余る。数日でも良い。宜しければ、滞在して助力を願えるなら、恐悦である」


 ケン殿の申し出には、こちらも異論は無かった。

 自分としても、この瞑目のイクサやカイナには興味がある。イクサとしても、そして、剣士としてもだ。

 しばらくはここを拠点にしつつ、探索するのが上策であろう。


 なれば、自分は了承を返して立ち上がる。

 ひとまずの会話を終え、待機所を出た自分とナナオ殿。


 眼の前に広がるのは、電灯に照らし出された石造りの広間。

 地下鉄駅、その改札階。

 電車とやらが発着する施設らしいそれは、自分の生きた時代になぞらえるなら地下宿場とでも呼ぼうか? それとも地下旅籠はたご……否、本来はここで寝泊まりしていたわけではない、あくまで乗物が停留する場所だ。

 まあ、その時代に無かったものを、無理になぞらえる意味もないか。


 そんな益体やくたいも無いことを考えていると、陽気な声が呼び掛けてきた。


「よお大将、話は終わったのかい?」


 和装の右袖を揺らした大柄の美丈夫、カイナだ。

 どうやら地上に出ていたのだろう。駅出入り口の階段路を通って来た彼は、左肩にクルミ嬢を乗せながら、それでも小揺るぎもしない足取りで歩み寄って来る。剛力はもちろん、優れた体幹あっての挙動。

 だが、どちらかというと驚きなのは、平然と肩に乗っているクルミ嬢の方だった。

 カイナが片手で支えているとはいえ、二メートル近い長身の肩口、幼い矮躯にはなお高く感じられるだろう。なのに、彼女はカイナにしがみつくことなく、涼しげな顔でチョコンと座しているのだから、大した胆力だ。


 ふと、視線に気づいたのか、クルミ嬢がニコリと笑う。


「だいじょうぶ、カイナは、ぜったいクルミをおとしたりしないよ」


 涼やかに応じられ、自分は思わず息を呑んだ。

 自分はよほど心配そうな顔をしていたのか? だとしても、こちらの内心を的確に読んだ返答だった。聡い娘だとナナオ殿も感心していたが、確かにその通りだな。


「ん? 急に何だ? そりゃあ俺はオメエを落っことすようなマヌケはしねえよ」


 むしろカイナの方が首を傾げている。

 こちらは聡い聡くない以前に、物事を深く考えない質なのだろう。貴公子然とした容姿のわりに、純朴な男だ。


 奔放な言動は、少しサダメに似ているか?


 今は同行していない友人を思い浮かべながら、ふと、同行して来た方の友人が見当たらないことに気づいた。


「ホムラは、いずこに?」

「ああ、あの赤いのなら、上でガキんちょどもにたかられてる」

「集られてる……?」

「アイツの格好、赤備えだろ? そのせいでガキんちょどもが〝ユキムラだぁ!〟って大はしゃぎしちまってんだ」


 ユキムラ?

 真田幸村ならば、確かにそれはホムラのことだが。


「ここのわらべたちが、ホムラの生前を知っているのか?」

「ん? もしかして本当の本当に当の本人なのか? 何だい、ずいぶん記録と違うんだな」


 記録と違う……とは、つまり、ここに真田信繁の資料でも残っているのだろうか?


「……記録って、もしかしてコレのこつ?」


 ナナオ殿の声。

 どこか笑いを堪えているようなそれに向き直れば、フロアの片隅、雑多に並べられた生活家具のそばに彼女は居た。

 卓袱台ちゃぶだいや木机、クローゼットなど、駅の設備にしては場違いで統一性もないそれらは、恐らくは後から持ち込んだ物か。

 そんな中、書物を修めた棚がある。それは荒廃した環境での数少ない娯楽なのだろう。文庫本や重装丁の書籍、ボロボロの雑誌やパンフレットまで、決して数は多くないものの、手当たり次第という風に集められた読み物たち。

 ケン殿も言っていた。現世の知識は、生存者の話や、書を読むことで得たと。


 ん……? 待てよ?

 今さらだが、ケン殿は瞑目のままで、どうやって書を読んでいたのだ?


 もしや、ずっと瞑目というのは騙しか?


 だとしたら嘘が雑すぎる。彼がそのようなウツケには思えぬし、そもそも騙す意味がわからない。


 ならば、誰かに読み聞かせてもらっていたのか?


 生存者は童ばかりと言っていた。なら、カイナに読ませていたのか?


 自分が考えていると、ナナオ殿が一冊の書籍を取り上げ、ニコニコ楽しそうにこちらに駆け寄って来た。

 そして、手にしたその書籍の題目を読み上げる。それはもう本当に楽しそうな笑顔で読み上げてきた。


「……〝マンガで学ぶ戦国ヒーロー、その六、真田幸村〟……」


 戦国……ヒーロー?

 表紙に描かれているのは、いかにも抽象的に描かれた……要は子供向けにデフォルメされた赤備えの武者。四頭身で、笑顔で十字槍を振り上げるその姿は、勇ましいというよりは微笑ましい。


 どうやら、否、どう見ても児童向けに描かれた物のようだ。


 ザッと内容を流し見てみたが……。

 ……ふむ、端的に説明すると、天下統一を企む悪の徳川軍団を討ち倒すため、若き勇将、真田幸村が、配下の真田十勇士とともに奮闘する大活劇物……という感じだった。

 歴史教材というには、史実より娯楽方面に傾倒……いや、そもそも真田信繁ではなく、真田幸村だ。もう完全に後世で創作された講談に寄った内容だな。


「ガキんちょが読むような書物はそれくらいしか無くってなあ。みんな穴が開くほど読み込んでんだ」


 カイナの言は比喩では無い。現に本はボロボロにくたびれている。

 ここの童たちはそれほどにこれを読み込み、内容に共感し、ここに描かれた真田幸村像が定着しているということだ。


 ……で、そこに現れた赤備えの武者。


「ここの童たちにとって赤備えは英雄……正義のヒーローということか」


 そして、今まさにホムラは、そのヒーローへの憧憬を全開にした童たちに取り囲まれているということらしい。


 それは、何というか…………。


「く、ふふふッ♪ 何それ、がばい面白そうやっとね! 早う見物に行かな! ほら、お兄さん! 早う!」


 堪えきれずに笑声を上げたナナオ殿。

 いかにも〝こんな喜劇は見逃せぬ〟という様子で、自分の腕をつかんで急き立てて来る。

 確かに、あのハスっぱに気取った男が、幼い憧憬に囲まれて狼狽えている姿は、まあ、一見の価値はあろう。


 いや、むしろ、童を睨みつけて脅かしたりしてないだろうか……。


 一抹の不安に駆られながらも、ナナオ殿に引っ立てられるまま地上への通路を進む。

 折り返しの階段を上り、やや長い廊下を抜けて、後はその先の階段を上がれば地上、というところまで来た時……。

 ふと、陽光とともに届いて来たのは、童たちの楽しげな歓声だった。


 どうやら、杞憂であったか……。


 地上との境には格子状のシャッターが下りている。

 だが、屍鬼による被害か、それは大きくひしゃげ砕けており、隔壁の要を為していない。

 最早開閉すら不可能なそれをくぐり、地上へと出た自分が見たのは、はしゃいでいる五名の童たち、いずれも齢は六、七歳ぐらいか? そして、その童たちに囲まれているのは赤備えのイクサ、ホムラこと真田信繁。

 いや、ここは敢えて幸村と呼ぶべきか?


 やや遠巻きに囲む童たちの中央で、彼は手にした銀銃槍を、やや大仰な仕種で豪快に振り回していた。

 迅速にして軽快で、演舞のごとく流麗な槍の軌道。

 実際、それは演舞なのだろう。銀銃槍が動く度に、つづみを打つような軽い音が響き、中空に煌めきが舞い躍る。


 あれは……ペットボトル……だな。


 空っぽのペットボトルが計三つ、振り回される銀銃槍の銃身に打ち上げられ、ストックに掬い上げられ、コンコンと軽快なリズムでお手玉よろしく空中で舞い踊っている。

 その卓越した槍捌きはもちろん、透明なペットボトルが陽光をキラキラと弾きながら宙を躍る様は、中々に華麗で美しい光景だ。


 ジャグリング……いや、この場合はリフティングか?


 ラケットの代わりに槍で、テニスボールの代わりにペットボトルを用いたそれに、居並ぶ子供たちは眼を輝かせ、実に楽しそうな笑顔で見入っている。


「すごい♪ かっけー!」

「きれー♪」

「もっと! もっとやって!」


 実に楽しげに、ハシャいで喜ぶ童たち。

 だが、槍を振るうホムラの方はというと、実に対照的なまでの仏頂面だった。

 いかにも不本意そうに、眉根をしかめ、口を〝ヘ〟の字に曲げながら、〝何だこの茶番は〟とでも言いたげに、それでも槍を止めることはなく、せがまれるままに演舞を続けている。


「ふふ♪ 何ね。思ったよりちゃんとヒーローやっとるとね」


 ナナオ殿がこぼした優しい笑声に、赤備えがビクリと身を震わせた。

 今、初めてこちらに気づいたとばかりに眼を見開いたホムラ。


「なッ……! こ……ッ……!」


 呻きを詰まらせ、槍の軌道がブレる。

 露骨な狼狽。どうやら、日ノ本無双ともあろう者が、本当に気づいていなかったのだろう。それでも巧みに槍をひるがえし、三つのペットボトルを取り落とすことなく打ち上げる。


 キィンと甲高く響いたのは、こだまの刃が展開した音色。


 直後、天を衝くかのように垂直に突き上げられた銀銃槍。その切っ先には、三つのペットボトルが綺麗に連なる形で貫かれていた。


 一瞬の早業。

 童たちの歓声がひときわ盛り上がる。


「……終わりだ。そろそろ下に戻れ」


 仏頂面のままに告げるホムラに、童たちは「えー」「そんなー」「もうすこしだけー」と口々に抗議する。

 それは不満そうというよりは、残念そうというか、寂しそうな感じだ。


「ほらほら、もうすぐ日も暮れるとよ。大丈夫、真田幸村はみんなのヒーローさんだもの。またよーけ遊んでくれるから」


 ナナオ殿が慈愛の笑顔でなだめれば、子供たちは「ほんとー?」「ぜったいー?」と問い返す。

 その様子は、やはり、不満げではなく、不安そうだった。

 何だろうな。普通は、もっと無遠慮なまでにワガママ放題なのが幼子であろうに……。


 だが、無理もないのかも知れぬ。


 屍鬼が溢れ、荒廃した世界に取り残された童たちだ。

 親から離れ、地下に隠れ住む毎日。恐らくは、明確に家族と死に別れた童も居よう。それを自覚しているにせよ、していないにせよ、そんな日々が何の陰りももたらさぬわけが無い。


 同じく遊戯をせがむにしても、不満よりも、不安が先に立つのだろう。

 もっと楽しいことを……と、求めるのではなく、楽しい今が終わるのが怖いのだろう。


 次があるとは限らない。


 そんな無常のコトワリを、この童たちは、童でありながら思い知らされているのかも知れない。


 無骨な武士にも、その程度の機微は読める。

 ならば、赤備えの武士もまたゆるりと頷いた。


「腹が減ったろう。夕餉ゆうげが済んだら、また遊んでやる」


 笑顔を浮かべて、そう約束した。


 笑顔……だよな?


 口の端を引き攣らせただけにしか見えぬが、おそらく笑顔だと思う。

 そんな威嚇いかくのごとき不器用な笑みなれど、心根は伝わったのか、童たちは素直に了承し、ナナオ殿に連れられて階下へと下りていった。


 無邪気な歓声が遠ざかったのと引き換えに、ホムラは溜め息を吐く。それはもう、盛大に脱力した溜め息だった。


「童は嫌いか?」


 率直に問い掛ければ、だが、ホムラはハッキリと首を横に振った。


「……苦手なだけだ。嫌ってはいない。どちらかと言えば、好きと言えよう。民に囲まれる光景は、真田の庄を思い出す」


 溜め息混じりの返答。

 ウンザリとではなく、確かな郷愁を込めた吐息だった。

 ただ、途方も無く疲れている様子。当人の言う通り、ただ、ただ、苦手なのだろう。


「昔から、幼子おさなごの扱いはわからん。だというのに、何が楽しいのかそれがしに寄って来る。……が、それでも兄上よりはマシだ。あの人は見た目が厳ついだけでなく、貴様と同様の堅物だったからな。幼子の相手以前に、近づかれもしなかった」


 苦笑うホムラ。だが、それはどちらかというと……。


「兄君は、わざとそう振る舞っていたのではないのか? 苦手な童に寄りつかれぬために」


「…………ああ、そう言われれば、そうかもしれん。何にせよ、あの頃は幼子に集られる度に、姉上に救われた。不本意ながら、今し方のやり取りは懐かしかったよ。本当に、不本意だがな。姉上は正に菩薩ぼさつのごとく優しく可憐な人だった……あの影姫様と姉上では、似ても似つかぬ」


 それに関しては確かにウンザリと吐き捨てたホムラ。

 真田の姫……確か村松むらまつ殿だったか? 伝え聞く範囲でしかないが、確かにホムラの言う通り、優しく可憐な女性であったらしい。


 ならば……だ。


「ナナオ殿も、優しく可憐であろう」


 自分は真剣に反論する。

 対するホムラは、器用に片眉をつり上げた。


 しばし、ホムラは無言のまま────。


「……まあ、世迷い言はこれくらいにしてだ」


 バッサリ話を打ち切られてしまった。


 何だ? 何かおかしかったか?

 ナナオ殿は普通以上に優しく甘ったるいと思うのだが……。

 それとも、その上でなお比べるべくもないほどに、真田の姫は慈愛に極まった人だったのだろうか?


 困惑する自分を余所に、ホムラは銀銃槍の刃からペットボトルを取り去りつつ、首を傾げる。


「あの幼子たち、それがしを〝ユキムラ〟と呼んでいたのだが……」

「……ああ、それはオヌシのことだ」


「…………何?」


「真田幸村。オヌシの死後に、巷間で広まった名だ。オヌシは、まあ、率直に言って英雄だからな。様々な記録が残され、物語も描かれた。それらのいくつかでオヌシは〝幸村〟の名で描かれ、そして、後世ではその名の方が定着してしまった」

「何だと?」

「元は、どこぞの軍記物語の作者が創作した名だったはずだ。オヌシの父と兄の名から〝幸〟の字を、姉の名から〝村〟の字を取って〝幸村〟とした……と、聞いたことがある」


 しかも、改名の理由が〝信繁のままだと武田信玄公の弟君と同名でややこしいから〟という、何とも困ったものらしい。

 その幸村という名があまりに世で広まり過ぎたせいで、後に徳川幕府から真田家に対し〝幸村とは何者か?〟と問い合わせがあったという。その際、真田家が〝幸村とは信繁のことだと心得ている〟と返答した記録があるそうだ。


 つまり、公式にも、真田信繁は真田幸村であるということだ。


 生前の自分の知識か、この身体の知識かは判じかねるが、そういう情報が脳裏に浮かんでいた。


 何にせよ、知らぬは当人ばかりなり……と、そういうことだな。


「何だそれは……! それがしの名は真田さなだ左衛門佐さえもんのすけ信繁のぶしげ。父から賜った誇り高き名だ。己が刻んだ因果の銘で呼ばわるなら道理。だが、幸村などという者は知らぬ!」


 心外そうに、そしてハッキリと憤慨を込めて断言する。


 無理もない。

 名は大切だし、特別だ。まして武士にあってはなおのことだ。


 己の知らぬ名で世に呼ばわれ、あまつさえ、讃えられるというのは、気持ちが良いわけもない。しかも、真田幸村の伝説は尾ヒレ着色どころか、創作満載の英雄譚なのだからなおのことだ。


 だから、自分もまたハッキリと肯定を返す。


「承知している。オヌシは信繁という武士であり、ホムラというイクサだ」


 だが────。


「それでもだ。済まぬが、あの童たちが幸村の名で呼ぶことは、赦してやれぬだろうか……」


 耐え難きことかも知れぬ。それでも、自分はそれを頼み込む。


 ホムラは……真田信繁は深い深い溜め息をひとつ。


「赦すも何も、呼ぶのは勝手だ。今の世で幸村で通っているなら、詮の無いこと。それで幼子に腹を立てることこそ、真田の名折れだろうよ」


 そう言って、日ノ本無双は銀銃槍を担いで歩き出す。


 名は武士の要。

 それが家名であれ、主名であれ、武名であれ、名を守り高めて継いで行くことこそが〝士〟の誉れである。

 そのために身命を尽くすのが武士という殉教者だ。


 だから、つくづく思う。


「オヌシは、やはり武士らしくない」

「……ああ、そうかもな」


 赤備えの背中は微かな笑声を返して、階段路を下りて行った。



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