コトワリヲムシバムコトワリヲ(5)


 食事のかたわら、童のひとりがホムラに問い掛けた。


「ねえ、ユキムラなのにどうして〝ろくもんせん〟がないの?」

「……? 不惜身命ふしゃくしんみょうの六文銭か……貴様ら、意味をわかっておるのか?」

「えっと、あきらめないでがんばるためのしるし!」


 別の童が、にこやかに答える。

 さて、あの児童書にはどのように書かれていたのか知らぬが、確かに、要約すればそういうことではある。


 真田家の家紋でもあった六文銭。


 言われてみれば、真田の象徴ともいえるそれを、ホムラの装備に見たことはない。


 六文は、あの世で三途の川を渡るための船賃だと伝えられている。ゆえに古来には〝死者があの世で困らぬように〟と、葬儀の際に六文銭を棺に納める習わしがあった。

 転じて、武士として常に死に備えるべしという覚悟から、真田家の者は六文銭を家紋として旗印や甲冑に刻み、現に硬貨を身に着けてもいたという。

 不惜身命の方は、元は仏道の教えであり、己の身命を捧げる覚悟で修行するというような意味らしい。そこから、自身を顧みずに物事に当たる、死を厭わぬ覚悟を示す意味に用いられるようになった。


〝不惜身命の六文銭〟────。


 まさに、戦に臨む武士の矜持を表すそれは、後世でも真田の象徴として印象づけられている。

 だが、自分の記憶では、ホムラ……生前の真田信繁は、その最後の戦においては、真田家の本流である兄が敵方に居るのを配慮し、六文銭を掲げなかったはずだ。 

 あるいは、今も六文銭を刻まぬ理由がそこにあるのかは知らぬが、いずれ、幼い童に説明するのは難儀であろう。


 ホムラは、しばし、思案げに虚空を睨んでいたが────。


「……六文銭か、さて、どこで落としたものかな」

「なくしちゃったの?」

「ああ、おかげで、それがしは三途の川を渡れず、こうして迷い出てしまった……」


 笑うホムラ。

 愉快というには穏やかで、笑い飛ばすというには力無い笑声は、やはり色々と腹に抱えた想いがあるのだろう。


「次はちゃんと渡れるよう、しっかりと用意しておくとしよう。そら、今は飯をしっかりと食え。食事時に騒ぐのは、あまり行儀の良いことではないぞ」


 それは、はぐらかしか、単なる照れか……。

 苦笑いながら促すホムラに、童たちは素直に従って箸を動かす。

 童たちの夕食は、缶詰などの保存食を主とした質素なものだった。

 とはいえ、このような環境にあっては、まともな食料にありつけるだけマシなのか? だが、いずれにせよ育ち盛りの身に充分な栄養が得られているかは疑問だろう。


 こちらは食事の要を無くし、空腹という感覚を失った死人の身。道中、ナナオ殿の酒を求める過程で見つけた糧食は捨て置いたが、回収していれば、いくらかでも足しにできたろうにと悔いる。

 まあ、今さらだ。いざともなれば、回収に戻るのも良かろう。


 自分は壁面に寄り掛かかり考えながら、駅構内を見やる。

 この地下鉄駅のホームは二本の線路を挟む形でふたつ。概ね南北に二百メートルほどの長さに伸びている。それぞれの両端、トンネルの穴は崩落した瓦礫で埋まり、完全に塞がれていた。

 崩れたのか、あるいは、崩したものか、いずれにせよ、そのおかげでこの地下鉄駅は広大な地下鉄道路から隔離され、ひとまずの安全圏となっているようだ。


 そして、閉ざされた線路の片方には、鉄の長屋の如き車両……電車が駐留している。見える範囲では四両編成以上。ただし、四両目から後ろはトンネルの向こう……すなわち瓦礫によってメチャクチャにひしゃげ埋もれており、その先がどうなっているかは窺えない。


 今はこの車両の中に皆が寝泊まりしており、ならば、印象通りに鉄の長屋というわけだ。


 その車体の傍らで戯れている童たち。そこには猫耳の影姫様と、隻腕のイクサと、そして、約束通りに赤備えのイクサも混ざっていた。

 ナナオ殿とカイナは元よりあの気質、笑顔で自然に童たちに接しているし、ホムラもまたぎこちないところはあれど、当たり障りはない。

 少なくとも、ここの童たちに人見知りはない様子。


 なのだが……。


「……なぜ、自分は微妙に敬遠されているのだろうか……?」


 疑念のまま声に出してしまった。

 そうなのだ。なぜかわからないのだが、自分はここの童たちに警戒されているようなのだ。


 昼間、遊園地の廃墟にて出会ったカイナとクルミ嬢。ふたりに案内されて訪れた、この隠れ里のごとき地下鉄駅。

 出迎えてくれた瞑目のイクサは礼儀正しくも友好的に接してくれた。童たちもニコやかに受け入れてくれた。


 そんな人懐っこい童たちが、自分を見た途端に表情を強張らせ、ハッキリと距離を取られてしまった。明らかに警戒されていた。


 あんな風に、童に警戒されるのは初めてだった。


 黄泉返ってからはもちろん、生前もだ。特に強面というわけでなし……まあ、堅物だと言われればそうなのだろうが、それでも自分はホムラのように童が苦手ではない。得意とは言わないが、少なくとも、扱いに困ったことは無いつもりなのだが……。


 ふと、童の数名がこちらを見ているのに気づいた。

 眼が合った途端に、ビクリと肩をすくめられた。そのままナナオ殿の後ろに隠れてしまう童。

 ナナオ殿はそんな童たちをあやしつつ、こちらに微笑を向けてくる。

 その表情は……さて、何やら物問いたげというか、説明に困って苦笑っているような印象だった。

 

 ……本当に、何なのだろう? ナナオ殿は何やら了解している様子だし、後で訊いてみるしかないか……。


 困惑しつつ溜め息をこぼした時だった。


「……ッ!」


 ゾワリと首筋に走った怖気。

 何がどう……と、説明するのは難しいが、ともかく、長く戦いに身を置いた者ならば誰もが感じたことがあるであろう感覚。あるいは衝動というべきか……。


 俗に言う、殺気だ。


 それは相手が放つ何かなのか? 己が受け止める何かなのか? いずれにせよ、こちらに害為す存在が近づいているという感覚。


 屍鬼の気配……それも一体や二体ではない。相当数が蠢いている気配。


 自分は反射的に腰の差し料に手を添えた。向こうではカイナとホムラもまた、同じく警戒を研ぎ澄ました様子で立ち上がる。


 驚いたのは、童たちも同様に息を呑んでいたことだ。


 自分たちの緊張が伝播した? 確かにそれもあるだろう。だが、童たちはみな、互いに示し合わせたように、速やかに電車の中へと逃げ込んで行く。


 危機に慣れている。

 少なくとも、このような事態は初めてではないのだろう。ある意味、それは必然……しかし、だから平気かといえば、そんなわけもない。

 なれば、カイナは浮かべた笑みも爽やかにナナオ殿に呼び掛けた。


「影姫様よ、ガキんちょどもを頼んでいいか?」

「はいはい、女子供おんなこどもを守って戦うんは男さんの役目や。さっさと片付けてきんしゃい」

「はいよ」

「いや、これだけイクサが居るのに、雁首そろえて討って出るのは下策であろう。カイナ、貴様もここで幼子についていてやれ」


 ホムラが銀銃槍を担ぎ上げながら告げる。

 それは確かに一理ある。


「あ? ならおめえが残ればいいんじゃねえか? ガキんちょどもはおめえを慕ってるんだ。なら……」

「それがしの得物はコレだ。外でなければ自由に振る舞えぬ。住処を穴だらけにするわけにはいかんからな。そもそも、慕われているというなら貴様が一番であろう。それに、客分としては、多少なりとも腕前を示しておかねば肩身が狭い」


「否、それこそ、客人の手をわずらわせるようなことではない」


 静かに割り込んだのは、瞑目のイクサ……ケン殿の声。

 車両の中から出て来た彼は、左手に太刀を携え、危なげ無い足取りで改札階への上り階段に向かう。


よいを過ぎ、屍鬼が来やるはいつものことぞ。ならばいつも通りに、われひとりで迎え撃とう。カイナうじも、いつも通りこの場の守りを奉る。客人方は、どうぞゆるりと寛いでおられよ」


 事も無げに言い切ったケン殿に、カイナは素直に頷きを返すが、ホムラの方はやや物言いたげに眉根を寄せた。

 そんな赤備えの抗議に先んじて、瞑目のイクサは肩越しに応じる。


「われは戦しか知らぬ無作法者ぞ。平時において得手は無く、この身は戦場いくさばでしか役立てぬ。唯一の働き処を奪うのは、御容赦願いたい」


 静かに、だが、厳と戒めるような声音。

 確かな矜持を込めて言い切るケン殿に、ホムラは担いでいた銀銃槍を下ろして頷いた。


「承知した」

「うむ、御配慮、痛み入る」


 一礼した後、歩き出したケン殿。

 上への階段路に足を掛けたところで、だが、ピタリと歩を止めた。それは、背後に続いた自分の気配に気づいたゆえだろう。


「……テン氏か?」


 溜め息まじりに呼び掛けて来た。


「言うたであろう。これは盲目めしいも同然たるわれが、みなの役に立てる数少なき事柄である。どうか任せていただきたい」

「その盲目同然のあなたが、どう戦うのかが見たいのだ」


 率直に申し出る。


 視覚を閉ざした剣士。

 講談や伝承には、確かにそんな達人は存在する。

 殺気や気配から太刀筋を感じ取る者。

 微細な物音から周囲を読み取る者。

 いずれも目開めあき以上の鋭敏さと正確さで立ち回る者ばかりであるが、当然、そんなものは架空の幻想だ。誇大なる空言そらごとだ。


 現実には、視覚を閉ざしたままに戦える剣士など居ない。少なくとも、自分は知り得ない。


 いて挙げれば、中条流ちゅうじょうりゅう富田とだ勢源せいげん────。

 しかし、の剣豪が眼を患ってから勝負に臨んだは一度のみ。当然、一対一にて、立会人もいる正式な果たし合いだ。

 加えて富田勢源が用いた得物は刀ではなく薪雑把まきざっぽう……刃筋も物打ち処も無視し得る、ただの棒キレ。肝心の勝負内容も、開始直後に間合いを詰め、後はひたすら殴打するという我武者羅なもの。


 攻め込まれれば応じようがなく、避けようもない。だから先に仕掛けるしかない。見えねば間合いも計れない。視覚以外で感じ取るには、触れ合うほどに近づかねば距離感などつかめない。とにかく懐に飛び込んで、必ず当たる間合いで打ち込むしかない。


 ゆえに得物は薪雑把であり、滅多打ちという戦法。


 先手を取り、相手に何もさせぬままに勝利する。

 ある意味では勝負の基本にして鉄則。だが、その果たし合いにおいて、富田勢源は勝負がついた後もなお得物を振り続け、相手の梅津うめづなにがしを撲殺してしまったという。


 見えぬがゆえに、そうせざるをえなかった。

 見えぬがゆえに、戦いの流れを窺えず、勝敗のきわも判断できなかった。


 もちろん、眼が不自由でありながら、健常なる剣士に勝利したのは凄まじい。が、これは果たして剣士の立ち合いと言えるのか?


 私見ながら、富田勢源殿は優れた剣豪なれど、盲目めしいてなお強かったのではなく、ただ、盲目いた後にも一度勝利した。それだけのことだと思う。

 しかも、そんな富田勢源でさえ完全な盲目では無かったらしいのだ。

 

 なのに、この瞑目のイクサは、瞑目したままで剣を抜き、無数の屍鬼を相手取ってほふってみせるという。


「剣士として、あなたの剣を見たいのだ。戦いの邪魔はせぬ」

「否……と言ったところで、引き下がってはくれまいな。そも、そう勿体ぶるものでもないか……。思えば良い機会だ。参られよ」

「良い機会……?」

「ああ、けいには、少々確かめたきことがあるのだ」

「…………」


 わざわざこのように切り出すからには、他に聞かれたくないのか?


 階段を上り、改札階を抜ける。

 この駅にある地上からの出入口は、本来なら三つ。ひとつは機械仕掛けの昇降機……エレベーター。これは破損していて動かない。

 残るは東西にある階段通路だが、東側出入口は途中で瓦解し塞がっており、出入りは不可能。

 ただひとつ残っているのは西側の出入口のみ。

 改札階から二十段ほどの階段を折り返したところで、廊下を隔てる防火扉に突き当たる。

 それをグッと押し開けば、数十メートルを真っ直ぐに伸びる地下通路。ここを抜けた先にあるのが西側出入口の階段だ。


 背後の防火扉はやや錆びて色褪せてはいるものの、金属製で頑丈だ。防壁としても充分に機能しそうだ。それこそ、屍鬼に多少なりとも迫られたところで破られはしないだろう。


 だが────。


「屍鬼どもは、いかなる感覚で察知しておるのか、生者の気配を良くたどりおる」


 ケン殿が忌々しげにぼやいた。


「この施設の扉は強固なれど、毎晩のように屍鬼の群れに迫られては、とても持ちはせぬ。現に、この先にあった鉄格子は、われが来た時にはすでに打ち壊され、要を為さぬ在り様だった」


 鉄格子……開閉シャッターのことだろう。確かに、地下鉄下り口にあったそれは、折れ破れてひしゃげ、もう機能していなかった。


「それでなくとも、夜毎に屍鬼が扉を殴りつけてくるなど、心安らかにはいられない。幼子なればなおのこと……」


 それゆえに、この瞑目の武士は剣を手に、こうして屍鬼を迎え撃っているのだろう。階下に至る通路に立ちはだかり、階下に至る防火扉を、その先の駅を、そこに居る童たちを、守っているのだろう。


 貴く、そして猛々しい、防人さきもりたる武士の在り方。

 そして、現にそれを為しているのだ。

 素直に賞賛に値する。

 なればこそ、自分が知りたいのは、見たいのは、いかにしてその剣が迫り来る屍鬼どもを屠るのか? その点である。


 ふと、ケン殿が上着を脱ぎ去る。さらにその下のYシャツや肌着も剥ぎ取って、手早く丸めて防火扉前に放った。

 上半身裸になったケン殿。その身は尋常以上に鍛え上げ引き締められた武人の様。見るからに逞しく頼もしいのは確かだが……。


 さて、どういう意図か?

 相手は屍鬼だ。返り血を懸念しているわけではあるまいに……。

 そこで気がついた。暗色で目立たなかったが、彼の下穿き……ズボンがやけに繕い接ぎ剥がれたボロであることに。

 ならば、上を脱いだのは、少しでも衣服の損傷を避けるため? つまりは、これから為すのは衣服が傷つく戦い方なのだろう。


 そうしている間にも、通路の先から喧騒が流れて来る。

 無数の屍鬼の気配。

 殺気に満ち満ちていながらも、一切の情動が伴わないそれは、ただ、ただ、物騒で剣呑な、破壊衝動の顕現たる災厄。

 彼方に見えた異形の姿。一匹、また一匹と、続々と通路に現れ下りては、ゆるゆると迫り来る。

 ヒタヒタと頼り無い、だが、確かに禍々しい足取りで迫る屍鬼たち。その数は、今見て取れるだけでも九体。


 ケン殿は同じくゆるりとした足取りで、だが、迫る屍鬼とは対照的に、凛と気高い足取りで歩み出る。

 背筋も歩行も真っ直ぐに揺るぎなく、歩んだ距離は防火扉からキッカリ十二歩。

 そこでピタリと足を止め、左で握った太刀の柄に右手を添えた。


「テン氏。この場でふたつ、願いを奉る」

「……聞こう」

「うむ。ひとつ目は、万が一、われより後ろに抜ける屍鬼あらば、ただちに斬り捨てていただきたい」

「それは、言わずもがなだな」

「然り。ふたつ目は、それ以外において、我が身が打たれようが裂かれようが、いっさいの手出し無用のこと。宜しいか?」


 武士が、その手に刀を携えて奉る願い。

 ならば、同じ武士として、是非に及ばず。


「委細、了解した」


かたじけない」


 ケン殿は頷くように小さく一礼し、携えた太刀の柄を握り締める。


 しゃらん────♪


 神楽鈴かぐらすずを振り鳴らしたような、澄んだ音色。抜き放たれた太刀の刃が、電灯を反射して煌と輝いた。

 鍔元から大きく反り返った刀身は、やはり、古刀の刃。重心を鍔元においた片手持ちの太刀造り。現にケン殿はそれを片手正眼に構え持つ。

 そして、左手は……鞘を握ったままだった。

 鞘を腰に佩くでも帯びるでもなく、床に放るでもなく、逆手に握り締め、刀であれば脇構えに取る形で、右腰側に引き下げた。


 正眼に構えた右の太刀が、ゆるりと大上段に振り上げられる。

 あたかもそれは、斬り下ろす右と、斬り上げる左と、ふたつの得物を構えるかのごとき姿。


「我が剣は無明。ゆえに、颶風ぐふうとなって刃圏の全てを薙ぎ払う。みやびに非ざる荒くれは、お眼を汚すばかりなれど……」


 微かに細い吐息。

 ケン殿は大きく一度、足を踏み鳴らした。それは巫覡ふげきが邪気を祓う舞に似た、力強くも清廉な所作。地下通路の構造ゆえだろうか、ドンと重い打突音は、迫り来る屍鬼たちの歪んだ足音を正面から絡め取り、此方から彼方へと響き渡った。

 前に踏み込んだわけではない。ただ、大きな足音を響かせる……そのためだけに、床を踏みつけたようだった。


 そして、瞑目のイクサは静かに頷き、瞑目のままに、構えたその身に剣気を纏う。


「……旋風剣せんぷうけんして参る……」


 直後、剣風が吹き荒れた。


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