コトワリヲムシバムコトワリヲ(3)


               ※


 多くの者の認識として、それは一年ほど前の事だったという。

 だが、実際にはもっと以前からそれは起きていたのかも知れない。歴史の裏で、社会の影で、少しずつむしばんでいた現象なのかも知れない。


 だが、それがあふれ出したのは、一年前だという。

 少なくとも、彼が出会った生者たちはそう認識しているそうだ。


 とはいえ、その日、現世に何が起こったのかを理解している者は居ないらしい。けれど、その日を境に、世界の在り様は激変したことは確かだという。


「どう激変したのだ?」


 自分は訊ねた。


「見ての通りに」


 対面に座した彼は、両のまぶたを閉じたままに、そう答えた。

 きっと、この男は現世の在り様を見ていない。だが、その説明自体は、成立している。


 日没とともに、死者が起き上がったかのような異形の怪物たちがあふれて暴れ、生者を狩り、日の出とともに消えて行く。

 そういう世界に、変わったという意味だろう。


 屍鬼。


 冥府の者たちがそう呼ぶ異形の怪物。

 本来、屍鬼とは名の通り屍の鬼のことらしい。だが、どうやら今の現世にあふれる屍鬼どもはにあらず。

 男の説明が事実なら、彼奴きゃつらは死者が黄泉返よみがえったものではなく、そもそも動く屍ですらなかったようだ。


 一年前の、ある日の夕暮れ、黄昏の中にどこからともなく滲み出て来たおびただしい数の異形。屍のような姿のそいつらは、鬼のように生者を襲った。

 世界中で、それは起こったようだ。

 屍鬼たちは人間を殺した。人間だけを殺し続けた。

 人間以外の動植物には見向きもしなかった。


 そして、屍鬼に殺された人間はみな鬼火になった。


 遺体も残さず、存在その物が変異するように、蒼い炎となって大地に吸われて消え果てるのだという。


 死人ではない。

 人喰いでもない。

 ただ、生者を鬼火に変える鬼。


「それが、今の現世にあふれている災厄である。それ以上のことは、残念ながら預かり知らぬ事。われ自身が体験したことでもない。ここに集う者から断片的に又聞いたことだ。われはこの地はおろか、この時代のこともよう知らぬ」


「それでも、ここの者たちを守護しているのだな」


しかり。成り行きではあるが、微力を尽くしておる。皆、縁もゆかりも無い者たちなれど、見捨てる由も無いからな」


 男は厳かなまでに静かな声音で、そう結んだ。


〝現世で何が起きているのか?〟


 こちらが投げ掛けた質問に、男は淡々と応じてくれたのだが……さて、新たにわかったのは、あの屍鬼どもが本当に正体不明であるという事実。事態解決に繋がるどころか、より混迷を極めたというところだ。


 しかし、生存者が居るとわかったのは僥倖ぎょうこうだろう。そこについては、自分は素直に安堵していた。


 ここはあの遊園地の廃墟からほど近い場所にある集落。

 そこにある居の一室だ。

 居といっても、邸宅ではない。あるいは、ここは厳密には建物ですらないのかも知れない。

 地下に設けられた街道……それでも、四方を人工壁で囲われている以上は一軒の建物なのだろうか? それとも、あくまで地下の道で、ここはそこに設けられた広間の一角と見るのか? 現代における建造物の細かい基準は、この肉体も知らぬようで判断できない。


 地下鉄道。

 都市の地下に張り巡らされた広大な交通路。在りし日には〝電車〟と呼ばれるカラクリ仕掛けの屋形車がここを走り回り、皆の日々の脚として賑わっていたようだ。


 今となっては、もはや広大で入り組んだ地下迷宮と同義たる場所。

 そのとある駅、電車の乗降場……ホームというのか? そこに設けられた、かつては守衛や作業者が控えていたらしい一室。畳張り六畳ほどの茶室のごとき座敷にて、自分と男は対座していた。

 傍らにはナナオ殿だけ。ホムラは同席していない。カイナやクルミ嬢とともにこの地下集落を見て回っている。


 改めて、自分は眼前の男を観察した。

 歳の頃は……わからない。見た目の歳も判然としなかった。二十から四十までなら何歳と言われても頷ける。力強い生気と老成した雰囲気を同時に纏い、落ち着いた威厳を持った物静かな武士だ。

 そう、彼が武士であることだけは、佩刀はいとうしていたのを見てすぐにわかった。

 座した今は、左脇に置かれた彼の刀。太刀造りのそれは、一見して古刀の拵え。中世期、あるいはさらに古い時代のものか? 飾り物ではない、明らかに使い込まれた実用刀。

 だが、例えその刀が無くても武士とわかったろう。むしろ、刀が無いのが不自然だと感じたに違いない。


 それほどに、対面に座した男は武士然としていた。


 ピンと姿勢良く座した居住まい。見に着けた装束こそ現代の物……濃紺のスーツ姿だが、気配と雰囲気が武人のそれだ。大柄ではないが、中肉中背と呼ぶには力強く鍛えられ、ガッシリと引き締まっている。

 ほんのわずかに白の混ざった黒髪を総髪に流し、やや面長な顔立ちは端正ではあるが武張っており、ひと睨みされれば大抵の者は気圧されるだろう達人の威風。


 だが、その眼力が実際のところどうであるかはわからない。彼のまぶたは出会った最初からずっと閉じられていて、その瞳を窺えていないのだ。


 座禅に臨む禅僧のごとく閉ざされた双眸。

 その閉じた両眼から左頬に掛けて、顔の半分を覆うように赤黒い色彩の痣があった。

 梵字のごとく装飾的な文字を象ったもの。


〝見〟────。


 そう読み取れる。

 つまり、それは痣ではなく、因果の銘。彼は自分らと同じイクサ。因果に囚われ黄泉返った、敗残の死人兵ということだ。


「……その眼、閉じとるだけ? それとも何か患っとるの?」


 傍らに座したナナオ殿が問う。

 不躾な質問ではあるが、確かに気になる点だ。

 本来、イクサは生前の負傷や病気を引き継がない。黄泉返った以降に負った傷も再生する。新たに病に冒されることも無い。


 だが、あの隻腕のイクサ……カイナには右腕が無い。

 あるいは、この瞑目めいもくのイクサも同じく、瞳に何らかの異常を持ったイクサなのか?


「……そうだな。閉じているだけというなら、である。患っているというなら、それもまた是だ」

「…………」


 意味深な返答。

 とはいえ、彼は誤魔化したりはぐらかしたりするつもりではなく、言い淀んでいる風だった。おそらくは、己の因果にまつわる事柄だ。ならば、軽々に語れないだろうとは思う。

 黙して続きを待った。

 向こうもこちらの意は承知の様子で、しばし、言葉を模索するように微かにうつむいて……それから、ゆるりと顔を上げた。


「……生前のわれは、今で言う〝すくたれ者〟でな……もう、こんな世など見たくないと怖じ気づいて、己の両眼をえぐった。そして、そのことを生涯に渡り悔いていた」


 もう何も見たくない。

 そう思って自ら潰した両眼。しかし、やはり見たいと望んだのか? それとも、視覚を無くしたこと自体を不便と嘆いたのか?

 いずれ、その両眼を潰したことへの後悔と無念が、彼の因果であり、それゆえの〝見〟という銘なのだろう。


「われはイクサとして現世に黄泉返った。だが、この眼は開かぬ。開けようと思うてもよう開かぬ。この手で無理矢理にまぶたをめくってみれば、あるいは開くやも知れぬが、そこまでする気もわかぬ。ゆえに、眼の玉がどうなっているかも知らぬ。つまるところ、われは死ぬる前と同じく、イジケた〝すくたれ者〟ということだ」


 精神的要因によって、無意識に開眼を忌避しているということか。

 確かに、それならば〝閉じているだけ〟であり〝患っている〟とも言えるだろう。実際、そのような例はあるとナナオ殿も言っていた。


 ならば、やはりわからぬのはカイナだ。


「……精神的要因によって、斬られた腕が再生しないということはあるのだろうか?」


 自分の呟きに、瞑目のイクサはまた思案げにうつむく。


「それは、カイナうじのことだな……。あやつがここに来たのはまだ最近、十日ほど前のことだが、その時からあの通りだ。当人が把握している以上のことは、われも預かり知らぬ」


「もしかして、呪われとるのかもね……」


 傍らのナナオ殿が呟いたそれは、確かに一理あるか。

 見れば、彼女は金色の瞳を物憂げに伏せたまま……何かしら思うところがある風ではあるが、ジッと黙している。

 なら、無理に問い質すこともあるまい。いずれ必要ならば話してくれよう。


 それにしても……。

 自分は対面の男に向けて苦笑う。


「〝すくたれ〟……とは、古い言葉だ」

「そうなのか?」

「ああ、そのはずだ」


 確か、いつぞやの〝武士道は死ぬ事と見つけたり〟と同じで、〝葉隠はがくれ〟という古書に記された表現だ。ならば、三百年は前の言葉になる。

 もっとも、それより古い時代に生きた自分が、古い言葉と呼ばわるのも奇妙なことだが……。


「そうか……。現世に黄泉返り、現代の民に触れ、幾ばくかの書籍に学んではみたが……くく、まさに世は諸行無常しょぎょうむじょうよな」


 愉快そうに、それでいてどこか物悲しそうに、男は微笑する。

 改めて、不思議な雰囲気の男だ。

 達観しているようでいて、深く憂いているようにも見える。世の在り様などどうでも良いと斜に構えているようでいて、そこにある営みを守ることに真摯な印象。


 何者なのだろうか?

 否、正確には、何者だったのだろうか? というべきだな。あるいは生前は名のある将だったのではないか……。


 詮索は、だが、武士として無粋か? 過去など他者にほじくられて愉快なわけもない。いずれ我らはみな因果に囚われ迷い出た怨霊なのだから。


 ……ああ、だが、そもそも相手を詮索する以前に、自分の方こそまだ名乗っていなかったな。


 それに関しては、まさに武士にあるまじきだ。

 どうにも、黄泉返ってから〝名前〟という概念に疎くなっている。まあ、ただでさえ幾つもの名を重ねているせいかも知れないな。


「ふむ……」


 自分は改めて名乗ろうとして、さて、どの名を名乗るべきかと迷った。

 生前の名と、かたった名と、因果の銘と……。

 名を騙る意味はもう無い。生前の名を隠す意味もあまりない。本来ならば、武芸者として素性を知られるのは、攻略の道筋を与えるのと同義。避けるべきこと。だが、自分はどうにも、正面からぶつかり合う勝負というのを好む性分のようだ。

 なら、二天の後継を目指す身として、普通に名乗ろう。


「遅ればせながら、自分の名は……」

「待たれよ」


 名乗ろうとした自分を、眼前の男は静かに、だが、強く制した。


「名乗られるならば、イクサとしての名をたてまつる。世は諸行無常であり、盛者必衰しょうじゃひっすい。生前にて、われらの間にいかような禍根があったやも知れぬ。それを知った上では、同じ天を戴くを良しと出来ぬ……と、そういうことも有り得よう。ゆえに、われのことも〝ケン〟と呼ばれたし」


 己の顔、刻まれた因果の銘を示した瞑目のイクサ。


「……承知した。なれば、自分は〝テン〟と名乗らせて貰おう」


 自分もまた着物の合わせ目を開いて、胸元に刻まれた〝天〟の字を示しつつ応じた。


「かたじけない」


 瞑目のイクサ……ケンは丁寧に辞儀した。

 所作や言動のひとつひとつが思慮深いというか、堂に入っている。やはり、ひとかどの武人だったのだろう。諸行無常に、盛者必衰など、小難しい言葉を違和感無く自然に口にする様は、深い教養も感じられた。


 盛者必衰か……カイナも口にしていたな。


 諸行無常と同じく仏道の言葉だが、いずれも平家物語の冒頭に記されているという印象が強いのは、この肉体の記憶が混ざっているためだろうか。

 カイナは、このケンから聞いたのか、ケンがカイナに聞いたのか、あるいは双方が元より知っていたのか、それとも黄泉返ってから学んだ言葉なのか……。


 カイナは、源氏にゆかりある武士らしい。

 このケンもそうなのだろうか? あるいは平氏の側だというならば、確かに、生前の禍根は不倶戴天のものとも成り得るかも知れない。


 ……いかんな。詮索は無粋と思いながらも、つい考察してしまうのは、自分が未熟者の証か……。


 我らは因果に迷い出た亡者。生前の無念など、他者にほじくられて愉快なわけもないのだ。


 自分は改めて、そう自重し、自戒したのだった。


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