第9話


『今夜ヲモッテ、コノ夜宴ノ島ハ滅ビマ~ッス! 皆、逃ゲルナラ今ノ内ダゼ! マ、逃ゲラレルモンナラナァ。クヒヒヒ!』


 花火の音にも負けないくらいの大きな声が、島全体に響き渡る。今、この声が聞こえていない者は一人も存在しないだろう。

「ソウくん、今の……」

「ああ。ゲーデの奴……一体、何をするつもりなんだろう? 嫌な予感しかしない」

「――ミズホ! ――ソウ!」

 その声に反応し、急いで空を見上げると……そこには双子と仙人、そして、スカーレットの姿があった。

「――皆! 良かった……無事だったのね。そうだ……! ティターニアは⁉」

「へっ! あの女なら、結晶の中に閉じ込めてやったぜ。これで、もう二度と悪さをする事は出来ねぇだろうよ」

 ――結晶? 店長の家で見つけた結晶や、私が白兎から預かった結晶と同じモノなのだろうか? そういう使い方も出来るんだ……

「とにかく、皆が無事で良かった! スカーレットも!」

 そう言うとスカーレットはチラッと私を見たが、すぐにふいっと目を逸らした。

「……別に。運が良かっただけよ。双子達と仙人が来なかったら、閉じ込められていたのは私の方だったもの」

「ごめん、ミズホ! スカーレットは素直じゃないんだよ。許してやって」

「ふふっ! 大丈夫。わかってるから」

 不機嫌でも、気に障ったわけでもない事は、その表情から簡単に見て取れた。ぶっきらぼうな口調ではあるが、どこか照れ臭そうな顔をして見せた彼女は……やはり双子達によく似ている。

「おぉい、そろそろ地上に降りるぞい。ずっと飛んでいるのも中々腰に来るんじゃよ。儂はお前達のように若くはないんじゃ。少しは年寄りを労わらんかい」

 仙人の言葉に、双子達は『はいはい』と呆れたように返すと、ゆっくり地面に足をつけた。

「――ねぇ。何だかおかしくないかしら? あの死神の演説、今も止まったままだけど」

「ああ……確かに変じゃのう」

 仙人とスカーレットは、腕を組みながら首を捻る。……それもその筈だ。あんな爆弾発言をしておきながら、ゲーデからの連絡がいきなり途絶えてしまったのだから。

 私達は警戒し、周囲に目を光らせていたが……まるでタイミングを見計らったかのように、先程の続きとも取れる内容が、突如島に響き渡った。

「――ア……アアア…………ワリィワリィ、チットバカリ距離ガ離レチマッタセイデ、思ウヨウニ言葉ヲ飛バス事ガ出来ナクッテヨォ。ア、モウワカッチャッタ? 実ハ、既ニ俺……夜宴ノ島ニハイッマッセェエエン! 驚イタデショウ? ププ! 急用ガ出来チマッタノト……ブッチャケ、飽キチャッタンダヨネェ。テ事デ、メンドクセェシ、一気ニ終ワラセヨウト思ッテサァ! ソノ結果、アト一時間モシネェ内ニ、ソノ島ニ隕石が落チチャイマス! ワオ! オッカネェ~!」

「な、なんじゃと⁉」

「はぁ⁉ んだよ、今の! どういう意味だよ!」

 ゲーデの言葉に皆がざわめきを隠せない。この島に隕石が落ちるですって!? そんな馬鹿な! あの人形は、そんな事までやってのけてしまうくらいの力があるというの⁉ 

「ソ~ンナ可哀想ナオ前達ノ為ニ、最後ノ宴ヲト思ッテ色々用意シテヤッタンダゼ? 花火ヤラ風船ヤラ音楽ヤラ。本ッ当ニ俺ッテ良イ奴スギルゼ。チナミニ、ティターニアハモウ要ラネェカラ、煮ルナリ焼クナリ好キニシナ? ……ア、駄目カ。ソシタラスカーレットモ死ンジャウモンネェ⁉ クヒヒヒ! 役立タズノオ荷物デシカネェナ、オメェラハヨ!」

 私は咄嗟にスカーレットを見るが、彼女は感情を全く表に出さず、海の向こうを静かに見つめていた。

「安心シロヨ! 島カラハ簡単ニ逃ゲラレルヨウニシテアルカラ。モウ結界モ何モアリマセェエエン! ……タダヨォ~? ハタシテ何人ガコノ島ヲ見捨テラレルノカナァ? ヒヒッ。マァ~ココガナクナッテモ、マタ他ノ、別ノ島デ【楽シイ宴】ヲヤレバイイジャン! 代ワリノ島ナンテ、世界ニハイクラデモアルンダカラサァ。ジャ、俺ハコレデ。See you~♪」

「は、はぁ⁉ ふざけんじゃねぇよ! あたしらにこの島を見捨てろっていうのかよ⁉ 馬鹿にすんじゃねぇ! ……おいコラ、返事しろよ⁉ さっさとここに戻って来い! あたしがお前の事をぶっ殺してやるからよ!」

「黒兎! 少し冷静にならんか! 確かにゲーデの言う通りじゃ。宴がやりたければ、他の島でまた始めればよい。じゃが、ここに残れば間違いなく……島諸共滅ぶ事になるぞ」

 黒兎は仙人の胸倉を思いっきり掴むと、絞り出すような悲痛な声で叫んだ。

「なんとか……なんとかして、隕石を止める事は出来ねぇのかよ⁉ あんたらの力を借りても不可能なのかよ⁉ ……ここは童子達の墓なんだよ。あたし達の全てなんだ!」

「……悪いが、無理じゃ。こうしている間にも、隕石は着々とこちらに向かっておる。ここに残る事は、単なる自殺行為に過ぎんわい。儂は皆と合流し、即刻ここから立ち去ろう。……お前達も急ぐんじゃぞ?」

 仙人はそう言うと、スッとその場から消え去った。


「ソウくん、……どうしよう」

「……ここは仙人の言う通りにすべきだ。冷静に考えて、たとえ隕石の落下で夜宴の島が滅びなかったとしても、怪我人や死人が出る事は間違いない。それに、あれだけ派手に宣言したんだ。夜宴の島とまったく関係のない場所に落ちるとは考えられないだろう。……生きてさえいれば、何度でもやり直せる。今は、決断するしかない」

 そう言った彼の拳はグッと強く握られていて、血管が浮き出て見えた。彼の怒りや憤りが、痛い程に伝わってくる。

 ――そうだ、双子達は……


「……立ちなさいよ、黒兎。さっさと島を出るわよ」

「嫌だ……あたしはここに残る。もしかしたらよ! ゲーデの野郎があたし達をびびらそうとして、嘘を吐いてるだけかもしんねぇじゃん? ……そうだよ! この島に隕石なんて落ちる筈が――」

「あんた……本当にそう思っているの?」

 スカーレットの言葉に、黒兎は静かに口を閉ざした。

 ……黒兎だって、ちゃんとわかっている筈だ。仙人のあの慌てようを見ても、ゲーデが嘘を吐いているようには思えなかった。きっと仙人だけではなく、ここにいる双子やスカーレットも……ただならぬ気配を感じているに違いない。


 ――今夜、夜が明ける前に……

 夜宴の島は……消える。


「……白兎、あんたはどうなの? この馬鹿と同じ考えなわけ?」

「僕は――」

 ちょうど、私と白兎の視線が重なる。

 白兎は私を見て、優しく穏やかに笑うと……今度はスカーレットの方を向き、はっきりとした声で答えた。

「僕もこの島を出る事に賛成だ。折角スカーレットとも通じ合う事が出来たんだし、もう誰にも死んで欲しくないから。僕と黒兎がここに残る事は、何のメリットもない。ましてや『誰も死んで欲しくない』と思うのなら、僕達が勝手な行動をして列を乱すわけにはいかないよ。……全員揃ってこの島を脱出する。それが正しい選択だ。それに……僕達がここに残ってしまうと、ミズホが心配しちゃうしね?」

「――ふぅん。後半の理由は相変わらず腑抜けているけれど……ま、いいとするわ」

 スカーレットは黒兎の前に立つと、黒い兎面を引っ剥がし、黒兎の両頬を思いっきり強く引っ張った。

「いへ! いへぇな! はにふんらよぉ⁉」

「……あんたさぁ、これから三人で一緒に暮らしていくんでしょ? あんたが死んだら、私が一人でこの腑抜け野郎の面倒を見なきゃいけないわけ? ふざけんじゃないわよ⁉ 煩いあんたがいれば、それはそれで大変でしょうけど……あんたみたいな馬鹿でも、傍にいてくれた方が……きっと毎日が賑やかで楽しくなると思う」

「ふ、ふはーれっほ…………」

 スカーレットは黒兎の頬から手を離すと、くるりと背を向けて言った。

「……私さ、あんた達と一緒に夜の宴を過ごしてみたい。昔、よく童子達と小さな宴を開いたわよね? あの頃は、あんた達双子をどう殺してやろうかと思うばかりで、【楽しい】だなんて……一度も思った事なかったわ。けどさ、あんた達もあの客人達も……この島を守る為に必死に闘った。皆、この島の宴が好きだと言っていた。……私ね、知りたいの。感じたいの。私もあんた達が始めた、賑やかで騒がしい夜の宴に参加して……皆のようにこの島の事を好きになりたい。――だからその夢……叶えさせてよ。たとえ島が違えど、あんた達がいればそこは【夜宴の島】だ。逆に、あんた達がいなくちゃ……二度と夜宴の島は蘇らない」

 スカーレットはジッと黒兎を見つめた。黒兎も目を逸らす事なく、スカーレットの事をずっと見つめていた。

 目尻を涙で滲ませながら、黒兎はゆっくりと口を開いた。

「……わぁったよ。そうと決まりゃ、さっさと島から脱出すんぞ。見捨てちまう事になるけど、緊急事態なわけだし……きっと、夜宴の島も許してくれるよな? また一からやり直しだ」

 黒兎はニカッと大きく口を開けて笑った。その顔を見て、スカーレットは小さく笑う。

 初めて見たスカーレットの笑顔は、とても無邪気で可愛らしく、いつもよりずっと幼く見えた。


「よし、じゃあ……島に残ってる奴が他にいねぇか調べに行くぞ!」

「そうだね。ゲーデの言葉が正しければ、まだ少しだけ時間がある」

「気配を感知出来ればいいんだけど……ゲーデの魔力が充満してて、よくわからないわね」

「取り敢えず、森の中から見て回るか」

 少し前を歩く三人の背中を見つめていると、何だかくすぐったくて、微笑ましい気持ちになった。この三人にこんな幸せが訪れるなんて、まるで奇跡のようだ。きっと、赤兎も喜んでいる事だろう。

「ねぇ、ソウくん。双子達とスカーレット……本当に良かったね」

「あぁ、そうだな。これから三人は、きっと上手くやっていくだろう」

「うん! 赤兎や狸のお爺さん、童子達の分まで……三人には幸せになって欲しいよ」

 私は、空を見上げながらそう言った。

「……ねぇ、ソウくん。私達はこれから、どうなっちゃうのかな? ちゃんと元の世界に戻れるのかな?」

「……大丈夫。きっと帰れるよ。だから、心配しなくてもいい」

 そう言うと、彼は優しく笑った。


 ねぇ、ソウくんも一緒に帰るよね……? 

 私……ソウくんと一緒に帰りたいよ。


 そう口にしたかったけど……やめておいた。今はまず、島を出る事が先決だから。

 それに……余計な事を言って、彼を悩ませたくないもの。

 本当は答えを聞くのが怖くて、逃げてるだけかもしれないけど……

 ――そんな事を、考えている時だった。


「スカーレット!」


 双子達の大きな声が私達の耳まで届く。私達は顔を見合わせると、どちらからともなく……急いで三人の元に駆けつけた。


「何だよ、これ……? 一体、何が起きたんだ」

 地面に横たわったスカーレットは……まるで痙攣したかのように、何度も何度も身体を上下に揺らす。その度に口からは大量の血液が吐き出され、地面を赤く染めた。私達は辺りを見回したが、どこからか襲撃を受けたとは考えにくい。――もしかして、ティターニアが自殺を図っているのか? 

 ……いや、それしては明らかに不自然だ。スカーレットの身体は、あちこちから血が溢れ出している。という事は、ティターニアの身体も同じ状態の筈。それに、出血部分は今もなお増え続けている。――どう見ても重症だ。痛みに耐えてまで、ティターニアが自らを傷付け続ける事など出来るのだろうか? 

「白兎ッ! 結晶だ! 結晶を出せ!」

 黒兎は荒々しく声を上げたが、何故か白兎は背を向けたまま動こうとはしない。

「おい、聞いてんのかよ! 白兎!」

「……もう出してるよ。けど、まさか……」

 白兎の身体は、わかりやすいくらいに震えていた。

「――チッ! 貸しやがれ!」

 白兎から無理矢理結晶を奪い取った黒兎の顔は、一瞬で温もりを持たない死人のように真っ青になる――

「な……んだよ、これ……んな馬鹿な……な、なんで……こいつが……なんで……?」

 黒兎の手から結晶がこぼれ落ちるのと、黒兎がその場で吐瀉物を撒き散らしたのと、どちらが先かわからない。

 とにかく、双子達はきっと……【見てはいけないもの】を見てしまったのだ。

 震えながらその場にしゃがみ込む黒兎の背を白兎が摩る。――泣き叫んだのが先か。結晶が地面を転がったのが先か。

 ……私の膝の上にはスカーレット。彼女の身体は、今も僅かにだが動いている。しかし……これは生きている者の動きではない。余程強い力で攻撃を受けているのだろう。それにより、無理矢理に身体が揺らされるだけに過ぎない。

 ――そう。スカーレットは死んだ。見るも無残に殺されたのだ。黒兎が口にした『こいつ』と呼ばれる人物に……


「スカーレット……ねぇ、お願いだから目を開けてよ……?」

 私はそう何度も語りかけたが、彼女はうんともすんとも言わない。止めどなく流れ続ける涙が、スカーレットの血液を少しずつ……少しずつ、薄めていく。

 彼は私からゆっくり離れると、落ちていた結晶を拾い、そっと覗き込んだ。

「ソウくん。私にも見せて」

「……駄目だ。ミズホは見ない方がいい」

「中は……中では、一体何が起きているの? それくらい教えてくれてもいいでしょう?」

 恐ろしくとも聞かねばならない。スカーレットの死因を知らねばならない。何故なら、彼女は間違いなく……私の大切な友人だったのだから。

 私の決意が伝わったのだろう。彼は私から目を逸らしたまま小さく口を開いた。

「……白髪の老婆がティターニアの上に跨り、一心不乱に彼女の身体にナイフを突き立てている。普段とは雰囲気は違うけれど……あれは魔女に違いない」

 体内の血液が、まるで凍りついたかのように私から体温を奪っていく。恐怖が喉を締めつける。

 それと同時に、彼の言うその【場面】を想像してしまい、膝の震えが止まらなかった。

「……どうして? どうして、魔女が中に⁉ それに、何故そんな恐ろしい事を……!」

「わからない。けど、君も聞いていただろう……?」



***


『――ちょっと、魔女のお婆様? 貴女は黒兎と娘を捜しに行かないのかしら? わたくし、貴女のその醜く皺だらけの顔を見ていると、とても気分が萎えますの。貴女……確かわたくしの下につきたいんですわよねぇ? なら、しっかりお仕事してもらわないと困りましてよ?』

『ソウダ、ソウダ! 仕事シロ、コノ糞ババア! 女ハヤッパリ若クテ美人ガイイゼ!』

『役立たずは邪魔なだけ。更に姿までこうも醜いとなると、ますますわたくしにとって不必要ですわ。さぁ、お婆様? どうなさるか……決めて下さる?』



***


「魔女は、ティターニアを恨んでいた可能性がある。些細な出来事が、時には恐ろしい事態を招いてしまう事もあるからね」

「……何にせよ、ババアはもうこの中から出られない。永遠に続く夜をひたすら過ごし、朽ち果てていくだけだ」

 黒兎は弱々しい声でそう言うと、おぼつかない足取りでこちらに向かって歩いてきた。

「クロ、ちゃん……」

「なんで……なんでだよ、なんで……! なんでこうなっちまうんだよ。一緒に生きていくんじゃねぇのかよ? ……なぁ? スカーレット? スカーレット! 目を覚ませよ、スカーレット! ……うわああああぁぁん!」

 黒兎はスカーレットを抱きしめながら、大きく声を上げて泣いた。深い眠りについた緋の兎に、この声は届いているだろうか? 

 ――スカーレット。貴女が死んで、皆がこんなにも悲しがっている。貴女は【ヒトリ】ではなかった。こんなにも皆に愛されていたの。それを、生きている間に貴女に伝える事が出来ていれば……


「スカーレット……僕達のもう一人の姉様。どうか、どうか安らかに。君は全てから解放されたんだ。もう、苦しむ事はない。……けどさ、こんな終わり方だけはして欲しくなかったよ。もっと早く、互いにわかり合う事が出来ていれば……未来は変わっていたのかな?」

 白兎の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

 ザーザーと激しい雨が降り出したように泣く黒兎と、シトシトと静かに雨が降るように泣く白兎。……形は違えど、悲しみの大きさは共に同じ。

 ――もう嫌だ。これ以上、誰かが死ぬところを見るのは嫌……心が壊れてしまいそうだ。私でさえ、これ程までに辛いのだ。双子達の痛みや苦しみは計り知れない。

「魔女は……どうやってこの中に入る事が出来たんだろう? 俺達はずっと下にいたけれど、魔女の姿なんて見なかった」

「……あたし達の力が未熟だったせいだ」

「? それって、どういう事なの……?」

「爺さんが言ってたんだよ……この結晶から、禍々しい気配を感じるって。呪いに近い、恨みの念のようなものだとも。という事は……この時既に、魔女はこの中にいたって事だ」

「……それに、仙人はこうも言っていた」


『あと、この結界じゃが……夜宴の島が継承者に与えた力にしては、少々威力が弱いというか、何かが足りないような……まぁ、そこは単にお前達の力量不足なだけかもしれんがのう』


「あたし達が、あたし達が未熟過ぎたから……あのババアが結界内に入り込める隙を与えちまったんだ」

「きっとなんらかの方法を使って、魔女はティターニアに接触していたんだろうね。たとえば……気付かれる事なく、ターゲットに接近出来る魔法のドリンクを飲んでいた。もしくは何かに化けていた。あとは古の魔法道具を使ったか……魔女はコレクターでもあったからね」

 確かに私は鼠に化けた魔女を見た事がある。狸神が小さい生物に姿を変え、私の体内に隠れていたように……魔女も、気付かれぬようティターニアの身体に纏わり付き、チャンスを狙っていた可能性がある。

 ――道具だってそうだ。魔女の隠れ家には沢山の道具があったように思う。私が使った砂時計だって、とても不思議な効果を持つものだったし……もしかして、一瞬だけでも【全員の時間を止める】、なんて道具があったのかもしれない。それならば、双子達がティターニアを封印している最中に、その中に入り込む事なんて容易い事のように思える。

 魔法のドリンクだって……【カメレオン】を使っていたならば、誰にも見つからずに近付く事が出来たのかもしれないし、他の薬でも、私達が知らないだけで……それ以上に役立つものがあったのかもしれない。

 ……しかし、今更どれだけ【可能性】を提示しても、何の意味もない。

 真実を知る事は出来ないだろうし、既に魔女は【全てをやり遂げた後】なのだから。

 ――その時、私の視界に突然蒼い光が入り込んできた。

「え? ……何……これ……?」

 私の言葉に、俯いていた三人が顔を上げる。キラキラと光を放つコバルトブルーの粒子達が、スカーレットの身体を優しく包み込んでいった。

「これは……間違いない。――継承の光だ」

「な、何だって……⁉ それって一体、どういう事だよ⁉」

「そんな事……僕にだってわからないよ……」

 光り輝く粒子は空高く昇っていく。その力に引き寄せられるかのように……スカーレットの身体は、ふわりと宙に浮かび上がった。

「これは……」

「ソウくん、どうしたの……?」

 後ろからそっと覗き込んでみると、彼の手のひらに置かれていた結晶がスカーレットの身体と同じように、キラキラと輝きを見せているのがわかる。

 中にティターニアと老婆が入った【それ】は、蒼く輝く粉を空中に撒き散らしながら、瞬く間に消え去った。

「……そうか! クロとシロの力が未熟だったわけじゃない。お前達は三人揃って、初めて一人前の【神】と呼ばれる存在なんだよ。確か、『継承者に与えた力にしては、何かが足りない』って、仙人が言ってたんだよな? それはきっとスカーレット……【緋兎】の事だったんだよ。夜宴の島を継承すべき者、選ばれし者は元々三人だった。結晶が不完全だったのは、スカーレットの力が加えられていなかったからだ」

「あたし達は……」

「三人で一人前……?」

「ああ、きっとそうだ。そして今……夜宴の島が彼女を継承者だと認めた。夜宴の島は、彼女を見放してなんかいなかったんだ。ずっとずっと……彼女が心を入れ替え、ここに戻ってくるのを待ってたんだよ」

「……そうだ。もう彼女の中には、邪悪な心はなかった。彼女は誰よりも勇敢に闘ったじゃないか? 僕達を……島を守る為に」

 白兎はゆっくりと立ち上がると、袖でゴシゴシと涙を拭った。

「彼女はこの島の守り人の一人。僕達と同じ、夜宴の島の神となったんだ。……黒兎。もう泣くのは終わりにしよう。彼女を、スカーレットを……ちゃんと見送ってあげなくちゃ」

「あぁ……そうだな。こんなにギャアギャア泣いてたんじゃあ、スカレットにも笑われちまう。……いや、『馬鹿じゃないの?』って、呆れられちまうか!」

 黒兎は人差し指で鼻の下を擦ると、『へへっ』と小さく笑った。

「――ありがとう、スカーレット。もう頑張らなくていいんだから……ゆっくり休んでね」

「そんでもってよ……空からあたし達の事、ちゃあんと見守っていてくれよな?」

 黒兎と白兎は、スカーレットの頬にそっと口付けをした。……心なしか、彼女が笑ったように見えた。

 そしてスカーレットの身体は光に包まれたまま、ゆっくり空へと昇っていく。

 私達はそんな彼女に向けて、大きく手を振り上げた。


「さようなら、スカーレット」

「さようなら……」

「またいつか、来世で逢おうな」


「君の旅立ちに……限りない祝福を」



***


 ――どれくらいの間そうしていただろう? 

 多分、それ程長くはない。それなのに……もう何時間もこうしているような気持ちだった。

 スカーレットが、蒼色に輝く美しい光と共に消え去ってしまってから……私達は誰一人口を開く事なく、こうして無意味にも近い時間を過ごしていた。

 ……しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 ゲーデは、【後一時間もしない内に、この島に隕石が落ちる】と言っていたのだ。もう……時間がない。


「なぁ、白兎よぉ……」

「……うん。もう誰も島にはいないみたいだ。僕達も早くここから出よう。……ずっとこうしてるわけにもいかないしね」

「ああ……そうだな。しっかしまぁ~、これだけ近付いて来られてちゃあ、流石のあたしにだってわかっちまうぜ。……相当やべぇって事ぐらい」

「ゲーデは嘘を吐いていなかったみたいだね。物凄く大きな脅威が、猛スピードで近付いてきている。あんな物が落ちてきたら、この島は一瞬にして消えて無くなるだろう」

 黒兎と白兎の会話を聞いて、やはり夜宴の島が助かる見込みは、限りなくゼロに近いという事がよくわかった。

 ……これで、夜宴の島も見納めか。何だかとても、呆気なかったような気がする。

 けれど、もうどうする事も出来ないんだ。私は思わず下唇を噛んだ。

「なぁ……どうやって島から移動するんだ?」

「んとな、あたしが道を開いて……」

「僕が最後に閉じる」

 どうやら二人には役割があるようだ。宴に招かれる時も、その夜が終わり、元の世界に戻される時も……黒兎が道を開き、白兎が閉じていたのだと言う。

 私達は、双子達の傍に移動した。

「じゃあお前ら、準備はいいか? 言っとくが……一度中に入ると、絶対に外には出られねぇから。『忘れ物が~』なぁんてふざけた事を抜かしやがると、ぶっ飛ばすからな⁉」

 黒兎の言葉に三人が頷くと、彼女は両手を大きく広げ、呪文のようなものを唱え始めた。

 すると、半透明のキューブのような物がクルクルと回転しながら私達の目の前に現れた。それはかなり大きく、私達が全員この中に入ったとしても、まだ充分余裕はあるだろう。

「さぁ、入れ。……ほら、さっさと入れって」

 黒兎は、私と彼を無理矢理キューブの中に押し込むと、後から自分も中に入ってきた。

「……よし、皆入ったね?」

「おうよ! だからお前も早く入れ」

「……ごめん、黒兎。それは出来ない――」

 白兎はそう言うと眉を下げながら、優しく笑った。


「は……? お前、何言って……」

「最初からこうするべきだった。……大丈夫。僕が必ず隕石を止めてみせるよ」

「ば……馬鹿か、てめぇ⁉ お前なんかに出来る事なんてたかが知れてるだろうが! くだらねぇ事言ってないで、さっさと来い!」

 黒兎の言葉に、白兎はただ首を左右に振るだけ。

 私は急いでキューブの外に飛び出そうとした。しかし、見えない力に跳ね返されて……どうしても白兎の元に行く事が出来ない。


 一度中に入れば、二度と外には出られない。


 先程の黒兎の言葉が、今頃になって……繰り返し、頭の中に響き渡った。

「シロくん……どうして? どうしてなの? お願いだからやめてよ、一緒に行こうよ……ねぇ、シロくん!」

 スカーレットと狸神の死で全て出し切ったと思われた涙が……一瞬の内に目尻まで広がり、大粒となってこぼれ落ちる。

 私は必死に手を伸ばしたが、白兎がその手を取る事はなかった。

「……泣かないで、ミズホ。もう君もわかっているだろう? どの道、僕の命は永くない。だったらこの命を、この島を守る為に使ってみたいんだ。たとえ無理だったとしても……悔いはないんだよ」

 声が、出ない。彼を止める事が出来るだけの威力を持つ言葉が、どこにも存在しない。

 口から漏れてくるのは、唸るような嗚咽の声だけだ。

 「シロ、開けろ……頼むから開けてくれ! お前が残るって言うのなら、俺も一緒に残るから……お前を絶対に一人にはしないから! だから、なんでも一人で背負い込むの……もうやめろよ? なんの為に俺達がいるんだよ⁉」

「……ソウ。君に頼みがあるんだ。強がっているだけで本当は泣き虫な僕の姉様と……この世界で、一番の愛おしくてたまらない彼女を……僕の代わりに支えてやってくれないか? 正直、君に頼むのは癪だけど……本当はね、そこまで嫌いでもなかったよ……君の事」

「馬鹿……野郎……!」

 そう言うと、彼はキューブの壁を思いっきり殴った。彼の拳は傷付いているのに……箱はまったくビクともしない。

「……白兎、行くな! 頼むから行かないでくれ……! お前までいなくなったら、あたしは……あたしはどうすりゃあいいんだよぉおお!」

「ごめん、黒兎。君を一人にはしたくなかったんだけど……やっぱり無理みたいだ」

 白兎はキューブ越しに黒兎の手に触れた。

「幸せになってよ姉様。赤兎やスカーレット、狸神や……僕の分まで」

「お前がいないと無理だよ。あたしには、お前が必要なんだよ! 頼むよ……一人にしないでくれよ……!」

 黒兎の悲痛な叫び声に、白兎は一瞬顔を歪ませたが……そっと目を閉じ、小さく……呟くように呪文を唱え始めた。

 私達は涙を流しながら……ただ、その声を聞いている事しか出来なかった。

 白兎の声が止まった時、キューブは再び回転し始める。白兎は、最高の笑顔を見せながら私達に言った。

「さようなら。僕の大切な姉と友人達よ。夜宴の島で過ごしてきた夜を忘れないで。君達が忘れない限り、この島は永遠に消えないのだから」

「やめろぉお! 白兎ぃいい!」


 さようなら


 白兎の声が、今も私の耳から離れないでいるのに……私達の目の前から、白兎の姿だけが消え去った。

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