第8話


「……ゲーデ、やってくれますわね。本当にあの子はお遊戯がお好きなこと。こうなる事をわかっていながら、わたくしとスカーレットを闘わせるだなんて……悪趣味ですわ、まったく」

 ……やはり思った通りだ。『どちらも勝つ事が出来ない』と、あの死神が口にした時から、こうなる事は予感していた。

 ゲーデは一体、何を考えているのだろう? 奴の右腕でもあるティターニアを……助けるつもりはないのだろうか?

 それとも、私達が戦闘をやめると踏んでの行動? ――わからない。死神は何を企んでいるのだ? 

 そして奴は……未だに姿を現さない。

「……ティターニア。あんた、降伏する気はないの?」

「はぁあ? このわたくしが降伏ですって? 貴女、どうやらわかってないみたいですわね。この状況……どちらが不利かご存知? 確かに、わたくしに貴女は殺せない。そして、貴女もわたくしを殺せない。勿論、貴女の【お仲間】も……貴女が死ぬ事を恐れ、わたくしを殺す事は出来ない。けれどわたくしは、貴女のお仲間の皆様なら、いとも簡単に殺す事が出来ましてよ? ふふっ」

「……どうやら、あんたの方がわかっていないみたいね。あんたは私を殺せない。私があんたを殺せるかどうかはわからない。けれど……私は【私】を殺す事は出来るのだという事を」

「……! あ、貴女……正気ですの⁉ わたくしを殺せば、貴女も死ぬんですわよ?」

「……ええ。よくわかっているわよ? 私は至って正気。赤兎やお爺ちゃんがいなくなってしまったこの世界に、なんの未練もないもの。……それに、私は数々の罪を犯してしまった。最早、私の命一つでは到底償えない程の罪を、ね」

「あ、あ~ら? 貴女、あのご老人の好意を無駄にしちゃうのかしら? 彼は、貴女を守る為に亡くなってしまったというのに。普通でしたら、あのご老人の分も『しっかり生きていかなければ!』となるのが道理じゃなくって? 酷い娘ですわねぇ?」

「お生憎様ね。あんたも知っての通り、私……【普通】じゃないの。虫や動物や人、妹弟……神ですら殺してみたいと思っていた異常者だもの。今更、普通だなんて言葉を押し付けられるなんて……そんなの迷惑でしかないわ」

 ティターニアはついに黙り込んだ。その表情には、明らかに焦りが見られる。

 この子……ようやく、この女ならやりかねないと認識したみたいね。――それでいい。

 確かに、ティターニアのいう通りだ。お爺ちゃんが救ってくれたこの命を、そう易々と捨ててしまうわけにはいかない。

 けれど、万が一の時は……惜しむ事なく、この命を捧げよう。

 何があっても、この島と双子達の事は私が守ってみせる。私に出来る事は、もうそれしかないの。本当にちっぽけな事だけれど……

 ――赤兎。あんたさ、もう少しそこで待ってなさいよ? あんたが【変えられない現実】を目前にしても、必死に抗ったように……私も精々足掻き、最後まで抗ってみせるから。


「さぁ、ティターニア。――どうする? あんたは自分の命を懸けてまで、私を止める事は出来ない。私にはそれが出来る。あんたが他の誰かを襲おうとした時点で、私は私の胸を貫く。あんたには降伏するしか道は残されていないの。それが唯一、あんたが死なずにいられる手段。死んでしまったら、もう二度とあんたの愛しい【彼】にも逢えなくなるわよ?」

「……ねぇ、スカーレット。わたくしと貴女は本来一つの身体に宿った同士。争いなんてやめて、これからは仲良くしませんこと? 元々は一人だったんですものぉ。わたくし達、きっと上手くやっていけると思いますわぁ。あ! それと……あのご老人の事は、ゲーデに代わってわたくしが謝りましてよ。あの方が、貴女にとってどれ程大きな存在だった事か……本当に心中を察しますわ」

 ティターニアの言葉に、思わず怒りが込み上げる。『心中を察する』ですって……? さっきまで死神と一緒になって、お爺ちゃんの事を馬鹿にしていたくせに。それに、あんたがいくら謝まろうが……お爺ちゃんは返ってこない。


 馬鹿にするな。


「――黙れ。あんたなんかに、お爺ちゃんの事を語られたくない。……私とあんたが仲良くですって? ふざけないで。あんたの事は哀れだと思うけれど、私はあんたとは相容れない。相容れるわけがない。そんな事、あんたが一番わかってる筈でしょう?」

「そうですわねぇ……では、私と同盟を組むならば、あのご老人をわたくしの力で生き返らせてみせると言えば……貴女は首を縦に振って下さるかしら?」

「生き返らせる? ……どういう事?」

「【赤兎】を生き返らせる事は無理なんですけどねぇ。だって肉体がないんですもの。――けど、ご老人の肉体はまだ残っている」

 ティターニアはにこりと可愛らしく微笑むと、私の手を包み込むようにそっと触れた。

「わたくしならそれが出来ますのよ? これでも、死を司る神の後継者なんですもの! 命を操るなんて容易い事。死と生は隣り合わせ……奪う事も出来れば、与える事だって出来る。――貴女、言ってましたわよね? 貴女にとって大切なもの、守りたいもの。それは、赤兎の忘れ形見の双子、狸のご老人……あとは、双子達とご老人が愛してやまない、この【夜宴の島】かしら? 夜宴の島の神は貴女を継承者に選ばなかったというのに、なんて慈悲深い事でしょう! いいですわ。わたくしがゲーデに言って、双子達と夜宴の島には手を出さないようにして差し上げましょう。更に、あのご老人を必ず生き返らせてあげる。……どうかしらぁ? 貴女にはメリットしかないと思うんですけれど♪」

 ――成る程ね。考えたじゃない。確かにティターニアの提案は、死神がそれを飲みさえすれば、とても魅力的な話。

「貴女とわたくし、そしてゲーデがいれば、この世界全体を理想郷へと変える事が簡単に出来ましてよ。ね、無駄な争いはやめて……手を組みましょうよ? わたくし達は赤兎の中に生まれた、言わば姉妹。きっと仲良くやっていけますわ」

 ティターニアは、まるで本物の妖精のような笑顔でふわりとスカートを揺らしながら、私の手を優しく上下に振った。

「……そうね。それもいいかもしれない。そうしたら私やあんたは死なないし、双子達と島は無事。お爺ちゃんも生き返る……」

「ええ! そうと決まれば、早くお爺様の元に急ぎましょう! そして、邪魔な奴らはさっさと葬り去るんですの」

 嬉しそうに歓喜の声を上げるティターニアに対し、私は冷静に、先程からずっと握られたままのその手を振り払って言った。

「……あんたさ、双子達がそれで納得するとでも思っているの? 自分や島が無事だったとしても、他の者達は全員殺されるだなんて」

「あ~ら? そんなの関係ないですわぁ! だって、あの双子達が怒ろうが怒らまいが……わたくしを殺せば貴女も死んでしまうわけですから! 指を咥えて見てるしか出来ないでしょう? ふふっ」

 ふぅん、成る程ね。私がティターニアと手を組み【死なない】となると、圧倒的にティターニアの方が有利になる。それをわかっているからこそ、余裕でいられるわけか。

 けど……

「あんた、ちょっと甘いんじゃない? 確かにあの甘ちゃんな子兎達は、私に下らない情けをかけ、何の手出しも出来ないでしょうね。……けど、その後はどうするつもり? お爺ちゃんに大苦戦していたあんたが、あの神々達を相手に勝てるだなんて到底思えないんだけど?」

「うふふ。スカーレットったら、本当にお馬鹿さんだこと。先程も言いましたけれど、わたくしを殺せば貴女も死ぬ。あの方達も、そう簡単には手は出せない筈でしてよ?」

「……そうかしら? あいつら、そこまで善人じゃないと思うんだけど。私を死なせない代わりに自分達が命を落とすなんて……そんな馬鹿な事するわけないじゃない。大体奴らと私は初対面、縁もゆかりもない。いくら双子達と繋がりがあるとはいえ、私はあの子達の姉の【赤兎】ではないのよ? ……情けをかけるだけの相手でもないでしょ」

 私は呆れたようにそう言った。

 邪悪で極悪非道なくせに、どこか純粋なティターニアは、自分以外の者は全てが善人だとでも思っているのだろうか? この世界には、善人の方が少ないというのに。

 黒兎だって、白兎だって、あの人間達だって……少しくらいは残虐な部分を秘めているものだ。あの、心の優しい赤兎にだって……全てを壊してしまいたいという破壊衝動があった。だからこそ、私という存在が生まれてしまったのだ。

 彼女はきっと、全てを消し去ってしまいたかったのだろう。恐らく、自分自身も――

「そ、そうかしら? ……まぁ、わたくしのように殺戮は芸術だと思っている者や、貴女のように簡単にお仲間を裏切ってしまうような悪党もいるんですもの。確かに油断は出来ないかもしれませんわね。では、あの者達の処分は全てゲーデにお任せしましょう! あの子なら簡単に終わらせてしまうでしょうし♪」

「ああ、そうね。まぁ……あいつが戻ってくる前に、あんたは私に捕らわれるんだけど」

 私は即座に姿を消し、ティターニアの背後に回った。

「え……っ?」

 ――そう、それは一瞬の事だった。確かに一瞬の出来事だった筈だ。それなのに、私の目の前からティターニアの姿が消えた。

「……残念。わたくしはこっちでしてよ」

 背後から、小さくクスクスと笑う声が聞こえてくる。私は、急いで振り返ろうとした。しかし―― 

「なっ……⁉」

 ティターニアは一瞬の内に、背後から私の口を封じた。そしてもう片方の手で、私の両手首を爪が食い込む程に強く掴む。――物凄い力だ。片手だというのにも関わらず、私はこの手を振り払う事が出来ない。それに、奴の腕が歯と歯の間に食い込み、言葉を発する事も出来ない。……奴の本当の狙いは、私に舌を噛み切らせない事だろう。

 迂闊だった。単なる馬鹿だと信じて疑わなかった。……それが私の敗因だ。

「うぐっ……! んー! んー!」

 必死の抵抗を見せる為に、私はその白くて柔らかい肉に歯を立てる。むせ返りそうな鉄の匂いと味が、私の口内にじんわりと染み渡り、喉元を不快に潤していった。

 更に同じタイミングで、私の片腕からも鈍い痛みを感じ始めていた。

「あらぁ、痛ったぁい! 舌を噛ませないようにと、押さえつけてみたのはいいんですけど……これじゃあ、わたくしの美しい腕が傷だらけになってしまいますわぁ。いい加減に噛むのはやめて貰えませんこと? ……ほぉら、貴女の腕からもじんわりと血が滲み始めていますわよぉ? まっ、ちょうどいいですけど」

 ティターニアは、両手首を掴んでいた方の手をパッと離し、私の血が染み込んだ袖を器用に捲り上げると……人差し指と中指で傷口をなぞり、血液をすくい上げた。

 そして……その血の付いた指で、私の額に二本の線を描く。

 先程からずっと暴れ、抵抗しているのだけど……ティターニアは体勢を崩す事なく、平然と奇妙な言葉を唱え続けた。

 これは……間違いなく呪術だ。

 私も黒兎と白兎を殺そうとしていた時、長い年月をかけて魔術書を知り尽くし、様々な呪いを施してきたのだからわかる。

 確か、この言葉……この呪いは……


「さぁて、完了ですわぁ♪」

 身体がいう事をきいてくれない、力が入らない。ティターニアは私の口元から腕を離すと、まるで大切な宝物を抱えるかのように、優しく私の身体を抱き寄せた。

「こんな高い所から落ちて、怪我でもされると困りますもの。貴女の身体へのダメージは、確実にわたくしにも影響する。……最悪。ほんっとーに邪魔な足枷ですわぁ。このグズが。わたくしの足を引っ張らないでくれますぅ? ……しかし、思った通りでしたわ。呪いは片方が受けても、もう片方には影響しない。呪術には正当な儀式が必要なんですもの、何もかも一緒となると行動も同じになる筈。……そうですわねぇ? たとえばお腹が空く時、シャワーを浴びたい時、そして……誰かを殺したい時。けどみたところ、そこまでは同じじゃないみたいですし。恐らく、共有されるのは【痛み】と【死】だけ。そうなんでもかんでも一緒にされてしまいますと困りますものね。ま、念には念を入れて、呪いは単なる麻痺状態にするものに留めましたけれど」

 ティターニアは私を仲間に引き入れる事に成功したと思い込み、安堵していた筈だ。それなのに、何故? 何故わかったの……? 

「……『何故、わかった?』とでも思っているんでしょうね。うふ! い〜ですわ。特別に教えて差し上げましょう」

 そう言うと、奴は私の耳元に口を寄せ、艶のある声でそっと呟いた。

「まず一つ目。貴女がわたくしと手を組む筈がありません。だって、貴女って【死にたがり】なんですもの! わたくしのように生に対する執着を持たないツマンナイ女。いつでも正当な死の理由を探している。そうじゃなきゃ、赤兎に顔向け出来ませんものね? とにかく、そんな貴女がわたくしの誘いを受けるとは到底思えない。いつ裏切ってわたくしを道連れに死ぬかわかりませんから。【同盟】という言葉を使い、貴女に隙が生じるまで……時間を稼いでいたんですの♪」

 ティターニアは私を抱きしめながら話を続ける。生温かい吐息が耳に当たり、不愉快極まりない。

「二つ目。貴女が言ったように、あの神々達は容赦なく貴女を殺すでしょう。だって貴女、誰にも愛されていないんですもの。寧ろ、疎まれる存在でしてよ? 貴女が自ら命を捨てようとするのを、たとえ阻止する事が出来たとしても……神々達に殺されてしまえば一貫の終わり。この時点で貴女は手を組むどころか、わたくしの生命を脅かす、言わば【人質】のようなもの。協力なんてナンセンス。役立たずは隔離するのが一番ですわ」

 ティターニアはクスクスと笑いながら、私の髪を悪戯に弄ぶ。指でクルクルと巻かれた髪をスルリと抜いたと思えば、突然強く引かれ、ブチブチと束になって抜け落ちた。全身が麻痺状態なので、生憎痛みはない。

「そして三つ目。わたくしね、貴女の事が……だぁぁぁい嫌いですの! 手を組む? 冗談はやめて下さる? 貴女如きがわたくしと同じ領域にいられるなんて有り得ませんわぁ~。家畜のくせに、あまり調子に乗らないで下さいな? 赤兎という【飼い主】がいないと、何も出来ないグズが! まぁ、貴女がなれるとしたら精々【奴隷】が限界ってところかしら? きゃはは! あ~! おっかしい♪」

 ――このクソ女が。随分調子に乗ってくれるじゃない? 

 そんな事を頭の中で思ってはいても、どうする事も出来ない自分に心底嫌気がさす。やはり私では、ティターニアに敵わないのだろうか? ティターニアに苦戦しているようでは、ゲーデを倒す事など到底不可能だ。

「さぁて、取り敢えず船に戻りましょうか? そこで貴女に新たな呪術を施し、一生わたくしに歯向かえないよう本物のお人形に変えてあ・げ・る。……それとも、家畜に相応しい貴女を、本当の家畜に変えて差し上げようかしら? 動物になれば、今の貴女の脳は活動をやめ、ただ与えられた餌をひたすら貪るだけの生き物となる。自分で死を選ぶ事も出来ないでしょう。――そうだわ! 貴女の姿を醜い豚に変えて差し上げましてよ! 毎日みっともなくブヒブヒ鳴いて暮らしなさいな? ……安心なさい? 命の保証だけはしてあげる」

「……豚は姉様じゃなく、てめぇだ! ティターニア! そのブヒブヒうるせぇ口、さっさと閉じやがれ!」

 突然聞こえてきた声に、ティターニアは数秒動きを止める。その一瞬の間に、私の背後には白兎、ティターニアの背後には黒兎が現れた。

 私が白兎の方に強く引き寄せられたと同時に、振り返ったティターニアの腹を黒兎が思いっきり蹴り飛ばした。

「――姉様、大丈夫? 痛みはない? 今回ばかりはティターニアのかけた呪いに感謝だね。……大丈夫、至って簡単な呪いだ。これくらいなら僕にでも解呪出来る」

 青年姿の白兎は私を優しく抱き寄せると、呪い落としの手順に入った。

「あ、貴女達……いつの間に⁉ おかしいですわ……気配はまったく感じなかったのに!」

「仙人の爺さんの力はマジでスゲェんだぜ。お前に見つからず、ここまで近付く事が出来るんだからよぉ! んでもって、お前は籠の中の鳥。水槽の中の魚だ。あ~……悪りぃ! 豚小屋の中の豚、だったっけ?」

 黒兎はそう言うと、下品にゲラゲラと笑って見せた。

「このわたくしが、豚……ですって⁉ ふざけるなよ、このブスが……! わたくしは妖精ティターニア、愚弄する事は許さない……! 絶対に許さなくってよ!」

 怒りに身を任せたティターニアが、黒兎に襲いかかる。しかし、奴の身体は突然、その場に固定されたかのように動きを止めた。焦ったティターニアは必死に抵抗を試みたが、懸命に伸ばした腕は、引っ張られた後のゴムのように、パチンと元の位置に戻される。

 見えない、抗えない力が……ティターニアの動きそのものを制御しているようだった。

「な、なんなの⁉ なんですの……これは⁉」

 ティターニアがわかりやすく取り乱していると、どこからか笑い声が聞こえてきた。勿論、黒兎でも白兎でもない。

 貫禄があり、どこか余裕すら感じさせるその声の主は――


「残念じゃが、お主はここまでじゃ。悪いが拘束させて貰おう」


 重力に逆らい、辛うじてティターニアが顔を上げると、遥か上空から奴を見下ろす天狗面の老人の姿。――【仙人】だ。

「! 糞ジジイ……! てめぇの仕業かぁあ⁉ 老い先短いその命を、今すぐここで終わらせられたくなかったら、さっさとこれを何とかしろぉおお! うぁああああ! 苛々する! 早く……早く早く早く早く早く早く! 早く、この神通力を解きやがれぇええええ!」

「――やれやれ。何とも下品で野蛮なおなごじゃ。品性の欠片もない。それに、どうやってその状態で儂の命を終わらせるんじゃ? 言っておる事が支離滅裂。単なる負け犬の遠吠えに過ぎんよ。よいか、少女よ。死神ならともかく、お主如きにやられる程……儂も、今この島にいる連中達も……そして、そこにいるスカーレットも弱くはないんじゃ。お主など、死神の後ろ盾がなければ大した事はない。己の力を過信しすぎるな。上には上がおるし、その過信はやがて油断を生む」

「くっ! ……いいから離せよ、ジジイ! このわたくしに説教するなぁあああ!」

 今のティターニアは、まるでマリオネットの糸に繋がれている人形そのものだ。強い力に抑制されていて、身体を自由に動かす事が出来ない。

 甲高い声を上げながら発狂し、怒りに狂ったティターニアは……最早、妖精どころか猛獣だ。近寄ろうものなら、腕ごと噛み千切られてしまうだろう。……いや、蛇のように丸呑みか? 

 ならば一層の事、妖精の名は返上し……ティターニアからティタノボアに改名すれば良いと思う。……ティタノボアは些か言い過ぎか。

 白兎の呪い落としが成功し、私の身体はようやく自由を取り戻す。私は、抱き抱えられていた白兎の腕から即座に離れた。

「黒兎に白兎。……後はお前達がするのじゃ。安心せぇ。こやつは儂が引き付けておくし、力も貸してやろう」

 仙人の言葉に二人は大きく返事をし、互いの手のひらをティターニアに向けて翳した。仙人、黒兎、白兎は……ティターニアを中心に大きな三角形を描く。その三角は{白縹}(しろはなだ)に輝きながら、クルクルと回転し始めた。

「夜宴の島よ。この島の継承者として命ずる」

「夜宴の島よ。この島の守護神として命ずる」

「我らに……悪しき、不浄なる者を封印する力を与えよ!」



***


「ふぅ……何とか上手くいったぜ」

「……だね。これで奴は、ここから出る事が出来ない」

 双子達の手の中には小さな結晶。黒兎が『見てみろよ! スゲェだろ⁉』と、私の前に差し出してきたので……私はそれを手に取り、そっと中を覗いてみた。

 ――美しい海が見える。不気味すぎる程に大きい満月に、白い砂浜。……ここは夜宴の島? 

 そして、そこで一人佇むティターニアの姿。奴からすれば、この中に閉じ込められたというよりも……私達が忽然と姿を消した、という方がしっくりくるだろう。それ程までに、この結晶の中は夜宴の島そのものだ。

「しかし、この結晶……何かが……」

 仙人は私の手から結晶をヒョイと摘み上げると、じっと中を見つめた。双子達は互いに見合い、首を傾げる。

「……仙人? 何か気になる事でも?」

 仙人は白兎の問いに答える事なく、暫く何かを考えているようだったが……その内、小さく首を振りながら、こちらに向き直った。

「いや、何でもないわい! 恐らく儂の気のせいじゃよ! まったく、儂のような年寄りになると……何でも疑い、用心深くなる。本当に悪い癖じゃ。ほっほ」

「何だよ。それ⁉ 爺さん、頼むぜ~~! あんまびびらせんなって」

 黒兎と仙人がケラケラと笑う。しかしそんな二人をよそに、至って冷静な白兎はゆっくりと口を開いた。

 どうやらこの子は、私と同意見のようね。

「……ねぇ、仙人。一応、何が気になったか教えてくれないかな? 僕等はまだまだ未熟だ。だから……気付けない事もある。僕は仙人の直感を信じたい」

「悪いけど、私もそう思うわ。貴方のような位の高い者が、僅かにでも感じた直感を無視するわけにはいかない。そこの馬鹿のように、単なる気のせいで納得出来るほど……私も白兎も馬鹿ではないの」

「は、はぁ? じゃあ、馬鹿ってあたしの事かよ⁉ ひっでぇ!」

 ギャアギャア喚く黒兎は放っておいて、私と白兎は仙人に問いかける。やがて仙人は、『やれやれ』と大きな溜息を吐きながら口を開いた。

「何の信憑性もない事なんじゃが……この結晶から禍々しい気を感じるんじゃよ。呪いに近い、強い恨みの念。儂にはそれが、ティターニアとは全く異なるもののような気がしてならない。あと、この結界じゃが……夜宴の島が継承者に与えた力にしては少々威力が弱いというか、何かが足りないような……まぁ、そこは単にお前達の力量不足なだけかもしれんがのう。……とにかく、あまり深く考えるでない。儂の気のせいかもしれんしな」

 私と双子達は再び結晶を覗き込む。中にいるティターニアは、最初の方こそ怒り狂ったかのように暴れていたが……今は、何をしても無駄だという事を悟ったのか、三角座りをしながら膝に顔を埋めていた。

 ――禍々しい気? 強い恨みの念? 

 仙人が感じたという気配を、私には感じる事が出来なかった。

 やはり、仙人がいうように……単なる杞憂でしかないのか? 

「……とにかく、用心はしておこう。この石は僕が持っておくよ」

 そう言うと、白兎はその結晶を腰巾着の中にしまい込んだ。

「でもよ、ティターニアの奴……まさか、こん中で自殺したりしねぇよな?」

「……それは十中八九ないでしょうね。あの女はそもそも、器を持たない魂だけの存在。生に関する執着は誰よりも大きい。肉体を手に入れた今、何があっても死ぬ事はないと思うわ。今頃、何とかして脱出を試みようと策でも練ってるんじゃないかしら?」

 私は黒兎と目を合わす事なく、淡々と返事を返した。その言葉を聞いて『そっか! なら良かった!』と、安心したような態度を見せる黒兎に代わり、今度は白兎が私に話しかけてきた。……全く、面倒臭い姉弟だ。

「けどさ、たとえ死ぬつもりはなくても……わざと、死なない程度に自傷行為を繰り返すかもしれない。【ここから出さないと、更に苦しめる】という意味合いを込めた、脅しとも取れる要求……そしたら姉様は、痛みや苦しみを伴う事になる。その場合、ティターニアを結晶の中から出すしか方法が……」

「ほっほっほ。勿論、その辺は覚悟の上じゃよな? スカーレットよ?」

「……ええ。どうぞ好き勝手に、私の身体を抉り、痛めつけるといいわ。そもそも私は、ティターニアがその結晶の中で生きようが死のうがどうでもいいの。今更この命に何の未練もないし、惜しくもなんともないのだから。ま、奴は真性のサディスト。私を傷つける事に興奮を覚えたとしても……その為に、わざわざ自分の身体を痛ぶるとは思えないけどね」

 私はそう言うと、クルリと白兎の方に振り返った。

「それと……あんた。私はあんた達の姉でもなんでもないの。姉様だなんて呼ばないでくれるかしら? あんた達の姉はこの世界でたった一人……赤兎だけなんだから」

 ――素直になれない。歩み寄れない。こんな態度しか取れない。だって私は双子達に、『姉様』と呼んでもらう資格なんてないのだから。

 この双子達だって、赤兎を死なせてしまった負い目から……もういない姉の代わりに、私に寄り添おうとしているのだ。どちらにしたって、そんな関係は偽物でしかない。だから……馴れ合う必要もない。

 そんな事を考えていると、背後から柔らかい感触と温かい体温を感じた。

「……なら、スカーレット! これからはお前の事をそう呼ぶぜ」

 そう言うと黒い兎面の少女は、私の身体を優しく抱きしめた。

「スカーレット。君は……今までずっと、赤兎を守ってきたんだ。たまには守られる側に回ってもいいんじゃない? これからは、僕達が君を守ってみせるよ」

 目の前にいる白い兎面の青年が、その仮面を外し、優しく笑った。

「スカーレットよ、もう良いではないか? お主は充分、己の罪を悔い……懸命に償おうとした。それは、今この島にいる全員が認めておる。生きている限り、誰もが一度は過ちを犯してしまうもんじゃ。お主も、赤兎も、この双子達も……そして狸も。勿論、儂だってそうじゃよ。過去は変えられん。しかし、未来は変えられる。ようは、お主がこれからどう生きていくかじゃ」

 どいつもこいつもお人好しね。ほんと、馬鹿みたい。――ううん、本当の馬鹿はこの私か。双子達と共に、この島で生きていきたいという気持ちが……確かに芽生え始めているのだから。

 あれ程憎んできた双子達、夜宴の島――

 赤兎、お爺ちゃん……私、ここで生きていっていいかなぁ? やり直してもいいかなぁ? 

 私が奪ってきた命は戻らない。けれど、ちゃんと償っていく。もう間違えない。

 命は、全てが平等に尊く……かけがえの無いものなのだから。


「……ちょっと、あんたねぇ。暑苦しいのよ! いい加減に離れなさいよね、このバカ兎! ……あんたも! 男のくせになよなよし過ぎ。もっと男らしくしなさいよ、このヘタレ兎!」

 私は黒兎の身体を無理やり引き剥がすと、二人に向かってびしっと一本指を立てた。

「生憎、あんた達に守ってもらう程私は弱くないし、落ちぶれちゃいないの。けど、まぁ……あんた達は私の大切な【親友】の妹と弟だもの。仕方がないから守ってやるわよ! いい? 私の邪魔にならないようにするのよ? うろちょろしたら承知しないから!」

 私の言葉に双子達は暫く静止したが、やがて腹を抱えて笑い出した。

「へぇへぇ! わかりましたよ、スカーレット様! 守ってもらおうじゃねぇか、存分に! なぁ? 白兎!」

「あはは! そうだね! 頼りになるよ!」

 あまりに双子達が楽しそうに笑うので、何だか私までおかしくなってきた。

 ――私が欲しかったもの。ようやく見つけられた気がするよ。赤兎、お爺ちゃん……ありがとう。

 一人で過ごしてきた孤独な夜は、私の心と同じ。墨汁で染めたかのように真っ黒だった。けれど……今は違う。沢山の星が見える。それらが光となって夜の闇を照らし、煌びやかに輝いている。……今の夜宴の島の状況は最悪だ。しかしこの夜空は、その惨劇に屈する事なく、とても美しかった。

 クレーターの数まで、ハッキリと確認出来る大きな月は、海面に影を落とす。今までの私は、その【影】そのものだったけれど……これからは、目を開けていられないくらいに輝く、眩しい【光】になりたい。双子達と一緒なら、きっと叶う。――そう信じてる。

「……おいおい、ちょっと待て。儂の事を忘れてはおらんかのう?」

 仙人が私の頭に優しく手を置いて、『双子達だけではないぞ?』なんて威張りながら言うものだから、思わず笑みがこぼれた。

 そうだね。私はもう……一人じゃない。

「――ねぇ、皆! そろそろミズホ達の所に戻ろうよ! きっと、二人とも心配してる」

「ああ、そうだな! 早く戻ろ――」

 ――黒兎がそう言いかけた時だった。漆黒の空に、いくつもの特大花火が上がる。それは、とても華やかだが……このタイミング、この状況で、【誰か】の手により打ち上げられた花火ほど、不気味で怪しいものはない。

 沢山の風船が空を色とりどりに飾り、サーカス会場で流れているような陽気でアップテンポな曲が島中に響き渡ると……これから夜宴の島で、楽しく盛大なパフォーマンスでも行われるかのような錯覚に陥った。

「な、何だよ! これ⁉」

「……来よったようじゃのう」

「ええ。真打の登場ね」

 一際大きく打ち上げられた緑色の円の中には、不気味な大きい目が二つ。中心には人参のような形をした橙色の鼻。更に、血のように鮮やかな赤がニヤリと口角を上げた。……こんな悪趣味な花火、見た事がない。


『Ladies and gentlemen~! 待タセタナ、テメェラ? 皆ノアイドル【ゲーデ君】ノ登場ダヨォ⁉ 皆、元気ニシテタァ~?』


 どこからともなく聞こえてくる不愉快な声。間違いない、ゲーデだ。私達は思わず構えるが、近くに奴の気配は感じられない。

「サァテ! ココデ皆様ニ、重大ナオ知ラセガアリマ~ス。……イイカ、オマエラ? 心シテ聞ケヨ? 一回シカ言ワネェカラナァ?」

 嫌な予感がした。それは黒兎も白兎も、仙人も同じようだ。ゲーデの声は、島にいる全員の耳に届いている。人間達にも、この島の客人達にも。……死神は一体、何を企んでいる? 

『今夜ヲモッテ、コノ夜宴ノ島ハ滅ビマ~ッス! 皆、逃ゲルナラ今ノ内ダゼ! マ、逃ゲラレルモンナラナァ。クヒヒヒ!』

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