狼と三人の姫(2)

               ※


 移動劇団〝語り部語りテイルズテイル〟。

 大陸一の歌姫と舞姫の二大看板女優をようし、劇場ごと移動して公演を続けるこの劇団の名は、それこそ大陸中に知れ渡っているらしい。


 コウシロウがこの一座に用心棒として雇われてから約一ヶ月。四つ目の街に着いた頃には、大陸一の知名度と特殊性を備えたこの一座での生活にも、ずいぶん慣れてきていた。


 とにもかくにも最初に思い知ったのは、一座の用心棒の主な業務は、自由奔放な歌姫様の身辺警護、正確には〝お守り〟だということだ。


 郊外に停泊した陸走型巨大蒸気船〝波鎮号ウェイブスィーパー〟。

 その高い側壁を、驚くべき身軽さで飛び降りてきた銀髪の美少女。

 彼女は周囲をキョロキョロとうかがいながら、抜き足差し足──と、呼ぶには軽やかな足取りで市街へと進み出した。


「外出許可は取ってないですよね?」


 陰で待ち構えていたコウシロウが声をかければ、少女はビクリと身をすくめつつ、その長い髪をなびかせて振り返る。


「あはは、やっぱり見つかっちゃったかー♪ ごめん! 見逃して♪」


 ニコニコと悪びれることない笑顔で、大陸一の歌姫〝白雪姫スノーホワイト〟ことファナティア嬢は両手を合わせてしなを作る。

 男なら多くがほだされそうな可憐な仕種ではあったが、コウシロウはそれで誤魔化されない程度には、もう苦労を味わっていた。


「見逃せるわけがないでしょう。だいたい、今日は午後から公演ですよ」


「大丈夫だってば、それまでにはギリギリ戻れるよ! この街でどうしても行ってみたいところがあるの。ねえ、お願いだからぁ」


 公演ギリギリに戻るということは、リハーサルやら準備やらは全部ブッチ切るということであり、到底通る理屈ではない。


 しかし、ここで無理に連れ戻しても、再脱走を試みられて、またそれを阻止してのイタチごっこなのは、前回と前々回の騒動で思い知っていた。


「時間前になったら無理矢理にでも連れ戻しますからね」


 コウシロウは深い溜め息とともに、ファナティアの横に並んだ。


「あれ? 行ってもいいの?」

「ええ、その代わり、僕も一緒に行きますよ」


 コウシロウがやれやれとうなずけば、歌姫様はその翡翠色エメラルドの瞳を見開いて歓声を上げた。


「やった♪ クーちゃんが一緒にきてくれるならぜんぜんオッケーだし、むしろ最高!」


 嬉しそうに抱きついてくるのを制しつつ、コウシロウは用意していたフード付きのコートをファナティアに羽織らせる。


「だから、ホイホイくっつかないでください。もっと自分が何者なのかを踏まえて行動してくださいよ」


 フードで煌めく銀髪を、コートで艶やかな肢体と衣装を隠す。


「もう、堅いなあ……。せっかく遊びに行くのにコソコソしてたら楽しめないでしょ?」


 唱えた言葉面は不満げに、けれど、その声音と表情は明るく楽しげに、彼女は、いかなる時にもその喜楽の色を陰らせることがない。


「堂々と姿さらしたら、あっという間に人が寄ってきて楽しむどころじゃないですよ」


 ただでさえ大陸中に知られた存在の上に、銀髪翠眼で雪色の肌。そして透き通るような美声である。

 目立つことこの上もない。

 同じく目立つ黒髪黒眼という己の特徴をフードで隠しながら、コウシロウはしみじみと呟いた。


「それもそうねえ。じゃ、行こうクーちゃん♪」


 ファナティアはどこまでも楽しげに、コウシロウの手を取って歩き出した。


 クーちゃん。


 ファナティアはコウシロウのことをそう呼ぶようになった。


 コウシロウという東方風の名をどうにもうまく発音できず、クォースロとかクーセローとか呼んでいるうちに、短縮されてクーちゃんに落ち着いたのだ。


 本当に、大陸一の歌姫としての立ち場や品格など知らぬとばかりに、どこまでも楽しげで明け透けな態度。初対面の時から、どこまでも近い距離感で親しげに接してくる。


 その気楽さの十分の一でも、もうひとりの看板スターに分けてあげれば良いのに──と、そう思っているのはコウシロウだけではあるまい。


「それで、どこに行くんですか?」


 コウシロウが憮然ぶぜんと問いかければ、ファナティアはやはり笑顔で返す。


「あのね、この街に、スッゴイ美味しい焼き菓子を出すカフェがあるらしいの♪」

「は? そんなの誰かに買ってきてもらえばいいじゃないですか」

「わかってないなあ、こういうのはお店で食べるのが重要なの!」


 ハラリと、フードからこぼれた銀髪。まばゆく陽光を反射するそれに、コウシロウは目がくらんだのだろうか──。

 肩越しに微笑む双眸が、鮮やかな金色に煌めいて見えた。


『……本当に、兄様あにさまは仕方がないですね……』


 穏やかで懐かしい声に、コウシロウは息を呑む。


「ん? どうかしたの?」


 小首をかしげて見上げてくるファナティア。その瞳は金色ではなく、深い翡翠色。だから、寸前に見た色彩は錯覚で、聞こえたのは幻聴である。


「いえ、何でもありません」

「そう? ふふ、クーちゃんはさ、時々わたしのこと、すっごーく熱い目で見てるよねえ」


 鈴を転がすように、と、そんな表現のままに笑声を上げる歌姫様。


「そうですか?」

「そうですよ? もう今にも愛の告白が飛んできそうで、毎回ドキドキなんだから♪」


 キャー♪ と、頬を押さえて身をくねらせるわざとらしい仕種。

 相変わらずの彼女に、コウシロウはやれやれと吐息をこぼす。


「まあ、あなたは綺麗ですからね。見つめるくらいは許してくださいよ」

「綺麗? つまり、クーちゃんはわたしに見とれてるの?」


 ファナティアがズイッと顔を寄せて問い詰めてくる。

 間近に美貌を近づけられ、思わず仰け反りながらも、コウシロウは肯定した。


「いや、そりゃあなたは大陸一の美人さんなんですから、見とれますよ。というか、いつも公演でたいていの人が見とれてるでしょ?」


「……そっか、クーちゃんは、わたしに見とれてくれてるんだ……、そっかぁ……」


 繰り返し呟きながら、考え込むようにうつむいていた彼女は、やがて「よし!」と、元気良く顔を上げた。


「わたし、今日も舞台頑張るから♪ ちゃんと観て、そして見とれてね」


 はにかむような笑顔で念押してくる。


「いや、いつもちゃんと観覧してますよ」

「いいえ、最初の時にスッポカされました。絶対観てって約束したのに!」


 爪先立ちになって詰め寄ってくるファナティア。

 それは確かな抗議であり非難なのだが、しかして浮かべた表情は輝かんばかりにニコニコの笑顔であり、声音も明るく柔らかで──。


「…………あれは、あなたの熱烈過ぎるファンの方々に対処していたんですよ」


 それはクルーク・エル・バンデルト坊ちゃんとその手下どもを相手取っていて、公演後半を観覧できなかった初日のことなのだが。


(……まったく、何であの観客数で、僕ひとりがいないのに気づくんですか、この子)


 おかげで公演後に適当に誤魔化そうとしたのが即バレて、未だに根に持たれているのだ。


「今日は絶対観てよ? わたし、今日はクーちゃんのために歌うからね!」


 恋する乙女のように頬を染めた笑顔で、真っ直ぐに向けられた好意。

 しかし、それはプロとしてどうなのだろう──と、コウシロウは口の端を下げる。


「いや、そこはいつも通り、お客さんのために歌いましょうよ」


「何言ってるの? わたし、今までお客さんのために歌ったことなんてないけど」


 ニッコリと爆弾発言。ファンが聞いたらさぞ悲しむだろう。


「わたしは、いつだって親しい誰かのために歌ってるの。

 知らない人たちのことは、知らないから想いなんて込められないもの。

 想いを込めない歌なんて、ただの音よ。歌姫として、そんなものを響かせることはできません」


 笑声は朗らかに、歩みも軽やかに、銀髪の歌姫の発言と態度は、普通なら毒舌や皮肉と呼ばれる類のもの。

 けれど、彼女は心から楽しげに、悪意も邪気も皆無かいむに微笑んでいる。


 そのいびつさは、もしかしたら──と、コウシロウには思うところがあった。

 だが、今はその不吉な予感を呑み込んで、再度の説得を試みる。


「そんなに歌姫としての矜持があるのなら、仕事抜け出したりしないでくださいよ」


 今からでも大人しく帰りましょう──と、うながすコウシロウに、ファナティアは相変わらず輝くような笑顔でハッキリと拒絶する。


「ダメ。特に今は絶対ダメ。今のわたしは、クーちゃんとウワサのカフェでくつろぎたいの! それが最優先事項なのです♪」


 嬉しそうに声を弾ませて、ファナティアはコウシロウの手を引いた。


 結局のところ、このお姫様を説得することなど不可能なこと。コウシロウはとっくに思い知っていた事実を改めて噛み締める。


「……まあ、いざとなったら抱えて連れ戻すしかないですね」

「あ、その時は〝お姫様抱っこ〟で、お願いします!」


 もうどこまで冗談だかわからないファナティアだが、あるいは、きっと彼女の言動には少しも冗談である部分はないのかもしれない。

 いつも楽しそうで、全てに嬉しそうに、明るく喜びを振りまいている美しい歌姫様。


 そんな彼女を見つめるコウシロウは、深く哀れむように、黒瞳を細めたのだった。


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