狼と三人の姫(3)


 ジャラワンというのが、この街の名であるらしい。

 基本、砂漠と荒れ野が広がるこの地域にありながら、地下水脈と大オアシスの水源に恵まれたおかげで大きく栄え、交易と移動の要所ともなっている。


 そんなただでさえ多くの旅人や商人たちが行き交う街並みの、寄りによって目抜き通りの一角に、目的のカフェは構えられていた。


 午前も半端な時刻にかかわらず客足は多く。それでもどうにかテラス席のひとつに陣取れてしまったのは、幸運だったのか不運だったのか。


 いや、たとえ満席でも、それで諦めるファナティアではないか──と、コウシロウは思い直す。


「うん♪ 思った通り、ステキな雰囲気のお店」


 砂塵除けのためにテラスを囲って張られた半透明のベールカーテン越し、人々の行き交う街並みを眺めながらファナティアは楽しそうに笑う。

 コウシロウとしては、普通にゴミゴミしててホコリっぽい光景にしか見えないのだが、何がどうステキなのだろうか?


 やがてやってきた店員が、注文した焼き菓子と紅茶が乗った皿と、土産みやげ用に頼んだ袋入りの焼き菓子をテーブルに並べていく。

 待ってましたとばかりに喜ぶファナティア。

 幸い、今のところは天下の〝白雪姫スノーホワイト〟だとは気づかれていないようだ。


「あ、すみません。この街で、何かは起きていませんか?」


 コウシロウの問いかけに、立ち去ろうとしていた店員はしばし考えてから「いえ、特には」と、笑顔で頭を振った。が、ふと思い出したように。


「そう言えば、街中で野犬に襲われて死人が出たのが、奇妙と言えば奇妙な事件ですかねえ」


 店員の言に、コウシロウはピクリと目尻を震わせた。


「野犬が人を襲っていたところを、誰か目撃したのですか?」

「いえ、昨日の朝方、郊外の方で遺体が発見されて、それがどう見ても獣に食い殺された状態だったと……」

「この街には、野犬が多いんですか?」

「まあ、それなりには。けど、基本、大型で危険なものは警兵隊が始末をつけてますし、人を襲うような凶暴なのはいない……と、思っていたんですがね。やはり郊外はそうでもないのでしょう。ああ、スミマセン、こんな場所で語ることではありませんね」

「いえ、こちらから訊ねたことですから。お仕事中に申し訳ありませんでした」


 慌てて謝罪してきた店員に、コウシロウこそ丁寧に一礼する。


(獣に食い殺されたような死体……か、いつもながら露骨だな)


 内心に反芻はんすうしながら溜め息を吐くコウシロウ。

 口の端を下げる彼とは正反対に、ファナティアは相も変わらぬ幸せそうな笑顔。今し方の会話など聞こえていない風に、嬉々として目の前の焼き菓子にフォークを突き立てた。


「いただきまーす♪」


 切り割った焼き菓子を口にふくんでゆっくりと味わいながら、ファナティアは「んー!」っと、感極まったように両目を閉じて声をもらす。


「なるほどー♪ うんうん!」


 幸せそうに笑いながら、ファナティアはもうひと切れをフォークに刺して、コウシロウに突き出してきた。


「はい、クーちゃんもどうぞ♪」


 ここで変に押し問答しても長引いて目立つだけなので、コウシロウはさっさと焼き菓子を頬張った。


 口の中でボロリと解けた乾いた食感と、舌に乗る生地の塩気と、中からこぼれ出た果実ジャムの濃く強い甘み。

 マズいとは思わない。しかし、美味しいとも思えない。何ともありふれた焼き菓子の味だ。


「美味しい?」


 問うてくるファナティアの笑顔に、コウシロウはキッパリと頭を振る。


「いえ、特には……」

「だよねー♪」


 変わらぬ笑顔で不満を肯定する歌姫様。


「やっぱりウワサはアテにならないね」


 あははー♪ ──と、笑声をもらしながら、街並みに目を向ける。


 喧騒にゴッタ返した大通りの光景を眺めながら、期待外れの菓子を頬張る銀髪の少女。

 普通なら、落胆するなり不機嫌にグチるなりするところだろうに。


「うーん、これなら別にお土産分まで注文しなくても良かったかなあ。ふふふ♪」


 楽しげに微笑むファナティア。それは強がりや開き直りではない。

 彼女はこのゴミゴミとした街並みを、イマイチな焼き菓子を、普通に当たり前のように楽しんでいるのだ。


「あなたは、本当にいつでも何でも楽しそうですね」


 コウシロウが静かに問えば、返るのは至極当然なことにうなずく明朗な笑顔。


「うん♪ だって楽しいんだもの。こうしてお忍びでカフェにきて、大好きなクーちゃんと一緒にお菓子を食べる。たとえ期待してたお菓子がイマイチでも、それも楽しい思い出だわ。もちろん、期待通りに美味しかったら、もっと楽しかったけどね♪」


 明るく前向きなその在り方は、きっと多く好感を持って受け入れられるもの。

 コウシロウも、もし、これがファナティアの言でなければ、普通に流していただろう。


「ファナティアさん。あなたは……」

「あれ? あの子…………」


 コウシロウの言葉をさえぎってかぶせられた疑念の呟き。

 ファナティアの翡翠色の眼差しは大通りに、その人混みの先に向けられている。


 通りを挟んだ向こう側、路地にうずくまっている小さな人影。

 いかにも力尽きた様子のその幼い少女からコウシロウが感じたのは、かつての自分と同じ行き倒れの気配。


「少し、失礼しますよ」


 そう言って、コウシロウはカーテンをくぐってテラスから飛び出した。

 人混みをスルスルと掻き分けて、すぐにうずくまる少女のもとにたどり着く。


 無造作に伸びた淡い赤毛に、あい色の瞳。薄汚れ、いかにも着古したボロの衣服をまとったその姿は、やはり、どう見ても行き倒れた浮浪児だ。

 漂う血の臭気、それは少女の両足の傷に滲む赤黒い色彩が根源だった。引き裂け割れた細かい裂傷や、擦り傷にまみれた幼い足。単純な怪我だけでなく、酷使したせいで痛んだものと思われる。


「大丈夫ですか?」


 できるだけ優しく声をかければ、少女は顔も上げぬままに冷然と吐き捨てる。


「……放っておいてください」


 声音は幼い、けれど、声質には冷たい険がこもっていた。

 顔を上げた少女。

 頬はこけ、四肢は痩せ細り、見るからに空腹と疲労で弱り果てた身体を壁面に預けて、コウシロウを睨み上げてくる。


「私は貴方を知りません。貴方も私を知らないでしょう? なら、知らない者にはかかわらないでください。私がどうなろうと、貴方には関係ないのですから」


 幼い少女らしからぬ堅く理知的な言葉使いで紡がれたそれは、途切れはせずとも衰弱にかすれていた。


 むしろ、これだけ衰弱していて、よくも言葉を切れさせぬものだ。


 その眼光に宿るのは暗く深い情動。こんな幼い少女が、どんな妄念に駆られれば、このように荒んだ眼光を放つのだろう。


「確かに、僕はあなたを知らない。ですが、幼い子供が行き倒れているのを見捨てるのは寝覚めが悪い。僕はあなたを見つけてしまった……その時点で、もう無関係ではないんですよ」


 コウシロウの言葉に、少女は弱々しく唇を震わせいきどおる。


「……よけいなお世話です。気持ち悪い人」


 幼い少女が吐き捨てた、心からの拒絶と嫌悪に、眉間にシワを寄せたコウシロウ。

 その背後から、いつの間にか追ってきていたファナティアが顔を出す。彼女は手にした焼き菓子の袋をツイと少女に差し出した。


「食べてみて? これ」


 ニッコリと呼びかける。漂う甘い香りに、対する少女は腹の虫を鳴かせながらも、幼い顔を強い拒絶に歪めた。


ほどこしなどいりません」


「違う違う、そういうんじゃなくてさ。これ、スッゴい美味しくないの。なのに、美味しいってウワサになってるんだよねえ。わけわかんないでしょう? だから感想が聞きたいの。もしかして、わたしの舌がオカシイとかだったらイヤじゃない?」


 だからね、食べてみてよ──と、ファナティアは袋から焼き菓子を取り出して少女の口許に突きつけた。


 少女は嫌悪と拒絶をあらわに、同時に、抗いきれぬ空腹との葛藤かっとうに身をよじって──。


 それから、ゆるりとひと口、焼き菓子をかじった。


 一度口にふくめば、後はもう空腹のままに咀嚼そしゃくし、飲み下す。すぐにファナティアの手から残りをもぎ取って、むさぼるように口に頬張った。弱り乾いた身体に無理をしたせいで激しくせ返りながらも、懸命に焼き菓子を胃に収める少女。


 本当に、空腹で死にそうだったのだろう。

 その苦痛は、コウシロウも良く思い知っている。


 噎せて咳込む少女の背を優しくさすりながら、ファナティアはニコニコと笑いかけた。


「どう? 美味しい?」


 問われた少女はゼェゼェと息を乱しながら、ファナティアから顔を背けてうつむいた。


「……美味しくないです。ぜんぜん、美味しくないです……」


 吐き捨てられた否定の呻きは、露骨なまでに強がりだとわかった。飢えて苦しむ中でようやく得たマトモな食べ物が、マズいわけがない。

 ファナティアが朗らかにうなずいたのは、その心情を察したからか?


「ふふ、やっぱり? 何でこんなのが評判になってるんだろうね」


 小さく吹き出すような微かな笑声をこぼして、それから、改めて少女の姿を見やる。

 そのボロボロの格好を、痩せ細り衰弱した身体を、そして、傷んで血の滲む足を、順繰りに見やって──。


 銀髪の歌姫は明るく高らかに、笑声を上げた。


「あははは♪ キミ、ボロボロだねえ♪ ホント、どうしちゃったの?」


 さも楽しげに、面白そうに、声を上げて笑いながらファナティアは少女を抱き締める。突然の抱擁に、何よりもその笑声に、少女は戸惑い驚いて無抵抗のまま。


「足、スッゴい痛そう♪ あはは、痛いよねえ? 痛いでしょう? ふふふぅ……あははははは♪」


 傷つき苦しむ少女の姿が、本当に面白くて堪らないとばかりに、ファナティアは満面の笑顔で、高らかに笑声を上げ続けたのだった。


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