エピローグ

終章

 ゴルトムント島でアナンが消息を絶ったとき、村では大変な騒ぎが起こった。

 精神的に追い詰められたアナンが、思い余って岸壁から身を投げたのでは、という噂も流れた。村では特別にアナンの捜索隊を結成し、西の山奥から北の山奥まで捜索を続けた。アナンが村からいなくなって五日後、島の北の海岸線で船を漕ぎ出した跡が見つかった。このような場所で船を作ったという話は村の誰も覚えがなく、また木材加工をしていたと思われる周辺の状況に、例えば木々の切れ端を揃えて置いておくなど、アナンを思わせる部分がたくさん見つかった。もはや、アナンがこの場所で船を作り、一人で海に出て行ったことは明白だった。

 この結果、村の人々からアナンに同情する意見があちらこちらから噴出した。アナンに対して、アナンを疑ってノートを出せといった村人は、自分が言ったことを悔いた。そして、アナンがノートを盗んだと言いふらしたザハール、及びカレルは村人から逆に大きく非難されることになった。特にザハールは長老の座を奪われた腹いせに、アナンをそこまで追い込んだのだ、と多くの人に攻め立てられた。ザハールには弁解の余地がなかった。事実は全くその通りだったからだ。それ以来、ザハールは全く近所の人たちと口を利かなくなり、農作業以外は外に出なくなってしまった。

 一方のアーロンは、アナンが失踪して以来、どこまでも冷静沈着に淡々と日々の仕事をこなしていた。彼は息子がいなくなったからといって取り乱すことは全くなかった。むしろ、村人からみればアーロンの態度はいささか冷たく映った。アーロンは家族より、長老の仕事の方が大事なのだと、陰口を叩く者もいた。それでも、アーロンは無口に長老の仕事をこなし続けた。

 アナンがいなくなって最も衝撃を受けたのは、クリスのはずだった。クリスはアナンからの別れの手紙を受け取っていた。それを読んだとき、クリスは驚いて外に出て、村中を捜し歩いたのだった。その後、クリスは捜索隊に加わりたいと言ったが、長老からはさすがに女性はダメだと断られた。そしてアナンの痕跡が見つかるまでの五日の間、クリスは毎日泣きながらアナンが無事に見つかることを祈っていたのである。

 アナンが海に漕ぎ出したことを知ったとき、クリスは泣くのを止めた。それ以来、村の誰から見ても、彼女は恐ろしく気丈に振舞った。それが村の人々から見れば、余計痛々しかったのだが、クリスはその態度を貫き通した。彼女はどこまでも強く生きていこうと決心したのだ。だがどうしても泣きたくなるとき、クリスはアナンから教えてもらった秘密の丘に行った。そこで、誰にも見られることなく、クリスはアナンを思い出し一人泣いていたのだ。

 そして、アナンがいなくなって何ヶ月か経つ頃には、人々はいつしかアナンのことを話題に出さないようになっていった。このような狭い社会で人々が悲しみを忘れるには、意識して話題を避けるより方法が無かったのだ。


 それから何年かの年月が過ぎ去った。

 ゴルトムント島に風車が作られた。風車作りを指揮したのはカレルだった。この風車のおかげで、水は高いところまで汲み上げられるようになった。その後、風車は何機も作られ、相当な高台まで水を自動に汲み上げる仕組みがこの島で完備された。

 カレルはこの風車を『アナン型風車』と名付けた。村の人々にとって、風車は農作業における福音であった。これまで、水の汲み上げには莫大な時間を割いていたが、この風車のおかげで、人々はその苦労から解放された。人々はその空いた時間でさらに多くの農作業を行い、収穫量は増えた。結局カレルが島に建設した風車は、この島の食物の総収穫量を増加することに大変貢献したのである。

 アナン型風車は、人々の賞賛の的となった。人々は、いつしか風車のことを『アナン』と呼ぶようになっていた。アナンという言葉は、ゴルトムント島において、風車を意味する言葉になったのである。村の人々はこの『アナン』に感謝することを忘れなかった。そして、それを作ったカレル、その基本的なアイデアを考えたといわれるアナンはこの島で誰もが忘れることの出来ない技術者として記憶されることになった。

『アナン』は失踪してもなお、この島の中で風の中で廻りながら生き続けた。

 それは、この村の仕事を少しでも軽減したいと考えていたアナンの意志でもあり、ゴルトムント島の文明を大きく進歩させる象徴でもあった。


 どこまでも深い青を湛えたその海の色は、その後も変わらず島全体を抱擁し、一年を通して変わらない太陽の光と、海から吹きつける潮風は、村の人々に活力と実りを与える。この島での暮らしは、ここに住む誰にとっても、永遠に続くもののように思われた。

 そして、自然の恵みに感謝しながら、ゴルトムント島の人々は、今日も労働に励んでいるのだ。<了>

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アナンは風車を廻す 奇楽堂 @hasebems

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