第二章:日向と日影が交わるとき 2

 アイシアが事件を知ったのは、秋葉原へ向かう移動バスの中だった。なぜか弓鶴から上がった簡易報告書を眺めて、彼女は総毛だった。円珠庵が捕らえられ、しかもフェリクスを筆頭とする説話魔導師が反旗を翻したのだ。フェリクスを知る人物ならば誰だって驚愕する。すぐさまISIA職員へ声を掛ける。


「すみません。緊急事態です。私をASUに戻してください」


 アイシアの心からの懇願だったが、返ってきたのは否定だ。


「アイシアさんは現在ISIAと契約中の身です。期間中は我々の業務に従事する義務が発生しています」


「そのISIAの危機かもしれないんですよ!」


 アイシアは声を少し荒げるが、ISIA職員の返答は凪のように事務的だ。


「対応はASUが行うと連絡が来ています。アイシアさんは安心して広報活動をして下さい。いえ、こんな時だからこそ広報に力をいれる必要があるんです」


 そこを突かれるとアイシアとしては痛い。だが、彼女は一刻も早く仲間の下へ戻らなければならないと気が急いていた。


 仕方なくアイシアは、体内に埋め込まれたマイクロチップを介して、あまり使わない体内通信で父ラファランへ連絡を取る。通信はしばらくしてからようやく繋がった。


「なんだアイシア。いま忙しいんだが」


「お父さん、私をASUへ戻して!」


「なんだ? もう嫌になったのか?」


「そんなことじゃない。緊急事態なんだよ⁉」


 ああそのことか、とラファランが呟く。


「そっちについてはブリジットが代理班長をやってるんだろ。任せておけよ」


 アイシアはこの胸の内に燻る焦燥感が、父に伝わっていないように思えてじれったさが募る。


「相手は高位の説話魔導師なんだよ! ひとりでも手数は欲しいでしょ!」


 アイシア、とラファランは諭すように言う。


「お前はいま自分がどこにいるかちゃんと理解しているか? ASUじゃない、ISIAだぞ?」


「広報活動のために逆出向してるだけでしょ!」


「だけじゃない。ISIAから仕事を受注し契約し、ASU代表として仕事をしている。分かるか? お前はそこで広報活動をする契約義務がある。これは口約束とかそんな生ぬるいものじゃない。ちゃんとした人間社会の契約だ。分かるか?」


「分からない!」


 癇癪を起すアイシアにラファランは辛抱強く答える。


「いいか? 人間社会じゃ契約が重視される。それを簡単に反故にしてみろ。すぐに信用を失うぞ。お前はいま一度自分がなんの仕事をしているか思い出せ。責任を持って自分の仕事を全うしろ。いまお前が言っているのはただの我儘だぞ?」


「身内の危機なんだよ⁉」


「お前が心配してるのは弓鶴だろ。感情が表に出過ぎだ。気持ちは分かるが、お互いちゃんとした仕事だ。それに、お前もあいつもプロだ。プロならプロらしく受けた仕事を全うしろ」


「お父さんは弓鶴が心配じゃないの⁉」


「アイシア、こういう論議に感情論を持ち込むな。人間社会じゃ感情で動くときもあるが、感情でそうほいほい反故にしてたら本当に居場所がなくなるぞ? 理性的になれアイシア。お前ももう二十一だ。ちゃんと社会のルールに従え」


 ここまで言われれば、さすがにアイシアも自分が間違っているのだと気づかざるを得ない。彼女はそもそも感情論で動く人間ではない。


「……分かった。ごめん」


「いい。確かに動揺する事態ではあるからな。今回は《二十四法院》も動いてる。まあ、こっちはなんとかするから、アイシアも心配しないで自分の仕事をちゃんとやれ。広報活動で色々と学べることも多いと思うしな」


「それはまだ分かんない」


 ラファランが苦笑する。


「普通に考えてみろ。芸能業界に例えたらいきなり大スターになったんだ。一般の女性からすれば憧れの的だぞ?」


「そういうの興味ない」


「お前、本当に魔法一辺倒で生きてきたからなあ。これから色々ちやほやされ始めるだろ。少しそういうのを楽しめ。まあ、あまりそれで天狗になられても困るけどな」


「お父さんの背を追ってるのに天狗になれるはずないでしょ」


「そう言ってくれるのは父冥利に尽きるけどな。まあ、しばらくそっちの仕事を頑張ってみな。そろそろ切るぞ」


「うん、ごめん。ありがとう」


 体内通信を切ったアイシアはほっと息をつく。気が動転していたことを気づかされて、少し恥ずかしい気持ちになった。


 それでも、心配なものは心配なのだ。折角まともな魔法使いと組めたのだ。そう簡単に死んでもらっては困る。そうでなくば、自分より変人なあの魔法使いたちを一人で率いなくてはならない。それは御免だ。


「アイシアさん、着きましたよ」


 ISIA職員から声を掛けられる。場所は秋葉原の中央通りだ。ここでイベントをやるらしい。事前に警視庁に根回しをしている辺り用意周到だ。既にインターネットで告知をしており、歩行者天国にしている始末だ。本当にいまのISIAはフットワークが無駄に軽い。それだけ危機感が強いということでもある。


 いまのアイシアはASUの服装ではなく、桜の花弁が散った白のワンピースに桃色のジャケット姿だ。まるでどこぞのアイドルのような服装である。だんだん見た目が魔法使いから遠のいている。


 私、いつの間にかアイドルにされてる気がするなあ……。


 アイシアの心の中のつぶやきは、表に出ることはない。必死に表情を笑顔にして、彼女は職員に促されるままにバスの外に出る。


 瞬間、周囲が歓声に包まれた。噂を聞きつけた人々が大量に集まっていたのだ。当然マスコミも来ている。動物園のパンダはこんな気分なのだろうか、とアイシアは他人事のように思った。そうしないと、すぐにでも逃げてしまいそうになるからだ。


 アイシアは集った人々へ手を振りながら愛想をふり撒く。これは大切な仕事だと自分に言い聞かせる。


 歩行者天国に設置された簡易ステージに案内される。背後には「ISIAアイシア生出演」と立体映像が表示されていた。その両脇にはモデル撮影時の映像が流れている。恥ずかしかった。本当に自分はどこに向かおうとしているのかと、アイシアは本気で怖くなった。


 ステージに立つと、歩行者天国となった中央通りは人で埋め尽くされていた。一目でもアイシアを見ようとした人々が集まっているのだ。誰もが端末を高く掲げて彼女を撮影している。一瞬顔が引きつりかけたが、なんとかして笑顔を保つ。


 笑顔笑顔、と念仏のようにアイシアは心の中で唱えた。


 マイクを持った司会者がやってくる。


「さあみなさん、忙しい中ISIAのアイシアさんがやってきて下さいました!」


 そこで一気に歓声が上がった。アイシアの頭上に、いまこの瞬間の彼女の巨大映像が出現したからだ。


「さあアイシアさん。まずは一言お願いします!」


 いきなりマイクを向けられアイシアは困惑するが、それでも笑顔を保つ。もはや職人芸だった。


「みなさんこんにちは。ISIAのアイシアです」


 地鳴りのような歓声。


 ちらりと控えにいるISIA職員に目をやると、うんうんと満足げに頷いていた。面倒くさくて省いた名乗りは一応合格のようだ。


 マイクが司会者に戻される。


「見て下さいアイシアさん。みなさんはアイシアさんを一目見たくて集まってきて下さった方々です。もはやアイシアさんのファンと言ってもいいでしょう!」


 困るからファンはやめてほしい。いますぐやめてほしい。切実に。


 そんな気持ちなど欠片も出さずにアイシアは笑みを深くする。専用のマイクを渡されたので口元に持っていく。とりあえず宙に投げて爆発させてやりたい気持ちは気合で押し込めた。


「ありがとうございます。ですが、私はいちISIA職員です。これを機に、みなさんにISIAの業務と魔法使いのことを知って頂けたら喜ばしい限りです」


 三度の歓声が上がる。そして、「アイシアちゃーん」とどこからか聞こえる絶叫。早速帰りたくなった。


 とりあえずアイシアは誰に向けるでもなく手を振った。それだけで観衆はどよめく。あまりいい気分ではなかった。これは父が言うような天狗になるなど一生あり得ないな、と思った。


「いやあ、アイシアさんは謙虚ですね。ところでアイシアさん。みなさんが訊きたがっていることをひとつ訊いてもよろしいですか?」


「なんでしょう?」


「実はいま、アイシアファンの女性の中で、アイシアさんの髪型と髪色を真似するのが流行っているんですよ。綺麗な銀髪にブラウンのメッシュ、その髪色には何か理由があるのでしょうか?」


 アイシアは内心ぎくりとした。髪色を戻すことを完全に忘れていたのだ。そもそもこれ流行っているのかと、正直呆れたくらいだ。よく見れば、確かに観衆の中に自分と同じ髪色をした女性の姿がいくつもあった。


「えーっと、私は元々、母譲りの銀髪ですが、父がブラウンでして。父の色も取り入れたいなと思ってこの髪色にしています」


 これは本心だ。父親からは家族愛を見せるな恥ずかしいと言われるが、アイシアとしては気に入っている。だが、他人が真似をするのはちょっとやめてほしかった。


 なるほど、と司会者が大きく頷く。観衆もなぜか頷いていた。アイシアにはよく分からないが、無駄な一体感が場を支配していた。


「アイシアさんは家族想いなんですね」


「はい、両親共に尊敬できる人物です」


 なぜだろうか。完全に話題がISIAからアイシア当人のことになっていた。そもそもISIAの業務に触れてすらいない。


「そんな家族想いのアイシアさんへ質問です。ずばり、恋人はいらっしゃいますか?」


「いえ、いません」


 この瞬間、会場が爆発した。否、単に民衆が一斉に騒いだだけだが、そう勘違いするほどの絶叫が響き渡ったのだ。


 一体なにが起きたのかと臨戦態勢を取ろうとするアイシアへ、司会者が問いを投げる。


「アイシアさん! それは本当でしょうか⁉」


「え? なにがですか?」


 いるはずがない敵へと注意が向かっているところへの問いだったから、アイシアは間の抜けた声を出した。その様を見た司会者と観衆が笑う。


「いやいや、アイシアさんに彼氏がいないことですよ。本当なんですか?」


 とりあえず敵影は見つからないとして、というかそもそも敵などいないとアイシアはようやく理解し、無理やり微笑みながら答える。


「いません。彼氏ってどうやって作るのでしょうね? 魔法一筋でしたので、恋人はいたことがなくて」


 それは、何気ない科白だった。真実、アイシアは恋人がいた過去がない。当然だ。青春時代の大半をフランス外人部隊で過ごし、すぐにASU警備部警護課に入って仕事に人生を注いできたのだ。恋をする暇などない。その大半が、というか全部が本人の意思なのだが……。


 もちろん、民衆はそんな過去を知らない。ISIAもこんな経歴を表に出すわけにはいかないから、アイシアの個人情報は公開していない。


 だから、民衆がいま空想しているアイシア像はこうだ。


 業務に真面目で少し天然が入っており、男の影など微塵もない超絶美人な女性。当然、民衆は歓喜に湧く。アイシアの意思など度返しにして。


「みなさん、聞きましたか? アイシアさんには恋人がいません!」


 いまや歓声は怒号となっていた。近所迷惑だから声量さげてくれないかな、とアイシアは思った。


「えーっと、私の恋人の有無はなにか今回の趣旨に関係があるのでしょうか?」


「みなさんの関心事のひとつです! 大いに関係があります!」


 絶対に嘘だ。


 アイシアはちらりとISIA職員を見る。職員は間違っていないとばかりに頷いていた。要は、民衆の心を掴むためならなんでもしろ、ということだろう。精神的疲労度が一気に増した。


「そうですか。ともかく、私には恋人がいたこともないですし、いまもいません。フリーというやつですね」


 もうどうにでもなれとばかりに、アイシアが言う。観衆の興奮が一気に増す。これほど主役と観衆の想いがずれるイベントはそうないだろう。


「では、これから素敵な男性が現れたらお付き合いするという可能性はありますか?」


 あり得ないだろ、と弓鶴なら突っ込んだだろう。残念ながら彼はここにはいない。


 この場にいるのは、アイシアの本性など知りもしない観衆と主催者、そしてどんな方法でもいいから支持を高めたいISIAだ。


 いまや世間のアイシア像は、本性とはかけ離れた成層圏あたりに飛んでいた。これも彼女の表向きの面が良いからだ。確かに、ASUの指名は間違ってはいなかった。本人の意向を無視すれば、だが。


 司会者の質問にアイシアは少し困ったように見せて答える。


「そうですね……。私に付き合って下さるようなそんな素敵な方がいるのなら、お付き合いしたいとは思います」


 再び爆発した。さすがに二度目とあってか、アイシアも臨戦態勢は取らなかった。少しだけ周囲を警戒したくらいだ。


 ちなみに、アイシアの科白の意味を要約するとこうだ。


 私の魔法訓練に最後まで付き合ってくれる奇特な男性がいたら付き合いたい。この世に十人いればマシな部類だろう。もちろん、そんな裏の意味を観衆らは知る由もない。


 見事な詐欺っぷりである。もっとも、与えているものは優しい嘘、受け取っているものはISIAへの支持だが……。


 いよいよ本性が出せなくなってきていた。完全にアイシアは追い詰められていた。精神的疲労も最高潮だ。


 そして――……。


 アイシアは、己が頭を撃ち抜かれる様を幻視した。




 ◇◆◇




 秋葉原ビル群に昼の日差しが落ちる。都心の街は、壁面を反射する煌びやかな光に溢れていた。だが、秋葉原UDXビル屋上に立つふたりの男は、一見平穏に見える現実に染み出す悪意のようだった。


 狙撃銃を仕舞ったケースを携えた男――杉下弘樹が、眼下を見下ろす。濁った瞳には黒く燃える復讐者の色があった。


「アイシア・ラロ。ISIAの広告塔……若いな」


 秋葉原の中央通りは、すし詰め状態に近いレベルで人が集まっていた。ISIAの広告塔であるアイシアが現れたからだ。


 彼らは今日、ISIAの公告塔であるアイシアを暗殺する。至近で狙えば魔法で返り討ちにされることがわかっているから、彼らは魔法使いに対して最適な遠距離からの狙撃を選んだ。


 弘樹の横では、双眼鏡で対象を捉えている観測主がいた。彼は弘樹の仲間で、反魔法勢力のひとりだ。


 アーキ事件から約四か月、弘樹は何もせずこの場に来たのではない。ISIAとASUを直接叩くための説話魔導師、そして反魔法勢力。この二つの組織を取り持っていた。四か月の時間を掛け、魔法使いと魔法嫌いの一般人という集団に手を組ませたのだ。


 弘樹のつぶやきに観測主が答える。


「広告塔はいまISIAの弱点のひとつだ。センセーショナルなデビューを果たした彼女が無残に暗殺されれば、世論は必ず傾く」


 ISIAは、魔法使い候補者を勧誘するために全世界で広報活動を行っている。だが、その内容には賛否があった。魔法世界に参入しなければ、魔法使いを狙う犯罪集団に狙われる危険性があると強く指摘しているからだ。少なくない世論はこれを一種の脅迫と受け取った。世論の追い風を受けたメディアは、ISIAの広報への批判を投げかけ、魔法人材管理に対しての是非を問い掛けている。


 この情勢下でISIAの広告塔が暗殺されれば、次は我が身であると恐怖によって世論は傾く。元々、ISIAが魔法人材を一括管理していることが広報問題の発端であるから、火種を作れば爆発させるのは簡単だと彼らは踏んでいた。ISIAを主導とした現体制を崩せれば、魔法使いの管理は必然的に国家が行うことになる。魔法使いの話が世界から国家になれば、今までよりも容易に魔法使いに対する制限が行えるようになる。それは、一般人の雇用を国がより容易に守れるようになることを意味する。現時代の反魔法勢力にとっての“落しどころ”がこれだ。


 僅かな時間で、いまの社会は魔法無しでは存続できないほど魔法に食い込まれた。仮に、魔法を世界から排除できたとして、今度は世界の関節が外れてしまうだろう。反魔法勢力も時流に従い落しどころ決めなければ、目的を果たした後の世界が想像できないのだ。


「とはいえ、対象はASUのエージェントでもある。階梯は七だったか。飛び抜けすぎるほどに優秀だな」


 弘樹のつぶやきに観測主が淡々と言った。


「問題ない。臨戦状態にない魔法使いは狙撃に反応できない。当たれば死ぬ。当てるのはお前の仕事だ」


 ふたりはそれ以上言葉を交わすことをやめた。


 弘樹はケースから狙撃銃を取り出した。いまから彼が照準するのは、銀糸が眩しい女性アイシアだ。彼女はいまや流星のごとく現れたアイドルだ。彼女を観衆の目前で殺せば確実に世論は変わる。そして、ISIAとASUには説話魔導師が総力戦を仕掛ける。魔法使いの危険性が世論に証明される。


 弘樹が立ったままライフルを構えて拡大鏡を覗く。彼にとって、この距離ならば本来は観測主などいらない。観測主がいるのは、反魔法勢力に魔法使いが殺される様を見せるためだ。


 弘樹は息をたっぷり吸って呼吸を整え、吐き出して止める。春風に重力による弾道降下、コリオリ力はすべて計算済だ。


 一般人にとってはいくら超常的に見えても、魔法は万能ではなく、魔法使いも人間だ。臨戦態勢に無い魔法使いは、魔法的自動索敵が及ばない遠距離からの狙撃に対して無力だ。


 狙いが定まる。いま、アイシア・ラロの命は弘樹の指先に掛かっていた。


 相手が何者であるかを弘樹は頭から締め出した。自分を一個の精密機器として、あらゆるすべてが敵を殺す部品であると感覚した。筋肉が弛緩し、無駄な力をそぎ落とす。


 すべての準備が整う。


 そして、弘樹が引き金を引いた。




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