第二章:日向と日影が交わるとき 3

 ライフル弾が簡易ステージの床をぶち抜いた。歓声に溢れた中、突然現れた銃痕には誰一人気づかない。アイシアを除いて。


 紙一重だった。因果魔法における《時間観測》により、一秒後にライフル弾で頭を射抜かれる様を白昼夢のように幻視し、すぐさま頭を後ろに振ったのだ。それがなければいまの一発で文字通り頭を破裂させられて死んでいた。


 すぐさまステージを下りISIA職員へ声を投げる。


「狙撃された! すぐに犯人を追う!」


「え、狙撃って、どういうことですか⁉」


 こういうとき、現場慣れしていないISIA職員の動きは遅い。相手は狙撃手だ。弾痕の場所から推定して、狙撃地点は秋葉原UDXビルだ。アイシアならば今すぐ動けば追いつける。


「私が狙われたんだよ! そうなることくらいISIAなら分かってたでしょ!」


 怒鳴りつつアイシアは端末でISIA本部へ連絡を取る。広告塔は、現状の世論を見れば分かる通りISIAの急所だ。彼女が殺されれば簡単に世論は傾く。どこの誰かまでは分からないが、それを目論んだ敵がいるのだ。


「本部、こちら現在ISIA広報部へ出向中のアイシア・ラロ。秋葉原にて狙撃された。魔法使用の許可を」


「こちら本部。魔法使い自衛目的の魔法使用として許可します」


 観衆はアイシアの突然の行動に驚いている。司会者も同様だ。だが、彼女はそんなことに構っていられなかった。狙撃手は、狙撃に失敗し目標にバレた以上、第二射は恐らく撃たない。だが、それは目標が彼女だけの場合だ。これがテロ目的で別に目標がいる場合、次の狙いはその人物になる。すぐさま阻止しなければならない。そして、この場においてそれができるのはアイシアだけだ。


 AWSを履いてきていないため精霊魔法の《電磁結合》を発動。併用して因果魔法の《時流制御》を四倍に設定。磁力を付与した身体を一気に飛び上がらせる。どよめく民衆が、目の前で魔法を使ったアイシアに歓声を上げるが無視。


 上空に飛び上がったアイシアはそのまま魔法力にものを言わせ、一気に秋葉原UDXビルへ飛翔した。




 ◇◆◇




 狙撃の瞬間、頭を後ろに逸らしたアイシアの姿を拡大鏡越しに見た弘樹は瞠目した。第七階梯の魔導師が狙撃に気づくはずがないからだ。


 それは、弘樹にとっては致命的な間だった。絶対に当てられると過信し過ぎたがゆえ、三十秒以上も棒立ちしてしまったのだ。


 背後で空気が音を立てて壊れた。遅れて靴音が届く。


「狙撃なら私を殺せると思った?」


 銀糸ををビル風になびかせた標的が、アイスブルーの冷めた目で見下ろしていた。


 死を感じた。弘樹は本能に従って振り向こうとし、指先すらまともに動かせないことに気付いた。身体中が痺れていた。そばに居るはずの観測主の荒い息が聞こえる。彼も動けないのだ。訳が分からず叫びそうになるのに、口もまともに動かない。恐怖が臓腑から這い出してくるようだった。


「的になると分かっていて、警戒しない無能だと侮られていたのかな? 君たちは魔法使いを舐め過ぎだよ」


 底冷えするような、震えひとつない氷の声でアイシアが告げる。


 真の高位魔導師と相対した過去がない弘樹は知らない。自分が狙われることを自覚している魔法使いは、どんな形であれ狙撃を警戒している。高位の魔導師は、一定圏内に自分を狙う攻撃が進入した際、自動で守る防壁を築く魔法を仕込んでいることが多い。だが、アイシアは第七階梯の魔導師だ。この階梯ではこうした自動展開型の魔法を扱う技量がない。だから狙撃の選択は正解だ。相手が因果魔導師でなければだ。


 因果体系には《時間観測》と呼ばれる未来を予知する魔法が存在する。因果魔導師は、特に自身の命に関わることの予知能力がずば抜けているため、狙撃は予知し易い部類となる。アイシアは、これにより狙撃を予知して回避したのだ。


 いまアイシアを生きながらえさせ、こうして二人を見下ろさせているのは、魔法という奇跡だ。そして、彼らは怖れていながらも心の底では魔法を侮ったから、こんなにも死が近い。


 アイシアが虚空から拳銃を出現させた。因果魔法による《因果改竄》だ。これは、過去に起こった“原因”を改竄することで、今起こっている“事象”を変質させる高位魔法である。つまり、彼女は拳銃を置いてきたという過去を改竄することで、手元に拳銃を呼び出したのだ。


 いまの時代、魔法使いも武器を使う。一般人は魔法を使えないのに、魔法使いは魔法だけでなく人類が築き上げた科学技術まで扱う。不公平だと思った。


 弘樹の額に照準が合う。


「なぜ私を狙うのか、訊いてもいい?」


 死を告げるアイシアが無表情に問いかけた。


 突然、口が動くようになった。アイシアが魔法の手を緩めたのだ。ろくに呼吸もできていなかったから、弘樹は貪るように酸素を取り込んだ。


「お前たちが現れてから、この世界は滅茶苦茶だ。多くの人が職を失った。お前たちが俺たちの社会を乗っ取ったからだ。便利になれば人がみなお前たちになびくとでも思ったのか!」


 魔法が現れ浸透していく激動の時代の中で、多くの人が職を失った。魔法は、これから緩やかに淘汰されていくであろう職を、一世紀分は先取りして一気に屑籠に放り込んだ。


「お前たちのせいで、俺の人生は狂っちまったんだ!」


 言葉にするほど、弘樹の魔法に対する憎しみは、燃料を投下され続ける炎のように急速に燃え上がる。なのに、その矛先を向けられているアイシアの表情があまりにも冷たいから、その温度差で頭がどうにかなってしまいそうだった。


「魔法を求めたのは君たち社会だよ。だからこんなにも魔法は世界を覆った。君たちが魔法を求めさえしなければ、魔法世界はこの世に現れることもなく、魔法も人目に入ることもなかった。過去の選択による過ちを嘆くなら、求めた相手ではなく自分に対して向けるべきでじゃない?」


 やりきれない感情を吐き出したのに、返ってくる言葉は理屈だ。さっきまで民衆に愛想をふり撒いていた女性が、拳銃をつきつけお前が悪いのだと言っている。その内容は正当なのに、武器と魔法を掲げた魔法使いに言われると、例えようのない苛立ちで身体が砕けるほど痛くてたまらない。


 経済社会において、弱者は強者に搾取されるか潰されるかでしかない。その一点においてアイシアの言葉は正論ではあるが、人間味はどこにもない。弘樹が求めているものと、彼女の言葉は悲しいほど焦点が異なるのだ。だからこの怒りは消える兆候など見つからず、彼女へと向けられたままだ。


「お前たち侵略者が、強者がそんなこと言うなよ。持てる者が持たない者をそんな風に見下してたら、持たない者が怒りを覚えるのは当然だろ!」


「だから武器を携え強者を叩くの?」


「そうだ!」


 弘樹は叫んだ。


 アイシアはふっと息を吐く。血の通っていない、冷たい息だ。


「私たちと君たちの違いは、何に進化を委託しているかの違いだよ。私たちは魔法へ託し、君たちは科学へ託した。それぞれ別の世界で運用していた“道具”が重なれば、いままでの常識が通用しなくなるのは当然だよね? 君たちには魔法が優遇されているように見えているかもしれないけれど、私たちも社会で役に立たない技術は淘汰されている。人が残した競争原理に私たち魔法使いが乗っかっただけだよ。“こんな有様になったのは”お互い様なんだよ」


 つまり、アイシアは弘樹の父親の仕事は、役立たずだから社会に捨てられて当然だと言っている。この期に及んで感情を無視し続ける彼女が、人間には思えなかった。思考の違いをまざまざと見せ付けられて、彼は怒りを通り越して呆れてしまった。


「お前たちは、みんなそんななのか? 魔法が使える人間だと思っていたのに、こうして話していると異次元の種族と話している気分になる」


 そのとき、弘樹は初めてアイシアの瞳に感情が走ったように見えた。


 魔法使いにとって、世界はひとつではない。アイシアたちの生きる世界は、この物理法則に支配された世界だけでなく、半身は魔法世界に縛られている。だから、魔法使いの感覚野には物理世界と魔法世界が交じり合って存在する。人の性質が環境で変わるように、たとえ同じ空間で生活していようと、人と魔法使いは根本的に思考形態が異なる。


 生まれてすぐに魔法使いとして生きてきたアイシアは、これが顕著なのだ。


「それはさすがに、デリカシーのない質問だよ」


 アイシアの口元が歪む。泣くような微笑だった。


 アイシアが引き金にかけた指を絞る。




 ◇◆◇




 秋葉原UDXビル屋上に、無数の鎖が舞った。宙を泳ぐ蛇となった鎖が、その矛先をアイシアへ向けている。《時間観測》によって早くも察知した彼女は、すぐさまその場を離脱するため《電磁結合》を使用。磁力の反発で急上昇。それを追うように蛇の群が追っていく。


 最悪だ。


 ビルの屋上など一般人がそう簡単に入れる場所ではない。魔法転移で送迎した高位魔導師がいるに決まっている。アイシアの頭からそれが抜けていた。だから、阿呆にも高位魔導師が張った罠に引っかかった。


 真下からの狙撃。


 ライフル弾がアイシアの横腹を掠める。《時間観測》が鎖に対する処理で飽和状態になっていて避けきれなかった。


「魔法使いが反魔法団体と通じてるなんて聞いてない!」


 アイシアは、それが決定的に隙になるとしても叫ばずにはいられなかった。《電磁結合》による磁力と《時流制御》の加速で、立体戦闘機動を取る。本気にならなければ一秒後には死ぬ。そして、AWSがないから魔法のすべてを三次元立体機動に注がなければならない。武器は右手に握った拳銃CZだけだ。


 絶望的だった。


「これ死ぬかも」


 脇腹が痛い。掠っただけとはいえ、ワンピースには血が滲んでいた。対刃、防弾、防火効果を持つASUのローブを着てこなかったことが致命的だった。的になると頭の片隅で考えてはいても、まさか本当に的になるとはアイシアも考えていなかったのだ。


 やはりお洒落など魔法戦闘では足枷でしかない。


 連打される狙撃と鎖の群から逃げながら、アイシアは次の行動を思考する。本能は逃げろと叫んでいた。だが、魔法転移ができる高位魔導師の狙いが彼女から外れたとき、秋葉原がどうなるのか想像がつかない。


 正義の魔法使いであるアイシアは、犯罪魔導師から逃げるという選択肢がないのだ。だからここで倒すしかない。この圧倒的不利な状況下でだ。


 いまは逃げながら思考を回すしかない。でなければもうじき詰む。あの人間狙撃手の力量が尋常ではないのだ。戦闘機動を取っているアイシアの速度偏差を読み始めているのだ。確実に戦争か紛争で魔法使いを相手にしたことがある手合いだ。


 乱数機動を取る。鎖はまだ伸びる。せめて狙撃範囲外に逃げなければ死ぬ。それでも、正義の魔法使いとしてのアイシアがこの場に留まり続ける選択をする。


 体内通信でISIA本部へ呼びかける。


「本部、応答せよ! こちらアイシア!」


「こちら本部、どうした?」


「説話魔導師一名および反魔法団体の二名と戦闘中! 二名のうちひとりは凄腕の狙撃手。繰り返す。二名のうちひとりは凄腕の狙撃手! 至急刑事課を応援に寄越されたし!」


「説話魔導師と反魔法団体がだと? どういうことだ?」


 説明している状況ではない。だが、しなければ先に進まない。足元を狙撃銃弾が抜ける。死神がすぐ傍まで近づいている。


「おそらく組んでる! こちらは丸腰状態! 至急応援を求む!」


「本部了解! もう少し耐えろ!」


 身体を貫くほどの怖気。


 眼下で昏い光が放たれる。弓鶴からの報告で上がっていた堕ちた天使が、この世に召喚されていた。犠牲を出してでもアイシアを仕留める気なのだ。


 これではアイシアを殺しても説話魔導師の評判が落ちるだけだ。そんな簡単なことになぜ気づかない。フェリクスの手筋にしては粗すぎだ。


 いや、とアイシアは心中で否定する。これは狼煙だ。ISIA広告塔を殺すことで、ISIAとASUに対する宣戦布告とするのだ。そう考えればフェリクスらしい。彼は常識的でありながらも昔ながらの魔法使いだ。戦いの中に華を見いだす英雄。


「ふざけないで! 花火にされるなんて御免だよ!」


 脇腹が痛む。出血がひどい。乱数機動を取るのがしんどい。治癒したいができない。暇がない。魔法を三重展開し続けているせいで精神力がガリガリと削られる。しかし、動きを止めれば最後、鎖に絡めとられ狙撃の直撃を受けて死ぬ。


 狙撃が頭蓋を掠める。血が流れて右目が使えなくなる。堕ちた天使の咆哮。《時間観測》が極大の異変を察知。極光のレーザーを紙一重で避ける。迫りくる鎖の動きを銃撃で逸らす。その隙間を縫って左肩を狙撃弾が直撃した。激痛。うめき声を噛み殺す。


 早く、増援を早く……!


 体内通信に反応。


「――こちら本部、応答せよアイシア!」


 一時緊急離脱を選択。急上昇。


「こちらアイシア! 増援は⁉」


「ASUからの回答だ。アイシア一名で対応せよ。繰り返す。アイシア一名で対応せよ」


 ふざけるな!


「こっちは丸腰ってちゃんと伝えた⁉」


「伝えた! ASUは現在関東支部にて戦闘中だ! こちらも説得したが警備部の戦力は割けないとの回答だ!」


 ISIA本部職員の声には苦渋が満ちていた。だが、いまのアイシアはそんなものが欲しいんじゃない。欲しいのは増援だ。でなければあと一分以内に死ぬ。


 絶叫しそうになるがなんとか堪える。狼狽えれば死ぬ。奥歯を噛む。救援はない。たった一人で第八階梯の高位魔導師と反魔法集団の二人を相手にしなければならない。


 この上なく絶望を感じた。


 一拍の隙。


 両手両足が動かなくなる。いきなり勢いを殺されて両手両足首に激痛が走る。がちゃりという金属が擦れる音。鎖で捕まえられていた。


 視界がぶれる。


 高度二千まで上昇していたアイシアの身体を鎖が一気に引きずり落とす。翼を失った鳥のように地へ堕ちる。視界が狭くなる。地上が近づいてくる。魔法防御が脳裏に掠める。無理だ。扱える防御魔法の中に迫る来る衝撃に耐え得るものが無い。死まであと三秒。


 弓鶴……!




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