第二章:日向と日影が交わるとき 1

 弓鶴たちはその場ですぐさまASU関東支部へ、フェリクスを筆頭とした一部の説話魔導師が反旗を翻したことと、魔法使い候補者が連れ去られた旨を報告した。報告を担当した代理班長ブリジットは、映像越しに怒鳴り散らされていた。相手が超高位魔導師であろうが神であろうが、ASUは仕事を失敗した間抜けの評価はすぐ落とす。十二月の更科那美の件と合わせて二回目の失点だ。そもそも、この短期間に超高位魔導師と二度も対峙して生きていることがまず奇跡だ。


 その後、戻ってきた円珠家の人間にも情報を連携。夫人は見ているこちらが耐えがたいほど動揺していた。娘を守れなかった間抜けに文句ひとつ言わず、ただ娘を助けてほしいと懇願された。それが一番弓鶴には堪えた。いっそ罵ってほしかった。


 ともかく、警護課としては円珠庵を探すしかない。だが、超高位魔導師の魔法転移先を見つけるなど容易ではなかった。


 仕方なく一度関東支部へ戻ることとなり、弓鶴たちはAWSで飛び上がった。飛行中、端末を眺めていたブリジットが突然笑った。哄笑だ。


「みんな、メールを見るといいよ。民間の説話魔導師の連中、一斉に失踪したようだ。当然だ。あのフェリクス殿が旗頭になったんだ。誰だって希望を持つ」


 弓鶴も端末を見ると、一通のメールがASUとISIAの担当者へ一斉送信されていた。中身を開く。そこには、ブリジットの言った通り、民間の説話魔導師が突如失踪したことが記載されていた。そして、事態を重く見た《二十四法院》はフェリクス討伐を警備部へ命じていた。


「いまの説話体系の《二十四法院》は確かクレドール爺さんだったかな。《穏健派》がかなり動いたんだろうね。普通なら説話魔導師全員の討伐案件だよ」


 ブリジットが思い出すようにぼやく。


 ASUには意思決定機関である《二十四法院》という委員会がある。魔法世界が誕生していない十二体系をも含む、全二十四体系ある魔法体系の長たちだ。ASUは実力主義であるから、事実上各魔法体系最強の魔導師集団である。


 確か、フェリクスは次期二十四法院と目されていた超高位魔導師だ。当の《二十四法院》が出てくるのは自明だろう。


 魔法体系の構図があまり理解できていない弓鶴のために、ブリジットが解説する。


「《二十四法院》は《連合》時代からある意思決定機関だ。当然派閥はある。概念体系ルーベンソン殿を筆頭とした《穏健派》、精霊体系ルドリュ殿を筆頭とする《過激派》、元型体系セシリア殿の《中立派》の三派だ。説話体系はこの《穏健派》になる。主に魔法使いらしい魔法使いの考えをしているのは《過激派》の連中だね。つまり、今回の決定は《穏健派》が主導権を握ったってことさ」


 弓鶴にとって、仕事に以外の政治要因は範疇外だ。聞いたことはあるが深堀りしたことはなかった。


「とりあえずその派閥が何を指しているのかが分からないんだが」


 ブリジットの呆れ顔。


「キミも魔法使いなんだから、魔法使いの力学を覚えておきたまえよ。《穏健派》は一般社会への適合を主導している。つまり人類と仲良くってことだね。《過激派》はその逆、全人類を抹殺……とまではさすがにもういなかいけれど、魔法で人類を支配することを考えている。《中立派》は、まあのらりくらりかな」


「それでどうして《過激派》の連中が負けたことになるんだ?」


 ブリジットの説明では、三派の違いは結局人類に対するアプローチの違いでしかない。魔法使いの扱いについては触れていないから弓鶴にはよく分からないのだ。


 ここで珍しくラファエルが口を挟んできた。


「ASUの過激な体制を敷いたのが《過激派》です。魔法に傾倒するあまりに走った完全実力主義。魔法使いの世界をここまで生きづらくしたのはあいつらです……」


 どうやら個人的になにか恨みでもあるのだろう。ラファエルの声にはやるせない怒りが孕んでいた。


 つまりだ、《過激派》は魔法使いに対しても厳しいということだ。そう考えれば《穏健派》が勝ったという言にも納得できる。


「錬金体系はどっちなんだ?」


 これにはオットーが答える。


「《穏健派》ですね。因果体系もそうです。ちなみに《二十四法院》を謳っておきながら秘跡体系の魔法使いはいません。まあ、これも歴史の流れですね」


 《連合》を裏切ったのにも関わらず魔法世界を作り、現在の十二体系に名を連ねている秘跡体系は、当然ASUから蛇蝎のごとく嫌われている。ある意味、説話体系よりも秘跡体系の方が生きづらい。


 とりあえず弓鶴は、魔法世界の人間関係は複雑だな、とだけ思うことにした。いまは目の前のことに集中したかった。


「どうやって円珠庵の居場所を特定するんだ?」


 弓鶴の問いは重い。一度魔法転移をした魔法使いを探すのは骨が折れる。なにせ現代科学でも経路を追うことができないからだ。


 転移魔法は、使える魔法使いなら不法入国が放題だ。だから、統一魔法規格で不正使用を禁じられている魔法である。そして通常、どの国も転移封じの魔法を展開し、国外から国内、更に首都圏内への魔法転移を封じている。


 前述のアーキ事件で転移をした魔法使いたちは、それすら軽々と乗り越える超高位魔導師だから転移魔法が使えたという訳だ。アイシアの父ラファランらは、ISIAを介して日本国政府に要請し、許可を得たうえで転移してきたのだ。結局、超高位魔導師の前では転移封じすら意味がない。


 つまり現時点で分かるのは、円珠庵はこの地球のどこかにいるということくらいだ。捜索するうえでは情報が無さ過ぎて絶望的な状況だった。


 だが、ブリジットは弓鶴の問いに否と説く。


「いや、その点は考えなくていい。円珠庵の身柄は安全だと言っていいからね。なにせあのフェリクス殿が保護を約束しているんだ。むしろ問題点は、今後説話体系を戦うことになる点だ」


「円珠庵さんを助けるために必ず説話魔導師が出てくるでしょう。高位の説話魔導師は一対多の戦いが得意です。今回は不意を付けましたが、真正面から戦えばあのエルヴィンとて勝つのは至難です」


 オットーの言葉に弓鶴は思わず息を呑む。今回の戦闘で既に二回は死にかけたのだ。相手が高位魔導師であれば危険度は断然に跳ね上がる。


 ブリジットが続ける。


「今回の説話魔導師の動きからするに、ISIAとASUに対して何かしらの攻撃を仕掛けるはず。恐らくは説話魔導師の総力戦になる。円珠庵の救出はそこを突くしかない」


「といってもどうせ魔法転移で来るだろ。結局場所が分からなきゃ意味がないんじゃないか?」


 いや、とブリジットが急に暗い顔をした。本気で嫌そうで心底恐怖に震える表情だった。


「ひとり当てがある。転移時の精神の流れを辿れる超高位魔導師がいる。ひっじょーに頼りたくないが……今回は頼るしかないね。ああ……我、精神的に殺されるかも……」


 なんとなく理解できた。ブリジットがここまで恐れる魔法使いはひとりしかいない。




「あら、私の可愛い可愛い甥っ子ブリジット。間抜けを晒してわざわざ私に連絡してくるなんて、感激のあまり殺したくなるわ。ねえブリジット、随分とマクローリン家の名に傷をつけてくれたじゃない。ねえ、どうしてほしいかしら? 私としては、是非あなたの飴色の鳴き声を聞きたいのだけれど」


 関東支部に戻った後、ブリジットが端末を通してある魔法使いへの通信面会を請うた。相手は元型体系の超高位魔導師シャーロット・マクローリン。ブリジットの叔母である。そして、通信面会が許諾され、立体映像が表示された途端の開口一番がこれだ。


 眼前に映し出された女性は、一言でいうなら奇怪な美人だった。栗色の髪はセミロングで、飴色の瞳はまるで琥珀のよう。赤ワインを垂らし込んだような唇は濡れて艶があった。二十代前半の若々しい肢体は非常に肉感的で色気があった。そして、なぜか平時だというのに黒のパーティドレスを着ている。当然彼女がいる場所は執務室であり勤務中だ。まったく理解ができなかった。


 高位魔導師は頭がおかしいことが普通だと言われているが、シャーロットも例に漏れず頭のネジが飛んでいる魔法使いの一人だ。そもそも、科白の内容がひどい。初対面ではあったが、弓鶴はこの女性についてアイシアの父ラファランから話を聞いたことがあった。


 曰く、常に人を見下さないと生きていられない女。人の不幸を蜜とする最低の女。好かれたら最期、死ぬまで付きまとってくる迷惑女。叶うことなら絶対に会ってはいけない女ナンバーワン。


 とまあ、ひどい内容のオンパレードだ。アイシアの母、現代の聖女ともいえる慈母の優しさを持つアリーシャも、シャーロットのことを嫌っているのだ。どれだけ危険人物かは、それだけで推して知るべしだ。


「叔母上、とりあえず土下座するから許してくれないかな? 一応ほら、部下の前だから穏便にね……」


 早速、恥も外聞も投げ捨てたブリジットが、日本流最上位謝罪の土下座を繰り出す。だが、シャーロットの目は既に彼へは向けられてはいなかった。哀れである。


「あら、アイシアはいないの? 折角連絡するのだったらアイシアを出しなさいな。あの子の奇天烈な髪を愛でたいのに」


 シャーロットの声は飴が滴るように甘い。だが、その声の裏に潜んでいるのは人を痛めつけて喜ぶ嗜虐心だ。


「叔母上、そんなこと言うからアイシアが逃げるんだよ……」


 ブリジットの言葉を受け、シャーロットがこてん、と首を傾げる。仕草ひとつとっても美しいが、彼女が動作取るだけで背筋が凍る。本能が逃げろと訴えかけているのだ。


「あら、ブリジットいたの? ごめんなさい。あまりの存在感のなさに忘れていたわ。もう死んでいいわよ。ついでに死んでいいわよ」


「二回も言う⁉ 我まだ生きたいよ⁉」


「黙りなさいな。無能はマクローリン家に不要よ。精々豚と交尾でもしてなさいな」


「叔母上! 口、口が悪すぎる!」


「ブリジット、よくお聞きなさい。少年姿になっているあなたの方が億倍兆倍京倍も存在が邪悪だわ。気持ち悪くて吐き気がしそう。とりあえず死になさいな」


 ひとまず、シャーロットの口癖は「死ね」というのは理解できた。あとは口が悪い。すこぶる悪い。弓鶴はすぐにでも逃げ出したかったが、サディストというのはそういう者を見つけるのが得意である。すぐに彼女の視線に射抜かれた。冗談抜きで身体が震えた。


「あら、あなた。初めて見る顔ね。新人かしら?」


「叔母上、このものは八代弓鶴という我の後輩、いまは部下だ。是非とも寛大な処置を頼むよ……」


 シャーロットはブリジットの言葉など聞き流しているようにじっと弓鶴を見つめる。そもそも処置ってなんだ。彼はもはや嫌な予感しかしなかった。


 シャーロットがひとつ頷く。恐怖で弓鶴が身体を竦めそうになる。


「あなた、名前は?」


 どうやら本当にブリジットの声は届いていなかったらしい。「いま我言ったよ? ねえ聞いてた?」という彼の声は聞かなかったことにする。この場においてはシャーロットが法だ。黙して従うしかあるまい。


「八代弓鶴。錬金魔導師です」


「歳は?」


「二十一です」


 シャーロットの笑みが深くなる。人間のものではない、魔女の邪悪な笑みだ。やはり血が繋がっているのか、ブリジットと少し似ていた。


「あら、アイシアと同じね。お似合いだわ……ええ、とっても……」


 んふふ、とシャーロットが笑う。嗜虐心を忍ばせた魔女の声だ。


「あなた、魔法使いは好き? 嫌い?」


「嫌いです」


 思わず本音が出てしまった。まずかったか、と弓鶴は思うがシャーロットは微笑んだままだ。


「理由を訊いても?」


「魔法使いはクズばっかりですから」


 いっそどうにでもなれと開き直った弓鶴は本心のままに言った。すると、シャーロットが目を見開き、口元を押さえて心底愉しそうによろこび笑った。


「あなた、彼と同じね。魔法使いのことが嫌いで悪い魔法使いを狩る仕事をしているのに、自分も結局魔法使いで、どうしようもないドツボに嵌っているところがそっくりだわ。特に目が似ているわ。鋭くて迷いがないように見えるのに、どうしても思考の泥沼に両足を突っ込んでいそうな目」


 それは褒められているのだろうか。非常にけなされている気がした。


「気に入ったわ弓鶴」


 処刑宣告だ。今日死ぬのかな、と弓鶴は恐怖に震えながら思った。


「今日はなんの用があって私に連絡してきたのかしら?」


 ここぞとばかりにブリジットが口を挟む。


「お、伯母上、それはだね――……」


 ふいに、シャーロットから殺意が溢れた。超高位魔導師が一度殺意を放てば、下位階梯の者など動けるはずがない。全員が蛇に睨まれた蛙状態になる。そもそも、オットーもラファエルも、彼女と通信してから微動だにしていない。存在を知覚されることを恐れているのだ。


「ブリジット……そろそろ黙りなさい。私は弓鶴に訊いているの。次、私と弓鶴の会話を邪魔したら――殺すわよ?」


「わ、わかった。黙る。我はいますぐ黙る!」


 シャーロットの前ではブリジットは役立たずだ。他の班員も身動きひとつ取る気配すら出さない。完全に背景と同化しようとしていた。弓鶴が答えるしかなかった。


「今回の不手際で我々が警護しそこねた少女の居場所を見つけて欲しいんです」


「無理ね」


 シャーロットは即答した。でも、と続ける。


「そういうことではないのでしょう?」


「ええ、説話魔導師らは必ずISIAとASUに総力戦を挑みます。その際の転移反応から探して欲しいんです」


 くすくすとシャーロットが笑う。


「なかなか無茶を言うわね。でもいいわ。やってあげる。感謝なさい」


 弓鶴は深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


「いいわ、気に入っている子の頼みのひとつくらいは訊いてあげるわ」


 ほっとして弓鶴は顔を上げる。シャーロットは微笑んだままだ。心底安堵した。どうやら彼女は話ができる魔法使いのようだ。アーキに比べればまだ全然マシだと思ったところで、彼女が口を開いた。


「ブリジット。そろそろ死ぬ覚悟はできた?」


「いまの話の流れで我の生死って関係ある⁉」


 ブリジットの嘆き。シャーロットの目が細くなっていく。それに伴い、じりじりと場の雰囲気が重くなっていく。


「ブリジット、元型魔導師に距離は関係ない。分かっているわよね?」


「待って伯母上! 分かった、我が悪かった! 謝る! 謝るからあれだけは! あれだけは許して!」


 シャーロットが蕩ける笑みでひとつ頷いた。ブリジットの瞳に希望の光。だが、それが一気に堕ちる。


「死になさい」


 シャーロットの指に雷が走った。次の瞬間、ブリジットの変身魔法が強制的に解かれて普段の姿に戻ったかと思うと、背を弓ぞりにして目を剥いて口をあんぐりと開け始めた。声すら出ないのか、ひゅーひゅーとした吐息だけが室内に響く。ようやく弓鶴は気づく。遠隔で電撃を流しているのだ。


 嗜虐心に満ち溢れた哄笑が立体映像から溢れた。


「あは、あははは! アハハハハハハハ! いいわぁその顔。素敵だわブリジット。百回じゃ物足りない。千回は殺してあげる!」


 嫌な理解が訪れる。電撃を流し心肺停止、そして更に強制的に流し込んでの蘇生。それを永遠と繰り返しているのだ。ぞっとした。これは確かにトラウマになる。


「さあさあ、もっと鳴いてちょうだい! あなたの心の嘆きをもっと教えて! ああ、あなたの心が伝わってくるわぁ。そんなに怖いのね。そんなに私に怯えているのね! いい恐怖だわ! もっと怯えなさい! もっと苦しみなさい! もっと! もっと! もっと‼」


 室内に紫電が暴れ始める。ブリジットの身体ががくがくと震える。彼の口からは沸騰した唾液が泡を吹いていた。


「ああ、飴色のようだわ……!」


 シャーロットの恍惚な笑み。


 撤回だ。こいつは狂っている。アーキとは別の方面に振り切っている。ヤバさ加減で言えば過去最悪だ。


 弓鶴、とラファエルの小さい声。


「いまのうちに逃げます」


 ラファエルが弓鶴を掴んで会議室から出る。オットーもちゃっかりそれに続いていた。背後からシャーロットの笑い声だけが永遠と響いていた。




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