【九】


「『連想攻撃』、ですか……」

 近藤教授はコーヒーサーバーに向かって歩きながらぼそりと言った。

 緑色のセーターの裾がほつれて糸が伸びている。妙なところが気になった。

「どんなもんですかね」

 ザキは窓辺に近寄った。窓の外は今日も雨だ。椎の木の新緑が滴に濡れてよりみずみずしく見える。


「――『サイコロ仮説』ってご存知ですか」

 教授はスリムな手に持った二つの紙コップにコーヒーを注ぎながら言った。

「まあ『さい』と『PSIサイ』のダジャレみたいなもんですが」

 片方のコップをザキに渡した。どうも、と言って受け取る。駄洒落なのか。

 砂糖いりますか、と訊く。ザキはいえ、と首を振った。

「ここ十年ぐらいで結構支持者が増えてる理屈なんですがね。アイデアそのものは二十一世紀初頭にはもうあったらしいですが」

 教授はコーヒーに砂糖をふた袋とミルクのポーションを二つ入れ、小さなスプーンでかき混ぜると自分のデスクに置いた。

 もしかしてこの人コーヒー嫌いなのかな。ザキは思った。

 ザキ自体は近藤教授に会うのはこれが二度目か三度目ぐらいだった。ラボの人間、マリアンやトキなどは割と頻繁に意見を聞きに来るらしい。

 有力な外部メンバーの一人であるということぐらいしか知らないようなものだった。


「『テレパシー』によって思考を読解もしくは伝達するためには、思考Aと思考Bが同一の領域に存在しなければならない、つまり意識の共有が必要であるとする仮説です」

 教授は引き出しを開けると小さなサイコロをひとつ取り出した。

「……用意がいいですな」片眉がずり上がる。

 教授は笑いながらちょっと困ったような顔になった。

「説明用に、というのは嘘で……ま、たまに気分転換に院生とチンチロリンをやることがありまして」


 コーヒーを噴きそうになるのをかろうじて堪えた。ドヤ街の日雇いかあんたは。


「例えばサイコロはこの一面だけを見ると二つの点、こっちから見ると別の数の点が見えます。また別の面を見るとこちらにも違う点という全く異なった事象が存在するわけですが、あくまでもこれはひとつのサイコロである、つまり『意識』とは、脳の存在とは別個の場所にある『単独の存在』である、という考え方です」


 デスクのサイコロを指先で転がした。


「『点のある面を見る行動』が『意思』、『点のある面』が『意識野』、『点そのもの』が『思考もしくは感情』であるとする解釈ですね。仮にこのサイコロが透明な素材でできているとしましょう。透明な面の上に点があるとします。これをある面の反対側から見るわけです。すると向こう側の面、すなわち「別の思考B」が見えることになります。これが『テレパシー』の理屈になります」

 教授はコーヒーを一口含んだ。

「透過は単なる光学作用ですから、これは屈折もしくは反射でも問題ない。とすればこういう角度やこういう角度で」

 空中に指であさっての方向の角度に線を描いた。

「――見える面にある数を認識できることになります。つまり六面体である必要がないとすれば、N面体は限りなく球体に近い存在になるわけで」

 言葉を切った。

「……話がそれてきたかな」


 ザキはふんふんと頷きながらも、いまいち理解していなかった。


「この仮説の過激な点は、『人類にはそもそも意識は存在していない』とする考え方ですね。『点のある面』を『見ようとする行動』は単なる化学反応で説明がつくわけなんで、そこに『意識』が存在していないとすれば、脳は電気信号を発するだけの単なるマシーンであることになります。つまり『意識』に接続することができれば、それは『機械』でも可能なんじゃないか、という考え方がありになってしまう。無限の計算能力を持つ意識のある存在――それは『神』と呼ぶんじゃないかと。……ここらへんが学会内で反発を受ける原因なんですね」

 少し間があった。


「まあ近年では、近接して生活する能力者同士が互いに影響しあって、能力が顕著に発達する『PSI共振』などが知られるようになってから、この手の概念へのアレルギーは比較的少なくなってきたんですが」

 そんなもんですかねえ、とザキはあいまいに返事をした。

「実際問題として、理論としては完全に解決していないまま、現実的には実用化の方向に動いてる現状もありますんで。――軍事転用は昔からですし、十何年か前、南西海大の姉原という人が作ったPSIを応用した超効率的な加速器サイキック・リニア・コライダーに端を発した量子物理学分野への応用、ドイツのボルンによる物質波への変換からロシアの研究者によるPSI発電、栃木の転換炉でも用いられている炉内透視操作によるメンテナンスなどに至るまで、もうこうなると流れ的には止まらないんじゃないか、と私は見ています」


 話がまたそれました、と言って教授はザキの方を向いた。


「面白いのは、この仮説に従うとESPによる脳への作用が説明できてしまう、という点にあります。先ほどの透明なサイコロで考えますと、光学作用によって透過できるということは、反対もしくは別の面にこちら側の面の数字を投影することができることになります。例えば四の面の反対側は三の面ですね。これを反対側に投影すると見える映像は点が重なって五になってしまうわけです。これは四の面に対するダメージになるわけで、これがいわゆる『精神攻撃』であるとすることができます」


 ほう、と唸った。


「で、残崎さんの言う『連想攻撃による脳死』ですが考え方がないわけではありません」

「あるんですか」

「これも仮説ですが物質に対する反物質のように、『意識』に対する『反意識』が存在しているとする説があります。先ほどのサイコロの例で言いますと、例えば三の面があります。この面に対する反対の存在として、白黒と方向が逆転した三の面、『反・三』を想定します。これを例えば正面から接触させるとどうなるか。

 白黒がお互いの存在を打ち消し合って、ただの黒もしくは白の面になってしまいます。つまり反物質でいう『対消滅』と同じことが意識で起こることになるわけで、これは『面』である『意識野』の消滅を意味していると言えますね。これと似たようなことが起こった、と考えればどうでしょうか」


 なるほど……ザキは考えた。


「すると『連想攻撃』によるイメージの『暴走』は白ないしは黒のイメージを無理やり押し付けられた結果、ということになりますか」

「そんな感じですかね。『攻撃者』に『悪意』――『害意』かな――があったとすれば、の話ですが」

「悪意……あるいは『敵意』? ……『ない場合』がありますか?」


 教授は立ったままデスクにもたれた。


「なぜ『悪意』なり『敵意』があると考えるのでしょうか?これはとりもなおさず『受信者』が脳死した、という結果があるからに他なりません。言い方を変えましょう。例えばものすごい音量の啼き声がする鳥がいるとします。その鳥の声を聴いた人間が聴覚に障害を起こしたとして……果たして、その鳥に悪意があったと言えるでしょうか?」

「つまり――『事故』だと?」怪訝な顔になった。

「その可能性もあり得る、という話ですね」


 ううん。ザキは唸った。

「悪意」、「敵意」のない攻撃。落ちてきた隕石に当たって死んだとしても、宇宙に悪意はないってことか。

 そんなことがあり得るのか。



 先生、と女子の院生が声をかけた。

「すみませんお話し中、先生四時までに比企野先生にサンプル返却しないといけないんですが……」

 ああ、そうだっけ、と教授はしばし上を向いて、印象的な長髪をかき上げた。

「比企野さんかあ……仲町君、返しといてくれないかな?」

 仲町君、と呼ばれた院生は渋い顔になった。

「えええ……先生無理言ったって言ってませんでしたっけ。それにあたし、あの先生苦手で……」

 うーん、助平だからなあの人、と少し間をおいて、

「よし、これで決めよう」ポケットからさっきのとは別のサイコロを取り出す。


 待て、そこは普通ジャンケンじゃないのか。何個持っている。


 返事を待たずに一個を投げ上げ、手に握るとデスクに伏せた。

「丁か半か」

「半!」

 いやここは大学の研究室じゃないのか。いいのかそこは。

 ゆっくりと手を伏せたまま横にずらす。

 目は六。

 仲町女史はぷうっとふくれて「先生の意地悪!」と言って出て行ってしまった。

 まあ、無理ないよな、と思って何気なくデスクの上のサイコロをつまみ上げた。

 ん?

 目が偶数しかない。あれ? ひねり回す。確かに偶数しかない。

 思わず教授を見る。

 教授は手の中にあったもう一個のサイコロを宙に投げ、口に指をあて、片目をつぶった。

「わたしもあの先生は苦手でね……捕まると話が長いんだ」

 ザキの口がへの字に曲がった。

 

 只者じゃねえ。いや、ただのギャンブラーなのか。

 しかし、なんだな。……まあ、いっか。







「ザキ、忙しい?」

 作業中の画面にギイの顔が映った。

「忙しい」そっけなく言う。

「何してるの?」

「本業」

「あなたの本業って何だっけ」

「一応これでも業界紙のフリーライターのつもりなんだが」

「何の業界?」

「土木建築」

「斜陽産業ね」

 手を止めた。

「おい、人の仕事にけちつけるために呼んだのか?」


 画面に画像が割り込む。

 女子学生の全身と上半身。制服姿の南米系。名前はネコ。

「ジュディからの報告で、怪しい転校生が同じクラスに入って来たらしいわ。調べてほしいの」

「FSSじゃだめなのか」

「MMの能力者である可能性があるらしいの。彼らじゃ危険ね」

 少し考えた。

「わかった。ちょっと時間をくれ」

 いいわ、と言って通話が切れた。


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