【七】


 目覚めた。

 白い天井。そこを這うカーブしたカーテンレール。壁際にまとまった白いカーテン。

 ――病室?

 横を向く。

 ジュディがパイプ椅子に座ったまま居眠りをしていた。

 ゆっくり上体を起こした。胸元を見る。病院のものらしい寝間着を着ていた。

 ちょっと頭がふらつく。どうしたんだっけわたし。

 ――ああ、そうだ、あの工場みたいなとこで倒れたんだ。


「……ジュディ、ジュディってば」

 膝を押さえてゆすった。はっとジュディが頭を上げる。

「あ、あかり。起きた? 大丈夫?」

 うん、と言って頷く。「ここ、どこ?」

「OZの病院。FSSが連れてきた。わたしが呼んだ」

「FSS?」

「フェニックス・セキュリティ・サービス。民間の警備会社ね、表向き。実はOZの軍隊みたいなもの」

 言いながらナースコールを押した。

「あの男たちは?」

「FSSが回収したと思うけど、わからないね。わたしあかりに付き添ってきたから」

 あ、そうよね。手を口に当てた。

「ごめんね、手間かけちゃって。――いま何時かな? ママ心配してるかも」

 ジュディが携帯で時間を見ようとした時、開け放たれていたドアから白衣の女性が入ってきた。

「お目覚めね。気分はどう?」

 わずかに微笑みながら金髪の整った顔をあかりに寄せてきた。切れ長の目がまっすぐあかりの目を見ていた。

「大丈夫です……ちょっとだけふらつきますけど」

 あかりの額に手を当てて熱はないようね、と言った。

「急に能力を開放したからでしょうね。よくあることよ、じきに慣れると思うわ」

 にこっと笑った。

「――あなたはどなた、ですか?」

「私はマリアン。マリアン・イヨネスカ。ここの責任者よ。ここはOC――オクトーバー・コーポレーション日本支社の敷地内にある病院なの。OZの研究施設でもあるわ」

「マリアンさん――あなたも、OZのひと?」

 そうよ、と言って微笑んだ。

「あ、親御さんには連絡しておいたわ。ジュディの母ってことで、遊んでて転んでけがしたから家で休ませてることにしてあるの。帰ったら話合わせておいてね。あとで家には送るから心配しないように言っておいたわ。――ついでに自転車も直して返しておいたからこっちも心配しないでいいわよ」

 忘れてた。すみません、と言って頭を下げた。

「マリアンさん、あの男たちはどうなったの?」

 あかりの表情をちらっと横目で見た。

「あんまり聞かないほうがいいかもよ」

「――死んだのね? わたしのせいですか?」

 マリアンが首を振った。

「違うわ。一人は撃たれたせい。あとの二人はまだよくわかっていないわ。あなたのせいじゃないことは確かよ。自分を責めちゃだめよ」

 あかりはちょっと下を向いた。

「あの男たちは誰なんですか? メディオスなんちゃらってジュディに聞いたけどよくわからない」

 少し間を置いた。

「メディオス・メディオードはかなり昔からある南米系の組織なの。概念自体は古代インカからあるっていう話もあるぐらい。昔から『ヒトを超えるもの』への畏怖心が強くて、それが現れたとき人類は滅びるとされる伝説に支配されているの。そのために『能力者』を敵視しているのよ」

 古代インカ――学校でちょっと習った記憶しかない。見当もつかなかった。昔?

「――昔からOZとMMは戦っていたんですか?なぜ長い間決着がつかないの?」

 マリアンが丸椅子を引き寄せて腰を下ろした。

「OZ自体はそんなに古い組織ではないの。もともとは能力者が理不尽に狙われることに対する自警団みたいなものだったようよ。――やがてその中から組織を立ち上げる機関があらわれてだんだん大きくなったの。歴史的に虐待を受ける例も多かったからあくまで秘密裡に、だけど」

 言葉を切った。

「決着がつかないにのはいろいろ理由があるけど一番は、ともあれ敵の本拠地がわからないから。こちらから攻撃を仕掛けられないのね。――世界中を転々と移動しているの」

「OZには『能力者』が大勢いるんじゃないんですか?」

 マリアンがわずかに困ったような顔をした。

「いるわよ。でもつかめないの。――敵の能力者の力の方が強いのね。強力な網で居場所をくらましているの。『防御網エンボルバー』と呼んでいるわ」

 そんなとこでいいかしら、と言ってマリアンは少しあかりの方へ寄った。

「――ひとつ教えてほしいんだけど、あなた、あの自転車の鍵、どうやってはずしたの?」

 え? 突然言われて戸惑った。どうしたっけ?

 しばらく考えた。

「……気持ちを、集中したら見えたんです。番号が回るところが」

 マリアンが少しだけ厳しい表情になった。

「内部の構造を透視して解錠したわけじゃないのね?」

 頷いた。

「そんなに冷静に考えてる余裕なくて……ただ友達助けなきゃ、としか考えてなくて――よく覚えてないです」

 ジュディの方をちょっと見た。なぜかかしこまっている。

 そうよね、と言ってマリアンが表情を和らげたとき、入るわよ、と声がして背の高い女性が室内に入ってきた。

 袖のたっぷりした赤いワンピース。裾が長い。右手に金属製の長い杖を持っていた。

(うわ、きれいなひと)

 あかりはちょっとたじろいだ。

「疲れているところ悪いわね。わたしはギイ。OZの実質的な責任者だと思ってもらえればいいわ。普段は『査察官チェッカー』と呼ばれているけど」

「あ、あなたが――お世話になってしまってすみません……真佐崎あかりです」

 知っているわ、と言ってくすりと笑った。

「本当は出てくる場面じゃないんだけど、どうしても訊いておきたいことがあってね」

 ベッドの脇で中腰の姿勢になった。ギイが顔を寄せると、淡い香水の香りがあかりの鼻をくすぐった。

「思い出したくないかもしれないけど、ちょっと思い出して。撃たれた一人を別にして、他の二人の様子がおかしくなったとき、彼らのどちらかの心を読んでみた?」

 唇を引き結んで、こくんと頷いた。

「なにが見えたか教えてくれる?」

「……窓です」

「――窓?」また頷く。

「大きな、意識いっぱいに大きな窓が開いて、その向こう側にまた窓があって、それが開くとまた窓で――」

 恐怖感がよみがえってあかりは頬を両手で挟んだ。

「窓が次々に開いていくのを見てたら意識が吸い込まれそうになって……怖くて。無理やり心を閉じました」

 ギイが少し眉根を寄せた。

「何か別のもの、だれかの意識のようなものを感じた?」

 いいえ、と首を振った。

 夢のことは言わなかった。

 ふむ、と言ってギイが少し考えていた。やがて姿勢を戻してやや柔らかい表情になった。

「――ありがと、ごめんなさいね、辛かったのに。……お礼と言ってはなんだけど、聞きたいことがあったら答えるわよ」

「すみません、じゃあ、教えてください。――『レイジ』って何ですか?」

 ジュディに聞いたのね、と言って少しあかりに近づいた。

「時空の地平線に現れ、人類を最終進化させるとされる存在、と言ってもわからないわよね」

 微笑わらった。あかりが頷く。

「私たちも会っているわけではないから本当は知らないの。ただ知っているらしいのは私の上司『ビー・ディ』だけ」

「『ビー・ディ』?」

 ギイが頷く。

「その名しか知らない。どこにいる何者なのか、知っている者は誰もいないわ。ただしその言葉が真実であることはなぜか誰もが知っているの」

「その人がレイジを探しているんですか?」

「探しているのではないわ。いることは彼にはわかっているの。『レイジ』と出会うことのできる人間を探しているのよ」

 ジュディの言葉を思い出した。

「まさか――あたし?」胸に手をあてる。

 ギイが少し笑った。

「その可能性がある、ということだけよ、現時点では、ね。プレッシャーになられても困るわ」

 首を振った。大きなイヤリングがちりんと鳴った。

「『レイジ』というのも仮の名でしかないの。本当は名前なんかないと思っているのだけど。現在の人類を『午前中』と捉えることに由来しているのね。その人類を『午後』の存在へと進化せしめる『正午』の存在、それが『レイジ』なの」

「それで『正午作戦オペレーション・ゼロアワー』なんですね」

 そうよ、と言ってきびすを返した。

「消耗しているはずだから、今日は早く休んだほうがいいわよ」

 マリアンが言った。

「それから、我々の存在は極秘なの。警察とは連携しないわけじゃないけど、大っぴらに知られていいわけでもないのよ。なにかあったら警察より先にFSSの緊急番号に連絡して。最優先にするように手配しておくから。連絡先はあとでジュディに聞いてね」


 それじゃ、と言って二人は病室を出て行った。







 白い壁が続く廊下。窓の外はもう暗い。敷地は広く、ここからでは街灯りは見えない。


「素直ないい娘だわ」

 そうね、とマリアンが言った。

「幼くしてあれだけの能力だったら辛いことも多かったでしょうに」

 ギイが言って、少し遠い眼をした。

 マリアンは黙ってその顔を見ていた。しばらく無言で歩いた。

「あの工場から問題にはならないわね?」

 歩きながらギイが訊いた。

「FSSが手を回しているから問題ないわ。車も回収したし、直せるところは直す手配も済んでるはず」

 マリアンが歩きながらファイルをめくる。

「車からなにか解った?」

 首を振る。

「なにも。車検証とかは無関係な個人の所有扱いになってるし、コンソールをサルベージしてもなにも出てこないの。連中も馬鹿じゃないわ」

「三人はどうなの?」

「射殺されたのはおそらくMMの正規メンバーね、顔にタトゥーがあったから。他の二人はたぶん金で雇われたごろつき。身なりのわりに懐が暖かかったわ」

「死んだの?」マリアンが首を振った。

「まだ虫の息。ほぼ脳死状態だけどかろうじて呼吸はしてる。脳幹はほぼ死んでるから時間の問題でしょうね」

 ギイが顎に手をやった。

「ジュディの話だと目の前で突然せん妄状態になって回りだした、ってことだったわね」

「ザキの話と同じね。同じ状態になったと考えていいと思うわ」

 考え込んだ。

「共通するのは、ひとつのイメージに囚われているらしいこと。そしてそのイメージから脱出できなくなること」

「そして脳死」マリアンが続けた。

 二人は黙ったまま歩いた。


「そういえば、彼女は調べてみた?」頷くマリアン。

「寝てる間にね。血液、心電図、脳波、全身CTひとわたり。いたって健康な15歳よ」

 ふうん、と頷くギイ。

「脳波にも特に変わったところはないの。シータ波が少し高いぐらい。でもジュディと同じ程度よ。数値データ上ではBからCクラスと変わらない。でも車を調べた結果からでは本気出した念動力はAクラスだわ。エンジンがバラバラよ」

 少し驚いた。ランクSはテレパシーだけではないのか。

 一番大事な点は、と言って言葉を切った。

「自転車の鍵をはずしたこと。聞いた話だと構造を透視したわけじゃない。過去もしくは未来に回される番号を知覚したのよ」

 ギイが怪訝な顔をした。

「予知能力なら常人にもまれにあることよ?Dクラスでも普通にできる能力者は大勢いるわ」

 マリアンが首を振った。

「あの娘は過去や未来の時間を選択できるの。普通の予知や過去視とはたぶん違う。意志を持って選択している」

 向き直った。


「――あの娘の能力は時間を越えられるのよ」





 部屋に入って戸を閉めた。

 カバンを床に落として制服のままベッドに倒れこんだ。疲れた。

(一日でいろんなことありすぎ……もたないわ)

 ゴンがのそのそとベッドに上がってくる。あかりの顔をのぞき込んでなーお、と啼いた。

「大丈夫、ありがと、ゴン」

 あおむけになってちょっと腕の包帯を見た。かすり傷で済んでよかった、と思った。

(ママへの言い訳が苦しくなるとこだったし)

 心配する母親を振り切るのにちょっと苦労したのだった。


 思い出す。

 あの窓。あの果てしなく開いていく無限の窓の向こうになにがあるのだろう。

 それとも、と思う。


 ――あのまま、あの窓の向こう側に行くべきだったんだろうか?


 ――あの窓の向こうに『レイジ』がいたんだろうか?







「ちょっと待ってくれ、セニョル・ラウロ」

 薮田の声が大きくなった。画面に映った不機嫌な顔の髭の男が首を振った。

「待ってほしいのはこっちだ。簡単な仕事ということで値引きに応じたが、実際は帰ってこられないのでは引き合わない。手数料は倍だ」

「いやいやいや、それは困る」身振りが大きくなる。

「今まですでにそちらにはかなりの便宜を図ってきたじゃないか。葉っぱ関係の船の仕切りも全部任せてるし、機械の特許関係も窓口をお宅にしてるのはマージン取れるようにしてあげたからじゃないか。人件費抜いても十分利益上げられるようにやってるつもりなんですよこっちも」

 相手は引かない。

「それはこれまでの話だ。リスクが上がればコストも上がる。当然の話だ」

「なあ待ってくれセニョル、あんたと俺は長いつきあいだ。これから教授の研究が進展すれば、さらにそっちにも金が回るように図ってやる予定なんだ。そこは考えてくれないと俺の立場がない。なんとかわかってもらえないか」

 ラウロが渋面を作った。ややあって言った。

「――わかった。顔は立てよう。とりあえず次回の手数料は据え置きにしておくが、これ以上被害が出るようなら考えてもらうぞ」

「ああ、結構だ。グラシアス、セニョル」

 画像が消えた。はあ、とため息をつく。がめつい親父だぜまったく。

 淡い虹色の煙草をくわえ、ダンヒルのライターで火をつける。


 もう四人目、だっけか? ……いや実験やらなんやらでぱあにした分を含めたら十人ぐらいか。

 あいつら人の命なんだと思ってやがるんだ。

 基本連中が何人くたばろうと知ったこっちゃないが、タマにゃコストってもんがかかる事がまるでわかっちゃいねえ。ガキかよ。

 空から金が降ってくるとでも思ってやがるのか。


 煙草を消して研究室へ向かった。


「――進展具合はどうですかね」

「行き詰っとるね」

 姉原教授は機械から目を上げずにぶすっと言った。乱れた白髪が遠目には綿毛のように見える。

「原理的にはもうアメリカにいた時点で完成しとる。あとはDFSで時間を超越した座標を固定するための場をつくれねば標的が捕捉できんと言っておるだろう」

 言ったかな、と思ったが黙っていた。

AMSアスラマータシステムの出力は現在まだ三十パーセントだ。最低でも五十は超えないと目標を消去できん――わざわざおさらいをしに来たのかね」

 相変わらず機械から目を上げない。いえいえ、と薮田が首を振った。

「実はシンジケートあっちの窓口が少々ゴネはじめてまして、また少し餌をやらないと動きがにぶくなるかもしれません」

 ふん、と教授は鼻を鳴らした。

「――そんなことは君の方でなんとかしたまえ。その分の金は払ってるはずだろう」


 まあそんなとこだろう、と思った。


 研究室を出た。やれやれ、どいつもこいつも。

 ため息をついた。

 ため息ばっかりだ。薮田は毒づいた。







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