【六】


 石の祭壇には炎が灯っている。

 ナイアはその前にうずくまり、両掌を組んで目を閉じていた。

 扉が開き、ジェンが入ってくる。

「――どうした」

「例の場所の近辺で妙な波動を感じました」

 薄く目を開き、炎を見つめる。

「『超越者』か」

 わかりません、と首を振る。

「……細かい網を張りたいのですが、あの『穴』が怖くて」

 うむ、と唸るジェン。「防御に支障はないか」

「大丈夫です。防御網はこのあたりだけなので……でもあの町に網を張ったら、どうなるか」

「それだけでいい。当面あの学校に集中しろ。ただし無理はするな」


 背後の暗がりに気配がした。

「――ネコ」後ろを振り向かずに声をかける。

 はっ、と影から声。跪いている黒い服の少女。

「あの学校に潜り込め。段取りはヤブタにさせる。超越者を特定し、行動を監視するのだ」

「はい」

「超越者の身体にはマーカーが現れる、と聞く。それを探せ」

「見つけたら――その後は」

 少し間があった。ジェンが首だけ動かして背後を見た。


「状況による。……命令を受けたら、殺せ」







「あれ、みずちゃん部活?」

「ううん、ミーティング」

「あ、そうなんだ。じゃあお先ねー」

「はいよー、あかりもまた明日ねー」

 三人で玄関を出る。

「だいぶあったかくなってきたよねー」

 空を見上げるみつる。そおねー、とあかりは袈裟にかけたバッグを持ち直す。

「日本の春、好きです。カナダ、まだ寒いです」

「ジュディちゃんは日本の春、初めて?」

 みつるが訊くとジュディがこくんと頷いた。

「春、気持ちいいデス。お風呂も気持ちいい」

「お、あかりの味方かな?」ちろっと横目で見る。

「じつはこないだ『あおぞら温泉』で会ったんだよ、ねー、偶然」

 ジュディがにっこりする。

「えー、すごーい」


 校門に続くコンクリート塀が切れるとその先に民家が並ぶ。

 さらに通りひとつ隔てたところのコインパーキングにシルバーのワンボックスが停まっていた。かなり古い型だ。

 窓には黒いシールが張られ、中は見えない。

 

「小娘ひとりシメるのに三人もいるかよ」

 運転席のウーゴが三本目の缶コーヒーを開けながら言った。

「ニオの旦那がいなきゃ誰がそいつだかわからねえじゃねえか。おめえは足だよ足。金もらってるんだから文句言うな」

 ロボが言うとけっ、とウーゴが横を向いた。

レイオスは使うなよ。この国じゃアシがつくかもしれん」

 後部席で手を組んで目を閉じているニオが言った。

「なあに、ひっさらって車でシメてポイで終わりさ」

 ロボが事もなげに言う。二人とも薮田が手配した男だ。


 三人が校門を出る。


「居たぞ」とニオ。

「三人いるが」

 スコープを覗いてロボが言った。

「力を発しているのは右端だ」

「髪が丸まってるやつだな。――車じゃ目立つ。俺が尾けるから先回りしとけ」

「わかった」

 ロボがレシーバを耳に取り付け、マスクで顔を隠すと車からそっと降り立った。

 早足で通りを歩き出す。


「明日体育だっけ」あかりが言う。

 えー、とみつる。「ゆーうつー」

 あははと笑うあかり。

 つられて笑っていたジュディがぴくっと立ち止まった。

 横目で背後を見る。首は動かさない。

「どしたの?」あかりが訊いた。

「……ううん、なんでもない」


「いま、ほかの二人と別れた。俺の居場所はわかるな」

 ロボがマスクの中で小声で言う。

『その先まっすぐ行くと空き地がある。娘がそこまで言ったらそこで合流はどうだ』

 レシーバからウーゴの声。

「いいだろ」


 あ、とあかりが立ち止まる。

「ジュディに修学旅行のプリント渡すの忘れた」カバンの中をごそごそ。あった。

「ちょっと渡してくる」走り出すあかり。

 よろしくねー、とみつる。


 ジュディは住宅地を抜ける道を歩いていた。

 住宅地を抜けると右手は畑地、左側が空き地になる一本道だ。

 空き地の向こう側の道からワンボックスが顔を出した。ゆっくりと左折し、ジュディのいる方へ向かってくる。

 いまだ。ロボが足音を忍ばせながら駆けだした。

 背後からジュディに近づく。ほぼ同じタイミングでワンボックスが斜め前で減速する。

 ロボが両手を伸ばそうとした刹那、ジュディがくるりと振り向くと同時に右足が地面を離れる。

「はッ!」

 気合いと共に制服のスカートと足先がきれいな二重円を描いてロボの顔面を捉えた。顔をあさっての方に向けて吹っ飛ぶ。

 運転席のドアが勢いよく開いた。ウーゴが飛び出す前にジュディが走る。

 降り立ったときには眼前にジュディがいた。伸びきった態勢に対し腰を落としてみぞおちに肘が入る。

 ウーゴが声を出す前に掌底が腹。下がったところへ踏込み、正拳突きが胸にきれいに入った。

 とび下がるジュディ。構える。

「ぐはッ」ウーゴが腹を押さえてがくっとくずおれた。

「――かかったね、わざとひと気のないところ通る家を選んだね」

 ウーゴに近寄る。

「さあて、アジトの位置、吐いてもらおうかな」

 車の陰から青い閃光が奔った。

「あッ!」強力なショックが全身を襲う。体が痺れる。

「しまった……まだ、いた、か」倒れた。動けない。

 ニオが銃を手にして車の陰から現れた。

「念のためとは思ったが麻痺銃アナイザーを持ってきてよかったぜ。おまえら起きろ」

 ロボがよろよろと起き上がった。頭を振る。

「くそ……アマっ娘が」

 ウーゴが車にしがみついて上体を起こす。げほげほと咳き込んだ。

「早く積め、おいそっち持て」

 ニオがジュディの脇の下に手をかけ、持ち上げようとした。


「――ちょっと! あんたたち! なにしてるの!」


 ぎょっとして振り返る。空き地の向こう、住宅地側から大きな声。

 少女が走ってくる。

「ヤバい、早くしろ」

 ウーゴが運転席に這い上がる。エンジンをかけた。ロボがジュディの身体を引きずり込む。ニオがあかりに銃を向け「動くな!」と叫んだ。あかりは止まらない。ちっと舌打ちすると急いで車に乗り込む。

 出せ、と言われるが早いか弾かれたように走り出す。角を曲がる。


 あかりは立ち止まった。警察! ――じゃ間に合わない! 周囲を見回す。なにか!

 フェンスに立てかけられた自転車。ナンバー錠でフェンスに固定されている。

 飛びついた。錠を手に取る。『鍵』を気にしている場合じゃない。思念を集中する。脳裏に錠の映像。番号が回る。

 ――六、二、二、四。

 外れた! とび乗って走り出す。ごめんなさい後で返します。心でつぶやいて全力で車を追った。


「もっと飛ばせ!」ニオが怒鳴る。

「ダメだ! 道が狭すぎる! 建物に当たったらもっとまずいことになるぞ!」

「くそっ」


 ペダルを全力で漕ぐ。この道は知ってる。住宅地の中へ入り込むと車一台がやっとの細い道が大通りへ出るまで続いている。自動車で入るべき道ではなかった。自転車に分がある。スピードを上げた。

 角を曲がったところで視界に車を捕えた。案の定のろのろでしか進めていない。

 ――大通りへ出られたらまずい。あかりは思った。通りは海まで一本道だ。振り切られる。

 視界の中の車が大きくなる。

 止めなくちゃ――止めなくちゃ! 息が上がる。

 必死に思念を集中する。車。――エンジン。

 見える。高速で動く内燃機関。絡み合うコードとパイプ。わからない。どれをどうすれば!


 ちくしょう――みんなはずしちゃえ!


 バルブが抜ける。めきめきと音を立ててパイプが曲がる。ガスが噴き出す。チューブがはずれてオイルが流れ出した。

 座席下からごきごきと妙な音がする。途端に車ががくがくと揺れ出し、みるみるうちに減速していく。

「くそ! やりやがったな! あいつも能力者なのか!?」ウーゴが唸る。

「あそこに入り口がある! あれを抜けろ!」

 左側に錆びた大きな鉄扉が開いていた。曲がる。ハンドルが動かない。脇の塀に横っ腹をこすりつける、がりがりがり、といやな音がした。

 黒煙を吹きだしながら、薄暗い敷地に滑り込んだ。ブレーキが利かない。目の前に鉄柱の基礎が迫る。

「うわ!」

 どしゃっと音を立てて激突した。ガラスがばっと白くひび割れた。

 速度が出ていなかったのでダメージは小さい。開かない。ニオが曲がったドアを内側から蹴り飛ばした。


 あかりが自転車で敷地に走りこんでくる。

「ちッ!」

 ニオは麻痺銃アナイザーを放った。青白い光があかりのそばをかすめる。

「きゃっ!」

 避けようとしてバランスを崩した。派手な音を立てて自転車ごと横転する。とっさに回転受け身をとる。道場の成果だった。

 そのまま転がって、積まれた荷物の陰に転がり込んだ。はあはあと肩で息をする。

「――ようし、そこまでだ、アマっ娘」

 車の陰からジュディの腕を掴んで立たせているロボが現れた。頭に銃を突きつけている。

「おとなしく出てきやがれ」

 ウーゴもよろめきながら車を出てきた。こちらも銃を手にしている。

「アシがつこうがこうなりゃ知ったことか、小娘がなめやがって。ぶちこんでやらなきゃ気がすまねえ」

 三人が並ぶタイミングを待った。車の後側に揃った。

 ――ぬん! 力いっぱい思念を集中した。

「うおッ」

 銃を持つ腕が一斉に上を向く。

「ジュディ! 早く! こっち!」あかりが叫ぶ。ジュディがよろめきながらあかりの傍までたどり着いた。

「ごめん、あかり、まだ体が」ジュディがうめく。あかりが肩を抱え込む。荷物の陰でジュディは携帯を取り出し、必死に番号を押した。

「084、緊急、コード18、回収願います」


 ――こいつも能力者だったのか。ニオも念を込める。必死に腕を下げようとした。あかりの念が押さえつける。思念が拮抗する。

 ニオの腕がわずかに下がる。銃を放った。あかりの頭の上に逸れたが、そのせいで念がわずかに緩んだ。

 他の二人の腕が少し下がる。ロボが発砲した。天井に近い窓のガラスを打ち抜いた。

 破片がきらきらと降り注いでくる。頭を伏せた。


 ふ、と風があかりの頬を撫でた。

 ――え?


 ロボとウーゴの動きが停まった。

 二人とも天井近くの窓をぼんやりと見つめたまま動かない。ニオが異変に気付いた。

「――おい?」

 二人の銃が前を向いたまま、別々の方向に回り始めた。


ヴェンタナ……開くアビェルト……窓……開く……窓……窓・窓・窓」

「おい! どうした!」ニオがロボの肩に手をかける。

 ロボが銃を構えて顔を上に向けたまま、ぐるっとニオの方を向いて正面から発砲した。

 胸を打ち抜かれ、ニオは仰向けに倒れた。

 二人は発砲しながらぐるぐると回っている。光弾が四方八方に飛び散る。

 あかりとジュディは陰に隠れたまま身を小さくした。

「――何が起こったの?!」あかりが叫ぶ。

「わからない!」ジュディが返す。

 荷物の陰からそっと顔を出す。回り続けるロボに意識を集中する。


 大きな大きな窓。開く。その向こうに、また窓。開く。窓。開く。ばたばたと開いていく窓・窓・窓・窓。

 吸い込まれる。

 ――まずい!

 思念を無理やり閉ざす。眼もぎゅっと閉じた。

 ジュディの肩を抱え、二人で小さくなったまま時間が過ぎた。やがて向こう側でどさどさっと倒れる音がした。


 静かになった。恐る恐る物陰から顔を出す。

 全員倒れたまま動かない。


 ――助かった……の?


 ふわっとあかりの意識が遠ざかる。

 あ、れ……?


「あかり!」

 ジュディの声が遠くなる。







 はっとした。『穴』だ。

 ナイアは立ち上がった。網は張っていない。『糸』だけだ。

 だが、はっきりとわかった。

 同時に別の波動も掴んだ。間違いなく『超越者』だ。はっきりと力を使った。

 ジェンに知らせなければ。

 ナイアは急いで部屋を出た。







 夢?

 暗い場所――どこ?ここ?

 寒い。体は、ぼんやりしてる。裸だ。――寒い。

 

 ――ママ、あの人、お金もっていこうとしてる。

 ぎょっとして振り返る男。

 真っ青になる母。


 ――もういや、あの子といると気が狂いそう。

 ――近寄らないで!

 ――あなたはなんで普通の子じゃないの!

 

 ママ! ママ!……。

 わたしは、いてはいけない子。

 わたしの何がいけないの?生きていること?

 わたしは――わたしは―――


 辛い。

 悲しい。

 涙が止まらない。



 遠くにぼんやりと光。

 なにか聞こえる。

 ――あそこへ、行かなくちゃ。

 手を伸ばす。

 光が遠ざかる。ああ、待って。


 待って。




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