おむかえにあがります

 精一杯の誠意は、見せる相手がいなければ伝えられないと知ったのは、笑ってしまうほど濃い隈を目の下に作っているカシーの顔を見た瞬間だった。

「何があった」

 憔悴しているカシーを見たのは、初めてかもしれない。口数の多い奴ではないがじっとしていられる我慢強いやつである。いつだって自分よりも冷静で落ち着き払っているその彼が眠れないほどの何かがあったのだ。

 それはローラムのこと以外であるはずがない。

 共に同じ人に師事し、育った仲だ。実際に血縁関係にはないが、本当の兄弟以上に兄妹らしいと言われることもよくあった。ほかの者よりも彼の気持ちは理解できるつもりだし、性格もよく知っている。誰かと喧嘩をしたくらいで隈を作るようなやつではない。

「カシー!」

 彼の沈黙がここまで嫌なのも、初めてだ。

 カシーは、早夏をむしり取ると皮をむき、釣る手の穴に投げつけるように放り込んだ。一つ、二つと投げ込み、その木の早夏の実がなくなると別の木に移って同じことを繰り返す。

「……ローラムが、戻らない」

 あちこち探し回っても見つからないという。

 昼も夜もなく、それこそ町中、川や田畑まで探し回った。

 でも、いない。

 単なる家出であることも視野に入れ自分の足で戻ってくるかもと期待もしていたが、いなくなって一週間ともなると事件性があることのほうが濃厚だ。近隣の家々も見て回り、それとなく聞き込みをしてみても手掛かりはない。

「あとは、領主の屋敷だけだ」

 そう呟いたカシーは、ようやくまともにこちらを見た。

「お前が来てくれてよかったよ、勇隼いさはや。俺じゃ行けないんだ。招かれないから、入れない」

「まだそんなものに縛られているのか」

 古い古い取り決めだ。

 カシーの一族は、人に招かれなければ他人の敷地に入れない。最近ではその効力は薄れてきているというが、建物としてはっきりと線引きされてしまっている場所に関しては、未だに強く作用する。

「……わかった。遅くなって悪かった。カシーは少しでも体を休めとけよ。早夏じゃノジーは酔っぱらうだけだぞ」

 領主の屋敷では現在、ノジーが多数使われている。見た目がそっくりな彼らは個体を識別することは難しいが、ある程度の周期で担当している仕事を入れ替わっている。嘘か真か知るのはノジーだけであるが、交代制で仕事をこなしているのであれば、そのうち酔いの冷めないノジーが屋敷へ赴く番が来る可能性がある。確信できるほどの可能性ではないが、少しでも何とかしたいという気持ちがあるのだろう。動いていなければどうにかなってしまいそうな気持は、痛いくらいよくわかる。

「素面のノジーより相手しやすいだろ」

「どうだろな。あいつら数と硬さは世界一だから」

「違いない」

 ぽん、と早夏を放ったカシーが穴にくるりと背を向けた。

「一緒に行く。休んでなんていられるか」

 ユハは頷き、二人は駆け出した。

 地上には大小さまざまな国家があり、領地があり、多種多様な文化があるが、深幽境しんゆうきょうと繋がりを持っている国や領地は、そう多くはない。

 深幽境の特異性によるところも大きいが、幽鬼たちが人間と関わりたがらなくなってきているからだ。昔のように人間が畏怖することもなく、ろうそく以上に明るく持続する電灯が発明されてからは、隠れられる闇も少なくなった。

 電灯の登場による人の世の確立により、闇に生きる者は大きく二つに分かれた。本来の姿を捨て理性的に活動する人を模倣して生きることを決めた者たちが幽鬼、人との共存や関わりを捨て本能のままに生きるのが魔物である。

 深幽境は幽鬼の郷だ。人を糧としない方法を探し出し、それを実践している。人に手を出し退治され、あるいは使役されるのならば、人を糧とせず独自に進化し生きていく道を切り開く。

 陽射しの中、煙を上げる体で懸命に仁王立ちするノジーを見て、そりゃそうだ、とユハは思った。

 酷使されるだけされて、勝手に死ねと言われているようなものだ。ノジーはユハやカシーとは違い、地下の暮らしに特化して進化してきた種族だ。地上では陽の光に触れただけでその熱に焼かれてしまうし、陽というものに耐性が全くないので太陽の光をたっぷり浴びて育った早夏を食べると酔ってしまう。自分だったらこんなところに一秒だっていたくない。

 ノジーから漂う煙と共にくすぶる臭気に、ユハは顔を顰めた。

 勝手に減った分は、勝手に増えるとでも思っているのだろうか。

 ノジーがなぜ自らを危険に晒してまで人間に従っているのかはわからないが、それでもこんな境遇はあんまりだ。

 ユハは物陰に身を潜めたまま、様子を窺った。ノジーたちは領主館の入り口を塞ぐように配置されているが、今のところただ立っているだけだ。地表にいるノジーたちはせいぜい十名ほどだが、体からの噴煙が激しくなるとその個体は地中へ潜り、別の者が代わってやってくる。取り返しのつかないことになる前に、傷ついた体を地中で癒すのだろう。

「あれじゃ、減っているのに増えているみたいだ」

 彼らの事情は知らないが、こちらにはこちらの事情がある。

 それを業と呼ぶか宿命と呼ぶかは人それぞれだが、ユハにはそんなものはどうでもいいことだ。ただローラムの無事を確認し、彼を深幽境に連れて行かなくてはならない。

 そうでなければ、彼でなければ、深幽境は枯れてしまう。

 のっぴきならないのは、果たして自分か、ノジーか。ふとそんなことを思ってしまったのは、少しでも自分が非道ではないと思いたくて、ローラムの前に臆せず出て行きたいからか。

 ――どちらにせよ、好かれていないことは、わかっているのだけれど。

 ユハは深呼吸をして、気持ちを切り替えるよう努めた。どう思われようが、自分の役目は決まっている。カシーの古い縛りもそうだが、自分の性質もつくづくままならないものである。

「数が多いな」

 ノジーの数を数え、カシーが言う。

 見えているだけでも十名。地中に交代要員がいるものとして少なく見積もっても二十名のノジーが門前に集結している。建物の中に全くいないとも限らないので、雑用係、ローラムを見張る係がいるとして、ざっと考えても五十はくだらない。

 ユハは空を見上げた。西の方はまだ十分明るいが、東の空はすでに暗くなり始めている。相手をするのが夜目の利かない人間なら夜間に仕掛けるほうが有利になるが、闇の中でこそ本来の力が発揮できるノジーが相手となる状況では、逆となる。

 陽が落ち切る前に乗り込み、脱出までを終えなければ。

 ひいき目に見ても、ユハの腕っぷしの実力は万全の状態ではないノジー相手に五分にも届かない。それも一対一での話である。多数相手ではさらに勝率は下がる。自分よりも戦いに関して優秀なカシーがいればどうにか乗り切れるだろうとは思うが、この一週間で積み上げた疲労が希望に暗い影を落としている。

 応援を呼んでもいいが、呼びつけにかかる時間を考えるとあまり得策とも言えない。それに大人数で押しかけては目立ってしまい、かえってローラムの身を危うくさせてしまう恐れがある。派手な行動は慎むべきだ。やはり二人で行こうという結論になり、ユハとカシーは持ってきた早夏の皮をむいた。

 独特の酸っぱい香りがする。細かく皮を手で千切り、実の部分をカシーが、皮をユハと分けて持つ。

 カシーが実を軽く握り潰す。充満する濃厚な香りは皮をむいた時の比ではない。カシーはノジーたちに向かって早夏の実を投げつけた。

 果汁を滴らせながら飛んでいく早夏が、ぼとりとノジーたちの足元に落ちる。

 突然空から降って来た物体に、ノジーたちが何事かと体を強張らせる。苦手な陽射しの中にあり、ノジーたちの目はほとんどと言っていいほど視力が低下していたことも幸いした。物体の正体を確かめるため顔を近づけたノジーの一人が早夏の香りをたっぷりと吸い込み、ふらついた。その拍子に隣にいたノジーにぶつかり、もつれるように二人とも転倒する。彼らを助けようと近づいてきたノジーたちもまた、早夏の香りに次々に酔い始める。

「よし。やるぞカシー」

 千切った皮をめくり上げた服で巻くように持ち、ユハは息を止めてノジーたちの方へと駆け出した。

 ユハの特技の一つだ。息を止めている間だけ、不可視状態になる。

 早夏の香りに酔い、ふらついたり座り込んだりしているノジーたちが遅れて足音に気付き顔を上げるが、ユハは構わず彼らの中に飛び込む。早夏の皮をノジーたちの口の中に一かけらずつ手早く押し込んでいく。

 十名分ともなると、息が続かない。

 きちんとこちらを向いて整列でもしていてくれればいいものを、軽く寄っているノジーたちはすぐにあちこち向いてしまって口を開けさせるのも一苦労だ。最後の二人になって、ユハは苦しさに耐えきれず止めていた息を吐き出した。

 特技の効果が切れてしまう。

 最後の二人となったノジーが急にぎょっとした顔になるが、ユハは構わず二人の口に早夏を突っ込んだ。

 ノジーの目がとろんと蕩け、体から力が抜けていく。

「何とか間に合った……あー、べとべと」

 咄嗟のことで皮と一緒に指までノジーの口に突っ込んでしまった。ユハは少しでもノジーの唾を弾こうと手を振りながら敷地の中へ入ると、振り返って手招きをした。

「いいぞ。中に入って来いよ、カシー」

 チリッと空気が熱くなる。

 カシーが隠れていた場所から出て、完全に泥酔状態となったノジーの間をすり抜けてくる。その足は止まることなく、ユハの隣に並んだ。




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