あなたのもとへ

 ユハは決して腕っぷしが強いわけではなく決闘や武闘大会で勝てたためしがないが、喧嘩では負けたことがない。

 卑怯だと言われようが、喧嘩は自分の持てる全てを尽くして行うものだ。

 そして、今みたいなこんな場合にも、自分の特技を使わない手はない。

 カシーを屋敷の出入り口の死角に潜ませ、ユハは息を止めた。

 すう、と自分の存在感が薄れていくのがわかる。温度だけが残っているような感じだ。自分で自分を存在していないと否定しそれを確認することもできないが、この感覚になっているときは、他人からユハは認識されなくなる。

 ユハは扉を開け、部屋の中を覗き込んだ。誰もいないことを確認し、呼吸をして、カシーに合図を送る。素早く部屋の中に入ったカシーが扉を閉めた。

 こうして館で働く人々の合間を縫い、二人は館の深部まで入り込んだ。

 好調だが、何か引っかかる。

 それはカシーも同じらしい。ときどき夕立のように急に飛び出すノジーにぎょっとして、慌てて昏倒させると、ほっと息を吐く。

「人が少な過ぎる気がする」

「カシーも思った? 幽鬼の王を捕らえているにしては、警備が手薄だよな」

 ノジーがいるのでここにローラムがいるはずだが、もしもこれがユハたちを誘き寄せるためのものであるとすれば、人間の警備が最低限でしかないことにも頷ける。

 どんな敵がやってくると思っているのか。

 あるいは、やってくると思ってはいないのだろうか。

 領主が負傷していることはすでに町中に知れ渡っている。あまり名君とはいえない領主なので町民たちが嘆くのは口先ばかりだが、直接関わりのある館の者たちはそうも言っていられないのだろう。領主の看病に人手を多く裂かれているとしても不思議はないし、ローラムを連れ戻しに何かがやってくるなどと思っていないのであれば、無駄に警備を増やすこともない。館の仕事が最低限回ればいいのだから。

 ユハたちとしては人が少なければ少ないだけ大いに助かるが、気味が悪い。

 派手にやり合いたいわけではないが、拍子抜けだ。

 それに、ローラムが見つからないのもユハの不安をいたずらに煽っている。

 ユハは再び息を止め、部屋から顔を出した。ちょうど果物を抱えて通り過ぎるメイドがいたのでそのままやり過ごし、彼女が行ってしまってから廊下に躍り出る。カシーに合図を送り、足元から飛び出してきたノジーに早夏の皮を千切って食べさせ、別の階へと向かう。

 領主の館は中心に大きな母屋があり、細い廊下で台所や使用人のための建物と繋がっている。以前は民が寝泊まりするための塔もあったらしいが、何代か前の領主のときに追い出され、今は改築されて客間や家族の部屋となっていた。

「母屋にはもういないんじゃないか」

 部屋数が多いのでどこかの部屋にでもと思ったが、見当違いだったようだ。残すのは最上階とそのすぐ下の階だけだが、そこは領主の居住区域と聞いている。曲がりなりにも領主に危害を加えた者を、領主の近くに置くなんてことはないだろう。

 ユハは上階へは行かず、階下へと足を向け、ぎくりとした。

 階段の踊り場に眼鏡をかけた赤毛のメイドが一人、こちらを見上げて立っている。

「どうした」

 急に止まったユハを回り込むようにカシーが一段降り、彼もまたメイドに気が付いた。相手を窺うように黙り込む。

 メイドは警戒する二人に対し、優雅に一礼する。

「お待ちしておりました。あなたがたがお求めになっておられるのは、こちらです」

 踊り場の壁にある全身鏡を示し、メイドが場所を空ける。

 カシーとユハは顔を見合わせた。どれほど高価なのかは知らないが、鏡を盗みに入ったわけではない。何の罠だといぶかっていると、メイドはくっついてしまうほど鏡に顔を寄せ、手で光が入らないように暗がりを作ると中を覗き込んで見せた。

 ユハは駆け出し、彼女を押し倒す勢いで鏡の前を空けさせると、同じように中を覗き込んだ。カシーも鏡の前にしゃがみ、同じようにする。

 暗がりを作り覗き込まなければただの鏡だが、そこにはもう一つ部屋があった。

「いた! やっと見つけた」

 ローラムだ。ノジーたちに囲まれ、壁に背を付け座り込んでいる。両手は胡坐を組んだ膝の上だが、手首に枷をはめられ、頭上の壁に打ち込んだ杭と鎖で繋がれている。満身創痍だが、危険なほど衰弱している感じはしない。

 焦がれに焦がれて、やっと近づくことを許された彼だ。

 その彼が傷だらけで捕らわれているのを目の当たりにし、腹立たしさにユハは鏡を殴りつけた。鏡にはヒビどころか傷もつかない。特別な仕掛けと同様、特殊加工が施されているらしい。

「ローラム!」

 音も届かないのか、ローラムはユハたちの問いかけにも答えない。

 ユハはイライラと何度か鏡を殴りつけた。何人かのノジーが気づいたようにこちらを見たが、すぐに興味がないように視線を元に戻す。

 メイドが血が滲んだユハの手と鏡の間に自らの手を滑り込ませ、無理やりやめさせた。

「この鏡は特別製で、銃弾にも耐えられます。彼の元に行く道を教える代わりに、私の願いも聞いてもらえませんか」

「交換条件ってわけか? 給金でもあげてもらいたければ自分の主人にすればいい。俺たちはそんなに暇じゃない」

 そもそも対等に取引できる存在ではない。

 ユハはメイドを押しのけ、鏡の淵に手をかけた。割れないのなら、壁から剥がしてしまえばいいだけのことだ。

 メイドがするりとユハと鏡の間に身を滑り込ませた。思わぬ至近距離にユハは短い悲鳴を上げて飛び退る。

 メイドが頭からホワイトブリムを取り、床に落とす。赤毛はかつらであり、長い金髪を露わにすると眼鏡を外した。顔を上げれば、そこには野暮ったいメイドの娘ではなく、領主の孫娘が姿を現していた。

「領主の孫娘であるシャノンと申します。私の失態により、ある方々を死地へと追いやってしまいました。どうか、その方々を救ってはいただけませんか。お願いします」

 真摯に、深々と頭を下げられる。

 だが、領主の孫娘であろうが、ユハたちには関係がない。

「断る。俺はあんたのお願いなんて命令は聞かない」

「……では、諦めて別の方にお願いすることにします。こちらへ」

 やけにあっさりと引き下がったシャノンが再び眼鏡とかつらをつけ、くるりと背を向ける。

 あちらの条件は棄却したのに、こちらへは提供するのか。

「何の罠だ」

「罠も何も、取引して頂けなかったのですから諦めただけです。あなたたちを説得するよりもほかの方法を探したほうが確実だと思ったので」

「それでいいのか?」

「私だけの願いで助けられるのならいくらでも願いますよ。けれど魔法使いではありませんから、現実的に行わなければ何も解決しないでしょう? 心配してくださるのなら、力をお貸しください」

「……そんな暇はない」

「暇があればやって頂けるのですか」

「いや。やらない」

 酷いと言われようが、ローラム以外に興味はない。

 ローラムのためにも派手に騒ぎを起こしたくないと思って大人しく侵入してきたが、どうにもならなくなれば館を破壊してでもローラムを連れ出せばいいだけのことだ。



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