湖岸の事故

 ペンションには二、三組の客が泊まっていて、茉里を入れてたった三人で切り盛りするのは大変だった。毎年二人はバイトを雇うのだが、今年は茉里一人の応募しかなかったという。

 従業員は、茉里を除くとこのペンションの管理者である茅野翠かやのみどりと、その一人息子である茅野壮太かやのそうたの二人だった。翠は三年前に夫を亡くし、入れ替えに大学を卒業した壮太がその仕事を継いだ。壮太は未婚で、定職にはついていないが、年中忙しいこのペンションにはふさわしい存在だった。

 夕食の時間が過ぎ、食べ終わった客が各自の部屋に戻っていくと、下げた食器を洗ったり残飯を捨てたゴミ袋をまとめて捨てる作業に入った。それが終わると、明後日の予約を確かめてから、人数分の食事に使う食材や飲み物の在庫を確かめ、ないものや減っているものはそれぞれ発注をかける。

 一連の作業を終え、三人は疲れ切ってまかないを食べ始めた。ようやくまともな会話ができる。翠は嬉しそうにしていた。

「茉里さん、散歩はどうだった? この辺はきれいな白樺も多いでしょ。いい気分転換になったと思うけど」

 突然、散歩の話題になったので、茉里は少し驚いた。しかし、翠が屈託のない笑顔で訊いてくるものだから、つい、あの石の話をしようとして言葉を飲んだ。

 あれは、誰にも知られてはならない。あの石のことは黙っておかなければ。

 一瞬、黙ってしまった茉里を不思議そうに二人が見る。茉里は、冷静を装って、こう話した。

「湖岸まで行って湖水を見てきたんです。深そうですね、湖」

 すると、翠はびっくりしたような顔をした。

「湖岸まで行ったの! 怖くなかった?」

 翠が異常に心配してくるので、茉里は少しびっくりした。翠は、少し取り乱した自分の心を鎮めるかのように、深呼吸した。

「茉里さん、こういっちゃなんだけど、あの湖岸には近づかないで欲しいの。先に言っておけばよかったんだけど、私が小さい頃、あの辺りから観光バスが転落して、乗員乗客全員が溺死したのよ。そのバスには、私の兄も乗っていてね」

 翠は、そこで言葉を詰まらせた。何も言えなくなった母の代わりに、壮太が続ける。

「君は見なかったかもしれないけど、あの近くに慰霊碑があるんだ。湖岸に敷き詰められていた石を見たかい?」

「見ました」

 茉里は、正直に答えた。例の石は見なかった。そう思えばいい。

 壮太は、続ける。

「あの石は、当時亡くなった人たちの遺族や、この土地の人たちが、慰霊のために、どこからか持ってきて置いていったんだ。もう、あの悲劇を繰り返しませんようにって。だからすごく強い思いが込められていて、人を引き寄せるらしいんだ。君があの場所に行ったなら、きっと、その思いに引き寄せられたんだな」

 壮太の話が終わると、三人は何も言わないまま、食事を終えた。おやすみなさい、それだけ言うと、茉里は疲れ切って部屋に帰った。

 そして、茉里は、自分の荷物の中にある石を確かめてから、眠りについた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る