死にゆくならば/6

 だが、東の国もよほど注意して、今後の政治を進めていかないと、嘘にはいつか民も気づく。


 その時は、反対勢力として作用し、今度は自分の国が崩壊の危険にさらされることになるのだ。人とは愚かなものだ。そうやって同じ繰り返しをしてゆく。


 それをなくすことは簡単なのに、たくさんの人は地位と金に狂わされて、気づかないまま、多くの歳月を費やしてゆくのだ。


 滅多なことでは怒らない貴増参だったが、自然と手を握る力は強くなった。それでも、目を強くつむって、貝のように固く口を閉ざして耐えるしかない。


「あの男はどこに行った?」


 自分が探されている――


「わざと逃して難癖つけて、奴隷として差し出すつもりだったんだが……」

「とにかく見つけて、少しでも媚を売って、王さまに高く取り立ててもらうんだ」


 だから、鍵はすぐに見つかったのだ。逃げてきたのも間違いだった。だが、過去は変えられない。変えられるのは今と未来。しかし、それも――


 男たちの声が背後でウロウロする。


「侍女はどこだ?」


 奴隷として差し出すのは、やはり自分一人ではなく、この隣に隠れている女も一緒だった。


「逃げてください」


 かすかにそう聞こえた気がした。動き出そうとすると、歩きなれない自分の革靴が落ちていた枝をパチンと踏み潰した。一気に男たちの動きが忙しくなる。


「いたぞ!」


 ガサガサと走り寄る音とほぼ同時に、シルレは貴増参が隠れている木よりできるだけ遠くへ向かって走り出した。


「捕まえろ!」


 男たちの注意は一斉に遠くへ向き、あっという間にシルレは囲まれ、侍女は濁流を背後にして、まさしく背水の陣になってしまった。


 ジリジリと詰め寄られて、ほんの少し足を後ろへやると、大雨のせいでもろくなっていた大地はたやすく崩れ落ち、


「きゃあっ!」


 女の悲鳴が空へ突き刺さるように上がると、男たちのため息交じりの声が聞こえてきた。


「濁流に落ちたか……」

「まぁ、いいか」

「男の方を探せ!」


 今度は自分に追っ手が迫ってくる。声の方向から探ろうとするが、こんなことは日常では起きない。今まで平和な日々だった。慣れない。わからない。勘も持っていない。


 潜める息の中で、貴増参は心の整理をする。


 逃げるのではなく。目を背けるのでもなく。ただ、自分は手を貸せない。味方とか敵とかではなく、彼らに自分を渡すわけにはいかない。


 白に近いピンクのシャツは隠れるのには不向きで、男たちの目に無防備にさらされた。


「いたぞ!」

「あそこだ!」


 捕まることはできない。考古学の見地から見て。願わくば、それを自分はしたくない。だからこそ、捕まるわけにはいかない。


 味方をしてくれる人――頼みの綱はなくなった。それでも、自分のしかばねを埋める場所は、どうにかして望み通りにしたい。


 死ぬゆくならば、濁流の中で――

 自分という証拠が完全になくなる、濁流の中で――


 土砂降りの薄闇の中で、服も心も濡れて物悲しく、死へと手招きするように、ゴーゴーとうねる濁流へと急いで近づいてゆく。だが、ふと足を滑らせて、


「っ……」


 木々も地面もあっという間に高くなり、立ったままの姿勢で落下し始めた。


 全てがスローモーションになる。濁流の音はやけに濁り、手のひらから翡翠の勾玉が反動で飛び上がり、青緑の光を四方八方へ力強く放ち、視界は一瞬にして真っ白になり、まぶしさに思わず両手で目を覆った。


 次は濁流に飲まれ、そこで意識はなくなる。体はバラバラに砕けるのだから。落ち続ける体。近づいてくる濁流の音。だが、不思議なことに途中で全てが消え去った。

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