第21話・めぐり、本日はデート日和

 快晴というにはポツポツと幾つか白い雲が浮かび、けれどやはり気持ちの良い晴天が広がることには変わりのない、平和な土曜日のお昼時。


 啓次と巡莉の姿は大型ショッピングモールの中にあった。


 「啓次さん、啓次さん。次はあの雑貨店を見てみましょう」


 「あ、はい。店主自らが現地で買い付けを行う東南アジア系のセレクトショップですね」


 「あらあら、啓次さん、啓次さん。あそこの時計屋さんの壁掛け時計、変わったデザインのものばかりですよ?」


 「はい。あまりにもデザインに凝り過ぎた挙句、針や数字すら取り払って、もはや作者が時間という概念に対して真っ向から挑戦しているただの前衛的なオブジェにしか見えないですね」


 「まぁまぁ、啓次さん、啓次さん。ほら、あそこのペットショップのワンちゃん、とっても啓次さんに似ていますよ」


 「はいはい。いかにも頼りない顔をして、ボールで遊ぶか骨のオモチャを齧るかですら決められずにゲージの中を困り顔で行ったり来たりしている優柔不断なところがそっくりですね」


 「ほらほら、啓次さん、啓次さん。新作の水着ですよ。どうですか?この黒い水着?私には大人っぽ過ぎますかね?やっぱりこちらの花柄のセパレートの方が可愛らしいでしょうか?」


 「はいはい……って、ダメです!!試着室から出てこないで!!色だとか柄だとかの前に、もうそれなら裸でいいじゃんってくらい際どいデザインの水着で出てこないでぇ!!」


 「啓次さん、啓次さん♪」


 「……はいはい。今度はなんですか?」


 「いいえ、ただ呼んでみただけです♪」


 「…………」


 「啓次さん♪啓次さん♪らんらんらん♪」


 「…………」


 なんとも楽し気に満面の笑みを振りまきつつ、巡莉はするすると人込みをすり抜けてはテナントを覗いていく。


 週末のショッピングモールの混雑をものともしないで、あっちに行き、こっちに行き。


 一つ一つは細かなものであっても、寄る店寄る店で商品を購入していくものだから、荷物持ちをかって出た啓次の体は、大きさも模様も材質も多種多様な袋であっという間に埋め尽くされてしまった。


 「次はあっちです。あっちですよ、啓次さん♡」


 「ちょ、ま、待って下さい義姉さん!!」


 「うふふ~捕まえてごらんなさ~い」


 「それ波打ち際でやるやつ!!確かにすごい人波ですけれども!!」


 「あ、うまいことを言いますねぇ。お姉ちゃんポイント、プラス10点です」


 「いやいや、謎ポイント加算してないで一回、一回だけでいいんで休ませてほし……」


 「頑張り屋さんの啓次さんにプラス30点♡」


 「謎ポイントが謎のプラス査定!!」

 

 「うふふふふぅ~♡」


 浮かれ具合にしても、迷いのない足取りにしても、まるで背中に羽でも生えているかのように軽やかな巡莉。


 あまりにも軽やかすぎて、気を抜けばすぐにでも見失ってしまうと、啓次は荷物を大量に抱えたまま、必死にその背中を追いかける。


 そんな風にして午前中から正午過ぎまでの数時間は、瞬く間に過ぎていった。


 

 ☆★☆★☆

 


 「……ぐったり……」


 ようやく巡莉が満足し、モール内にあるカフェでの休憩を許された啓次は、思わず声に出てしまうほど、ぐったりとテーブルの上に突っ伏する。


 「ごめんなさい、啓次さん。私、浮かれてしまって、少しはしゃぎ過ぎちゃいましたね」

 

 頬に手を当て、小首を傾げ、申し訳ないと謝る巡莉。


 しかし、その顔には変わらず大きな笑みが貼り付き、やけにツヤツヤとしている彼女は、とても言葉通りに反省しているようには見えない。


 「……まぁ、いいんですけどね……」


 そんな背景に満開の花でも咲かせかねないほど幸福そうな巡莉にすっかり毒気を抜かれた啓次は、文句も非難も引っ込めてアイスコーヒーをすする。


 「義姉さんもたまにはこうして外でストレス発散したい時もあるんでしょうし」


 「優しい啓次さん。プラス1500ポイントです」


 「……結局、お姉ちゃんポイントはどれくらい貯まってるんですかね?」  


 「2万とんで180ポイントです」


 「途中から想像していた通りのインフレ具合……」


 「だって啓次さんがイチイチ私を楽しませてくれるんですもの。これでもまだ厳しい目線で辛口にしていたところがあります」


 「査定基準、ガバガバじゃないですか……」


 「本日はそんな姉調査員・メグリを唸らせてばかりの啓次さんに感服です。さすがはプロ弟。ボーナスポイントとしてプラス3万点です」


 「また増えちゃった……って、プロ弟??」


 「ええ、啓次さんは弟のプロフェッショナルです。いいえ、その弟として貪欲な有様はまさに職人。一流のマエストロ弟と言い換えても決して過言ではありません」


 「謎ポイントに続いて今度は謎称号が……」


 「だってほら……」


 そこで巡莉はゴソゴソと、幾つか自分で持っていた荷物の中から、一つの紙袋をテーブルの上に置く。


 「賢一さん……お兄さんの好みをしっかり把握している啓次さんは、やっぱり一流の弟くんですよ」


 「……ですかね」


 そうして二人が目を注いだのは、ショッピングモールに来て最初に寄った高級紳士服店の紙袋。


 来月、誕生日を迎える賢一のために何を贈ればいいかと言った巡莉のために啓次がアドバイスを添え、一緒に選んだネクタイピンとカフスが中に入っている。


 「なんとなく、賢一さんって色ならば黒とかグレー、柄も無地の物ばかりを好まれると思っていたのですが……」


 「はい、基本的にはそれで間違ってないですよ。実際、服装にしても携帯のデザインにしても派手目な物は嫌いなハズですから。けれど、こうしたさり気ない小物とかをワンポイントの差し色にしたりするのは、むしろさり気ないおしゃれだとか言って昔からこだわっていたと思います」


 「そうですねぇ……確かに大学にいた頃からそんなところがあったかもしれません。あまりそう言った話をしたことがなかったので、気が付きませんでした。……夫婦だというのに」


 「あ、いえ、仕方ないんじゃないですか?」


 いつかの夕食時、単身赴任中の兄の話題になってその笑みを翳らせたことを思い出した啓次は、巡莉が落ち込みそうになる前に先回りして言葉を繋ぐ。


 「周りにグイグイと自分の主張を述べたり、自分が正しいと信じることは他人にも正しいと押し付け気味になる傾向がある人ですけれど、そういうこだわりだとか趣味趣向だとかはあくまで個人の好みに寄るところがあると、一線引いちゃうところもあるんです。ほら、えっと……」


 啓次は疲労感も忘れて、一生懸命に思考と舌を回す。


 「僕も兄も読書は好きですけれど読むジャンルは全然違います。僕はミステリーや派手な仕掛けがあるエンタメ小説、兄は淡々とした文章が続くよくわからない地味な海外文学って感じで。普段は僕のことを散々叱ったりたしなめたりする兄も、読む本に関しては一度だって口出ししたこと、ないんです」


 「趣味趣向……個人の好み……」


 「だから、兄のファッションへのこだわりもまた自分だけの趣向としてあの人の中で完結してしまっているんだと思います。誰かに理解されずとも、自分さえ理解していればいい、みたいな。……言い方は悪いですけれど、その考えもまた兄らしいといえば兄らしい傲慢さであり、あの人をあの人たらしめる大切な一つの要因であるからしてですね……あーえっと、何を言ってるのか自分でもわからなくなってきちゃいました、ははは……」


 「……いいえ、わかります。よくわかりましたよ、啓次さん?」


 話の途中でヘタレてしまい、尻すぼみに自信がなくなっていった啓次の誤魔化し笑いを、ジッと見つめながら巡莉は言った。


 「本当に人のことをよく見ていますね、啓次さん。妻である私はおろか、もしかしたら賢一さん本人ですら意識していないことを、貴方はよく理解しています……」


 「ま、まぁ、あれです。小さい時から人の顔色ばかりうかがってきましたから。それにあくまで僕個人での意見なんで、本当に兄がそう思ってるかどうかは……って、ああ、これじゃせっかくのフォローが台無しに……えっと……」


 「大丈夫ですよ、ありがとうございます」


 あわあわとする啓次に、巡莉はニコリと微笑みかける。


 「人をよく見て理解し、それで相手が不快にならないようにと自分の立ち振る舞い方を考える……それは貴方の優しさに他なりません」


 その慈しむような微笑みに、翳りのようなものは一つも含まれていない。


 「……単に自分を持たない風見鶏なだけですよ」


 「いいえ、違います。それは紛れもなく優しい心を持った貴方の美徳。少しそれが過剰気味のために誰一人傷つけないようにと手を広げ過ぎ、結果、ポロポロと取りこぼしてしまうものも多いのでしょう」


 「……そんなことは……」


 「その無力さを痛感するたびに自分を過小評価し、自分を責め、自分はダメなやつなんだという泥沼にはまっていく……だから主張はしない。こんな自分の選択なんだから、きっと正しいはずはないと言って選ばない。……それを人は風見鶏と呼ぶのかもしれませんね」


 「…………」


 「だけど、私は知っています。その根元にある貴方の優しさを。自身の無さの裏に隠された、啓次さんの誰よりも優しい心を、私はちゃんと知っていますよ?」


 「……義姉さん」

 

 それはいつかの夜。

 

 彼の何もかもを許してくれた『いいんです』の言葉と同じように、啓次の心に染みわたる。


 その柔らかな母性が、

 その溢れんばかりの慈愛が、


 誰かが自分を見ていてくれているという安心感が、

 

 啓次をすっぽりと包み込む。


 「……そんな啓次さんも、遂に何かを選びとることができたんですね?」


 「え?」


 心地よさに酔い気味だった啓次はハッと驚く。


 「うふふ、わからないわけがないじゃないですか?今日ずっと一緒にいて、ずっと啓次さんを見ていたんです。昨日の夕方に慌ただしく出て行ってからの啓次さんと今日の啓次さん、明らかに様子が違ってますよ?」


 「ああ、えっと……」


 「もちろん、優しい優しい心はそのままに、加えて何か賢一さんにも負けないくらいの自信みたいなもの、そして何より幸せみたいなものが滲み出ています。私が気が付かないと思ったんですか?」


 「……顔に出ていましたかね?」


 いいえ、いいえ、と静かに首を振る巡莉。


 「だって私は『お姉ちゃん』です。弟くんの微妙な変化に気が付かないなんてことはあり得ません。ええ、そうです。夫のこだわりには気が付かずとも、弟くんが一皮剥けて更に素敵な男の子になったことには簡単に気が付いちゃうんですから」

 

 ニコリとしたまま巡莉は言葉を紡いでいく。


 彼女がその内心で何を考えているのかは相変わらず読めないのだが、啓次には言葉以上に含んだものは特になさそうに思える。


 「ええ、ええ。本当に素敵。素敵ですよ、啓次さん……」


 目を瞑りながら紅茶に口をつける巡莉。


 淵につく口紅の淡いピンク色が、白いカップに艶めかしく映える。


 「…………」


 それを見てざわめいてしまう心。

 

 『素敵』と彼女にいわれるたびにこみ上げる感情。


 「……お姉ちゃんポイント、プラスされますかね?」 


 それらを抑え込みつつ、それらに惑わされることなく。


 どうにか冗談めかしたことを言えるほど、彼は確かに昨日までの何も決められなかった塚原啓次よりも一皮むけているのかもしれない。


 「……さぁ……どうでしょうかね……」


 しかし、所詮はまだまだ本人自身が馴染めていない急成長。


 意味ありげな言葉を呟き、意味深な笑みを浮かべたまま紅茶をすする塚原巡莉の真意というか、深淵みたいなものを察すことまでは。


 その時の啓次にはわからなかった。


 

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