第3話

「絵がいつ消えたかなんて皆目見当がつかん」

 僕がまず話を聞きに行ったのは、美術部室にいた美術部部長のところだった。

 部長は辺りを見回しながら言う。

「うちはこの通り部室が小さいから、外に出向いて絵を描くことが多い。部室には大抵鍵がかかっている。施錠の体制は万全だ」

 部活の最初でミーティングをした後は、各々は画材を持ち出して外に出て行くので、必ず鍵をかけていくのだそうだ。

「つまり、事件当日も、部員によって鍵がかかっていたということですか?」

「ああ」

「そのあと鍵は?」

「いつも通り俺の方から顧問の先生に返したよ。部員が開けたいときには適宜借りに行く」

 それで犯人がわかったなら、依頼が来ることもないだろう。つまりは密室か。僕は内心でため息をつきながら、同時に喜んでいた。笹谷有紀好みの問題だ。このときの僕には、既に笹谷有紀が、この問題解決に乗り出すのが想像できていた。

「なくなった絵の写真などはありますか?」

「ああ」

 部長は部室の引き出しの中から、小さなファイルを取り出した。「昨日の写真は……これだな」

 僕は彼が指し出した写真を手に取って確認する。

「なんだか……パズルみたいな絵ですね」

 全体に渡って黒い割れ目のような線が書いてあること、大きく分けると四つのパートに分かれるのがこの絵の特徴だろうか。抽象的なものばかりが並ぶところ、奥行きのあるタッチで描かれた風景が並ぶところ、なぜか猫が一匹、一面に描かれているところ。そして、何も描かれていない白紙のところがある。

「まだ色が塗られていないところがあるんですね」

 僕は白紙の部分を指さす。

「ああ、そこはまだ完成していなくてな。昨日完成させる予定だったんだが……」

 完成させることができず、絵画は消えてしまった。ということか。「わかりました。ところで、昨日は何をしていたんですか?」

 僕が単刀直入に聞くと、

「アリバイ確認ってやつか」

 と、部長は苦笑した。

「昨日は最初のミーティングに出たらそのまま帰ったよ。でも一人で帰ったからな……」

 証明はできない、という意味だろう。なるほど、とりあえずのところ、この人から聞くべき情報は聞くことができた。

「ほかの部員の方はどこにいますか?」

 文化祭のための活動時間延長届の書類で見たが、ここの部員は三人のはず。あと二人にも話が聞きたい。

「悠斗のやつは外に行ってるからなあ。昨日は教室棟の屋上にいたらしいからそこにいるかもしれない。恭一の方は今日は外を歩いたあと、ここで描くって言っていたから、そのうち戻ってくるだろう」

 だったら屋上にいる悠斗くんのところにまず向かうべきだろう。

「わかりました。ありがとうございます」

 僕はぺこりとお辞儀をすると、部室を出た。

__________________________

 幸いにも、僕は悠斗クンを見つけることができた。

 五月ということで、夏に近づきつつあるここは、だいぶ汗ばむ気候だった。しかし、屋上にはたまに風がながれてきて心地よい。もう少しだけ気温が低ければ昼寝スポットとして最適なのにと思うが、今はそんなときではない。

 悠斗くんは屋上に画材一式を持ってきて、校庭の方を見下ろしていた。

「いい景色でしょう」

 僕の足音を聞いたのだろうか、悠斗くんはいきなり話しかけてきた。なお僕らは初対面だ。

「風に揺れる木々、走り回るサッカー部員たち。遠くの家屋の窓の中にいるはずの、名前も知らない人々。こういうのを絵にしたらいいと思うんですよ」

 そんなことを言ってはいるが、彼の紙面にはそんなものは描かれていなくて、全体的に赤みがかった風に、薄く絵の具が塗られていた。

「初めまして。僕は___」

「知っていますよ。文化祭の実行委員で、あの探偵の助手」

 なら自己紹介は不要か。きっとここに来た目的もわかっているだろう。

「昨日はどうしていたんですか?」

「学校中のいろいろなところを歩き回って、いいスポットを探していたんだ。あの絵の最後のパートを埋められればと思ってね」

 さっき見た写真の真っ白な部分か。

「あれは君の担当だったの?」

「まあ、そんなところです」

 少し煮えきらない答えだったが、きっと言い回しのせいだろうと僕は考えた。

「ここからの景色に気づいて、使えそうだなーって思って書こうと思ったら絵がなくなってるんですよ、全く」

 言葉とは裏腹に、彼の表情はどうでも良さそうだ。

「じゃあどうしてかいているんですか」

 描くべき先もないのに、彼は今描いている。僕がそう聞くと、悠斗くんは一瞬だけ表情を消して、

「ははは」

 とわざとらしく笑った。

「きれいなものを描きたいという思いがあるんだったら、どこにでも描けますよ」

 歯の浮くような台詞を言ったにもかかわらず、やっぱり彼はどうでも良さそうに絵を描いている。

 いつの間にか、赤みがかっただけの紙面には、目の前の校庭と、その先の住宅街と、そこには本来無い夕日が描かれていた。

「ちなみに、昨日君がここで描いていたことを証明できる人っている?」

 聞くべき案件の一つを今思い出した。

「そうだね……荷物を運び出したときには近くにいた茶道部員に手伝ってもらったけど。屋上には一人でいたから」

「わかりました」

 なんだか少し調子を狂わされたけれど、仕方ない。知りたいことは知れたから及第点としよう。

「じゃあ失礼します」

 僕は屋上から立ち去った。



 次に僕は美術室に行った。鍵は開いていた。どうやら部長の言ったことは当たっていたらしい。僕は一応ノックをした。

「失礼しまーす」

 鍵は開いていた。中には誰かいるということだろうか。

 しかし予想に反して中には誰もいなかった。

「鍵をかけ忘れたとかかな……」

 僕はそうつぶやきながら部室の中を見回す。さっき見たときと変わらず、乱雑にものが置かれた部室。もしかしたら、この中に紛れてしまっているのではないかと、冗談ながらにも思ってしまうほどだ。しかし、完成しているにしろ、していないにしろ、絵に関してはしっかりとわかるように配置されていたので、それはないかと思う。

「ついでに写真を撮っておくか」

 あとで笹谷有紀に見せる写真だ。基本的に、文芸部室から出てこない彼女は、いろいろな情報が圧倒的に足りない。そこを補うのは僕の役目だ。

 そんな風に写真を撮っていた、そのときだった。

「うわっ!」

 盛大な、自分のものではない叫び声が聞こえた。

 声の方を振り向いてみると、ベランダに続く扉が開いていて、そして扉の下に一人の男子が座り込んでいた。

 この人が恭一くんだろうか。

「ええと……どうも」

「……どうも」

 お互い気まずい始まり方になってしまった。


「初めまして、僕は___」

「知ってます。何をしに来たのかも、大体察しがついています」

 どうやらまたしても僕は自己紹介をさせてもらえないらしい。僕は小さく、ほんの小さくため息をついた。

「一体さっきまでどこにいたんですか」

「ああ……」

 恭一くんは、さっき彼が倒れていた先に案内した。ベランダにはキャンパスと絵の具に筆といった道具が並んでいた。

「昨日もここで描いていたんですよ」

 そう言いながら、恭一くんはキャンパスの前に戻っていく。

「描いていた途中で、校庭にいたサッカー部員から声をかけられたので、そのことは言えると思いますよ。帰るときは一人でした」

「それまでの間に、他の人に会ったりしましたか?」

 恭一くんはほんの少しだけ顎に手を当てると、

「誰にも会いませんでした」

 そう答えた。

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