【弐】

「ジーパン似合うじゃん。これなら気付かれないね」

 先を行く死神は、出掛けにそう言ったきり何も口にせず、つまりそれは、ついてこいということなのだろうと考えました。

 街らしきものを歩きますと、とりどりの瓦や壁の色が目につきました。砂糖菓子に似て、非常に可愛らしいものでしたが、どこか浮世離れして見えました。そうしていると、ときおり驚くほど見慣れたかたちをした町家などもあり、私の心は騒ぐのでした。

 よそよそしい死神の背中は、しかしこちらの足が遅いことに気が付くと、すこしだけゆっくりになり、私は、あの人のことを思い出すのです。

 さて、あの人とのことは、出会いを語るより終わりの話のほうが、手っとり早くてよいでしょう。

 お嫁にいくのは女の定めと、理解しておりましたが、私にとっての縁談は寝耳に水のことでした。

 好いた互いと結ばれぬであろうことは、互いに分かっていた恋でありましたが、しかし『縁談』という突きつけられた現実は、私たちの幼い夢に冷や水を浴びせかけたのです。

 両親の耳にはすでに彼のことが届いておりましたようで、私の縁談は、あっという間に調えられました。

 嫁いで二年の夏。再び彼が私の前に現れたときのこと。なみなみと水の張られた田の向こうで、こちらを見つめる彼と目が合った瞬間のことは、生涯忘れることはできません。

 駆け落ちをしたのです。

 しかし逃げ延びた先に、何があるのか。

 私の耳にこびりついていたのは、夫となった人ではなく、姑の声でございました。

「ぐず」「うまづめ」「めすいぬ」「しりがる」

「唾のついた女を貰ってやったんだ」

 姑の口癖でありました。

 蒸す夏の夜。絶望の夜でございました。神社の賽銭箱に隠れるようにして雨を避け、やぶ蚊を払いながら座り込み、あおい首筋を見上げ、ついに口にしたのはこちらから。

 こちらを向いた黒い瞳は、すでに心を決めておりました。

 私の手が互いを手ぬぐいで結びました。彼は力強く、その太い腕で私を抱き、その大きな足で、岸辺を蹴り上げてくださったはずです。

 なのに、気が付けば……。

 さて、あのあぜ道はどこだったのでしょう。いつまで私の命はあったのでしょう。私は気が付けば独りきりでございました。

 願うばかりは、あの人とともに死ねただろうかということなのです。

 死神は、私のその問いに、「もうすぐわかる」と、意外なほど優しい声で言うのでした。


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