出会いとそよ風

響は街を歩く。

ただひたすらに、宛てもなく歩く。


財布と携帯。そして、タバコにカメラ。

それだけあれば、あとはなにも要らなかった。


曲がり角で、写真を撮る。

自分がこれから曲がる道だ。


角を曲がると、階段が続いていた。

どうやら、神社の境内に繋がる階段のようだ。


響が何となく階段を登ると、先客が一人。


「お兄さん、写真家さんですか?」


カメラを持っている姿から、そう思わせたらしい。

声をかけてきたのは、高校生くらいの少女。


「いや、違うよ。これはただの趣味だ」


カメラを一撫でして、響は答える。


この年になると、高校生くらいの少女と話す機会などないから、何を話してよいのかわからない。


そんなこと気にしていないのか、少女は更に話しかけてくる。


「趣味かぁ。どこかに応募すればいいのに。きっと、お兄さんの写真に感動してくれる人がいると思うよ」


現実が、どれだけ過酷なのかをしらない無垢な少女の言葉。

その言葉に響は胸が苦しくなった。


「現実は、そんなに甘くないよ」


応募したこともあった。しかし、評価など、されたことはなかった。


「そっかぁ。現実は、甘くないんだね」


少女は響の言葉を繰り返した。


「そうだよ。甘くない」


響も、同じ言葉を繰り返す。

少しの沈黙の後、少女が笑顔を向けてきた。


「でも、大人は皆、諦めたら終わりだから頑張れって言ってくるよ」


少女が口にしたのは、大人が子供を励ます常套句だった。


「確かにな。でも、大人はすぐに諦めるのが現実だ」


響は自分が感じたことを素直に口にした。


「そっか。大人は矛盾してるね」


「そうだよ。大人は矛盾してる生き物だ」


少女の言葉を、響は繰り返した。

また、沈黙が広がった。

静かなこの場所に、風が吹いた。

少し冷たさを感じる、優しい風だった。


その風を気持ち良さそうに少女は受け止めると、また口を開く。


「諦めることは、悪いことじゃないと思う」


「なぜ、そう思う?」


「何かを諦めて、また何かを目指せるなら、別に悪いことじゃないと思うから」


少女は高く晴れた空を見上げて言った。


「君は何かを諦めたのか?」


響も空を見上げて、少女に聞いた。


「嫌なことがあって、怒るべきなのか、許すべきなのか考えてたんだ。

けれど、今の風が気持ちよかったから許すことにした」


少女に何があったのか、響にはわからない。

けれど、そう言った少女の顔は、確かに笑っていた。


「これって、怒ることを諦めたってことでしょ?」


「いや、それは諦めたのとは違うよ」


笑う少女は、どこか寂しそうに見えた。


「違わないよ。その事に執着することを諦めてるんだから」


少女は言った。


「だとしたら、諦めることは確かに悪いことじゃないな。執着を捨てられるんだから」


響はもう一度、カメラを撫でた。


評価されることに執着して、楽しむことを忘れていた気がする。


ふと、昔のことを思い出した。

ただ、楽しく写真を撮っていた時のこと。


「次に吹いた風が気持ちよかったら、俺も執着を捨てようと思うよ」


そう言って響は来た道を振り返った。


風が吹いた。

さっきよりも柔らかい風。


響は、階段を降りていく。

また、純粋にカメラを楽しめる気がした。


「ありがとう」


小さく呟いた言葉は、彼女に届いただろうか。

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短編集 橘 志依 @shi-i

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