第29話

 私は原井にメールの返信をすることができなかった。メールの仕方というのが分からなかった。


 思えばそうだよな。

 私は誰かに連絡をとったことなどない。あるとしてもそれは業務的な連絡。

 たまに、玉井から連絡をすることあるけどそれは殺すぞ。それだけ送って終わる。

 原井にそれを送ったら落ち込むだろう。


 私はスマホをベッドへ放り投げた。

 どうやったら原井が喜ぶ返信できるのか。

 どうやったら普通のメールを返信することができるのか。

 難しいことは明日考えよう。


 そして私はベッドで大の字になって寝る。

 天井に浮かび上がる影。これが幽霊に見えて眠れなかった時、私は姉に泣きついた。素直に怖くて1人では眠れないと甘えた。


 私は成長した。

 それと同時に人の甘え方というのが分からなくなった。人との距離が分からなくなった。


 私の肩は震えている。

 本当はね……怖いんだよ。誰よりも。

 私はね……強いからバドミントンできているんだよ。もし弱かったら。私はバドミントンをする価値がなくなるの。だから負けるわけにはいかない。


 もし、負け続けたら……

 母の顔が天井の影に浮かぶ。

 無表情の影。


 バサッ。私は立ち上がる。そして自分の顔を叩く。


 どうして最近不吉なことばかりを考えてしまうのか。そんな自分が嫌になる。


 外で散歩でもして気分転換をしよう。


 そして私は外へ。母は既に寝ていた。


 夏の気配を感じさせる熱気が私を包む。

 丸い満月が出ている。

 384400km先から輝いている光が私を照らす。それが遠いのか、近いのか。私には知らない。


 何故なら私は太陽の距離を知らないから。

 木星の距離を知らないから。水星の距離を知らないから。

 そして地球を知らないから。


 でも384400km先から輝く光が私はいつもよりも眩しく感じた。

 その月の回りには沢山の星が出ている。あいつらは一体私とどのぐらい距離が離れているのだろうか。

 少し頑張れば届きそうな気もする。だけど届かないことは既に私が知っている。


「原島さん?」


 と後ろから声が聞こえる。

 私は振り返る。

 原井が立っている。


「原井か」


 どうしてこんな時間に? 口下手な私はそれすらも言えない。


「うん。私ね、たまに夜散歩するんだ。ここら辺」


「危なくないか?」


「うーん、何が?」


「不審者とか」


 するとクスリと原井は笑った。


「その時は鍛えた足で全力で逃げる!」


「車だったら?」


「車の入れない狭い路地に入る」


「バイクだったら」


「相手に石を投げて転ばせる」


「戦車だったら」


「諦める」


 それから沈黙。


「一体何の話をしているんだろうね」


「さーね」


 そもそもこれを会話と言うのか私は知らない。

 私はじっと原井の顔を見る。

 柔和な表情。私もこんな顔ができたらもう少し楽しく生きれたかもしれない。

 いいな。なんて思ってしまう。


 それに対して私は。ダメだ。相変わらず怖い顔をしている。

 私は自分から言おう。言いたいことを口に出そう。そう思った。


「あのね、私試合の勝ち方忘れたかもしれない」


 そういったら原井はどんな表情をするのだろうか。

 なんて思ったが彼女は表情を一ミリも変えなかった。


「そっか」


 そう彼女は短く言った。

 星の雨が降り注ぐ。

 月は少し右の方へ傾く。


 インハイ埼玉県大会予選がじわりじわりと迫ってくる。 

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