第28話

 そういえば……

 思い出す。


「絶対に日向さんに勝って、全国大会行くからね」


 と笑顔で答えていた宮本さんが、試合後顔をくしゃくしゃにしながら泣いていたことを思い出した。

 あれだけ整っていた顔も涙のせいで台無しになっていた。


 なぜ彼女はあのような顔をしたのか。

 なぜ彼女はあのとき大粒の涙を流したのか。その時の私は分からなかった。


「大原部長」


 インターハイ予選一週間を切った。

 既に抽選会はすましており、私たちの一回戦の相手は行田長野高校に決まっていた。埼玉けやき高校は決勝までぶつかることはない。


 それもあってか、大原さんや瀬南さんはここ数日帰る時間が遅い。

 籠原南高校の絶対下校時刻は20時。それ以降は何があっても認められていない。

 それなのに20時まで二人は残っていた。

 こら、はやく帰りなさい。先生がそういってようやく二人は帰るぐらいだ。


「えー、ちょっとぐらいいいじゃない」


 と瀬南さんは、成長中の胸を寄せて先生に色気を使おうとするがそれも効かない。


「残念だが俺は年上にしか興味ない」


 と毎回、首根をつかんで私たちを追い出す森山先生は言う。確かにあの覚めた目は瀬南さんとか興味ないんだろうなと思った。


 体育館には20時に追い出される。

 しかし大原さんは16時から20時の部活の練習だけではちっとも納得をしない。

 だから追い出された後は公園に行って素振りやフットワークなどの基礎練習をしていた。


 しかしここでも厳しい。

 市の条例により22時過ぎまで高校生だけで外にいることは禁じられている。

 だから


「こら、はやく帰りなさい」


 と巡回している警察官に毎回怒られる。毎日怒られているせいか、最近は21時45分には巡回に来るようになった。


 それに対しても瀬南さんは


「ちょっとぐらいいいじゃない」


 と上目使いで警官にお願いをするが、


「俺は三次元などに興味なーーーい!!」


 と言って終わる。

 流石です。日本の警官、安心です。思わず敬礼。


 とまぁ、こんな感じで一日の練習が強制的に終わらされる。

 今日もいつもと一緒の感じだった。


 私と大原さんと瀬南さん。この三人で帰路につく。自動車とかで大気が汚れた熊谷の夜空も星が輝く。練習後に見上げる空はいつも綺麗に見える。


「それにしてもあんたのスタミナ凄いよね。疲れを一切見せないと言うか、ずっとロボットみたいに同じ表情をして。私の方が気持ち悪くなる」


「気持ち悪くなるって」


「大丈夫。落ち込まないで。これは私の最大の褒め言葉だから」


 カッカッカ。と瀬南さんは笑う。


「それにしてもいいのか。こんな時間まで残っていて」


 と大原さんが心配そうに言う。


「普通の高校生は学校帰りに遊んで、家でドラマをみて、机の上にある宿題は投げ捨ててそのまま夢の中へ。そんな生活を望むぞ。それなのにお前は」


「私はバドミントンが好きなので」


「それは分かる。だけどお前は、別に勝ちたいと思っていないでしょ」


「そうですけど……」


「朝も早くから来て、夜はこんな時間まで残る。私も人のこと言えないけど狂っているよ」


 私は難しい顔をする。


「お前は、休みの日に池袋とか行ったことないでしょ」


「池袋ですか?」


「そう。サンシャインとかさ」


「あのイエイ、イエイうるさいやつですか」


「それは違う」


 瀬南さんは隣でクスッと笑った。


「多分だけど、大原先輩はあなたのことを羨ましいと思っているのよ」


 私のことが?

 私は特別モデルのようなスタイルではないし頭だってそこまでよくない。バドミントンがなければ普通の人間だ。

 そんな私のことが羨ましがる理由などない気もする。


「普通はね、夢を追っているとどこかで挫折するの。どこかで自分の限界を知ってしまうの。それで嫌になるの。泣きたくなるの。どうすればいいのかわからなくなるの。処理が追い付かなくなってフリーズするの。夢って遠くに輝くもの……そうね月のようなもの」


「月ですか」


「そう。私たちの目では大きく見える月。でも実際にいったら遠くて。近くて遠くてでもやっぱり近く遠く……だけどあなたはそれを近くとも遠くとも感じていない。月までの距離を知らない。こんな幸せな人間なんていない」


「幸せですか?」


「そう。大原先輩も私も、そして原島さんも挫折を知っている。だからあなたのことを羨ましく感じる。原島さんはあなたをいじめたくなる」


「原島さんって私のことが嫌いなのですか」


「違う。違う」


 瀬南さんは腹を抱えて笑いだした。


「好きな人こそいじめたくなるっていうでしょ。そうだよね。大原部長」


 と隣にいた大原さんは頷いた。


「今度、原島さんに連絡してみたら? 案外喜ぶかもよ」


 そんな馬鹿な。

 などと思いつつ、私はそのまま二人と別れた。


 そしてその家でじっくりと自分のスマホの画面を見る。真っ黒の画面には冴えない自分の顔が写っている。

 連絡ね。


 自分から原島さんに連絡をする勇気などなかった。私からしてみれば、直接喋るよりもこちらの方が幾分も恐怖に感じる。

 相手の表情とかそういったものが一切見えないから。


 私は深呼吸をする。


 原島さんは今、何をしているのだろうか。

 バドミントンの練習をしているのだろうか。どんな気持ちでいるのだろうか。

 怖いと思っているのだろうか。

 辛いと思っているのだろうか。


 私には原島さんのことが分からない。


 案外原島さんは私のことを好きだと思っているか……本当にそうなのかな。

 ずっと原島さんは私に威嚇をして。


 私は小学生の頃、近所で捨て猫を世話していた。その子は餌をあげても、シャーと威嚇をするばかり。結局最後まで私に触らせてくれなかった。

 私は猫の言葉なんて分からない。だからその猫は一体どう思っていたのか。餌を与えられて嬉しかったのか、はたまた迷惑だと思っていたのか。それを知る方法なんてない。

 今の原島さんはその猫に似ている。


 私のことを迷惑だと思っているのか、それとも必要だと思っているのか。

 だけど、私が猫に餌を与えてあげていたあの時期別に見返りを求めていたというわけじゃない。猫の恩返しが欲しかったというわけじゃない。私自身、自己満足のためにやっていたのだ。


 今だってそうだ。原島さんと仲良くなるのも私の自己満足。


 別に悩む必要などない。

 私は原島さんと連絡を交換したことない。しかし幸いにも同じ部活だ。部内連絡網で彼女の個人情報は知っていた。

 なんだがストーカーのような気がして少し嫌だけどしょうがない。


 彼女の電話番号を打って連絡アプリでアカウント発見。よかった。そして友達追加をして連絡を送る。


「今度さ、一緒にご飯を食べよう」


 と。

 何だが、好きな人にメールを送っているような気がして少し顔が火照る。送ったことないけど。


 そういえば、私はイケブクロという場所がどんなところなのか知らない。


 今度、その新しい世界を知るのもいいかもしれない。

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