ささみサラダ・五鉢目

 テレビで朝のニュースを流しながら、朝食タイムが始まっていた。


「おおっ、このハムエッグはぁ、あたし好みのトロトロの黄身だあ」


「まだ酔いが覚めねえやな。

 脂っこいのは、ちと食えねえ。

 わしの、このハムはよ」


ぶんちゃーん、いっただきー!」


「ひばり、おじいちゃんはまだあげるとはいってないよ」


「ええーっ、だけどぉ、すでにあたしのお皿に瞬間移動してまーす」


「なんだ、つぐみ。

 ハムがほしいなら、ほら、俺のを」


「いやいや、さすがにわたしは朝からそんなにいただけないし。

 おにいちゃんも、ちゃんと食べないと力が出ないよ」


 にぎやかな居間。

 開け放たれた障子戸と廊下のガラス戸から、ゆっくりと朝の爽やかな風が座卓の上を通り過ぎていく。

 ひばりはお替りしたご飯を台所から持ってくる。


「うふっ、うふふっ、うっふっふうー」


 ひばりの含み笑いに、つぐみが横を見た。


「その笑顔は、さては、ご飯のことではないな、ひばり」


 スエットの袖をまくったつぐみは、妹の笑顔が少し違っていることを見抜いた。


「えーっ、どうしてぇ、つぐみちゃんにはわかるのぉ?」


「だてにあなたの姉を十六年やってないよ」


 彦一ひこいちはキンピラを箸でつまみながら、妹たちの顔をうかがう。

 だが悲しいかな、彦一にはひばりの笑顔がご飯以外であることには、気づかなかった。

 文太ぶんたは、ズズッとスープを飲みながら、ひばりに言う。


「わしもわかるぜ、ひばりよぅ。

 その笑いかたは、アレだな」


「さすがは『焼きの文太』ですぅ。

 ばれてしまう、ひばりでしたぁ」


 ひとりだけ仲間外れにされた、孤独感にさいなまれる彦一。


「ちょ、ちょっと、みんな。

 どうしてひばりが笑っただけで、その真意がわかるのよ」


 つぐみは、ハァっと息を吐く。


「家事万能なおにいちゃんの、たったひとつの弱点ね」


「えっ、つぐみ、どういうこと?

 さっぱりわからん俺」


 文太はニヤリと口を曲げた。


「まあ仕方ねえやな、彦。

 おめえは自分を置いといて、この妹たちの面倒をみてきたからな。

 それも、わしの不徳のいたすところに違いねえ。すまんなあ」

 

 まったく話がみえない彦一は、胡坐あぐらの腰を浮かした。


「ちょっとちょっと、絢辻あやつじ家の諸君。

 俺だけ除け者って、それはないんじゃないの」


 ひばりは文太とつぐみを、悪戯っ子のような顔つきで見回し、彦一に言った。


「彦ちゃんには特別にぃ、教えてあげる」


「お、おう。

 教えて」


「実はぁ」


「うん」


 ひばりは再び両手で頬を押さえ、クックックと含み笑いをする。


「やっぱりぃ、内緒っ」


「いや、ちょっと待った。

 ここまで引っ張っておいて、それは殺生なんじゃないかい、わが妹よ」


「ではぁ、正解を発表いたしまーす。

 ジャジャジャジャーン」


 彦一はゴクリと喉を鳴らした。


「実はぁ、昨日のことであります。

 隣のクラスのぉ、穂届ほとどき左馬之助さまのすけくんっていう男子からぁ、コクられたのでーす!」


「コ、コク、なんだって?」


 眉をしかめる彦一。

 つぐみが補足する。


「ようするにね、おにいちゃん。

 ひばりはその男子から、お付き合いを申し込まれたってことよ」


「わしも行きつけのスナックでな、チーママに何度もコクってるけどよ。

 これがなかなか首を縦にふらねえんだ」


 文太がため息を吐いた。


「いやいや、年寄りの色ボケ話なんて、どうでもいいよ。

 ええっ!

 ひ、ひばりが男子から、交際を申し込まれたってえ!」


 彦一は驚愕の表情を浮かべ、片膝をついて座卓に両手をついた。


「ひばりっ、すぐに支度するんだ」


「彦ちゃん、まだ朝ご飯をいただいているぅ、真っ最中だよ」


 スワッと立ち上がる彦一。


「確かスーツは押入れにあったな。

 カッターシャツも、あっ、アイロンをかけなきゃ」


 つぐみは不思議そうな表情を浮かべる。


「おにいちゃん、そんなにあわててどこかへ行く用事でもあったの?」


「初回のご挨拶だから、じいちゃんとつぐみは来なくてもいいかな。

 ひばり、いつまで食べてるのよ。

 ささっ、早く着替えて」


「彦や、もしやおまえさん」


「おにいちゃん、正装して出かける先って」


 彦一は手櫛で髪をなでつけながら、立ったままみんなを見回した。


「その、なんとかノスケくんのご両親に挨拶してだな、ひばりをどうぞよろしくお願いしますと、きっちり頭を下げてくるんだよ」

 

 三人は同時に「ちょっと待ったぁ!」と叫ぶ。


「おにいちゃん、おにいちゃん。

 一度深呼吸して、落ち着こうよ」


「彦や、いくらなんでもよ、そりゃあ早すぎるんじゃねえか、おい」


「彦ちゃーん、ひとのお話はぁ、最後まで聞くものですよ」


 ひばりは、のんびりとキンピラを口に運ぶ。


「こういうことはだな、親代わりの俺としては、先さまに失礼のないようにだな」


「あのね、彦ちゃん。

 あたしはぁ、コクられたと申し上げましたけどぉ、お付き合いをするだなんてえ一言も口にしてませーん」


 彦一のドングリ眼が大きく開く。


「あたしはぁ、将来は宇宙物理学者になるために、いまは勉強ひとすじなのです。

 男子とイチャラブする暇はぁ、ゼロ。

 それにね、彦ちゃん。

 あたしはぁ、もしいつか誰かとお付き合いすることになったらぁ、彦ちゃんよりも背が高くて、彦ちゃんよりもお料理が上手で、彦ちゃんよりも優しいひとじゃないとイヤなんだもーん」


 ニコリと微笑みながら、ひばりは大好きな兄を見上げる。


「わたしだって、同じよ、おにいちゃん。

 まあ、おにいちゃんを超える魅力あふれる男性なんて、めったにいないだろうけど」


 つぐみの言葉に、彦一は立ったままくちびるを噛み、宙をあおぐ。

 涙が頬を伝っていた。


「おい、彦や。

 妹たちからそう言われたら、嬉しいやな」


「じいちゃん、つぐみ、ひばり」


「彦ちゃん、そういうことでぇ、朝ご飯タイムを続けよう。

 その前にぃ、その垂れてる鼻水がぁ、おかずに落ちないように、ティッシュで拭いてくださいね」


~~♡♡~~

 

 午後、彦一は夕飯の準備をしようと商店街へぶらりと向かった。

 文太は老人会のメンバーとゲートゴルフへ、つぐみは大学へ、ひばりは高校の仲良しさんたちと栄町さかえまちへ遊びに出かけている。

 お昼時間はとうに過ぎているから、通りを歩く人々もまばらであった。


「今夜は、なににすっかなあ」


 買い物かごをブラブラさせながら考えていると、肩をポンと叩かれた。


「ひーこちゃん」


 振り返ると、鮮やかなブルーのインナーに白いパンツ、上から透かし編ニットロングカーディガンをはおったみどりが立っていた。

 スタイルが抜群のみどり。

 彦一はボーっと見惚みとれてしまう。


「あらっ、なにその目つき。

 ちょっとイヤラシげよ」


「い、いや。

 少し疲れが。

 あっ、それよりも白衣じゃないの、お店に出るときは」


 みどりは彦一の腕を取って歩き始める。

 自然に腕を組んでいるのだが、彦一の肘がみどりの大きな胸元に微妙にふれ、ドキドキしてしまう。


「今日はね。

 山籠もりしていたおとうさんが久しぶりに帰ってきてさ。

 店番を交代してもらってるの」


「さすがは古武術の大先生だね、おじさん。

 いまだに山で修業するなんて」


「だから、午前中はお友だちとメーエキで買い物やランチしてきたのよ。

 それにしても暑くなってきたわね。

 彦ちゃん、少しお茶でもいかが」


 みどりはわざと胸元を押しつけながら、彦一を見上げる。

 彦一は頬を赤くしながら、前方を指さした。


「ああ、いいな。

 いや、いいなってのはお茶をすることであって、けっしてこの接触がいいという意味合いでは」


「なにをゴチャゴチャ言ってるのよ。

 じゃあ、アケチさんのお店で休憩しよ」

 

 ふたりは「サーカスの怪人」へ、まるで仲の良いカップルのように、寄り添いながら歩き出した。

                                  つづく

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