ささみサラダ・六鉢目

「へえっ、ひばりちゃんもとうとう男子から、交際を申し込まれるようなお年頃になったんだねえ」


 エアコンの効いた店内。

 半分ほど席が埋まっている。

 ランチタイムは過ぎているので、こんなものであろうか。

 ふたりはテーブル席で向かい合い、彦一ひこいちはホットのブラックコーヒーを、みどりはアイスレモンティをオーダーしていた。


「そうなんだよ。

 昨日までオムツしていたのになあ」


「オムツって、レディに失礼だわよ彦ちゃん。

 たしかにさ、ひばりちゃんにしても、つぐみちゃんもママやおかあさまに良く似て、とっても美人さんだもんね。

 妹ちゃんたちが男女交際するだなんて、てっきり猛反対すると思ってたのにな、彦ちゃんはさ」


「えっ? 

 だって、俺が反対する理由なんてないじゃない」


「手塩にかけて育てた妹さんたちよ。

 彦ちゃんは、ふたりを絶対に手放さないと思っていたわけよ」


 彦一はカップを持ち上げる。


「そりゃさ、変な野郎が近寄ってきたら俺は全力で守るよ、妹たちをね。

 だけど、やっぱり女性として、幸せになってほしいんだ。

 そのためなら俺は、心から応援するつもり」


「偉いなあ、彦ちゃんは」


 みどりはテーブルに肘をつき、組んだ両手にそのシャープな顎をのせる。

 その仕草がとてもつやっぽく、オトナの女性を感じさせた。


「そうそう、そういえば」


 彦一はあまりジッと見つめていては失礼かと、みどりから視線をはずした。


「うん、なに?」


「まえにさ、きょうちゃんの話をしたよね」


「マッチョな消防士さんになってたって」


「そう。

 あれからお店に顔を出してくれてさ。

 いやあ、ほんといい男になってたわあ、これが」


 みどりは切れ長の目を細めて、あやしく彦一を見つめる。


「そんなにイイ男なんだあ。

 わたし、年下の男の子って、興味あるなあ」


 彦一は両手を大きくふった。


「ちょ、みどりん!

 なぜあなたが手を出しかねない発言をなさるの。

 みどりんには、みどりんには」


 次の言葉を、身を乗り出して期待するみどり。


「みどりんにはこの商店街で唯一の、お薬屋さんの看板を守ってもらわないと。

 俺たちが病気になったときに頼れないでしょ」


 彦一は焦った。

 あまりに恭司きょうじを褒めたことを後悔しながら。

 みどりは息を吐きながら椅子にもたれ込む。


「はあっ、なんだ」


「そうでしょ、みどりん」


 真剣にみどりを説得しようとする彦一の表情に、みどりは思わず笑みを浮かべる。


「わかってますよ。

 どうせわたしは薬屋のおばさんで、一生ここで暮らすのだから。

 それに、やっぱり年下は合わないかもしれなし」


「そう、そうだよ、みどりん」


 彦一は安堵しながらコーヒーを飲み干した。


 ~~♡♡~~


 絢辻あやつじ家のにぎやかな夕飯が終わり、文太ぶんたはガラス戸を全開にした廊下に胡坐あぐらをかいて、寝酒用の焼酎をロックで飲んでいる。

 つぐみとひばりは居間で、デザートの桃を彦一ひこいちにむいてもらって味わっていた。

 台所では、洗い物をする彦一。


「おっと、忘れちまうところだったぜ」


 つぶやきながら文太が立ち上がる。


「彦よ」


「なんだい、じいちゃん。

 お酒のあてなら冷蔵庫に塩昆布があるから、だそうか」


 スポンジを泡立てながら食器を洗う彦一は、顔だけ冷蔵庫へ向ける。


「いや、もう食えねえやな。

 そうじゃなくてよ。

 来月の第二土曜日だ」


「なにが」


「言ってなかったけなあ。

 毎年よう、この時期にな、商店街向け講演会があるんだわな」


「ああ、そうだったね。

 たしか前回は、じいちゃんひとりで参加したっけ。

 持ち回りで、今年は隣町の自治会が主催じゃなかったかなあ」


 彦一は水で手を洗い、布巾で手をぬぐいながら振り返る。

 文太はステテコの後ろの挟んでいた封筒を取りだした。


「そうよ。

 去年はうちの商店街自治会が音頭を取ったからな、わしも義理立てして参加したけどよう。

 今年は場所がよ、隣町のなんとかってえホテルだな」


「どれどれ」


 彦一はその封筒から折りたたまれた案内状を広げる。


「ホテル・ニューオオタミ?

 こんなホテルなんてあったっけ」


 居間で話を聞いていたつぐみが手をあげる。


「半年くらい前だったかな。

 ほら、海外旅行者をあてこんだ大手居酒屋グループが、立ち上げたホテルよ」


「へえっ。

 知らなかったなあ。

 まあ、土曜日ならお店も休みだし、俺が行くよ。

 あっ、でも時間が午後四時からってあるわ。

 講演会のあとは、立食形式で懇親会か」


「まあ無理に出る必要はねえけどな。

 こういうときに顔を出しときゃあよ、またうちの自治会がやるときに来てくれるだろうし。

 彦、行ってくれるかい?

 それなら、夕餉ゆうげぎんさんの店ですますとするかな、その日はよ」


 つぐみが立ち上がって寄って来た。


「これって、何人参加できるの?」


「いや、特に指定は無いけど。

 つぐみも行きたいの?」


「今じゃあわたしも、立派な焼き鳥職人のアシスタントですからね。

 それにどんな講演が聴けるのか、興味あるし」


 ひばりはじっと座ったまま三人を見ている。


「立食と聞いてぇ、本来ならこのあたしの出番なんだけだど。

 でもぉ、模試が近いから、あえて自分を律する強靭な精神力の持ち主でありましたぁ」 


 ひばりはこっそりと、つぐみのお皿から切った桃を遠慮なく頂戴するのであった。


 ~~♡♡~~


 週が変わり、「焼き鳥まいど」は今日も暖簾のれんを出す。

 つぐみは開店の午後五時から、その日はお店に立った。

 常連のお客さんたちが汗を拭きながら暖簾をくぐってくる。


「まいど!」


「まいど、いらっしゃいませぇ」


 つぐみは元気よく挨拶する。

 ふたつのテーブル席が埋まり、カウンターも半分ほどお客さんが座っている。


「はいよ、今日のつきだしは、ししとうと生シラスの炒めものね。

 ちょっとピリッとするけど、お酒が進むこと間違いなし」


 彦一は笑った。

 午後七時過ぎ。

 ガラッとドアを開けて、新しいお客さんが顔をのぞかせる。


「まいど!

 おっ、きょうちゃん。

 いらっしゃい。

 カウンターが空いてるから」


 恭司きょうじは今回もトレーニングジムの帰りなのか、スポーツシャツに膝丈のトレーニングパンツ姿である。


「よかった、彦一さん。

 実は先週は二回ほどのぞいたんだけど満席だったから、諦めて帰っちゃったんですよ」


「あらまっ、そいつは申し訳なかったねえ。

 じゃあその分、サービスさせてもらうよ」


「いえっ、自分が勝手に来てるだけですから。

 まずは」


「生ビールの大、だね」


 恭司はニコリとうなずいた。

 つぐみはシンクで洗い物に熱中していたが、彦一から「つぐみ、生大の注文だよ」と言われ、手ぬぐいで手を拭き、「はいっ」と棚からジョッキを取りだした。何度か彦一から訓練を受け、見事な泡を作れるようになっている。


「はぁい、生の大でーす」 


 つぐみはカウンターにジョッキを置こうとして、初めて恭司に気づいた。


「ありがとうございます」


 恭司はジョッキを受けとろうとして、つぐみと目が合った。

 ふたりの心臓が同時にトクン、と鳴り、急激に心拍数が上がっていった。


「おいおい、つぐみ。

 なに固まってんのよ」


 彦一は焼き場で注文の入っている串を焼きながら、片眉を上げて叱る。


「あっ、す、すみません」


 つぐみと恭司はこれまた同時に言葉を口にし、頬を赤らめて互いに目を伏せた。

 それにはまったく気付いていない、鋼鉄の鈍感さを持つ彦一。


「恭ちゃん、こいつね、俺の妹でつぐみっていうんだ。

 よろしくな。

 つぐみ、このマッチョなおにいさんはさ、むかーし、ここいらに住んでて俺やみどりんとよく遊んだ恭ちゃんだ。

 今じゃあこのナゴヤ市を守って下さる、立派な消防士さんだよ」


 彦一の紹介に、ふたりは顔を伏せたまま、「ど、どうも」と小さな声で挨拶をする。


「さっ、恭ちゃん、つきだしね。

 それとなに焼こうか。

 今日はムネのタタキなんてお奨めだよ。

 生姜しょうが醤油でさっぱりといけちゃう」


「あっ、はい。

 じゃあそれください。

 あとは砂肝とハツ、つくねも美味しそうですね」

 

 恭司はカウンター前に置かれた冷蔵ケースを指さした。


「あいよっ。

 おっ、つぐみ、テーブルのお客さんが注文だって。

 聞いてくれるか」


 つぐみはあわててカウンターからテーブル席へ周った。

 ちらっと横目で恭司を盗み見る。

 恭司も目でつぐみを追いかけていたようで、ここでまた目が合ってしまった。

 すぐにふたりは宙へ目を向けたのであった。

                                  つづく

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