ささみサラダ・四鉢目

 週末の金曜日は、開店と同時に早帰りのサラリーマンたちが「焼き鳥まいど」を訪れる。


 働き方改革とかで、昔の勤め人のように家庭を顧みずに、休日返上までして会社のために汗を流す時代ではなくなってきているようだ。

 それがいいことなのかどうか。

 ノー残業デーのしわ寄せはどこへいくのか。


 それはともかくとして、すっかり太陽の滞在時間が長くなり、彦一ひこいち暖簾のれんを表に掲げるころでも、まだ陽が差し込んできていた。


「まいどっ」


 一気に数名のサラリーマンが入店し、カウンターの一部をのぞいて席が埋まっていく。


「生中ください」


「こっちはハイボールね。

 それとレモンサワー」


「焼酎のボトルお願いします」


「はいよ!」


 彦一の仕事が始まった。

 飲み物に焼き串の注文が次々と入る。

 彦一の仕事脳は、そのすべてのオーダーをインプットしており、まず間違えない。


「今日のつきだしは、レンコンの挟み揚げね。

 テーブルのお客さん、悪いけどこれ」


 彦一はカウンター越しに小鉢を渡す。


「味はつけてあるけど、お好みで塩か醤油を少しかけてもいけるよ」


 カウンターの冷蔵ケースには、仕込み終わった串が並んでおり、彦一は順番に焼き始める。


 壁にかけた時計が午後五時半を回ったころ、自宅とつながっているドアが開き、赤い作務衣さむえに着替えたつぐみが入ってきた。


「まいど、いらっしゃいませぇ」


 テーブルに座って、ネギまを食べようとしていた男性が驚く。


「えっ!

 いつからこんなに可愛いアルバイトの子を雇ってるの、大将」


 彦一はちらりとそのお客さんに目をやる。


「ああ、週に二回だけね。

 ちなみに俺の愛する実の妹なんだから、いやらしい目つきで見ないでよ」


「へえっ、妹さんか。

 まあ大将も結構いい男だからね。

 しかし、美人な妹さんだなあ」


 別のお客さんも顔を上下に動かして、つぐみを観察する。


「うふふっ、可愛いだなんて、ありがとうございまーす」


 つぐみはニッコリと微笑み、カウンターの中へ入った。

 

 そこからは、まさに戦場であった。

 焼き串の注文、お酒の追加、さらには鳥五目ご飯に鶏スープのオーダー。

 空いた皿や小鉢を、つぐみは作務衣の袖をまくり上げシンクで洗う。


 エアコンは効いてはいるが、焼き場の熱気は半端ない。

 慣れた彦一でもたまに汗が目に入り、顔をしかめてしまう。


 つぐみは流水を使っているが、やはり暑い。

 だがお酒を飲んで焼き鳥を食べて、一週間の疲れを吹き飛ばしてくれたかのような晴れやかな表情で、「ごちそうさま、美味しかったな。また来ます」と笑顔で帰って行くお客さんの後ろ姿を目に映すと、つぐみはとても嬉しくなった。


「まいど、ありがとうございまーす!

 またのお越しを、心からお待ちしています」


 手の甲で額の汗をふきながら、元気な声で送りだす。

 彦一はちらりとつぐみを見て、満足そうにひとつうなずいた。


 午後八時過ぎ。


「つぐみ、ひと段落ついたから晩ご飯を食べておいで」


 彦一はカウンターを出てテーブルの後片付けをしている、つぐみに声をかけた。


「いいの?

 わたしが先で」


「もちろん。

 今夜はさ、つぐみの大好物だよ」


「あっ、そういえば台所のお鍋にあったのは」


「うん、ロールキャベツな。

 ひばりが全部食っちまってなきゃいいけど」


 その言葉に、つぐみはあわてて自宅へつながるドアへ急いだ。


「まさかひばりでも、十二個全部はさすがになあ」


 彦一は微笑んだ。

 カウンターではお馴染みさんである印鑑屋の先生が、利休帽に和服姿でゆっくりと盃を傾けている。


「この時間にわたしひとりとは、珍しいですなあ、彦さん」


「いやあ、今まではいつもの倍近くのお客さんがいたからね、先生。

 俺も少しは息をつきたいよ」


 冗談めいて言ったとき、ガラッとドアが開き新しいお客さんが暖簾からなかをのぞいてきた。


「まいど!

 って、あれ?

 きょうちゃんじゃないの」


 顔をのぞかせたのは、先日査察でこの店を訪れた恭司きょうじであった。


「ああ、よかった。

 満席だったらどうしようと思って、とりあえず来てしまいました」


「よく来てくれたねえ。

 ここのカウンターへ座ってよ」


 恭司はスポーツ用のTシャツに、ジーンズ姿である。

 腕や胸の筋肉が、今日ははっきりとわかる。

 髪は短く、消防士というより格闘技系アスリートのようだ。


「今日はゆっくりできるんだろ」


「ええ、非番ですから。

 さっきまでトレーニングセンターで汗を流していたから、喉がカラカラです」


「じゃあ、生ビールでもいっとく?」


「はいっ、ジョッキは大でお願いします」


 爽やかな笑顔で恭司は注文した。

 日に焼けた顔に真っ白な歯がのぞく。


「これ、つきだしな。

 レンコンの挟み揚げだけど、恭ちゃんは好き嫌いって」


「ぼくはなんでも美味しくいただきます。

 うわあ、これって彦一さんのお手製ですか」


「うん。

 うちじゃあ、冷凍モンや既製品は一切使わないからね」


 恭司は箸で持ち上げ、パクリと口に放り込んだ。

 レンコンのシャキシャキ感のあいだから、ひき肉と玉葱たまねぎの甘みが口中に広がっていく。

 ごくりと飲み込むと、プハーッと息を吐く。


「彦一さん。

 正直に申し上げて」


「うん」


「つきだしだけでこれほど魅かれるなんて、思ってもいませんでした」


 彦一は目を細めた。


「と、いうことは?」


「とっても美味しいですっ!」


 恭司は残ったもうひとつをすぐに食す。

 カウンターに注ぎたての生ビールの大ジョッキが置かれた。

 恭司は満面に笑みを浮かべ、ジョッキを持ち上げると喉を鳴らして飲む。


「ふうっ。

 ぼくはなぜ今まで彦一さんのお店を訪ねなかったのか。

 無茶苦茶後悔してしまいます」


「これもなにかのご縁だ。

 恭ちゃん、よかったらいつでも来てよ」


 一気に半分ほど喉に流し込んだ恭司は、大きくうなずく。


「つきだしで満足してちゃダメですね。

 彦一さん、適当に鶏を焼いて下さい。

 いやあ、いろいろなお店で飲んできたけど、これからはこのお店をぼくの一番にしたいなあ」


 恭司はカウンターから店内を見回した。

 それからすぐに暖簾をかきわけ、お客さんが次々とやってきた。

 恭司は大ジョッキ二杯と、焼き串を七本食べたところで立ち上がる。


「彦一さん、今日はこれで大満足です。

 また来てもいいですか?」


「ああ。

 恭ちゃんなら、いつでも大歓迎だ」

 

 嬉しそうに彦一は言う。


「ぼく、転校したときに、実はイヤな経験をしたことがあるんです。

 だから、生まれて育ったこの街へもう一度来ることが出来て、本当に良かった。

 それに彦一さんに会えて、しかもこんなに美味しい焼き鳥にお酒をいただけて嬉しいです」


 恭司は伝票を見て驚いた。


「彦一さん、これって安すぎないですか?

 あっ、ぼくが昔馴染みだからですか」


「いやいや、恭ちゃん。

 こっちも商売だからね。

 いただくものは、きっちりいただくさ」


「でも、こんな代金って」


 彦一は焼き場で注文の串を焼きながら、恭司を見る。


「それがこの店の、適正価格なんだよ」


 恭司は首を傾げながらも、伝票の代金を払った。


「彦一さん、ぼくはこのお店の常連になってもかまわないですか」


「嬉しいことを言ってくれるねえ。

 いつでもお待ちしてますよ」


 恭司は満足そうに、お腹をさすりながら帰っていった。


 ~~♡♡~~


 翌朝、日めくりカレンダーは土曜日に変わった。

 彦一は仏壇で朝のご挨拶したあと、すぐに朝食作りに入った。


 文太ぶんたはかなり遅い時間に帰宅した。

 絢辻あやつじ家の習わしである、土日は家族全員で朝食をいただくことだけは忘れてはいないはずだから、寝惚け眼で起きてくるだろう。


 彦一はショッキングピンクのエプロンを作務衣さむえの上に着て、台所であわただしく準備している。


 今朝の献立はハムエッグに千切りキャベツと、茹でたブロッコリーを添え、フライドポテトを一緒に四つのお皿に盛る。


 それだけでは間違いなくひばりからブーイングが起きるため、昨夜あまったレンコンでキンピラを作り、味噌汁代わりに肉団子の中華風スープを煮込む。


「なんだか無国籍料理だなあ」


 彦一は鳥ガラでとったスープを味見する。

 土曜日のひばりは起床が早い。

 トントンと階段を下りてくる音と共に、「ひーこちゃーん、おっはようございまーす」、と高らかな明るい声で居間に顔をのぞかせた。

                       つづく


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