第三話 首都

 翌日、その人はまた迎えに来た。


 「さて、早速向かおうか。君の荷物は全部運ばせるから、何も持たなくていいよ」


 僕が靴を履くと、母親が顔を歪めた。泣くまいとしているようだった。

 僕もなんだか泣きそうだったから、母さんには丁寧にお辞儀だけして、家を出た。


 家の外に出ると、真っ赤な太陽がさんさんと地面を焼き、白い入道雲がもくもくと湧き上がっている。


 どうやら今は夏のようだ。久しぶりの外に、思わずため息を漏らす。


 母親も外に出てきた。もう当分会えないと思うと、なんて言っていいのかわからなくなる。

 だから、何も言わずに手を振った。


 僕の肩に手を置いたその人は、模様を描くように、靴で地面を蹴った。かかとで、つま先で、サイドで。不規則なその音が、やがて音楽のような旋律になる。


 突然、母さんの泣き顔が消える。家も消える。


 次の瞬間には、同じ青い空と白い雲の下。違うのは、背後に広がる無数の家屋と、目の前にある荘厳な門。


 その門の奥に、巨大な宮殿がそびえたっている。


 ここが、僕たちの国の中心部、首都だろう。僕は直感的にそう思った。


 「さあ、着いたぞ。首都アディバルハンだ」

 「今のって……」

 「うん? ああ、送還テレポートだ」


 こともなげにこの人はそう言ったが、僕でも学校には十年以上行っていたから知っている。

 生き物を送還するのは超高等技術だ。ましてや自分を送るなんて考えられないほど。


 「そういえば、あの、お名前はなんていうんですか?」


 あまりに今更だった。


 「確かに、ヤスノリには名乗っていなかったね。私の名前はマース・ケイン。ケインとでも呼んでくれ」

 「ケイン、さん」 

 「ああ。いずれ呼び捨てになるだろうさ」


 そう言うと門をケインは門をくぐった。僕も従う。


 くぐったときに、薄い水の膜を通り抜けたような感覚がして、思わず身震いする。


 「あの、ケインさん。なんで宮殿の中に直接送還しなかったんですか?」


 門から宮殿に続く道を歩き始めたケインの後ろについていく。


 「まあ、人の私有地内に直接送還するのは無礼な事だし、法律で禁止されている。それに、ここにはどうしたって入れないよ」


 そう言ってケインは門を宮殿を囲うように立つ四本の巨大な塔を順番に指さした。


 「北、東、南、西。四つの塔の先端が見えるか? あそこから強力な結界が放たれていて、この宮殿を覆っている。これを貫通して直接送還なんてできるのは魔王様ぐらいだ」

 「へえ……」


 先ほどの水の膜のようなものは結界だったようだ。

 なんだか、自分の無知が恥ずかしくなった。


 「お詳しいんですね」

 「おいおい、これは常識レベルだぞ? まあいずれ覚えるから気にしなくていい。疑問があったらどんどん聞いていいぞ」


 僕はケインさんのお言葉に甘えることにして、質問攻めを始めた。


 魔王様はどんな人か。

 宮殿内を探検してもいいか。

 省の種類はどれくらいあるのか。


 そうして歩いているうちに、やっと宮殿の入り口までたどり着く。左右に控えた屈強そうな門番が僕たちにお辞儀をした。


 その扉を通り抜けながらケインさんをつついた。


 「ケインさん、審査みたいなのってないんですか?」

 「ああ。私は一応省の長官だから、何も証明は必要ない。随伴者も不要だ」

 「えっ、ケインさんが長官なんですか!」


 なんと、省の長官だったとは。たしか、長官には『卿』という位名がつくはずだ。


 「ということは、マース卿?」

 「まあ……な。おっと、ここで右に曲がるぞ」


 何やら歯切れが悪い。


 しかし、省の長官は間違いなく高い位だ。

 しかも、災害対策省は有事の際、国軍を自由に指揮する権限を持っているらしい。


 余程信頼されていなければ就けない地位だろう。


 「あー、残念ながらそんなに大した地位じゃないぞ」


 歩きながら、僕の尊敬のまなざしを受けて、ばつが悪そうにケインさんは頭をかく。


 「実はな、災害対策省所属の公務員は我々二人と、もう二人。全部で四人しかいないんだ」

 「……え?」

 「さーて、ついた。ここが災害対策省だ」


 いつの間にか目的地に到着していたようだ。


 「待ってください、四人って……え?」


 公務員が四人しかいないとはどういうことか。それを問いただそうとしたしたが、続く言葉が出てこない。


 目の前には、荘厳な宮殿内にあるとは思えないほど古ぼけた小さな扉があった。


 その扉の上に、壁に直接、汚い字で『災害対策省』と書かれてある。


 「もしかしてとは思うんですけど、ここが仕事場ですか……?」

 「ああーうん、まあ、な。実はうちの省、出来立てっていうこともあって、お飾りみたいなもんなんだ」


 僕のやる気が、音を立てて崩壊していく気がした。

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