第10話

 俺達は再びシャトルに乗り、綾香の所に戻った。まったく今日は行ったり来たり忙しい日だ。

「あ、おかえりお兄ちゃん。おじさん達、どうかしたの?」

「壊れた家から探したい物があるらしい」

 たかしには、綾香がこちらに来ないようにしておくことを頼んでおいた。勿論俺の正体に関する話を聞かれないようにする目的もあるが、瓦礫が危険でもあるからだ。

 俺はサポートメカの変形したベビーカーに乗せられて自宅に行き、変身した親父が瓦礫を退かすのを隣で見ていた。

「確か、この辺りだったはず……」

 親父が探しているのは、かつて物置があった場所。主に親父やお袋の物を入れていた場所で、俺が一人暮らししていた間は殆ど触れることもなかった。

「あった、これだ」

 親父は瓦礫の中から、一本の剣を取り出した。鞘から刃を抜き、状態を確かめる。剣は全身が銀色をしており、柄には天使の翼のような装飾が施されている。日の光を浴びてキラリと光る刃は、見るからに切れ味が鋭そうだ。銃刀法違反ではないのだろうかこれは。

「流石天界で作られた剣だ、瓦礫に埋もれても傷一つ付かない」

『何だよ、その剣は』

「これは断罪の剣だ」

 出てきちゃったよ、断罪の剣。お袋やその母親の名前にはそれを意味する記号が含まれていたが、よもや本当にそれが存在していたとは。

「かつてお前の祖母である†疾風の熾天使シルフィエル†が使い、娘である和美に受け継がれた天界の名剣。和美が主婦になってからは物置で埃を被っていたが、まさかまた引っ張り出してくることになるとはな」

『お袋の剣……』

「本当は和美の形見としてアメリカまで持っていきたかったが、見ての通り刃物だからな。ヒーロー免許所持者は登録してる武器を海外に持ち込むことが可能だが、生憎私は剣を使うヒーローではないのでな。やむを得ず家に置いていったんだ」

 親父は再び剣を鞘に収め、俺に差し出す。

「これがお前が持っているべきだ。天使の武器は、所有者として登録した天使ならばどこにあっても自分の手元に召喚できる。」

 そう言われた俺は、自然と剣の柄を握っていた。剣が一瞬光を放ち、急に握り心地がよくなったような気がした。

「これでこの剣の所有者はお前になった。天使の一般的な戦い方というのは、このような武器を用いてのものだ。武器に聖なる力を纏わせることで、無駄な消費を無くし適切に力を扱えるわけだ。その小さな体で剣を扱うのは難しいだろうが、使えるようになっていれば何かと役には立つだろう」

『……ありがとな、親父』

 俺が親父に礼を言うなんて、記憶の限りでは初めてのことだった。

『なあ親父、一つ訊いていいか?』

「何だ?」

『どうして俺を置いてアメリカに行ったんだ?』

「アメリカといえばヒーローの本場。言わばヒーロー界のメジャーリーグだ。当然給料もそっちの方が圧倒的に良いからな。お前に不自由なく生活させるために、私はアメリカでヒーロー活動をすることにしたんだ。それにお前は私のことを嫌っているだろう。私がいない方が、幸せだと思ってな」

 そういう親父の顔は、どこか寂しそうだった。俺は何も言うことができなかった。


 親父は俺を綾香に預けた後、スーツの修理のためたかしと共に研究所に向かって行った。

「今日は大変だったねー、バブちゃん」

 綾香はソファーに座り、膝に乗せた俺の頭を撫でながら言った。

「いつもワルワル星人をやっつけてくれてありがとう。バブちゃんのお蔭で、私達は平和に暮らせるんだよ」

 綾香はそう言うが、それは本当のことを知らないだけだ。本当は俺がワルワル星人を呼び寄せている。特に俺の側にいる綾香は、非常に危険な立場にあるのだ。

 俺は体を反転させて綾香の方を向き、小さな手で綾香の服をぎゅっと掴んだ。

「どうしたのバブちゃん。甘えんぼさんかな? そんなに辛そうな顔して……おなかすいた? それともおねむ? もしかして……本当のママが恋しい?」

 俺の脳裏に、お袋の顔が浮かんだ。もう会えなくなって久しいが、今でもはっきりと覚えている。

 俺はあえて綾香に思いっきり甘えた。それが元の体に戻るために必要なことだからと言い訳をしながらも、本当の赤ん坊になったように甘えるのにはどこか心地よさを感じた。まるで本当のお袋に抱かれていた頃を思い出すような、そんな安心感。

「ずっとパパとママに会えないの、寂しいねーバブちゃん。バブちゃんのパパとママは、今頃どうしてるのかな?」

 バブちゃんの両親というのは、たかしが俺の正体を隠すために設定した架空の人物に過ぎない。人に子供を預けてずっと会いにこない酷い親だと、綾香は思っているのだろうか。

 そういえば、ずっと両親に会ってないというのは綾香も一緒だ。綾香と俺に擬似的な親子関係を持たせるためには邪魔な存在だったため、世界一周旅行に行かせる形でこの家から排除された。尤も本人達にしてみればそんな感覚は無く、科学者になって沢山稼いでくれた孝行息子からの粋なプレゼントという認識なのだろうが。

 俺が元の体に戻らなければ、綾香だって両親に会えない。一刻も早く、この戦いを終わらせなければならない。もっと強くならなければ。俺は心の中で強く誓った。


 俺が真実を知った日から、三日が経った。ワルワル星人改め悪魔は、あの日から一度も現れていない。親父は暫く日本に滞在するとのことで、普段ホテルで寝泊りしているようだった。かといって俺は特に親父に会いに行くこともなく、結局あれから親父とは顔を合わせていなかった。

 今日の俺は、綾香に買ってもらった玩具で一人遊んでいた。綾香はその隣で、両親から送られてきた世界各国の記念写真を見ながらくつろいでいた。綾香の両親は世界旅行を満喫しているようで、まだ当分は帰ってこない様子である。

 一通り見終えた写真をケースにしまった綾香は、クローゼットを開けて余所行きの服に着替え始めた。最近では、綾香の着替えや裸を見てもあまり動揺しなくなった。

「お買い物行こうねーバブちゃん」

 今日は綾香と二人で買い物に行くことになっている。行き先は歩いて行ける距離にあるベビー用品店である。

 俺はベビーカーに乗せられて、のんびりと街を行く。この街は最近度々悪魔の襲撃を受けたにも関わらず、以前と変わらず平和で活気がある。悪魔はその凶悪な見た目に反して、必要以上に地上に被害を与えることを避けている様子が見られる。あくまでも俺の殺害を目的として動き、その過程で必要な破壊だけを行っていると見ていいだろう。お蔭で怪物騒ぎがあっても街の機能が停止することはなく、人々は普段と変わらない生活を送れているのだ。

 ベビー用品店に来た俺は、綾香と一緒に様々な品物を見て回る。

「ねえねえバブちゃん、こんな服可愛いと思わない?」

 綾香は売られているベビー服を一着手に取り、俺に見せる。

「これもいいよねー、あっ、これも……」

 俺の服を選ぶのに夢中になる綾香。俺の服は戦いの度にボロボロになるので替えがいるのはわかるが、俺としては赤ん坊のファッションなんかには微塵も興味が持てない。尤も綾香が楽しそうにしているのを見るのは別に嫌ではないが。

 俺がぼけっとしながら綾香を見ていると、突如ベビーカー形態になっていたサポートメカがアラームを鳴らした。たかしからの連絡である。俺は通話機を手にした。

『どうした、たかし』

「悪魔が出現した」

『場所は!?』

「貴様のいる方へ一直線に向かっている」

『何だって!?』

 俺がそう言った途端、ズンと大きな音がして、地面が揺れた。棚に陳列された商品が落下し、店内はざわめき出した。

 まさかとは思った。だが俺の身に、スーパーベイビーとしての力が宿ったのを感じた。この近くに、悪魔がいる。

 綾香は携帯が鳴ったことに気がつき、通話に出る。

「あっお兄ちゃん、さっき地震があって……えっ、ワルワル星人!? うん、わかった。任せて」

 綾香は俺の乗ったベビーカーを押して、授乳室へと向かった。どう見ても中学生、下手したら小学生に見えるような娘が、出ない乳を赤ん坊に吸わせている。そんな光景は周囲の奥様方からしたらさぞ異常に映ったことだろう。だが今必要なのは世間体よりも街の平和である。綾香は迷わず俺に乳を差し出し、俺のスーパーベイビーとしての力を解放させた。

『スーパーベイビー! バブー!』

 俺は急いで飛び立ち、店の外へと向かう。店内を飛行し出入り口へと突き進む俺の姿に驚く親子達の姿が幾多と見えるが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

 外に出た時、悪魔はその巨体を駐車場に立たせじっと出入り口を見つめていた。そして俺が出てきた途端、待っていたとばかりに掌を振り下ろした。俺はそれを避け、出入り口前のアスファルトに悪魔の手形がつく。

 悪魔は明らかに俺を待ち伏せしていた。周囲に破壊の形跡は無い。この店に俺が来ていることを知った上で、こちらに向かってきたのだ。先程のズンという音は駐車場に着地した音。恐らく背中の大きな翼で出現地点からここに飛行してきたのだろう。

 俺は悪魔の後ろに回り込んだ後再び前面に回り、悪魔目掛けてパンチを打つ。だが俺の拳は悪魔に触れる寸前、見えない壁によって阻まれた。今回の悪魔はバリアを張る能力か。

 だがそれ以上に、俺は気がかりなことがあった。高校生だった頃の鈴木直正は、こんな店に来たことはなかった。ベビー用品店を狙うのは、悪魔の行動原理から外れるのだ。しかもここに「バブちゃん」がいることを知った上で待ち伏せまでしている。

 直正を殺す前にまずは邪魔者のバブちゃんを、というつもりならまだいい。だがもし、鈴木直正とバブちゃんが同一人物であることが魔界に知られてしまったとしたら。

 一体どうやって知ったのかは俺にはまるでわからない。しかも敵は、俺の現在の居場所まではっきりと察知しているのだ。

 もしかしたら俺は、事態を甘く見すぎていたのかもしれない。敵は俺達の想像以上に俺達の先を行っていたのかもしれない。

 悪魔は俺を捕まえようと何度も掴みかかるが、俺は空中を飛び回って必死に避ける。反撃のパンチはバリアに阻まれ、相手には届かない。

『だったらこれでどうだ! おもらしビーム!』

 もしかしたらバリアを壊せるかもと微かな望みを賭けて、俺は小便を漏らしてみる。だが当然のように、全く効いている様子は無かった。

 こちらの攻撃が一切効かない相手にどう戦うか。単純に強い攻撃をすればバリアを壊せるという保障は無いし、むしろこちらが一方的に消耗するだけという危険性がある。ならばどうするか。俺にできることといったら、肉弾戦とおもらしビームのみ。いや、もう一つあった。果たして今の俺にそれを使いこなせるかわからないが、他に手が無い以上は物は試しでやってみるしかない。

 俺が召喚を念じると、何も無かった場所にすっと断罪の剣が現れた。俺の身長以上の長さを持つこの剣は赤ん坊の体で使うには大きすぎるが、スーパーベイビーの腕力ならば持ち上げる分には問題無い。元より女性が使っていたものということもあり、見た目よりも軽くできているようである。

 普通の男性高校生だった俺には、剣を使った経験など無い。だが不思議と、柄を握った瞬間に戦い方が頭の中に浮かんできた。俺の腕を通し、刃に聖なる力を薄く纏わせる。そして悪魔目掛けて思いっきり切りつけた。剣から放たれた聖なる斬撃が、バリア諸共相手の装甲を切り裂く。そして姿を現したコア目掛けて、俺は断罪の剣を突き刺した。聖なる力をその身に受けて、悪魔は消滅する。

『や、やった……俺に使えたぞ、お袋の剣が……』

 俺は喜びに震える。

「いいぞー! バブちゃーん!」

 周囲から歓声が上がる。バブちゃんの名も、随分と知られたものだ。

 剣がすっと消え、俺は全身の力が抜ける。ふらふらと緩やかに落下する俺を、駆け寄ってきた綾香が受け止めた。

「やったねバブちゃん! 今日もよく頑張ったね」

 俺の頭を撫でて頬擦りする綾香。賞賛の声が飛び交う中で綾香は周りに軽く頭を下げた後、逃げるようにこの場を立ち去った。

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