第3話・アリスはうさぎを追って沼に落ちたようです③

「エース様っ……」

 ベネはビルから飛び降りようとした冬次を止めようと彼を呼んだが、彼はまるで聞こえないようで足を床から離れた。

「あっ……、ちょっとお待ちください!」


 くっ、と彼女は喉を鳴らして、彼を追おうと続いてビルを飛び降りた。しかし、彼女が着地した瞬間は冬次はもうどこにもいなく、もうモンスターのいる場所に駆けつけていると考えると、身体能力がかなり強化されたのは一目瞭然だ。

 それでも、追うしかない。


 いくら力が強いとはいえ、戦いに慣れない者、ましてや見たことのない生き物が相手に、命を落としてしまうかもしれない。

 勇者の恵まれた能力を信じたい。だが。

「見た目はただの子供ですよ……」


 自分の攻撃はモンスターに効かない。それはの任務で再確認したことだ。そんなやつに勝てるはずがない。勝てないのに戦わなければならない。守らなければならない。

 そういえば……。とベネの指先は自分のうさ耳に触れた。


 突然に建物が崩れ瓦礫が落ちる音がベネを現実に引き戻された。モンスターを眺めて彼女は目を大きくした。

「暴れ出した……? もしかしてっ」


 更に現場に近付けると、まだ形が残っているビルの屋上へと飛んでいく冬次の姿があった。

「エース様っ」

 彼がやろうとしていることは明白だ。

 無謀ではない……が、彼は自分の力を完璧に掴んでいない上に、敵の危険性を知らなさすぎている。


 彼に続いてベネも急いでビルを登ったのだが――。

 彼女の目にした光景は宙に身を投げた冬次と、その轟音の後のこと。


「ありえ……ない……」

 ごくりとベネは息を呑んだ。

 モンスターは彼の攻撃によって上からクレーターのような穴が開けられた。

「なんて、力でしょう……」

 まるで希望の光とベネは賛嘆して、それを見惚れた。


 モンスターも動いた。周囲に飛散する泥は集め穴の中心、冬次がいる場所を外から包もうとする。

 ベネはハッとした。

「行けませんっ、まだ奴を倒し切れてません!」

 ――彼がこのまま呑まれたら――。


 “死”。


 その言葉が頭を過ぎってしまい、ベネは考える暇もないと屋上から身を投じる。

 しかし、もう遅い。

 形のない泥のモンスターは再び立ち上がり、冬次の姿はどこにもいなかった。


「あ、ああ……」

 ベネは腰を抜かして地面に座り込んだ。口をパクパクさせて、辛うじて言葉が出る。

「私のせいだ……、私が……戦わせなければ……」


 絶望的な状況だ。

 敵を倒せない自分は助けて助けても全ての人を救うことはできない。そこに現れた彼が一筋の光だと思って心が高ぶって、経験に反することを押し付けようとした。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 ベネは顔を両手に埋めて嗚咽した。


*


 ――苦しい。

 息ができない。

 周りが真っ暗だ。

 そういえば、ベネはこのデカブツに呑まれてはいけないって言わなかったっけ……。


 やってしまったなぁ……。

 ああ、死んでしまうのか、僕は。

 生き埋めされたまま――。


 身体が冷たくなっていく……。こたつで鍋食べたいな……。

 ……ん、暖かい?


*


 ベネは涙を拭き顔を上げて侵略し続けるモンスターを見る。

 人を救うどころか殺してしまった――

「……もうお前を止められる人間も獣人もいません。私も殺してください」

 瞼を閉じる。周りを破壊しながら徐々に近付いてくるモンスターを見れなくなって、心はかえって落ち着くのだ。


 ――自分の命なんてどうなったってもう構わない。

 頭に記憶が次々と浮かべる。人間と違う生き物として生まれ、怪獣から街を守る戦士として選ばれ、人々との出会い……。

 ――あまり、楽しい人生とは言えなかった。




 ピチャッ、と顔に冷たい液体の飛沫が付いたと感じる。モンスターの触手ではないと思い、ベネは目を開ける。

 すると、緑色の土砂降りの雨が頭上から降り注ぎ、モンスターは二度と形を大きく変化して、そしてその中に――。


「エース様!」

 ベネは思わず声を上げてしまった。彼女が見えたのは、モンスターの身体を吹き飛ばせたのは、間違いなく冬次その人物だった。

「生きてるんですかっ」


「勝手に殺さないでよ!」

 彼はベネに近付き、腕で抱えている――五歳か六歳の少女を彼女に渡す。

「この子は気絶してるけど生きてるよ。ちょうどいい、この子を連れて避難してくれないかな」

「え、エース様は?」

「あいつを倒す」

 彼の目はぎらりと光った。


「倒すって……」とベネはビルの屋上を見上げる。

「うん、もう登らない。ベネの能力を使うよ」

「えっ、でも私は逃げるしか」

「あるよ。僕を助けてくれた『脚力』がある。でもたぶん周りを巻き込むから、ベネはその子とここから離れて」


 冬次は一歩前に踏み出す。

 ――小学生の時に参加した夏キャンプ。

 それは“仲間達”と一緒だった。


 冬次はキョロキョロして一片の瓦礫を拾い、重量を確かめると元に戻ったモンスターを見る。怪獣は彼を潰すと言わんばかりに悪臭を放つ触手を限界まで彼に伸ばす。

 ねえ、と冬次は言う。

「今の僕はすっごく強いけど、どうする?」


 当然ながらモンスターは返事しない。

「シカトかー、仕方ないね。あまり――」

 冬次は瓦礫を宙に投げるとフォームを決めて跳躍し、足の甲で瓦礫を当て、シュートする。

「――“元”サッカーのチームキャプテン舐めない方がいいよっ」


 その瓦礫はボールとして弾丸のように直線を描き、緑色の粘土にぶつかっても減速されず、そのまま巨体を貫通した。その直線を中心として衝撃を与え、渦のような強風が塵を吹くかのように、泥は消去された。


「ゴールキーパーがいないペナルティエリア内のシュートは決めれないわけないじゃん」


 この過程を近距離で目撃したベネは驚きのあまりに口を開けた。小さな少女を抱えたまま歩いでくる冬次を迎える。

 彼のうさ耳は消えた。

「やばいですっ! なんですかこれ……、本当に倒せたなんてっ!」


 だが、冬次が彼女に答える前に弱々しい呻き声が聞こえる。どうやら少女は起きたようだ。

「わ、わたし……」

 ベネはハッとして自分のうさ耳を握る。


「わたし、たすけられたの?」と彼女は冬次とベネを相互に見て、無邪気な笑顔を見せる。

「お兄ちゃんとうさぎのお姉ちゃん、ありがとう!」


「良かったね」と冬次はそう言うとベネを横目で見る。彼女は耳を掴んだままだ。

 彼もまた弱々しい笑顔を見せるが、視線が霞んできた。

「ベネも、喜べば……いい……のに……」

「エース様っ?」

 ベネの声は冬次に届けられずにいた。

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クラスごと異世界に召喚されたけど、ここはどう見ても現実世界なんですが? 六葉九日 @huuhubuki

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