第2話・アリスはうさぎを追って沼に落ちたようです②

 あまりにも唐突な出来事で冬次は目を見張るが、唇同士がくっ付いたままで言葉が封じられている。


「むう……」

 ――なんだろう、このにおい。

 草原、いや、風……牧場……、そんな爽やかなものではなく、もっと臭うもの……。

 なんとなく察知してしまいそれを探りたくない冬次であった。


 もう一つ――。

 鉄臭い――。

 頭に浮かべたのは今でも街を蹂躙している怪獣モンスター。建物は次々と倒れ食われ……、当然だと言えば当然だが――。


 “死”は伴っている。

 異世界この世界の人々が死ぬ。

 死んでゆく。

 名も知らぬ人々の血が流れる。

 現場に戦っていたこの子ベネも傷付いたのかもしれない。


 ベネは彼から離れた。紅潮する顔を下に向いて彼女は小声で言う。

「申し訳ありません。今はこの方法しか……」

 ――なんだろう。顔だけではなく……。

 冬次は身体の異変に気付く。

「どうかお許しください」

 ――熱い。

 まるで沸いたばかりの風呂に入ったような温度。


「簡潔に説明させていただきますと――」

 ――視界が少し霞んできた。

「――貴方様は――」

 頭が痛む。顔が熱いのも口付けが原因ではないのは分かっている。……何かが

 ベネは続ける。


「――うさぎになりました」

「はっ?」

「うさぎになりました」

「いや二回言わなくていいから説明してくれ」

 身体の調子は戻っているがベネの言葉で混乱した。


「今のエース様は私のようになっています。つまり私と同じ能力を持ってるわけです」

「えっ?」

 彼女のように……、と冬次は心に残っている違和感の正体を探るべく、自分の頭を触ってみる。すると柔らかくふわっとしたものが、頭から


「ななな、なにこれっ!」

「ああ、可愛らしい垂れ耳ですね」

「ふざけんっ……」

「エース様、時間がないのでよく聞いてください。今のエース様は短時間以内に私の能力を使えます。周りをよく聞いてみてください……、この耳を持つ貴方様の聴覚は人間の何倍も優れています」


 心は納得していないが冬次は目を瞑って集中した。

 雑音のようで、轟音に掻き消された音が、微かに伝わってくる。

「ベネが跳べるのも能力だったの?」と冬次は彼女に助けられた時のことを思い出す。

「はい」


「あいつの弱点とかないの?」

「すみません、分かりません。でしたら泥が集まらなくなるほど破壊するんですが……」

 いつもとはなんなのか、それを聞く余裕がない。

「磁力みたいなものかな……」


 ベネは彼の顔を覗き込む。

「……初めてですから慣れないのでしょうが、危険だと思われたら逃げてください」

「え」

「奴の中に入ってはいけません。もし呑まれそうになったらすぐに……」

「君はなにを言ってるの? 心配しないでって。というかこの能力、使うの楽しみだよ」と立ち上がり後ろに振り向く。


 二人がモンスターから離れて五分くらい経ったか。

「この能力を試す時間はないけど、飛び降りても大丈夫だよね?」

「え、はい」

「じゃあ、また後で」と彼はベネに一瞥をくれずに、十階もある高さから飛んだ。


 風に顔を打たれて冬次は軽々と着地できた。初めての体験でありながら彼は別のことを考えてしまう。

 ――怖いと思ったことが、顔に出てたのか。

 そして、彼女に見られたのか。


「メイ」

 走りながら腕時計に話しかける。

 ……が、反応なし。

「寝てんなら起きろ! この自称神がっ」

『ふああ……、なんか冬次様、私に対して口悪くないですか!』

「能力のこと教えろ」

『うーん……、うさぎちゃんに言われた通りですよお』


「どこからどこまでだ! うさぎになってることしか知らないぞ! てか聞いてたのかよっ」と思わず赤面した。

『うーん、とりあえず口付けしたら相手の能力を使えますねー、それをチート級の力まで出せるのでなんでも倒せますよ! ファイトー!』


「え……、あ、おい! 切れやがった……。この間抜けがっ」

 冬次は腕時計に吐き捨てると足を止めた。

 泥のモンスターとは、もう十数メートルの距離しか残っていないのだ。


「うさぎの能力、うさぎの能力……」

 ――聴覚が優れて索敵できる。自称神によるとジャンプ力は恐らくベネよりは高く跳べる。つまりベネ、いや、うさぎという生物の能力を使える。

 逃げることもできる。じゃあ攻撃技は……?


 冬次の頭に元の世界の家にあるテレビが浮かんだ。

 とあるドキュメンタリーで紹介された野ウサギの生態が、走馬燈のように見れる……。

 冬次は真っ直ぐに前を見る。


 すう、と口にいっぱいの空気を吸い込む。

「……逃げるしかできねえじゃねえか!」

 彼は溜まっていた感情と共に渾身のツッコミをモンスターに向かって投げかけた。ビルも倒れていき開放的な空間になったはずなのに、反響音が聞こえると錯覚してしまう。


『うわびっくりしましたよ冬次様。怒鳴りはやめてくださいよー』

「ふざけんな結局こいつに勝てねえじゃねえかっ……、ってうわ」

 モンスターが飛ばしてくる異物に気付き、横に跳んでギリギリそれを避けた。

「こいつっ……意識持ってんのかよ……くっ」


 二発目。それは頭上から攻撃してきた――。

 冬次は後ろに跳んで避けた。再び距離を取りケガを片手で押さえる。耳に頼ってなんとか掠っただけで済んだが、それでも肩に赤い線が描かれた。

 思わず舌打ちした。


『わあ初めての実戦で避けられるなんて、冬次様は天才ですか!』

「避けられないかもしれないのに送ってきたのかお前っ……、今はそれよりさっさと教えろ! うさぎのこの能力でやつを倒す方法だ!」

『えぇー? うさぎの能力要らないですよー』

「はっ?」


『変身にこだわりすぎてますよ、冬次様。言ったでしょう、チート級の能力を約束しますって』

 ――ベネが持ってない能力も使えると――。

『変身してる間、相手の能力を複製コピーして強化ブーストするだけではなく、冬次様自身のパワーも上がります』


「それでつまり……殴っても効果はあるのか?」

『さあー?』

「殺すぞてめぇ」

『怖いですってば……、あるかもしれないですけど分かりませんよ、敵の戦闘力なんて知ったことじゃないですし』

「使えないな。本当にこの世界を救う気あるのか?」


 メイに毒づいて冬次は考え込む。

 ――攻撃を避けながら殴るのは非現実的だ。モンスターこいつの上から触手みたいなものがないというと……。


 キョロキョロして周りを見ればモンスターの高さ――十数階のビル、中身がまだ完全に破壊されていなく、内装は冬次にホテルを連想させる場所だ。

 ――こいつさえいなければここは現実世界と変わらないはずなのに。

 そう思いつつ彼はそのビルへ飛んだ。


『お、冬次様。もしかして上から攻撃するおつもりで?』

「そうだよ。重力加速度で威力が増すから」

『念のために聞いておきますが、冬次様は中学生ですよね? 求め方分かります?』


 冬次は身体を伸ばして予備動作として膝を曲げる。

「分からないに決まってんだ……ろっ!」

『あ、ちょっと待ってください!』

 地面を蹴り彼はモンスターに身を投げる。ドロドロとした緑色の物体の臭いが強くなり吐き気を催す。


『実はうさぎにはもう一つの能力が……』

 メイの声がするが、冬次は宙で頭は下にいるモンスター向いて落ちていく。グーで殴る体勢に入って、モンスターとぶつける瞬間を待つ。

 あと一秒も満たず――。

『……それは“蹴り”なんです!』


 時間は止まった。

「はっ、あああっ?」


 しかし全てはもう遅し。冬次はパンチを飛ばすと地面を割れるような轟音がした。

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