再び学び舎から逃れる

 かくして私は語る対象から語り手の資格を剥奪され、一介の女生徒として聖ルチア女学園の乙女という名の囚人となった。


 語られることを拒否し続けた亜衣と和音は、私を出し抜いた結果語る立場となり、誰からもそのプライバシーを侵されることなく望み続けていた平穏な毎日を手に入れたのだろう。そして名もない聖ルチアの乙女となった私のことを書きつけたwebに綴ったままそのまま捨て置いているに違いない。この世界が崩壊せず、起伏の無い平坦な日々が繰り返されているのがその証拠だ。


 一登場人物としての私には、亜衣や和音のような鋭い感覚は備わっておらず、私の物語を語る語り手の存在を感じることはできない。よってこうして十七才の少女の肉体を得たまま、この牢獄でも相も変わらず語り続けている次第である。

 ちなみに作者となった亜衣と和音の存在も感じない。背景になじむ目立たぬ乙女らしく、私の感覚は平均より鈍く仕上げられているようだ。そのことを少し恨めしく思いながら、書き物の手を一旦と止め、窓辺に肱をついて憎らしいほど青い空を見上げる。 

 

 この空のむこうに、作家と秘書となった亜衣と和音がいるのだと想像しながら。



「あのさ、一応断っておくけど亜衣も和音も登場人物として並みの感覚しか持ってなかったんだよ? なのにあんたの存在に気付いたってことは、怖くて逃げだしたくなるくらい、あんたの我と眼力が強かったってことだよ。黒子に徹することができなかったんだから語り手としては失格じゃん」

「――お前か」


 許可を出した覚えもないのに、読み手そいつがやってきて、私の前の席に座った。自然と私の声は険を帯びたものになる。


「何しに来たんだ? また語り手の分を弁えなかったからこうなったんだとか、説教でもしにきたのか? まるで教誨師だな」

「違うよ。あんたがまた頭の中でぶつくさ語ってるから来たんだよ。つまり読み手の習性ってやつ」


 忌々しい読み手そいつはどこまでいっても飄々と答える。

 本人の言う通り、私のやらかしをスマートフォンを通して読んだ存在を具現化した登場人物である彼女は、読み手としての属性に引かれてしまうらしく、私が語りだすと近くに寄ってはそれを摂取しようとやってくるのである。そして、口を使おうが、胸の中だけに収めようが、私が語りだした言葉を子細漏らさず受け止めようとするのだ。その後必ず意見めいた口を叩くのが私としては憎らしい。


「さっきも言った通り、これ習性なんだから。嫌なんだったら語るのやめなって。ほかの子みたいに。おなか減ったなぁ、とか、授業だるいなぁ、とか、眠いー、とかその程度のことしかこぼさない子になれば、あたしもあんたの傍には立ち寄らないよ」

「そんなことできるか。私は亜衣が創造した世界の住人になったんだ。虜囚の身となっても語らねばならぬ身だ」

「んじゃあ諦めるしかないよ。あんたは語らずにいられない、あたしはあんたの語りを読まずにはいられない。お互いそうやって、磁石みたいに引き合うようにできてるんだもん」


 飄々とした口ぶりで読み手そいつは簡単に言ってくれた。ああ忌々しい。


「頭の中だけで悪口語っても読んじゃうからね?」

「妖怪か、お前は?」

「お互い似たようなもんじゃん」


 ――ああ言えばこう言う……。 

 私はいら立ちを募らせた。


 読み手そいつは私専用の看守である。その点にはおそらく違いはない。

 私が登場人物という立場を返上し逆襲するのを阻止すべく、亜衣と和音が用意した見張りだ。何しろ私が語ろうとしたことは、読む能力に長けたそいつに立ちどころに露見してしまうのだから、そう考えるのが自然である。今も、亜衣と和音、我が愛する二人の追憶に浸っただけでふらりと傍までやってくるくらいなのだから。


 語り手でありながら登場人物の一人でもある私が、また肉体をもたない一語り手に戻らぬよう、自身も登場人物として肉体を得てこの世界に送られてきた存在、それが読み手そいつだ。私はそのように解釈していた。


「そりゃあ、あれくらいストーキングじみたことをされたら亜衣も和音も慎重になるって」


 ――ほら、やつは即座に私の語りを読んで感想をもらす。プライバシーを侵害する側だった私はプライバシーを侵害される側に転じていた。これも罰なのだろう。


「ところで、あんたこの前の続き書けた? 読ませてよ」


 いつも飄々とのみしている読み手そいつが、少し弾んだ声を出した。私は黙って机の上に広げていたノートを手渡してやる。すると読み手そいつは楽し気に笑ってノートをぱらぱら捲りだした。

 語り手の習性なのだろう、私はいつしかノートに亜衣と和音の物語をしたためるようになっていた。二人が逃げつづけ、通り過ぎた様々な世界で本来語られるはずだったストーリーを小説として語っていたのだ。

 退屈な囚人生活の手すさびとして始めた執筆活動だが、あの時崩壊した世界が私が語りなおすことによって再生する手ごたえを感じることもできた。罪滅ぼしの作業としては悪くないモノだろう。


 読み手そいつも、自分の習性が満足されるのか好んで私の駄文を読んでいた。シャープペンシルの筆跡を目で追う心底楽し気な様子を見るのは、悔しいが悪いモノではない。


「素直になりなってば、楽しんでくれて嬉しいって」


 ――また私の語りを読みやがった。うるさい。


「それにしても、亜衣と和音はどこの世界でも強い縁で結ばれてたんだね。まるであんたとあたしみたいだ」


 ぶっ、と、私は噴き出した。何を言い出すんだコイツは。


「だってそうじゃん。あんたは語り手、あたしは読み手。お互い引き合い求めあってる仲なんだからさ。さっきも言ったけど、磁石みたいに」

 

 愉快そうに読み手そいつは言った。そろそろ休み時間の終了を告げる鐘が鳴る気配を察知したらしく、これ貸してね、と言うなり私のノートを勝手に持ってゆく。その背中を私は見送る。

 読み手そいつの髪は亜麻色のショートカットだ。私は今更そのことに気が付く。



 ノートを貸し出した翌日から、読み手そいつは一人前にも私の書く物語に添削を始めた。誤字、脱字、文法を無視した表現に赤鉛筆で指摘するという校閲の真似事まで始めた上に、こちらの方が意味がよく通るのではないか? といった文例までノートの余白に書いてくる始末。

 最初はむかっ腹が立ち、ノートを私室の部屋の片隅に放り投げて仰向けに寝転んだベッドの天井を見上げながら気が鎮まるのを待っていた。が、冷静さを取り戻してノートを開きなおすと、悔しいことに読み手そいつの言い分に従った方がぐっと文章の見映えがよくなることを認めないわけにはいかなくなる。読み手なだけあって、読み手そいつの読みはことごとく的確だったのだ。


 最初は嫌々の渋々だったが、次第にこの作業にのめりこんでゆく。私は生来の語り手だから、物語るという行為には耽溺してしまうのだ。満足ゆくものが書けた回数が増えれば増えるほどそうなってしまう。必然的に読み手そいつの言葉にも真摯に耳を傾けるようになる。



 ノートに書いた物語を書き、磨き続けていくうちに気付けば数か月がたっていた。



 授業が終わり、放課後が訪れると教職員の目を盗んで立ち寄った図書館や喫茶店でノートを開き編集会議の真似事をする。

 日が沈みそうになる頃合いに分かれて、それぞれの家路につく。私の家は聖ルチアに通う乙女の自宅らしい山手側にある冠木門のある邸宅で、読み手そいつの家は、母親と二人で暮らしている新開地に近い小さなマンションの一室だ。築十数年になるらしいが、掃除が行き届いて居心地のいい住まいだった。何故知っているのか? 休日にノートを抱えて尋ねたことが二度三度あるからである。私は自宅より、読み手そいつの暮らす小さな部屋が気に入っていた。



 語り手としての分を弁えなかった為にその資格を剥奪され、幾年月。

 聖ルチアという学び舎に付属する名もない登場人物の一人になっていた筈である自分が、まるで名のある登場人物のように自宅に帰り家族と気のすまぬ会話をし、待ちかねていたように学び舎に赴いて読み手そいつのもとに駆け寄る身になっていたことに疑問を覚えるまでに一体どれほどの時間が経っていたのか。

 

 ある日鏡を前にして、自分が長い黒髪を持つ、聖ルチアの乙女に相応しい容色の優れた一人の少女になっていたことに気が付いた。――こうして語っている間にも、私の姿はかつて愛したあの少女そっくりになっている。そう、睦月亜衣に。


 しかし私は疑問を覚えなかった。読み手そいつの髪が亜麻色のショートカットだと語った瞬間から、いずれはこう語る未来を予測していたように思えるのだ。


 嶋利、と教師から呼ばれるたびにぬけぬけと返事をするようになっている読み手そいつがかつて語った通り、私と読み手そいつは引き合う仕様になっている。今となっては認めるのに抵抗を覚えない事実だ。読み手そいつが嶋利和音になるのならば、引き合う私は睦月亜衣になる。自明の理だ。


 今や嶋利和音となった読み手そいつは、ノートに書きつけた物語を添削しながら徐々に私の思考を誘導したに違いない。自分たちがこの世界の亜衣と和音になるように。



「ふーん、なんでそう考えるのさ?」


 ――こうして、久方ぶりに語り手としての意識をとりもどした私の語りを読んだ和音は、こちらを弄ぶような小悪魔めいた笑いをうかべる。


「さあ? どうしてかしらね。作者である亜衣と和音はこう考えたのじゃないかしら? 私を永久に閉じ込めるにはいなくなった二人に私たちを挿げ替えるのが一番だ……なんて」


 音声言語でコミュニケーションを取る時、私の口調はいつしかこのようなものに変わっていた。まるでかつての亜衣のような、わざとらしく乙女らしい口調に。それに応じるように和音も口調を合わせる。


「そして互いの命が尽きるまで、この世界で睦月亜衣と嶋利和音として生かすため、かい?」

「さあ、どうかしら?」


 そんな言葉を交わしたのは教室のカーテンの陰だ。いつしか私たちはこういった場所で話すことを好んでいた。ときおりクラスメイトの某かの視線を感じることもあったのだが、それが程よい刺激になったといえば嶋利和音は助平野郎とまた罵るだろう。


「ところで、亜衣。もう少ししたらあたしたち二人にとって記念すべき日がくるよ?」


 和音はカーテンをまくり、黒板の隣のカレンダーを指さす。その日が何を示すのか、私には分かっていた。数日前に父がとある企業の上役の息子と見合いをするよう、私に命じたからだ。


「今回はどうするつもりなの?」

「決まってるでしょう? もちろん逃げるわよ」


 和音の手からカーテンを奪い、軽く巻き付けて私たちは口づけをかわす。


「だってそれが亜衣と和音の希望だもの。――ここから逃げて逃げて、誰からも邪魔されず二人で楽しく暮らすことが」


 聖ルチアのある最初の世界で、本来あり得るはずだった脱獄の物語を完成させるのが私に課せられた刑だったのだろう。元語り手の特権でわたしはそう決めることにした。


 分を弁えなかった語り手最後の意識が、次第に睦月亜衣の記憶と人格に飲みこまれてゆくのを私は感じる。

 

 徐々に完全な睦月亜衣になりながら、今度の脱獄のことを想う。

 それはきっと成功するはずだ。


 これからいいところへ行こうとする私たちの邪魔をする語り手ものは、この世界にはもういないのだから。

 

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邪魔をしないで、わたし達これからいい所 ピクルズジンジャー @amenotou

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