第20話 「…まだ拗ねてんのか?」

 〇高原夏希


「…まだ拗ねてんのか?」


 スタジオの入り口で、その背中に声をかけると。


「…ナッキー…」


 マノンはゆっくりと振り返って、らしくない声を出した。


「…もう、なんや力入れへん…」


 俺は苦笑いをしながらマノンに近付くと。


「しっかりしろよ。情けないな。」


「もう、俺の人生終わってもた…」


「バカ言うな。」


 マノンの隣に座って、マノンの手からギターを奪う。

 どうせスタジオにこもってメソメソしてるだけで弾いちゃいないよな。


「…一度だけ言う。」


 俺はギターを手にして…Thank you for loving meを弾きながら…マノンに言った。


「…俺はおまえが羨ましいよ。」


 それは…心からの言葉だった。

 愛する妻と…ここまで手放したくないと思える娘と、ずっと一緒にいられたマノンが、俺は心底羨ましい。

 もし…俺も、周子と結婚して瞳と三人で暮らしていたら。

 瞳を嫁に出したくない。と、もっと幸せな揉め事に発展したのだろうか。


 もし…さくらとリトルベニスで式を挙げて、知花が産まれて。

 三人でアメリカで過ごしていたら…


 ……ふっ。


 …どれもが夢で、儚い妄想でしかない。

 マノンには辛い現実であっても、俺には…ただただ、憧れだ。

 今となっては…瞳は圭司と幸せになっていて。

 知花も…さくらも…

 その幸せを間近で見る事は出来ても、俺は蚊帳の外の人間だ。


 そこに…そばに近寄れても…

 中には入れない。

 入っちゃいけない。



「…ナッキーに言われたら…誰に言われるんより堪える…」


「分かってくれて嬉しい。」


「…辛くないんか?」


「自分で選んだ地獄だからな。」


「……」


 マノンもナオトも…

 俺が桐生院に出入りしている事を知っている。

 知らん顔してさくらと向き合って…

 一言も喋らない。


 さくらは、貴司の妻で。

 桐生院の人間だ。



「おまえ見てると、欲ってやつを思い出す。」


「…ちったあ思い出して欲張れや。」


「ふっ…手遅れだ。」


「……」



 来週…シークレットライヴの前夜は、桐生院家のパーティーだ。

 知花と…華月と聖の誕生日。

 去年は知花とさくらの出産で何もなかったが…

 今年も、当然のように呼ばれた。


 ためらいがないと言えば嘘になる。

 だが…

 俺の娘…知花の幸せを。

 ビートランドの会長としてではなく、高原夏希として…

 そして、心の中でこっそりと…父親として祝いたい。


 …孫の華月も同様…

 そして…聖も…。


 これが…俺の欲だ。


 さくらを困らせていると思う。

 だが…許されたいと願う弱い俺がいる。



「…俺、あいつらのライヴ観たら、嫉妬しそうやわ…」


 マノンがうなだれたまま、そう言った。


「…ほんとおまえは…」


 俺はギターをマノンに返して肩を叩くと。


「弾く熱が戻ったら会いに来い。それまで顔見せるな。」


 そう言ってスタジオを出て…



『もしもし。』


「あ、るーちゃん?」


『ナッキーさん?』


「ああ。時間あるかな。」


 部屋からるーちゃんに電話をかけて…


「お茶でも飲みに行かないか?」


 デートに誘った。






「るーちゃん。」


 俺が手を上げると、入り口付近に立ったままだったるーちゃんは、少し笑って歩いてやって来た。



 あえて、事務所の近くのカフェを選んだ。

 しかも窓際。

 うまい具合にマノンが出て来て見てくれたらいいのに。なんて思いながら。



「真音が何かやらかしちゃいましたか?」


 ゆっくり座りながら、るーちゃんが言った。


「俺には害はないが、家ではどうなんだ?」


「あー…鈴亜の事で?」


「そ。事務所ではずっとフヌケだ。」


「うちでもですよ。」



 二人でコーヒーを頼んで、すぐそこに見える事務所を見上げた。


「…あっと言う間ですね。」


 ふいに、るーちゃんがつぶやいた。


「そうだな。俺は今でも、るーちゃんに『はじめてちゃん』て言った事を後悔してる。」


「ふふっ。もう忘れて下さいよ。」


「こんなに美人になるって分かってたなら、マノンと別れた時にさっさとつけ込めば良かった。」


「もう…でもそう言ってもらえるなら、オシャレして来た甲斐がありました。」


「それは嬉しいな。」



 出会った頃を思い出して…まさかこんなに長い付き合いになるとは思わなかった。と、二人で笑い合った。

 るーちゃんは、マノンを好き過ぎて音楽に対する理解がない。と自分で言うが…

 Deep Redの音楽を知って理解している人物の一人だと思う。

 クラッシックの家に生まれて、ハードロックに馴染むまでには時間がかかっただろう。



「光史の結婚式以来、マノンはどうだ?」


 光史の結婚式で…朝霧家は十年以上に渡る家庭内破綻を告白して、再構築を誓った。


「ええ。おかげさまで、素直になり過ぎて…あのアリサマです。」


 るーちゃんは苦笑い。


「るーちゃんは?まこと鈴亜の結婚には?」


「もちろん賛成ですよ。まこちゃんは本当にいい子だし、何の心配もありません。でも反対に…鈴亜がちゃんと奥さんになれるかなって。」


「ふっ…ま、自分達の時も周りが思ってただろうな。」


「あー…間違いないですね。」



 るーちゃんのご両親は、現在ウィーンに住まわれている。

 年に数回お互いの家を行き来するそうだが、同居の予定はないらしい。



「マノンが反対する理由って、何なんだろうな。」


 コーヒーを飲んで問いかけると。


「…なんなんでしょうね…ただ…最近やたらとお義父さんの写真を見てる事が多いです。」


 るーちゃんは意外な事を言った。



 マノンの親父さんは…マノンが高校生の時、デビューを楽しみにしたまま…亡くなった。

 あの時のマノンは…本当に辛そうで、見ていられなかった。

 ギターも辞めてしまうんじゃないかってぐらいの落ち込み方で。

 一時期は…あの熱はどこに置いて来た?って言うほど、ギターを弾いてもマノンらしくなかった。



「…あの時マノンに熱を取り戻してくれたのは、るーちゃんだったな…」


 窓の外を眺めながら言うと。


「え?」


 るーちゃんは何も知らなかったのか…目を丸くした。


「ほんと、親父さんを亡くしてすごくフヌケになってた。ギター弾いても心ここに非ずでさ。だけど…るーちゃんと知り合った頃から、あいつ変わったよ。」


「……」


 俺は無言でるーちゃんの頬に手を伸ばす。


「…え?」


「…ちょっと失礼。」


 るーちゃんは驚いた顔のまま。

 俺は、るーちゃんの頬に手を当てて…


「…マノン、妬くかな。」


 真顔で言った。


「……」


 赤くならない所を見ると、俺がどうしてこうしてるか…分かってるんだろうな。


 バン!!!!!


『何してんねやーーーー!!』


 ふいに、窓の外。

 マノンがガラスに両手をついて、息巻いてる。


「…妬いたな。」


「…オシャレして来た甲斐がありました。」


「ふっ。さすが。」


 頬に手を当てたまま、二人で見つめ合ってそう言ってると。


「離れろやーーーー!!」


 マノンは店の中に走って入って来た。

 俺に突進して来るかどうかの所で…るーちゃんが立ち上がる。


「っ…」


 驚いたマノンが立ち止まると。


「もう、仕事終わり?」


 るーちゃんが、首を傾げて言った。


「お…おう…」


「たまにはどこか連れてって。」


「……」


 マノンはチラリと俺を見て。


「…ナッキーと会うのに、そんなシャレて来たんか?」


 眉間にしわを寄せた。


「真音が全然あたしを見てくれないから、誰かにオシャレした自分を見てもらいたかったの。」


「……」


 こうなると女の方が上手だな…

 そう思いながら、俺は笑顔で二人を見る。


「ナッキー菌、取らな。」


 そんな事を言いながら、マノンがるーちゃんの頬に触れる。

 ガキか。


「よし。出かけよ。このまんま、映画でも行って飯食いに行こ。」


 マノンがるーちゃんの手を取る。


「ほんと?嬉しい。」


 そう言って笑顔になったるーちゃんを見て…

 これだけは、本物だな…と思った。

 手の平でマノンを転がしながら…最後には、ちゃんと心からの笑顔を見せる。

 るーちゃん、いい嫁さんだ。


「楽しんで来いよ。」


 座ったままそう言うと。


「ナッキーもたまにはサボれ。」


 マノンは笑いながらそう言って。


「ナッキーさん、ありがとう。」


 るーちゃんは…初めて会った頃を思い出させるような笑顔で言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る