第8話 「あいつ、今日すげーピアノ弾いてたけど、何かあったのか。」

 〇桐生院知花


「あいつ、今日すげーピアノ弾いてたけど、何かあったのか。」


 千里の帰りが少し遅かったから、あたしだけでも付き合おうと思って食事を待った。

 華音と咲華と華月は、頑張って千里の帰りを待ってたけど…もうとっくに夢の中。



「…あいつ?」


 ピアノって聞いた時点で分かったのに、つい聞き返してしまった。


「あいつだよ。『まこちゃん』。」


 千里の『まこちゃん』が可愛くて、ちょっとご飯大盛りにしてしまった。

 こんなに食べるかな?



「あら、千里さん、おかえりなさい。」


 お風呂上りの母さんが大部屋に来て。


「ただいまっす。いただきます。」


 手を合わせる千里を見て、小さく笑った。



「知花、明日小々森こごもりさんに何か注文する物ある?」


 冷蔵庫の前で、注文書を見ながら母さんが言って。


「あ、さっき見た。あたしは特にないかも。ありがと。」


 あたしも、自分のお茶碗を前に手を合わせた。

 そして…


「って…千里、それいつ見たの?」


 千里が座った時に言った言葉に…会話を戻した。

 あたしは六時にスタジオを覗いて…心配だったけど、帰った。


「俺が帰る前にシャワー室入ってくの見たから…九時前までは弾いてたんじゃねーか?」


「…まこちゃん…四時からずっと弾いてたの…」


「はあ?あいつバカじゃねーの。」


「……」


 きっと…鈴亜ちゃんと何かあったんだろうけど…

 あんなまこちゃん、初めて見た。

 大丈夫かなあ…



「まこちゃんって、島沢まこちゃん?」


 お茶を入れた母さんが、あたしの隣に座った。


「うん。」


「可愛いよね。女の子にしちゃいたい。」


 母さんの言葉に、あたしと千里は目を細めた。


 麗の結婚式の日…二階堂家で開催されたガーデンパーティーで。

 どういうわけか、まこちゃんは女装してて。

 それがまた…無駄に可愛いって言うか…

 あたし達は、まこちゃんって知ってたから面白がって写真撮ったりしたけど…

 まこちゃん。

 何人かから、本当に女の子と間違われて電話番号聞かれてた。



「…この前、おまえらルームで飲み会したっつってたよな。」


「うん…」


「あの時、あいつ何か喋ったか?」


「…え?」


「あいつに毒を吐かせる飲み会だったんだろ?」


「……」


 な…なんでバレてるんだろ…

 あたしは一瞬お箸を止めて、千里を見た。


「おまえら分かり易いんだよ。」


「そ…そうかな…」


「で?」


「何…?」


「次はいつだ?」


「……」


 パチパチと瞬きをして、千里を見た。

 千里…それって…

 まこちゃんを心配してくれてるの?


「次は俺も行く。上手くセッティングしろよ。」


 そう言った千里を見た母さんが。


「それ、どうなったか教えてね?」


 真顔なんだけど…ワクワクしたような声でそう言った。




 〇島沢真斗


「どーしたの、それ。」


 翌日…左の頬骨辺りを青くした僕に、聖子が驚いた。

 そうだよね…

 ケンカとかに無縁だしね…


「…自動ドアだと思って歩いたら、手動で…」


 頬を押さえながら苦笑いすると。


「ぷはっ!!まこちゃん、どんくさいな~もう!!」


 聖子は大げさに笑いながら、僕の背中を叩いた。


「おまえ、それ結構な当たりだったんじゃないのか?」


 光史君は、僕の顎を持ってジロジロと頬を見る。

 …う…殴られたって…バレないかな…


「おはよー…って、まこちゃん、どうしたの…それ。」


 知花にも同じ事を言われて。


「あっ、知花。聞いて聞いて。まこちゃんたらさーあ…」


 聖子が笑いながら説明する。


「えーっ…うわあ…痛そう。大丈夫?」


「うん。平気。」


 聖子と知花、二人は親友だけど、ほんっと…タイプは全然違う。

 でも、バランス良くて居心地いいんだよね…。


「おーっす……まこ…ケンカでもしたのか?」


 陸ちゃんとセン君が来て、やっぱり僕の頬を見て言った。


「自動ドアとね…ぷっ。」


「聖子。まこちゃん可哀想だよ。」


「だーって、らしくて笑えちゃう。」


 知花、フォローしてくれなくていいよ…

 ほんと…

 僕は今、笑われるぐらいがちょうどいいんだから…


 それにしても、やっぱり目立つかな…って事で、バンソーコーで隠す事にした。

 殴られたって言っても、ドアにぶつけたって言っても…

 どっちもカッコ悪いし。


 それより…

 朝一で眼鏡屋に行ったけど…すぐには直せないって言われた。

 一応預けたけど…真珠美ちゃんに前のメガネを使わせるのも、新しいメガネを買わせるのも悪い。

 もし、直らなかったら…って考えて、真珠美ちゃんに似合いそうなメガネを買った。

 何とか連絡がつくようにしなくちゃ…


 だけど…残念な事に、苗字を聞き忘れた。

 またバスに乗ったら会えるかな…



 今日は顔出ししてない僕らの、顔出しなしのPV撮影の打ち合わせ。

 バックショットとか、手元とか、スクリーン越しとか…

 顔出しなしのPVは、CDの付録。

 ちなみに…もしかしたら、いつか何かのために…って気でもあるのか。

 高原さんは、僕らの顔出しのPVもずっと撮り溜めてる。

 それは、僕らも見た事はないんだけど…

 どんな風に編集されてるのかな。



 打ち合わせが終わって、僕は高原さんに呼び出された。

 会長室で譜面を渡されて、それを見ると…すごくいい曲!!

 どうも、誰かのために高原さんが書いたらしくて。

 それを、僕に弾いてくれないかって。

 すごく名誉な話に、舞い上がった!!

 レコーディングはまだ先らしいけど、僕なりにアレンジして構わないって言われて…

 じゃあ、いくつか用意してみますって話して…

 すごく、すごく嬉しかった。


 嬉しかったけど…

 どこかに、ポッカリと空いたままの穴は…

 それでも、埋まらなかった。


 * * *


 とりあえず、昨日真珠美ちゃんと降りたバス停に行ってみた。

 塾の終わる時間って、毎日あんなに遅いのかな…

 って、よく分からなかったから、まだ六時だけどバス停から歩いた道程をたどってみた。

 すると…


「あ。」


 前方から、昨日とは違うメガネをかけた真珠美ちゃん。


「真珠美ちゃん。」


 僕が名前を呼んで駆け寄ると。


「…え…っ?」


 真珠美ちゃんは、すごく不審そうな顔で僕を見た。


「ごめん。メガネ…すぐには直らないみたいで…」


「…え…?」


「…あれ?分からない?」


「……」


 真珠美ちゃんは僕の顔をジロジロ見た後、真っ赤になって。


「き…昨日の…お兄さん!?」


 大きな声で、そう言った。


「うん…そう。気付かなかった?」


「だっ…だって、暗かったし、見えなかったし…!!」


 真珠美ちゃんは、メガネを外したり、二度ぐるぐる回ってしゃがみこんだり…


「あ…そっか。ごめんね。本当…不便だよね。」


 僕はバッグから紙袋をを取り出して。


「これ…気に入るかどうか分からないけど、もしメガネが直らなかったら申し訳ないと思って買ったんだ。」


 真珠美ちゃんに渡した。


「…あたしに…?」


「うん。かけてみて。度は、僕が壊しちゃったやつと同じの入れてもらったんだけど…どうかな。」


 真珠美ちゃんのメガネは、太い黒縁だったけど…

 僕が選んだのは、薄いピンクの入った金縁で、形も柔らかいカーブの物。


「こんな…可愛いの、似合わないよ…」


 紙袋の中から取り出した箱を開けて、真珠美ちゃんは小さくつぶやいた。


「気に入らないか…ごめんね。一緒に選べば良かったかな…」


「……」


 真珠美ちゃんは無言でそのメガネをかけると、ゆっくりと顔を上げた。


「…僕は似合うと思うんだけどなあ…」


 少し笑顔でそう言うと、真珠美ちゃんは近くにあった電話ボックスで自分を見て。


「…うん…悪くないのかも…」


 照れたような口調で言った。


「良かった…」


「…お兄さん、わざわざこれを届けるために、来てくれたの?」


「困ってると思って。」


「……」


「苗字聞いてなかったから、家を探そうにもね。」


 僕がそう言うと、真珠美ちゃんは少し困った風な顔をして。


「…お兄さんぐらいの歳の人は…あたしの名字聞くと…引いちゃうから…」


 って、小さな声で言った。


「え?なんで?」


「…うちのお兄ちゃん…昔、すごくワルで…みんなに怖がられてたから…」


 それを聞いて、夕べ殴られた事を思いだした。


「ああ…なるほど。でも、今は妹思いのいいお兄ちゃんなんでしょ?」


 僕が頬のバンソーコーを指差して言うと。


「あ!!夕べの!?ごめんなさい!!」


 真珠美ちゃんは、深々とお辞儀した。


「いや、いいよ。真珠美ちゃんの事心配したお兄ちゃん、優しいね。」


 僕も…妹がいたら、そうやって守ったのかなあ…なんて思った。


 すると…


「…あたしの名前…むら 真珠美ますみって言うの…」


 真珠美ちゃんが、聞いた事のある名前を言った。


「…え?」


「邑…真珠美。」


「……」


 邑…それは…

 鈴亜に本気になってる…あの、男らしいバイクの人…?

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