第50話 「見て、お母さん。ガッくん、あくびしたよ?」

 〇桐生院知花


「見て、お母さん。ガッくん、あくびしたよ?」


 咲華さくかがそう言って、麗の長男…がくの顔を見つめた。


「そうね。ガッくん、まだまだ眠いのかも。」


 あたしがそう言うと、咲華は振り向いて。


「しー。」


 静かに本を読んでいるだけの華音かのんに、指を立てた。


「……」


 華音は無言で咲華を見て。

 それから…自分の隣で眠ってる、麗の長女…紅美くみの寝顔を見た。



「ごめんね?急に来ちゃって…」


 今日は、麗が子供達を連れて里帰り。

 陸ちゃんはセンと共に、アメリカの事務所に十日間ほどお手伝いに行ってる。


「あたしは暇だからいいのよ。一人で年子は大変でしょ?それに、母さんもおばあちゃまも喜ぶわ。」


 あたしがそう言うと、麗は少し痩せた顔を傾げて…笑った。



 麗は…去年、長女を死産した。

 悲しみに打ちひしがれていた麗の前に現れたのが…実の父親に背中を刺されて、瀕死の状態で病院に担ぎ込まれた紅美だった。


 両親が死んで、紅美を引き取りたくないと言い張る親戚を前に…

 麗は名乗り出た。


「この子、あたしが育てます。」


 …最初は、みんな反対した。

 特に…二階堂側の人達は。

 だけど…麗の決心は揺るがなかった。

 もう子供は望めない。

 そう言われてた麗に、あたしは反対なんて出来なかった。

 だけど、紅美を引き取ってからの麗には明るさが戻って…

 そして、望めなかったはずの二人目も出来た。



「紅美は大きいわね。」


 あたしが眠ってる紅美を見て言うと。


「この前検診に行ったら、年上の子達よりずっと大きかったわ…」


「ふふっ。将来はバレーボール選手とかね。」


「桐生院家からスポーツ選手が出るなんて、想像出来ない。」


「…麗。二階堂。でしょ?」


「あっ…陸さんには内緒…」


「ふふっ。」


 あたしと麗が顔を見合わせて笑ってると。


「ねえねえ、麗ちゃん。見て見て。」


 四月から一年生になる咲華が、ランドセルを背負ってやって来た。


「わっ、もうすぐ一年生だもんね~。似合う似合う。」


 誉められた咲華は満面の笑み。

 華音はと言うと…


「……」


 咲華の様子を見て、それからまた読んでた本に目を落とした。


「…ノン君、何か機嫌悪いの?」


 麗が小声で言う。


「…母さんとおばあちゃまが、聖と華月連れて、スイミングの一日体験に行ったのよ…」


「あー…それでか…」



 咲華は…本当に、ずっと変わらない。

 良く食べて良く寝て良く笑って…

 本当に、誰からも可愛がられて…愛される。


 だけど華音は…

 家族に対してはいいんだけど…

 超人見知りで…

 超…おばあちゃん子。

 つまり…あたしの、母さんが大好き。

 常に、母さんに付いて回ってる。


 だけど、今日みたいに母さんが聖と華月を連れて出かけてしまったりしてると…

 自分も行きたかった…とか、おばあちゃんを取られた…とか。

 変なヤキモチを焼いて、拗ねてしまう。

 ヤキモチ焼きなのは、千里譲り。



「華音。」


 あたしが声をかけると、華音はゆっくり顔を上げて。


「…何。」


 そっけない返事。

 もうっ。

 千里のミニチュアみたい。


 あたしは華音の後に回り込んで。


「えいっ。」


 華音を抱きしめた。


「えーっ…何?くすぐったいよー…」


 華音は、照れ臭そうに首をすくめながらも…笑ってる。


「華音とくっつきたかったの。最近、母さんの所来てくれないから、寂しいんだもん。」


「…咲華がくっついてるから、いーかなって。」


「咲華に遠慮してたの?」


 頬をくっ付けて問いかける。


 …あたしにとっては、華音も咲華も華月も…

 三人共、可愛くてたまらない。

 だけど華音は、自分はお兄ちゃんだから…って、どこか一歩退いてる所がある気がする。

 双子なのに、咲華より随分大人びてしまってる。


 …おばあちゃん子なのは、関係ないと思う。

 母さんはいまだに…あたしの妹みたいに、無邪気な人だ。



「ただいまー。」


「あ、母さん達帰って来た。」


 玄関に向かう麗。

 あたしの腕の中の華音も、少し玄関に行きたそうにウズウズしてる。


「…迎えに行く?」


 あたしが顔を覗き込んでそう言うと。


「…母さんが行くなら行く。」


 華音は遠慮がちに言った。


 …もう。

 子供が気を遣わなくていいのに。


「ふふっ…いいから行っておいで?」


 あたしが華音を立ち上がらせて言うと。


「咲華が行ったからいいや。」


 華音は、あたしの方に向き直って膝に座って…あたしに抱きついた。


「…あら、嬉しい。」


 華音がこんな事してくれるの…すごく久しぶり。

 仕事から帰った千里には、三人とも飛びつくけど…

 あたしには、めったにない。

 あたしは普段から家に居るから…珍しくないのだと思う。



「…母さん…」


「なあに?」


「このまま…お昼寝していい?」


「…いいわよ。」


 ゆっくり頭を撫でてると…華音はすぐに寝息を立て始めた。


 …大きくなったな…

 その内、こんな事させてくれなくなるんだよね…

 少し体を揺らしながら、華音の重みを堪能する。



「ただい…あ、ノン君寝てるの?」


 大部屋に入って来た母さんが、あたしに抱きついて眠ってる華音を見て言った。


「うん。今。」


「ふふっ…可愛い。本当はいつもこうしたいんだろうけど…我慢してるのよね。」


 母さんは、華音の顔を覗き込みながら…そんな事を言った。


「え?我慢…?」


「ほら。千里さんがよく言うじゃない。」


「……」


 母さんの言葉に、あたしは…パチパチと瞬きをした。

 千里が…よく言うのは…

 いつもあたしの膝に来る咲華に。


「おい、咲華。いつまで知花の膝に座るんだ。」


 千里は…ただ単に、自分があたしの膝に寝転びたいから…そう言ってしまってるんだけど…


「え~、大人になるまで座るよ~?」


 そう答える咲華に少しデレデレになって…


「…大人になるまで座るのはやめろ。」


 そう言って、咲華を抱えて自分の膝に座らせる。

 ついでに、華月も抱えて座らせて…

 得意げな顔であたしを見て。


「おまえも来るか?」


 なんて…



「…華音、それで遠慮してたの?」


「みたいよ?一年生になるから、大人になるから、もうダメだよね、って。」


「…もう。」


 あたしは華音の頭をゆっくり撫でて。


「…むしろ、あたしはいくつになってもこうして欲しいけど。」


 髪の毛に唇を落としながら言った。


 可愛い子供達。

 自分が子供だった時の事を考えても…

 あたしは、父さんにも、おばあちゃまにも甘えた事がないから…

 いくつまで、甘えてくれるんだろうって思っちゃう。

 せめて…こうやって甘えてくれる間は…

 精一杯、抱きしめて伝えたい。


 愛してる…って。




 〇桐生院さくら


「…ノン君見っけ。」


 あたしが背後から声をかけると。


「あーっ!!ばーちゃんいつの間に来てたのーっ!?」


 ノン君は大きな声でそう言って、芝生の上に転がった。


「アッチョンブリケ。」


 ノン君の手を掴んでそう言うと。


「もー…これで五回連続で僕の負け…」


 唇を尖らせたノン君は。


「ばーちゃんには、なかなか勝てないなあ…」


 そうボヤキながら、沓脱石に座った。


「何か飲む?」


「うん。僕、変身できるかも水。」


「あっ、いいね~。じゃ、あたしもそうしよっと。」


 ノン君の言う『変身できるかも水』は…


『今飲んだら背が伸びるかも』


『今飲んだら力が強くなるかも』


『今飲んだら全てにおいてレベルアップするかも』


 って…

 水分補給させるためにこじつけた、暗示。

 ただの水。



 二人で大部屋に行くと、サクちゃんが華月とお絵かきをしてた。


「何描いてるの?」


 あたしがらくがき帳を覗き込むと。


「とーしゃん。」


 華月が顔を上げて言った。

 …真顔で。


 その隣でサクちゃんは。


「華月、色使いがすごいの!!」


 満面の笑みで、華月を絶賛。


 なんて言うか…

 華月は…三人の中で、一番千里さんに似てる気がする。

 顔立ちはすごく綺麗なんだけど…とにかくクール。

 四歳にして、大人の貫録…


「聖は?」


「大ばーちゃんと寝てるよ。」


 サクちゃんはあたしの手を引いて、中の間が見える位置まで行って。


「ほらね。」


 寝転んだ二人の姿を指差した。


「ほんとだ。教えてくれてありがと、サクちゃん。」


 あたしがそう言うと、サクちゃんはえへへって笑って。


「どーいたしましてっ。」


 ペコリとお辞儀した。


 ふふっ。

 サクちゃん、女の子らしいなあ。



 知花は二時間ほど取材のため事務所に出かけてて。

 サクちゃんはその間、自分が妹と弟の面倒を見てる!!って、名乗り出た。

 …聖は弟じゃなくて、叔父…なんだけどね。

 とにかく、サクちゃんはすごく『お姉ちゃん』で。

 明日の入学式で自分は大人になる。

 これで何でも一人で出来る。と、息巻いている。


 ノン君は…


「ばーちゃん、『雲隠れ』しよ?」


 って、誘ってくれた。

 かくれんぼのようで、かくれんぼじゃない。

 鬼はいなくて、お互いが見つからないように隠れて…先に見付けた方が勝ち。


 本当は…まだまだ遊びたい盛りなのに。

 双子だけど妹であるサクちゃんが妙にお姉ちゃんになっちゃって、それを気にしてるノン君。

 一年生になるって言ったって、まだまだ子供なんだから…

 思う存分遊んで、思う存分甘えればいいのに。



「ねえ、ばーちゃん。」


「なあに?」


 グラスに一つ氷を入れた、『変身できるかも水』を飲みながら、ノン君が言った。


「ばーちゃんはなんで、そんなに何でも出来るの?」


「何でも出来てる?あたし。」


「だって、聖子ちゃんちのばーちゃんは、後ろに回るの出来ないって言ってたよ?」


「あああああ…ノン君、よそでそんな話しちゃダメだよ…」


「えー、何で?」


 あたしはお義母さんが起きてないかを少しだけ確認して。


「ばーちゃんはね、よそのばーちゃんより少し若いの。だから出来ちゃうんだよ。」


 小声で言った。



 身体が鈍るのが嫌で、つい…華月と聖の一日体験に付き添う。なんて言って…

 あたしは水泳も体操もなわとびも跳び箱も、全部自分が満喫してしまった。

 一緒に行ってるお義母さんは、半ば諦め気味で…

 あたしのストレス発散になる。と思って、知らん顔してくれてる。


 …でも、本当は嫌なんだろうなあ。

 だって、絶対あたしが泳いでるのとか見ないもん…



「もし、ノン君がばーちゃんみたいになりたいって思うんだったら…」


「うん…」


「集中する事よ。」


「…集中…?集中って?」


「……」


 あたしは、んーって考えて…


「例えばね…この指を見て?」


 ノン君の前に、人差し指を立てた。

 少し寄り目になったノン君は、じっ…とそれを見る。


「今度は、指じゃなくて、指の向こうに見える景色を集中して見て?」


「…集中して見る?」


「一生懸命…かな。」


「……」


「景色に集中すると、指が見えなくなるの。」


 いつ…こんな事を始めたのか分からないけど。

 あたしはたまに、気付いたらこんな事をしてた。

 何かを…衰えさせたくないって本能なのか…

 自分の何がそうさせてるのか分からないけど…


「難しいや~。」


「…だよね。ごめんごめん。」


 あたしはノン君の頭を撫でて笑う。

 するとノン君は。


「僕、特訓するよ。」


 すごく…目をキラキラさせて言った。


 …ま、目標が出来ていいのかな?

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