第39話 な…

 〇朝霧光史


 な…

 何なんだ…これは…


 目の前に広がる大スクリーンに映し出された映像に、俺は両手を握りしめた。


 おい…やめろよ…


「光史、可愛い…」


 瑠歌がそう言って笑顔になったが…俺は…

 立ち上がって、会場から逃げ出したい気分になった。


『マノンは親バカだな。』


『何とでも言うてくれ。』


 俺は…ずっと、親父の膝にいて…

 とにかく…親父が俺を離さない…

 もう、十年以上も見た事のないアルバムには、確かに…そんな写真が何枚もあった気がする。

 俺は、その写真が大嫌いだった。


 家族が一番だと口にしながら、親父はいつもギターを優先する。

 渉が産まれる前も、そうだった。

 小さな事の積み重ねがあって…

 渉が産まれた、あの日。

 俺の中で…親父に対する不満が爆発した。



 スクリーンに一番近い親族の席では、親父がスクリーンを見たまま泣いているのが見えた。

 …何泣いてんだよ…

 …何なんだよ…この映像…

 早く…

 早く終われ…!!


 そう願った所で…映像がプツリと切れた。

 少し…肩の力が抜ける。


「……」


 聞こえないように、小さく溜息をつくと…


『おじちゃん、この前は、僕のギターを直してくれて、ありがとうございます!!』


 画面に映し出されたのは…10歳ぐらいの男の子だった。


『僕は、いつか、おじちゃんみたいなギタリストになります!!』


「…誰?」


 瑠歌が、画面を見て問いかける。


「…親父が、助けた子供…だと思う。」


 渉が産まれた日、親父が人助けをしていて病院に来れなかったのは知ってる。

 だが…こんな映像があったなんて…


 そっけなく答えると、瑠歌は俺の手を握って。


「お義父さん、ヒーローだね。」


 笑顔で言った。


「……」


 男の子は、直してもらったらしいギターで、たどたどしく…Deep Redの曲を少しだけ弾いて。


『僕がギタリストになったら、会いに行きます‼︎』


 屈託のない笑顔で、そう言った……



 ……この顔…



「あれって…」


 さすがに、何人か気が付いたのか。

 センと陸も顔を見合わせて、画面を指差している。



『本日は、おめでとうございます。』


 男の子の映像が切り替わって…

 そこに映し出されたのは…


『元SAYSの、里中健太郎です。』


 さ…


「里中ーーーー!?」


 大きな声を出して驚いて立ち上がったのは…

 親父だった。



 〇里中健太郎


「えーと…なんて言うか…俺は、朝霧君とは直接話した事もないし、絡んだ事もないのに…お祝いメッセージ…しかもビデオメッセージって恐縮なんですが…」


 め…

 めちゃくちゃ緊張して…

 声がうわずる。


 俺、里中健太郎は…

 SAYSってバンドで、ここ…ビートランドからデビューした。

 俺がギターボーカルで、ベースは小野寺。

 で、ドラムは…今や一緒にやってたとは思えないぐらい、遠い存在になっちまった浅香京介。


 SAYSが解散して、京介はF'sってバンドで…世界に出た。

 …まさか、だよな。

 京介が、俺の憧れの人…朝霧真音さんとバンド組むなんてさ…


 バンドが解散してからは、俺はソロで歌ってる。

 ビートランドでも、上でも下でもない、中ぐらいの位置で踏ん張ってる状態だ。


 事務所に入った時、当然だけど…俺を見ても朝霧さんは気付かなかった。

 だから、大成功した暁には…朝霧さんに、名乗り出たいって思ってた。


「あの時、助けてもらった里中です!!」


 と。



 10歳の誕生日に『ギターが欲しい』と言った。

 うちは決して裕福ではなかったが、俺のその言葉に…なぜか親父は喜んだ。

 俺が欲しかったのは、学校の音楽の授業で少し使ったクラッシックギターだったが、当時すでにDeep Redの大ファンだった親父は、俺が言った『ギター』の一言で…


「マノンモデルだぞ。」


 すぐに楽器屋に行って、朝霧さんがワールドツアーで使っていた中の一本という、フェンダーの白いストラト…

 しかも、マーシャルアンプ付き…


 裕福じゃないのに。

 親父は、へそくりでそれを買ってくれた。


 が、しかし当然10歳の俺に、その良さなど分かるはずもなく…

 ただ、親父を悲しませたくない。

 喜ばせたい一心で、知り合いの大学生が格安で開いていたギター教室に通った。



 忘れもしない…11歳のあの日。

 あれは、そのレッスンからの帰りだった。

 随分コードを覚えて弾けるようになっていた俺は、少しずつギターのトリコになっていた。

 その日も、早く帰って習った事をおさらいして、親父に聴かせてやるんだと息巻いていた。


 が…


「おい、おまえ、ぶつかっといて黙って逃げんのかよ。」


 ぶつかってなんかいない高校生に、絡まれた。

 そして…


「おまえ、チビのクセにギターなんて抱えて、生意気なんだよ!!」


 俺のギターは…ケースごと地面に叩きつけられた。


「やめてよ!!返してよ!!」


 囲まれて、転ばされて…蹴られて…

 だけど、ギターの事が気になった。

 壊れてたらどうしよう。

 親父がへそくりで買ってくれた、大事なギターだ。


 どうしよう。

 どうしよう。


 そう思いながら、ずっと…蹴られていると…


「おまえら何してんねや!!」


 聞き慣れない言葉が、耳に入って来た。


「ヤバい!!逃げろ!!」


 高校生たちは、一気に散らばって。

 俺は、痛みも忘れてギターに駆け寄った。


「大丈夫か?怪我は?」


「ギター…ギターが…!!」


 俺がギターを抱きかかえて言うと。


「…ちょい見せてみ?」


 その人は、ケースを開けて…大きく溜息をついた。


「…壊れてるの…?」


「……修理に行ってみよか。」


 その人は、待たせてたタクシーにお金を払って、俺を連れて音楽屋に向かった。

 そこでは…絶望的な言葉しか出て来なかった。


「う~ん…これはもう無理ですねえ…」


 俺は、泣くしかなかった。

 親父が…買ってくれたのに…

 俺が一曲丸ごと弾けるようになった日なんて、録音までして喜んでくれたのに…



「ここ、ピックアップ交換したら、どうにかなるんちゃう?」


「いや、でもネックがここまで…」


「…なあ、このギター、僕のか?」


「…うっ…うん…父さんが…誕生日に…買ってくれて……うっ…」


「…そら大事なギターやな。よし。今日すぐには直れへんから、何日か人に預けてるって言えるか?」


「…な…直る…?」


「直したるって。」


 神の声に聞こえた。

 俺は、どうしても親父を悲しませたくなかったし…

 とにかく…両親にバレたくなかった。

 高校生にからまれたなんて知られたら…もうギター教室には行くなって言われるし。

 ギターの修理に…お金ってどれぐらいかかるんだろう…

 色んな事が、頭の中渦巻いてた。


 蹴られて汚れた服の事も、どうやって誤魔化そうって気になっていて…

 その人が、朝霧真音本人だなんて、気付かなかった。

 だって…俺が親父から見せられていたのは…もっと若い朝霧真音だったし。

 …今思うと、全然変わってないんだけどな…

 なんであの時は気付かなかったんだろう。


 カギっ子だった俺は、急いで家に帰ると、まずは服を着替えて…汚れた服を自分で洗濯した。

 それを、自分の部屋に干した。

 怪我らしい怪我はなく、少しの擦り傷は…何とか誤魔化せると確信した。

 だが…問題はギターだ。


 どうしよう…



 しかし、その夜。

 珍しく親父が飲んで帰って、俺に。


「健太郎~ごめんな~。今夜は、ちょっと聴いてやれね~や…」


 そう言って、すぐに寝た!!

 神様って本当にいる!!

 そう思った俺は…

 翌日、学校が終わってすぐ、音楽屋に駆け込んだ。


 すると…


「はい。どうぞ。」


 昨日の店員さんが、眠そうな顔でギターを渡してくれた。


「…直ったんですか?」


「昨日のあの人のおかげだよ。」


「…修理代…」


「あの人に頼まれちゃ、修理代なんて取れないよ。」


「有名人…?」


「有名人だよー。君は知らないかな?Deep Redのマノンってね。」


 そう言って、店員さんは、壁に貼ってあるポスターを指差した。


「えっ!?」



 俺は、それから…色々考えた。

 親父に、マノンに助けてもらった…って言うべきか?

 だけど、そうすると…絡まれた事も話さなきゃいけなくなるし…

 ギター教室もやめたくない。

 話したら…修理代も…きっと、親父が払うって言い張る…


 だから、俺は…親父に話さない事に決めた。

 その代わり、必死でギターを練習した。

 そして…店員さんに、無理を言ってマノンさんの家を教えてもらった。

 御礼だけでも…どうしても言いたかったからだ。


 だけど…

 どうしても、上手く喋る自信がなくて…

 ビデオレターを撮る事にした。


 ビデオは、俺のギターの先生に頼んで撮ってもらった。

 先生は、マノンに助けてもらったなんて、嘘だろ?って笑ってたけど。

 それでも、協力してくれた。

 俺は、思いの丈をビデオに入れた。

 ギターも…弾いた。

 そして、そのビデオを持って…朝霧邸へ。


 たぶん、いないだろうなあ…って思ったら、やっぱり本人は不在。

 その代わり、すごく綺麗な女の人が出て来た。

 奥さんだ。

 緊張した。


「どちらさま?光史のお友達?」


「あっ…あの、僕、朝霧真音さんに助けてもらいました!!ありがとうございました!!」


 俺は…深々と頭を下げて…

 何のこと?と聞かれて…しどろもどろに説明した…ような気もするが、もうそこはよく覚えていない。

 ただ、せっかく撮ったビデオレターを…


「こっこここれ!!」


 朝霧さんに渡してください。と言わずに…渡した。

 それだけは…覚えてる。


 ビデオレターを渡した数日後、学校から帰って郵便受けを開けると、俺に手紙が届いていた。

 奥さんからだった。



『健太郎君、素敵なビデオをありがとう』


 綺麗な封筒に、一枚の写真が入っていた。

 Deep Redのマノンがギターを弾いている写真だった。

 …カッコいい…


 当然、彼は俺のヒーローになった。



 それからは…ガムシャラにギターの練習をした。

 ビートランドに入って、朝霧さんに…お礼を言うんだ。

 絶対、絶対デビューする‼︎


 もちろん、勉強も頑張った。

 せっかく助けてもらったのに、恥ずかしい男のままでいたくなかったからだ。

 だって、あの時朝霧さんは…



 デビューが決まった時、両親はすごく喜んだ。

 安定してない職業だぜ?って言っても。

 おまえが続けて来た事が、花開いた事が嬉しい、と。

 …俺、両親の子供で良かったなあ…って、本当感謝した。


 だけど、SAYSは努力の甲斐もなく解散…

 でも、ずっと音楽を続けてる俺の元に…

 一ヶ月前…


「里中。」


 スタジオで一人、ボイトレをしていると。

 突然…


「たっ…高原さん!!おはようございます!!」


 朝霧さん同様、俺の憧れの人であり、ここビートランドの会長である高原夏希さんが現れた。


「おはよう。今…ちょっといいか?」


「はっ…はいっ…」


 お…俺…何かしたか?

 クビ…とかじゃねーよな…?

 色んな不安がよぎる中、高原さんは…


「おまえ、ガキの頃、マノンに助けられてビデオレターを送ったか?」


「…えっ?」


 すごく、思いがけない事を言われた。


「どうだ?」


「お…送りました…」


「そうか…」


「…それが…何か…?」


 高原さんは一度スタジオを出て行って、それからジュースを二本手にして戻って来て。


「ほら。」


 一本を俺に…


「あ…ありがとうございます!!」


 うわー!!

 高原さんにジュースもらったぜ!!

 持って帰って家宝にしたい!!


 高原さんは椅子を出して座ると。


「あのビデオ、申し訳ないが…見させてもらった。」


 そう言って、ジュースを開けた。


「…えっ?」


「それと…あのビデオ、マノンは見てないそうだ。」


「…え…ええっ!?」


 色んな驚きで、変な声が出てしまった。

 高原さんは表情を変えることなく椅子をもう一つ出して、ポンポンと…

 俺はそれに恐縮しながら…座った。


「色々あって、嫁さんがずっと保管していたらしい。」


「そ…そうなんですか…」


 お礼の手紙をくれた、あの奥さんが…


「宝物だ、って言ってた。」


「…あれが…ですか…」


「ああ。自分だけの宝物だ、って。」


「……」


 そう言われると…すごく恥ずかしくなった。

 11歳の俺、どんな事話したっけか?


「そこで、一つ頼みがある。」


「えっ?」


「今度、おまえのあの映像を…マノンの息子である光史の結婚式で流したい。」


「……えええええっ!?」


「その後で、今のおまえの告白も欲しい。」


「……」


 もう…俺は口を開けっ放しで…高原さんを見つめた。


 ちょ…

 ちょっと…


「あ…あの…俺ー…朝霧光史とは…話した事もなくて…」


 ギタリストになるはずだったのに、ドラマーになってる朝霧光史は。

 年下だけど、雲の上のような存在だ。


「ああ。別にそれはいい。今から仲良くなれとも言わない。」


「…なのに、結婚式で…?」


「理由を知りたいか?」


「……」


 高原さんの真剣な声に…俺は…少し悩んだ。

 もしかして…

 俺、何か…朝霧家に…絡んでる?

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