第33話 「……」

 〇高原夏希


「……」


 会長室に入ってすぐ。

 俺は…固まった。

 今俺は、鍵を開けて入ったのに…先客がいたからだ。

 閉めたドアの前に立ったまま、ソファーに座っている先客の横顔を眺めて。


「…二階堂…」


 そう声をかけると…


「覚えて下さっていて光栄です。」


 陸の父親、二階堂にかいどう かけるは…ゆっくりと立ち上がって、俺に頭を下げた。



 二度と…会う事はないと思っていた。

 さくらを…桐生院に帰すきっかけになった…男。


 この男が現れなかったら…

 俺は、ずっとさくらと…


 ……いや。


 さくらは今、幸せなんだ。

 それを…

 俺は、小さな男だな。



 机の上に書類の封筒をバサリと置いて、椅子を引いて座った。

 どうやって入ったかなど…聞かなくても分かる。

 俺達の常識や日常にはない事を…この人物はやってのける。



「勝手に入った事をお許しください。」


「…陸に会ったらまずいからだろ。それは仕方ない。」


「ありがとうございます。」


「それで…何の用だ。」


 机の上に肘をついて、組んだ指を唇に当てる。

 ゆっくり話しているほど暇はないが、用がないのに来るとは思えない人物だけに…用件が何かは気になる。



「息子が結婚する事になりそうです。」


「……」


 意外な事を言われた気がした。

 てっきり俺は…

 桐生院に出入りしている事を知られていて、それにクレームでもつけに来たのかと…


「それは、めでたい事では?」


 組んでいた指を外して、引き出しを開ける。

 そして、SHE'S-HE'Sのスケジュールの予定表を取り出した。


 陸が結婚か…

 来月は光史こうし丹野たんの れんの娘、瑠歌るかと結婚する。

 SHE'S-HE'Sのスケジュール的に、陸も結婚するとなると…


「…相手は、桐生院 麗さんです。」


「………はっ?」


「…よりによって…です。」


「……」


 しばらく沈黙が続いた。


 陸が…麗と結婚する。

 それは…

 さくらが…二階堂と親戚になると言う事で…


 今までも、陸と知花がバンドメンバーという事で、さくらが二階堂という名前に何か思い出さないかと…それだけでも心配はしていたが…



「…陸は、桐生院に二階堂の仕事の事を?」


「話したそうです…。」


「しかし、さくらの記憶は消えているんだろう?」


「その効力がどれぐらい持続するかは…差があります。」


「…差?」


「さくらは今までも…忘れたくない、忘れてはならないと思う事で、少しずつ思い出していました。」


「……」



 確かに…

 今でもさくらは、突拍子もない事をして家族を驚かせている。

 二階堂で培われた様々な能力が、まだ…さくらの中には当たり前として残っていて。

 それを驚かれるたびに…さくらは自分の能力を不思議に思ったり、みんなと違う事に違和感を覚えているはずだ。



「…しかし、結婚を反対するのはいただけない。」


 いつから付き合っていたのだろう。

 麗を泣かせていたのは、陸か?


「息子は極力自由にしてやりたいと思っています。聞いた時は、つい…嫌な顔をしてしまいましたが、結婚は承諾しました。」


 自分が自由ではなかった事を解っているからか、陸に対する想いは…

 やはり、特殊な世界でも…親というのは子供が可愛いのだな…

 それには、この男にも共感できる気がした。



「本日、家内が桐生院に行っています。」


「…何のために?」


「家内とさくらは面識がありません。」


「おまえ…」


 つい…立ち上がった。


 まさか…まさか、また…


「まさか、またさくらの記憶を消すつもりか!?」


 二階堂翔の前に歩み寄り、胸元を掴んだ。

 俺に胸元を掴まれた二階堂 翔は動じもせず。


「あの事件を…思い出させたくないんです。」


 俺の目を見て言った。


「思い出したとしても、昔の事だ。」


「一人で大勢を撃ち殺した事実を、受け止められると思いますか?」


「……」


「今、さくらは…子供も産んで幸せなのでしょう?」


 心臓が跳ね上がった。

 まるで…

 まるで、全てを見透かしているかのような、二階堂翔の眼差し。



「私にとっても…忘れられない、そして…忘れてはならない事件です。」


「……」


「だが…さくらには、何も負わせたくないのです。」


「なぜ…」


 俺は…二階堂翔の胸元から手を離して…問いかける。


「なぜ、そこまで…さくらのために?」


 俺の問いかけに、二階堂翔は一瞬窓の外を見て…それから、自分の足元に視線を落とした。


「…さくらには、兄弟のように育った『ヒロ』という存在がいました。」


 ふいに…蘇る、あのトレーラーハウスでの出来事。

 さくらと一緒に育ったという『ヒロ』は、さくらに夢を追え、と…


「ヒロは…ずっとさくらを想い続けていました。」


「……」


「ですが、さくらはあなたと…」


 二階堂 翔の向かい側に腰を下ろす。


「事件のあった日…ヒロは日本で結婚式を執り行っていました。」


「…結婚?」


「はい。もちろん…二階堂で働く女性とです。」


 二階堂に生まれた者は…そこの人間としか縁がない…と言う事か。


「ヒロは…事件にさくらが関わってしまった事…そして、記憶を消された事に酷く憤慨しました。」


 俺が知る…唯一の、さくらの『身内のような者』だった。

 怒って当然だ。


「それで…一度、あなたの屋敷に忍び込んで、さくらの記憶を戻そうとした事があるのです。」


「えっ?」


 初耳だった。

 もっとも、サカエさんが俺には話さないだろうが…


「幸い…サカエが見付けて事なきを得ました。」


「…だが、いっその事…」


「あなたは、さくらの記憶が戻っても自分が受け止めた。と、仰るでしょうが…戦士として育った私達が、そういった時に取る行動は…」


「…死…のみか。」


「はい。」


「……」


 もう…溜息も出ない。

 昔の話だ。

 全てが。

 …だが…

 今のさくらの幸せを、奪いたくはない。



「ヒロには…さくらに関する一部の記憶がありません。」


「……」


 何のために?とは思うが…

 俺には、こいつらの頭の中が分かるはずもない。

 話されたところで、理解できるとも思えない。


「サカエさんが?」


「はい。」


「…そうか。」


「ヒロは…私の片腕として、よくしてくれています。そんな彼の願いを…叶えたいのです。」


「…彼の願い?」


 二階堂 翔は、ゆっくりと立ち上がって。


「あなたと…さくらが結ばれる事です。」


 俺を…見下ろして言った。


「……バカな。」


 俺は…額に手を当てて笑った。


「バカな事を言うな。俺からさくらを引き離したのは、おまえだろ?」


「…でも、あなたは…さくらと完全に引き離されたわけではないでしょう?」


「……」


「あなたとさくらは…ずっと繋がって行くはずです。」


 俺は勢いよく立ち上がると、ドアを開けた。


「…繋がって行くとしても…」


「……」


「俺とさくらは、結ばれない。」


「……」


「帰ってくれ。」



 まるで…何か、夢でも見ているような気分になった。

 あいつの話が本当だとすれば…

 まるで…貴司は二階堂に動かされて…俺と付き合っているようにも思える。


 だが、もう…

 何が正しくて、何が間違いなのかも分からない。


 俺はただ…


 さくらの幸せを強く願う…



 一人の男に過ぎない。




 〇神 千里


「お義母さん。」


「……」


「お義母さん。」


「……」


「…さくらさん。」


「…はっ…えっ?あ、何?何々?」


 何度呼びかけても答えなかったお義母さんは。

 俺が名前を呼んでようやく…自分が呼ばれている事に気付いたらしい。



「どうしたんすか。ボーっとして。」


 自分の前に寝かされていたであろうきよしが、暴れまくって座布団から離れた位置にいる事、気付いてんのか?


 俺が聖を座布団に戻すと。


「あっ、いつの間に。」


 おいおい…大丈夫かよ…



「準備で疲れてるんすか?」


 陸が、見合い相手から麗を奪いに来て。

 あっと言う間に二人の結婚が決まった。

 先日は結納もキッチリ済ませて、最近は式に向けての準備で大忙しな我が家。


「…準備?」


「…結婚式の。」


「…ああ!!」


「……」


 ここ何週間か…

 お義母さんの様子がおかしい。

 それは、誰もが気付いている。

 話していても突然…


「…あれ?あたし…何話してたっけ…」


 なんて言ったり…


「あたし、何か大事な事を忘れてるような気がするんだけど…」


 って、考え込んで…そのまま寝たり。


 親父さんが心配して、病院に連れて行ったが…


「産後の疲れだと言われた。確かに…ずっと寝た切りの生活を何年もしていたさくらが、出産なんて大仕事をしてのけたんだ。仕方ないだろう…」


 親父さんは、お義母さん以外の全員を大部屋に集めて、神妙な顔でそう言った。


「おまけに…あたしの結婚で忙しくさせてるしね…」


 麗が小さくなりながら言ったが。


「それは違うよ。母さん、麗の結婚は本当に喜んでるから。母さんのためにも、素敵な式にしなくちゃね。」


 知花がそう言うと。


「…うん。頑張る。」


 麗は…素直にそう言って笑った。


 結婚が決まって以来…素直で可愛いぞ。

 男の力は偉大なもんだ…。


 確かに、聖を出産したというのは喜びでもありストレスになる事も多いはず。

 何しろうちには…聖と同じ日に産まれた華月と、その二人に興味津々で何をしでかすか分からない、もうすぐ4歳になる華音かのん咲華さくかもいる。


 そいつらの面倒を見てくれてた麗が、嫁に出るのは…

 ぶっちゃけ、俺と知花にとっても痛手だ。

 あ、ばーさんにも。


 とにかく、桐生院家一致団結して、お義母さんのフォローをするという事になった。



「…何してんすか?」


 お義母さんがゆっくりと動かしている手元を見て問いかける。


「…え?」


「そこ、汚れてるとか?」


「え?ううん…あたし、何かしてた?」


 お義母さんは、キョトンとした顔で俺を見る。

 そんな表情は、以前と何も変わらねーんだけどな…

 俺は、お義母さんが無表情で…だが、一定のリズムで指をテーブルにこすり付けてるのを見たのは…

 これで三度目だ。


 …何か…

 心の奥底にある何かの…信号か…?

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