第21話 「…寝たな。」

 〇高原夏希


「…寝たな。」


 俺がそう言うと、ソファーにいた千里はガバッと立ち上がって。


「す…すいません。」


 俺に謝った。


 ふっ…おまえも寝てたのか。



 ナオトとマノンが取材に向かって、千里と子供達だけがここに残った。

 静かな時間…

 俺にとっては、至福の時だ。



「おまえじゃない。華音と咲華だ。」


 ナオトから、そんな椅子をデスク用に使うなと言われてしまう、リクライニングの大きな椅子。

 だが、おかげで双子は俺の脇から頭を出して、肉厚な肘置きに抱きつくようにして眠っている。


「そろそろ連れて帰ります。」


 千里はそう言ったが、あまりにも気持ち良さそうに眠っているのと…

 俺自身、この子達の重みをもう少し味わっていたくて。


「何もないなら、もう少しいてくれ。」


 さっきまで二人が○を書いたり色を塗ったりしていた紙を見ながら言った。


「…いいんすか?」


「ああ。」


「…じゃあ、もう少し。」


 千里はそう言って、今度は俺に顔を向けて座った。



「…高原さん。」


「ん?」


 書類に目を落としたまま答えると。


「さくらさんて…昔から、少し変わった人でしたか?」


 千里は、遠慮がちにそう言った。

 ゆっくり顔を上げて、千里を見る。


「いや…なんて言うか…何でこんな事が出来るんだ?って言うような事を、やってのけるんですよね。」


「…たとえば?」


「俺から見たら、インターホンのとり付けなんてのは、業者に頼む事なんですけど…さくらさんは自分で…」


「取り付けたのか。」


「…作ったんですよ。」


「……」


「それに、妊娠前はアクロバチックな事も平気でやってたし…何より…」


「…何より?」


「恐ろしく耳がいいです。」


「……」


 俺は書類を机に置くと。


「コーヒー入れてくれるか?」


 首を傾げて千里に言った。


「はい。」


 ブラインドの隙間から、夕陽。

 陽が落ちるのが早くなった。

 当然か。

 もう…冬だ。

 さくらが事故に遭った季節。


 …いや…

 事件のあった…季節。



「恐ろしく耳がいいのは、知花もだろ。」


 コーヒーを淹れてる千里にそう言うと。


「…遺伝ってやつですかね。でも、さくらさんのは知花以上です。もう、野生の動物並みですよ。」


 千里は笑い混じりに答えた。


 …そう言えば、俺の足音だけで…ドアの前で待ち伏せたりしてたな。



「俺と暮らしてた時は…裁縫や変装の技術がすげーなとは思ってたが…」


 俺が着なくなったコートを直しては、自分の物を作ったり。

 ハロウィンやケリーズでの変装…

 …ほんと…さくらには驚かされる事ばかりだった。

 もしかしたら…それは…二階堂に生まれ育って、培われた物なのだろうか。


 さくらは…思い出しては…いないよな?



「どうぞ。」


「サンキュ。」


 目の前に置かれたコーヒーを、一口飲む。

 膝に、華音と咲華。

 …いい時間だ…と、思った。



「…おかげで華音は、超さくらさん子ですよ。」


 千里もコーヒーを飲みながら座った。


「妬いてるのか?」


「若干。華音の奴、すげー自慢するんすよね。さくらさんがあれ作ったこれ作ったって。しかも、絶対俺じゃ作れないような物ばっか。」


「ははっ。俺も砂場の姫路城は、ばーさんに写真を見せてもらった。」


「勘弁して欲しいっすよ…」


「咲華は?」


「咲華はばーさん子です。特に花を活けるばーさんが好きらしくて。女の子らしい面が増えて来てホッとしてます。」


「ああ…貴司が言ってた。咲華が華音の真似をして、ヒーローみたいなポーズを取るって。」


「その反面、華音が咲華のスカートを穿きたがったりして…もう、どっちも影響されまくりですよ。」


「ははっ。仕方ないよな。同じ顔だし、同じようにしたくなる気持ちは分かる。」


 …愛しい。


 膝の二人の頭を、ゆっくりと撫でる。



「…辛くないっすか?」


 そう言われて、千里を見ると。


「あ…すいません。変な事聞いて。」


 千里は少しだけ頭を下げた。


「…大事な奴らが幸せでいてくれたら、それが一番だ。」


 小さく笑ってそう答えると…


「…なちゅ…」


 膝で、咲華が起きた。


「起きたか。」


「なちゅ…いっしょに、おうちかえよ…」


 咲華に抱きつかれてそう言われて…自然と…笑顔になった。

 本当にこいつは…愛しい事を言ってくれる。


「俺はまだ仕事があるから、華音と父さんとで帰れ。」


「まだ、おしおとしゅゆの?」


「ああ。でも、咲華が応援してくれたから、早く終わるかもしれない。」


 そう言うと、咲華は眠そうに目を擦りながらも、笑ってくれた。



「邪魔してすいませんでした。」


「いや、また来てくれ。」


 千里は眠ったままの華音を抱えて。


「なちゅ、バイバイ。」


 手を振る咲華と共に帰って行った。



 …辛くないか?

 辛いはずがない。


 これは…



 俺が選んだ道だ。



 〇桐生院知花


 検診から帰ると…見覚えのある人が、うちの門の前にいた。


「…長井さん?」


 代々、うちの庭師をして下さってた長井さんの…息子さん。

 息子さんと言っても…うちのお父さんぐらいの年齢の人。


 いつだったかな…

 長井さんも、お手伝いの中岡さんも…急に、いなくなった。

 あたしが桜花に行き始めた頃には、もうその姿をうちで見る事はなかった。



「あ…あ、もしかして…知花お嬢さん?」


「はい…お久しぶりです。お元気でしたか?」


 あたしがゆっくりと近付いて声をかけると、長井さんは目を細めて。


「ご結婚されたのですか?」


 あたしのお腹を見て…言った。


「はい。」


「お幸せそうだ…」


「ありがとうございます。」


 久しぶりの長井さんと、その言葉が嬉しくて笑顔になると。


「お嬢さん…本当に良かった…」


 長井さんは…突然、涙を流し始めた。


「…長井さん…?」


「すいません…お嬢さんが…奥様に酷い仕打ちをされていたのを…思い出して…」


 長井さんの言う『奥様』とは…

 亡くなった母の事だけど…


「あたしは、ほとんどここにいなかったから、酷い事なんてされてないですよ。」


 あたしがハンカチを差し出してそう言うと、長井さんはそれを受け取らず。


「お嬢さんのように心の優しい方を、どうして…と、いつもうちの父も言っておりました。」


 袖口で、涙を拭かれた。


「御父様は、お元気にされてますか?」


「…いえ…父は亡くなりました。」


「え…」


 無口だった長井のお父さん…

 あたしが庭の桜の木の下で一人で座っていると、無言で飴をくれたり…

 何も喋らないけど、優しくしてくれた。



「ごめんなさい…何も知らなくて…」


「当然ですよ。親戚以外には伝えてませんから。」


「…いつも優しくしてくださって…おじいちゃまみたいな存在でした…」


 本当に…

 本当に、優しかった…長井のお父さん。


「…お嬢さん。」


「はい。」


「結婚して、こちらを出られたのですか?」


「いえ?ここに住んでます。」


「え…お相手の方もご一緒にですか?」


「はい…」


 何となく…長井さんの様子がおかしな気がして。

 あたしは…気持ちがざわついた。


「…そ…そうですか…」


「…何か…?」


「いえ…それでは、私はこれで…」


「え?何か用があったんじゃ…?」


「いいんです。お嬢さん…お体に気を付けて、元気な赤ちゃんをお産みになって下さい。」


「…ありがとうございます…」


 何となく…嫌な気分で、焦ったように帰って行った長井さんの背中を見送った。

 …どうしたんだろう…


 それから、郵便受けを開けて…いくつかあった手紙を手にする。

 その中に…宛名も差出人も書いてない手紙が一通。


「……」


 あたしは手紙を持ったまま、裏口に回った。

 見てはいけない手紙だと言う事は…何となく分かるのに。

 見なきゃいけない気もして。


 あたしは…それを、こっそりと部屋に持ち入って。

 加湿器の蒸気に当てて、封筒を破らないように開けた。


 前略…桐生院様


「…うちの誰に宛てたんだろう…」


 差出人は…長井さんだと思った。

 かすかにだけど…松の木の香りがする気がしたからだ。


 あたしは…その文面を読み進めていくうちに…


「……え……」


 それが…

 とんでもない内容である事に気付いた。



「は…はっ…」


 呼吸が苦しくなって…

 その場に崩れ落ちる。

 手紙…手紙を…返しておかなきゃ…


 ゆっくりと深呼吸をして、震える手で…手紙を封筒に戻した。

 そして…また門の前に戻って…郵便受けに、他の郵便物と一緒に手紙を入れた。



 * * *


「…どうした?」


 千里が…あたしの顔を覗き込んだ。

 今日、あたしは検診で…

 千里は、気を使って子供達を事務所に連れて行ってくれた。

 たまには、母さんもおばあちゃまも休ませてあげたいな…って思ってたから…すごく、嬉しかった。

 母さんは、子供達と遊ぶのが好きだから、気にしなくていいのにって言ってくれるけど。

 母さんだって、出産間近だし…



「顔色悪いぞ?」


 千里はそう言って、あたしの頬に触れた。


「検診、どうだったんだ?」


「…順調だけど…人が多かったから…ちょっと、疲れたのかな…」


 あたしは、帰ってからずっと…部屋にいる。

 部屋で…やり場のない悶々とする気持ちを…

 どう鎮めたらいいのか…悩んでた。



「何か飲み物でも持って来てやろうか?」


「…ううん…」


「どうして欲しい?」


「…え?」


「一人になりたいか、それとも背中や腰を擦って欲しいか?」


 もう…

 こんな時に優しくされたら、あたし…



「…千里…」


 あたしは千里の胸にすがる。


「…どうした?」


 千里が、ゆっくりと抱きしめてくれる。


「…しばらく…このままでいてくれる…?」


「…ああ。」


 千里の胸で、目を閉じる。

 すると千里は…


「…何か抱え込んでるなら、話せよ。」


 あたしの耳元で、そう言った。


「……」


「一人で抱えるな。今度は、ちゃんと…何でも話して、一緒に乗り越えようって決めただろ?」


 …そうだった。

 そうだけど…


「…そうしたいけど…上手く言葉に出来ない…」


「別に下手でいいから吐け。」


 千里はあたしの顎を持ち上げて。


「こんな時に、一人で不安になるな。」


 目を見て…言ってくれた。


 …うん…

 そうだね…。



 だけど…


「…知花?」


「……っ…」


 話そうとすると…声が…


「知花、おい…どうした?」


「……」


 胸を押さえて、呼吸を整える。


 苦しい…



「…ちょっと待ってろ。病院へ行こう。」


 そう言って立ち上がりかけた千里の腕を掴む。


「……」


 ゆっくりと首を横に振ると。


「…バカだな。こんな時に気を使うな。みんなには何も言わない。こっそり行こう。」


 千里は…あたしの頭を撫でてそう言った。



 それから…

 千里は、麗にだけ事情を話して、子供達を任せて。

 あたしをかかり付けの病院に連れて行った。

 検診の時は元気だったのに、どうしたの?と驚かれたけど…

 あたしは…ここでも声が出なかった。


「…大丈夫だ。心配するな。」


 千里が、あたしの頭を撫でながらそう言ってくれたけど…


「何か強いストレスでも?」


 先生にそう言われて…あたしの呼吸が、また…乱れた。



 結局、少し落ち着くまで入院する事になった。

 突然の事に、あたし自身…驚いてるけど…



「…なんだ?」


 さすがに入院は知らせないと…って、連絡をしてくるって立ち上がった千里の腕を取って。

 手の平に…文字を書く。


『風邪をこじらせたって言って』


「……」


 千里はしばらく考え事をしているようだったけど…


「…分かった。すぐ戻るから。」


 そう言って…病室を出て行った。




 〇神 千里


 …知花が入院した。

 昨日まで、普通に元気だったのに。

 今日、俺が事務所から帰った時、知花は部屋にいて。

 すでに…すぐれない顔をしていた。

 今まで、見た事もないような…


 話せと言ったら、声が出なくなった。

 過呼吸もある。

 医者に連れて行くと、相当なストレスじゃないか、と。

 …何があった?


 結局入院する事になって…

 一旦桐生院に戻ると…


「千里さん、知花が入院って…どうしたんですか。」


 ばーさんが、心配そうに聞いて来た。


「…検診に行った時から寒気がしてたみたいで。」


「まあ…風邪?」


「こんな時に…っすよね。」


「それで、長くかかりそうなんですか?」


「どうでしょうね…」


 俺は…知花の表情を思い出していた。

 みんなに入院の事を話して来る。と言った時…

 知花は、知られたくなさそうだった。


 入院の事じゃなく。

『相当なストレス』の事を、だ。


 …いったい…何があったんだ?



「…すいませんが、俺が付き添うので、子供達…お願いしていいっすか?」


 俺がそう言うと。


「でも千里さん…お仕事はどうされるんですか。」


 ばーさんは、少しオロオロした感じで言った。


「今は比較的暇なんで…知花のそばで曲作りでもします。こういう理由なら、高原さんも休みをくれるだろうし。」


 俺が少し口元を緩めて言うと。


「ああ…そう…確かに、あなたについていてもらう方が、知花も安心するかもしれないし…」


 ばーさんは、眉間にしわを寄せたままだが…少しホッとはしたようだった。


「姉さん、帰れないの?」


 話を聞きつけた麗がやって来て。

 その後ろを、華音と咲華が走って来た。


「とーしゃん、かーしゃんは?」


「…母さん、風邪ひいたから、病院で注射しなきゃいけないんだ。」


 しゃがみこんで、二人の顔を見ながら言うと。

 注射というワードに、二人の顔が歪んだ。


「ちうしゃ…」


「…かーしゃん…なく…?」


「泣かねーよ。でも、華音と咲華が泣いたら泣くかもしれない。」


 二人の頭を撫でながら…俺が泣きそうになる。


「ろん、なかない!!」


「しゃくも!!」


「…よし。偉いぞ。」


 小さく溜息をついて立ち上がって。


「じゃ、後の事頼みます。」


 ばーさんと麗にそう言って、部屋で荷物をまとめると、すぐに車で病院へ向かった。


 …何があったのか…

 聞くのはやめようと思った。

 知花が話したくなった時に、話してくれたらいいだろう…



 そして、翌日には少しずつ安定して、声も出始めていた知花だったが…

 クリスマスイヴの前夜。


『桐生院さん、すぐ来て下さい。奥様が倒れられて…』


 と…病院から電話があった。


 その時俺は、着替えを取りに帰っていて。

 華音と咲華が飾ったツリーを前に、二人の写真を撮っている所だった。

 電話の向こうで聞こえる声が。

 何を俺に伝えているのか…


 すぐには、理解できなかった。

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