第22話 「千里さん!!待って!!」

 〇神 千里


「千里さん!!待って!!」


 俺が病院に向かおうとすると、義母さんが血相を変えてやって来た。


「知花…大丈夫なの?」


 不安そうに聞かれて…だが俺は普通のトーンで。


「…詳しい事は分かりません。とにかく行って来ます。」


 そう答えるしかなかった。

 知花が倒れた。

 いったい…何があったんだ…



「あたしも行く。」


「さくら、待ちなさい。」


 義母さんの後を追って来た親父さんが。


「ここは千里君に任せよう。すぐに母さんと誓にも行ってもらう。私達は、麗と一緒に子供達を不安にさせないようにしていよう。」


 そう言って、義母さんの肩に手を掛けた。


 …親父さん、人前で義母さんに触れる事なんてあるんだな。

 こんな時なのに、そんな小さな事に気が行ってしまった。



「でも…」


「着いて状況が分かり次第連絡します。」


「……」


 泣きそうな顔の義母さんに。


「…子供達を、よろしくお願いします。」


 そう言って、頭を下げた。


「……うん…」


 義母さんは唇を噛みしめて。


「絶対よ?絶対…すぐ連絡してね?」


 両手で大きなお腹に触りながら、そう言った。


「必ず。」


 俺は車に乗り込んで、病院に向かった。


 ほんの十分そこらの道程が…ひどく遠く思えた。

 俺はどこに向かってるんだ?

 知花は、俺を待っててくれるのか?



 病院に着いて、病室に向かっていると。


「あ!!桐生院さん!!」


 年配の看護師に呼び止められた。


「奥様、分娩室です!!」


「…え?」


「つい先ほど、陣痛が…」


 看護師の様子がただならない気がして…

 俺は、案内されるがまま、分娩室に向かった。


 産まれるのか…?


 頭の中、少しパニックだ。

 予定日より、一週間早まるなんてのは普通なんだろうが…

 よりによって、ストレスだとか倒れたとか…

 そんな時に…



「ここでお待ちください。」


 看護師がそう言って、分娩室に入って行った。



 分娩室の外で、赤いランプを眺めた。

 じっと見てたら消えるわけじゃないが…

 早く…早く終われ。と…念じてしまう。


 知花…苦しいんだよな?

 俺は…何をしてやれるんだ…



「…あ。」


 連絡してくれって言われたんだった。

 分娩室の中の様子が気になりながらも…待合室に向かおうとすると…


「義兄さん!!」


 誓が走ってやって来た。


「あ…あ、良かった。今、電話をしようと…ばーさんは?」


「それが…」


「ん?」


「お母さんが、産気付いちゃって…」


「…え?」


「姉さんは?」


「……」


 俺は、振り向いて分娩室の赤いランプを見上げる。


「…え?」


「……」


「……」


 俺と誓は…無言で顔を見合わせた。


 こんな時…男って本当に…

 無力だ。



 日付が変わった頃…分娩室から、バタバタと人が出て来た。


「ご主人。」


 誓と立ち上がる。


「あの、妻は…」


 自分でもらしくねー声…と思った。

 それほど…

 俺は…ビビりまくってる。



 そんな俺に、医者は一言。


「…母子共に…危険な状態です。」


 信じられない言葉を…発した。



 それからは…

 自分で何が起こっているのか、よく分からなかった。

 分娩室からは、知花の苦しむ声が聞こえて。

 そうかと思えば…何も聞こえなくなって。

 俺は…血が出るほど強く、自分の腕に爪を食いこませた。

 手術室に移動します。という声や、時々開いたドアの隙間から見える、慌ただしい人の動きとか…



「…さん。」


「……」


「義兄さん。」


「……」


「義兄さんてば。」


 誓に頬をペタペタと叩かれて、やっと我に返る。


「あ…ああ…」


「…母さん、無事産まれたって。」


「……」


 そのニュースが…緊張して強張っていた俺の身体から…少しだけ、力を抜けさせてくれた。


「そうか…どっちだって?」


「男。この歳で弟が出来るなんて、思わなかったなあ。」


 誓はそう言って、クスクス笑う。


「羨ましいぐらいの安産だな。」


「母さん、電話にも出たよ。」


「…マジかよ。」


「誓、しっかりね。って言われた。」


「……」


 少し間を開けて、誓の顔を見る。


「…頑張ろうね。義兄さん。」


「…そうだな。」


 …知花。


 頑張れ。

 頑張れ。



 ふと、窓の外を見上げると…白くてまん丸い月。

 しばらくそれを見上げてると。


「今日、満月なんだね。」


 誓も空を見上げた。


「…満月か。」


「真っ白で綺麗な月だなー…」


 視界の隅には、クリスマスツリーのイルミネーション。


 早く…産まれて来い。

 こんな華やかな月の夜に産まれるなんて、おまえ…絶対ラッキーだぜ?



 しばらくすると、親父さんと麗も来た。

 待ち焦がれる声は、まだ聞こえない。


 あれからずっと、空には白くて丸い月が見えるまま。

 いつまでも夜が続くような錯覚に陥った。


 それから間もなくして…

 知花は、女の子を出産した。

 だが、仮死状態で産まれた我が娘は…小さな体にたくさんの管をつけられて…

 保育器に入れられた。


「ごめんなさい…」


 意識が戻った知花は…ずっと謝り続けてる。

 俺は、そんな知花の頭を撫でて…


「…知花…」


 頬にキスをした。


「…誕生日、おめでとう。」


「……」


「俺がプレゼントをもらった気分だ…」


「でも…」


「…大丈夫。大丈夫だ。」


「……」


「そう言えばさ…」


「…何…?」


「名前…考えた。」


「…何?」


「華月。」


「華月…」


「めちゃくちゃ綺麗な満月が出てたんだ。」


「…素敵…」


「俺が月を見て綺麗って思うなんてさ…奇跡だよな。」


「…ふふ…っ…」


 額を合わせて…目を閉じる。


 まだ予断は許さない状況ではあっても…

 知花が出産を終えた事で、俺は少し安心してしまっていた。

 そして、産まれて来た『華月』の状態を気にするあまり…


 この時…

 知花が、どれだけのストレスを抱えていたかなんて…


 気に掛ける事ができなかった…。




 〇東 圭司


「神の嫁さん、どうだって?」


 またまた、俺は京介と二人で食堂。


 あー、なんか飽きちゃったなあ。

 京介との食堂って。

 でも、仕方ないんだよねー。

 京介、いまだに臼井さんとか、朝霧さんとかナオトさんとは飯行けないって言うんだもん。

 バンドメンバーなのに、変だよね。



「んー。知花ちゃんはだいぶ良くなってるみたいだけど、赤ちゃんの方は心配みたい。」


 そう…

 神に、三人目の子供が産まれた。

 華月ちゃん。


 華月ちゃんは、偶然にも知花ちゃんの誕生日…クリスマスイヴに産まれた。

 すごく大変なお産だったって聞いたから、お祝いもいつ行こう?って瞳と話してたんだけど…

 年が明けた今も、いいニュースは入って来ないんだ…



 うちの映は、なんて言うか…

 瞳のお母さんである、藤堂周子さん似なのかな。

 俺にも、瞳にも、あまり似てない気がする。

 だから、会わせてあげたいな~って思うんだけど…

 瞳が会いたがらない。

 …こんな感じで、ニューイヤーなのに、ちょっと暗い感じだよ。



「京介は七生ちゃんと上手くいってんの?」


 そばを食べながら問いかけると…


「…今ケンカ中。」


 京介は目を細めて言った。


「こないだもケンカしたって言ってなかったっけ?」


「…あいつがいけねーんだよ。」


「原因って何?」


「…バンドの事。」


「……」


 聞くんじゃなかったなー。って思った。

 京介は、SHE'S-HE'Sのメンバーに、妬いてるんだよねー。

 だって、あのバンド…めちゃくちゃ仲いいし。

 それに、七生ちゃんの幼馴染の朝霧光史君は…朝霧さんの息子だけど、クールでカッコ良くて…

 しかも、ビートランドで一番…いやー…もう、世界に十分知られてるドラマーだしねー。


 そりゃあ、京介は悶々としちゃうよなー。

 て言うか、ドラマー同士なんだから、仲良くなっちゃえばいいのに。



 俺がそんな事を思ってると…


「…あ。」


 京介がさらに目を細めて、俺の後を見た。

 さりげなーく振り返ると…



「あ、明けましておめでとー。」


 渡りに船じゃん?なんて思って、俺はそう声をかけて手を振る。


「明けましておめでとうございます。」


「ちーっす。」


「おめでとうございます。」


 やって来たのは、噂の朝霧光史君と、ギターの二階堂陸君と、早乙女千寿君。


「あれ?島沢まこちゃんは?」


 ナオトさんの息子のまこちゃん。

 見当たらないなあ。

 俺、ちょっとお気に入りなんだよねー。

 あっ、怪しいお気に入りとかじゃなくってさ。

 マスコット的って言うか?

 可愛い雰囲気なんだよ。


「風邪ひいて寝込んでます。」


「わー、かわいそう…って言うか、三人並んで歩いてると、どこのモデルかって思っちゃうね。」


 俺が三人を見比べてそう言うと。


「またまた。アズさん上手い事言って。」


 陸君が肘で俺の肩を突いた。


 いや、本当なんだけどな~。

 三人とも、違うタイプの色男だからさー。

 男の俺から見ても、目の保養だよ。

 だって、正面向いたら…


「……」


 ほら。

 仏頂面の京介だもん。



「アズさん、新しいギターのフレットを少なくしたって本で読んだんですけど…」


 椅子を引っ張って来てそう言ったのは、早乙女千寿君。

 黒い長髪は艶々できれいで、丸い眼鏡が昭和の文豪ってイメージだけど、ギタープレイの凄まじさと言ったら…

 あのギャップ…俺が女だったら、早乙女君に惚れてるかな~。


「うん。うちの曲、俺、あんまり22フレ以上使わないしな~って思って。」


「アズさんチョーキング上手いし、神さんのキー考えたら確かに不要ですよね。」


 陸君も、椅子を引っ張って来て座った。


「そそ。って…俺チョーキング上手い?ほんとに?」


 俺が二人に問いかけると、二人は一瞬キョトンとして。


「何言ってるんすかー。俺、何回アズさんのチョーキングの場面繰り返して見た事か…」


「本当、朝霧さんとソロ入れ替わる所のチョーキングは特に。アズさんの音作り、俺参考にさせてもらってます。」


 えーーーー!!


 俺、心の中で絶叫!!

 だって、SHE'S-HE'Sの方が世界に出てるバンドなのに!!

 俺なんて、泣きそうになりながら特訓されて、やっとこここまでなのにー!!

 なんか、めっちゃ褒められて泣きそうだよー!!


「今度、エフェクターボード見せてもらっていいっすか?」


「えー、今から見る?見ちゃう?」


「えっ、いいんすか?」


「いいよー。俺ら三時まで暇なんだー。」


「見たいです!!」


 俺と陸君と早乙女君は、顔を見合わせて立ち上がった。

 けど…


「……」


「……」


 ずっと立ったままだったらしい、朝霧君と…

 仏頂面のままの京介。


「…どうする?」


 俺が京介に問いかけると。


「…別に。適当に時間潰すから、行けよ。」


 うわ~、ゴキゲン斜めだ~。

 でも、知らないよ~。


「じゃ、行こうか。」


 俺は、陸君と早乙女君にそう言って、歩き始める。

 朝霧君は…着いて来てないけど…


 京介と仲良しになるのかな…?

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