第19話 「こー!!」

 〇朝霧光史


「こー!!」


「こー!!」


 聞こえるはずがない声が、事務所内に響いて。

 俺はつい…ロビーをキョロキョロと見渡した。

 すると。


「こっちだ。」


 二階から、神さんの声。

 そして、その足元に…


「こー!!」


 両手を上げて、アクリル板越しに俺に笑いかけてるノン君とサクちゃんがいた。

 つい笑顔になってしまう。

 今も…覚えてくれてるなんて。


 エスカレーターを上がると、二人は俺の足元に抱きついて。


「こー、げんきあった?」


「こー、かみのけ、のみたー。」


 それぞれ、そう言った。


「ああ。元気だった。髪の毛伸びたよなー。切らなきゃなー。」


 俺は二人の頭を撫でて、同じ目線までしゃがみ込むと。


「二人とも、大きくなったなあ。」


 しみじみと…そう言った。

 本当に、大きくなった。



「今日は同伴ですか?」


 神さんを見上げて笑うと。


「…ああ。義母さんも知花も、少し休ませてやらねーとな。」


 神さんは俺の笑顔が珍しかったのか…

 少し意外そうな顔のまま、そう答えた。

 …確かに、この子達に向ける笑顔は特別だと思う。

 アメリカで色々辛かった時、常に癒してくれていた存在だ。



「あのね、しゃくね、おねーちゃんになゆの。」


 サクちゃんが、キラキラした目で言う。


「もうすぐだな。楽しみだろ。」


 サクちゃんにそう言うと。


「ろんも、おねーちゃんになゆー。」


 ノン君も、隣でそう言った。


「おい。おまえはおねーちゃんになったらマズイ。おにーちゃんになれ。」


 神さんがそう言ってノン君を抱き上げる。


「おにーちゃんも、赤ちゃん、あえゆ?」


「会えるさ。」


「じゃー、ろん、おにーちゃんなゆー。」


「そうしろ。」


 その光景が微笑ましくて、つい眺めてると…


「あっ、しぇーん!!」


 神さんの腕にいるノン君が、ロビーを見下ろして言った。


「しぇーん!!」


 俺の足元にいるサクちゃんも、それに反応して手を振る。

 そして、案の定…二人に気付いたセンは、満面の笑みでエスカレーターを上がって来た。


「わー、大きくなったなあ。あっ、神さんお疲れ様です。」


「よお。」


「同伴ですか?」


 俺と同じ事を言われた神さんは、苦笑い。

 それから…


「いくちゃーん!!」


「しぇーこ!!」


「まこちゃー!!」


 次々に来るうちのメンバーに、大声で呼びかけるノン君とサクちゃんは。


「あーん、もう。ちゃんと覚えてくれてるなんて、感激ー。」


 聖子に抱きしめられたり。


「何かお菓子買いに行くか?」


 陸に誘惑されたり。


「あっ、サクちゃん、何するんだよー。」


 まこの靴下をずらしたり…

 二階のエレベーターホールを、癒しスペースと化した。

 そうやって和んでると…


「おっ、おまえら何やってんだ?会議始まるぞ?」


 エレベーターから降りてきた高原さんが、眉間にしわを寄せた。

 すると…


「なちゅ!!」


「……」


 ノン君とサクちゃんが、高原さんに駆け寄る。


 なちゅ?


 つい、全員で顔を見合わせた。

 高原さん…面識が?



「ああ、どうした。将来のための見学か?」


 高原さんは二人をひょいと抱えると。


「双子ユニットでデビューするか?ん?」


 二人の頬に軽くキスをして問いかけた。


「ろん、すゆー。」


「しゃく、なちゅと、とーしゃんと、にかいになゆー。」


「あはは。なんで咲華は二階になるんだ。」


 高原さんが笑うと、神さんが。


「二階に上がりたくて仕方ないみたいなんすよね…」


 苦笑いした。


「ああ、階段が急だから、危ないな。」


「そう。だから、憧れだけが膨らんで困ってます。」


 その一連の会話を、俺達は全員で…複雑な顔をして聞いていたかもしれない。



 高原さんは、知花の実の父親で…

 ノン君とサクちゃんは、高原さんの孫という事になる。

 この様子だと…桐生院家にも出入りしている感じだ。


 …長年寄り添っていた女性を…桐生院に…送り出したんだよな?

 そこへ、出入りしてる…?



 高原さんが二人を下ろして。


「早く会議室に行けよ?」


 俺達にそう言ってエスカレーターを降りて行った後。


「…色んな愛の形があるからな。」


 神さんの言った一言が。

 どんな意味を持つのか…


 俺達には、まだ理解できなかった。




 〇桐生院さくら


 臨月になって、あたしの部屋が二階から一階に移った。

 あたしは平気なんだけどな~。

 みんながうるさく言うから、仕方なく…中の間に居候みたいな感じになってる。


 貴司さんは色々気にかけてくれて、たくさんの本や写真集や…CDを…


 そう。

 CDも。


 中の間に並ぶCDの中に、いつの間にか…Deep Redが紛れ込んでた。

 三枚組のベスト。

 …そんなのあったら…聴きたくなるじゃない。

 だけど、何となく…聴いちゃいけない気もして…困る。

 困ってるのに…


「この曲が最高に好きなんだ。」


 貴司さんは、まるで友達の部屋に遊びに来るみたいにして、中の間に来て。

 Deep Redをかけながら…歌詞を読む。

 …あたしがどんなに複雑かとかさ…分かんないのかな。

 鈍感すぎるんじゃない?

 って、ちょっと腹も立つんだけど…


 もしかしたら、あたしが一人じゃ聴かないと思って…優しさでそうしてくれてるのかな…って思ってみたりもして…


 今日は朝から少し暖かくて。

 ノン君とサクちゃんと遊ぼうかなって思ってると、千里さんが事務所に連れて行ったみたいで。

 なんだー、つまんなーい。って思って、知花とお茶しようとしたら…検診行ってていなくて。

 うーん…じゃ、本でも読むか…って、並んでる本を眺めてて…


 あ。

 そうだ。

 貴司さんが、面白い本があるって言ってたっけ。



 めったにない平日のお休み。

 ここんとこ、海外に行く事が多かった貴司さん。

 今日は一日家でのんびりするって、大部屋でテレビ見てたっけ。


「貴司さーん。昨日言ってた本なんだけど。」


 あたし、大部屋にいる貴司さんに声をかけた。


「本?どの本?」


「面白い本があるって言っ……」


 あたしは大部屋に入りかけて…止まった。

 そこに…なっちゃんがいたから。


「……」


 つい、黙ってしまうと。


「…じゃあ、俺はこれで帰るよ。」


 なっちゃんが立ち上がった。


「わざわざすいません。」


「いや、あまりおまえに出歩かせたくないからな。」


「…お気遣い、ありがとうございます。」


 貴司さんはそう言って、なっちゃんに頭を下げた。


「あら、もうお帰りになるんですか?」


 お義母さんはお茶を用意してたのか…お盆を持ったまま。


「ちょっと待って下さい。お帰りになるなら、これを持って帰って。」


 そう言って、お盆をなっちゃんに持たせて…キッチンに向かった。


 …何だか、お義母さん。

 なっちゃんに、すごく慣れてるって言うか…

 うん…すごく、慣れてるよね。



 あたしが黙ったまま突っ立ってると。


「さくら、座りなさい。」


 貴司さんが、座布団をポンポンとして言った。


「あ…うん…」


 よっこいしょ。って、心の中で呟きながら腰を下ろす。

 なっちゃんは、お盆を持ったまま…そこから一つ湯呑を手にして、一口お茶を飲んだ。


「…いつ飲んでも、ここの茶は美味いな。」


「あら、ありがとうございます。」


 お義母さんがそう言いながら、なっちゃんに紙袋を渡した。


「仕事の合間にどうぞ。いつも外食だと身体にも良くないですよ。」


「ははっ。いつもすいません。」


「お口に合えばいいのだけど。」


「どれも美味いですよ。煮物は特に最高です。」


「まあ、嬉しい事。」


 …紙袋の中身は、お弁当らしい。

 お義母さん、なっちゃんにお弁当作ってんの?

 来るたびに?


 …ヤキモチなんかじゃない。

 そう言い聞かせながらも、あたしは悶々としてた。


 ああ、やだ。

 あたし…もう、なっちゃんとは何でもないのに。



「そう言えば、高原さんは久しぶりにさくらに会うんでしたね。」


 貴司さんの言葉にギョッとしたけど、あたしは平静を保とうとした。


「…そうなるかな。」


「お腹大きいでしょう。触ってみて下さい。」


 た…

 貴司さんーーーーーー!?


 何言ってんの!!

 さわ…触るわけないじゃない!!

 そんなの…

 そんなの、拒否られるあたしが惨めになるから、やめてよーーーー!!


 冷静に冷静に…って思いながらも、あたしの頬は引き攣ってたかもしんない。


 貴司さんのバカ。

 貴司さんのバカ。

 貴司さんの…大バカーーー!!


 ピクピクするまぶたを伏し目がちにしながら、何て言おうか考えてると…


「…じゃ、少しだけ。」


 ……


 えっ!?



 なっちゃん、お盆をテーブルに置いて…

 あたしの隣に来ると…そっとお腹に手を当てた。


「……」


 や…だよ…こんなの…


 そう思う反面…


 なっちゃんが…赤ちゃんに話しかけてくれてる気がして…

 ちょっと、嬉しくもあった。


 って…あたし、バカじゃない?

 貴司さんの赤ちゃんを触られて嬉しいとか…

 あたし、本当、大バカだよね!!



「あ。」


 ふいになっちゃんがそう言って、つい…目が合った。


「動いた。」


「……」


 目を見てそう言われて…な…泣きそうに…


 …ならない!!

 絶対泣かない!!


「もう、かなりヤンチャみたいなんですよ。」


「そうそう。蹴飛ばさないで~ってさくらが寝言で叫ぶぐらい。」


「えっ、あたし、そんな寝言を!?」


「言ってるよ。あと、くすぐったいからやめて~とか。」


 貴司さんとお義母さんの言葉に、あたしは恥ずかしくなったんだけど…

 なっちゃんは…


「あははは。」


 声を出して笑った。


「……」


 …そっか。


 なっちゃんはもう…吹っ切ってるんだ…?

 あたしの事なんて、もう…どうでもいいから、こうやってうちに来たり…笑ったりできるんだね…?

 …そっか。そういう事か…。



「あは…はは…あたし、そんな寝言…恥ずかしいな。」


 なるべく普通にしたかったけど。

 ちょっと元気はなかったかも…



 なっちゃんが帰って。

 貴司さんとお義母さんとでお茶を飲んでると。


「…悪いね、さくら。」


 貴司さんが言った。


「…何?」


「高原さんに会うのは、辛いんだろうって思うんだが…」


「……」


「私は、どうしてもあの人の笑う顔が見たくてね。」


 …あたしに会って笑うとは限らないじゃない。

 むしろ、凍り付いてるんじゃないの?

 あたし、心の中で毒気付く。


「高原さんは何も言わないけど…娘さんから聞いた話だと、奥さんがかなり状態が良くないらしくてね。」


「…え?」


「いつも明るく振る舞っているようだけど…精神的には、随分追い詰められてるみたいだ。」


「……」


 周子さんの…状態が悪い?

 どういう風に?


 すごく、聞きたい気がした。

 だけど…あたしはもう…


「だから、私達にできる事なら…何でもしてあげたいと思ってしまうんだ。」


「何でもって…」


「あの人は、いつも一人だ。」


「……」


 それは…何となく…あたしも感じてた。


 なっちゃんには、バンドメンバーもいるのに。

 瞳ちゃんだっているのに。

 なぜか…

 なっちゃんには、孤独なイメージがつきまとう。



「だからせめて…うちでは家族のように安らいで欲しい。」


「…そう。」


 もう…あたしには、意見する事は出来ないって思った。

 貴司さんとお義母さんは、何やら強力なタッグを組んでて。

 すごく…なっちゃんに尽くしたがってる。

 それは…



 どうして?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る